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松浦の民話 掲示板

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66.郷土史家? 返信  引用 
名前:まさき    日付:2011/9/15(木) 3:57
僕は確かに歴史は好きですが、郷土史家というほどのものではありませんです。
言わせて頂けるなら、郷土史愛好家兼アマチュアミュージシャン兼アマチュア登山家兼にわかガーデナー兼建築家・・などと言えようか・・。

いわゆる建築以外はすべてアマチュアなのです。
なので佐賀県の上松浦で松浦党の系統的説明を求められても、予習したこと程度しかお話出来ないと思うのですが、どうも周りは許してくれそうもありません・・。
歴史好きな人って結構多いのかもしれませんね。

65.松浦芸術文化公演 返信  引用 
名前:mm    日付:2011/6/27(月) 10:41
 来る23年7月30日、松浦市内において「芸術文化公演」が開催されます。内容は、第1部が「松浦の史跡を訪ねて」という講演、第2部が九州を代表する女優、面谷郁子さんによる「ひとり芝居」で「花いちもんめ」が上演予定です。

 日 時 : 7月30日(土) 開場13:30 開演14:00
 
 場 所 : 松浦市内 きらきら21 2階ホール

 入 場 : 無料

 主 催 : 松浦市松浦文化協会

61.松浦党 返信  引用 
名前:まさき    日付:2010/6/16(水) 3:45
 この頃、佐賀県唐津市内で遊んでいると、時折松浦党のことを訊ねられます。
やはり昔は唐津も伊万里も松浦も、平戸を含めて「松浦党」の拠点であったことをあらためて思い知るに至っております。
 
 先日は唐津で松浦党を含めた家紋の話が出ていました。「○に三つ星」が基本で、○の下に線が入るのを、「渡辺星」と言うのですが、源久公の家筋も渡辺姓であるため、松浦党では両方が混在しているようです。
 一説には源久公が今福神社で食した団子が梶の葉に乗っていたので、これを家紋にして三つ星の下に線を引く「渡辺星」が出来たとの話も伝わっています。

 唐津方面の「上松浦」の松浦党も、少し勉強したいとは思っているのですが・・・。

60.師走 返信  引用 
名前:まさき    日付:2009/12/25(金) 18:23
今年も仕事に遊びに振り回され、何をどうすることも出来ず、あっと言う間に師走を迎えてしまいました。
現在は平成23年3月に閉校となる松浦東高校の跡地利用について、民間からの構想を取りまとめ中。

皆様の新年が、幸多き一年となりますように。

59.ルネッサンス御厨・星鹿 返信  引用 
名前:まさき    日付:2009/5/21(木) 0:39
 松浦市御厨町及び星鹿町の有志による、このような名称の町興しサークルが立ち上がりました。
これからの地域の様々な掘り起こしの過程で、新しい民話などが発掘されることを期待しています。

58. 返信  引用 
名前:まさき    日付:2009/3/30(月) 9:24
ウロウロバタバタしていてハッと気が付けば、ナント辺りは春真っ盛り!

そうだ!
こうしてはいられない!

と、拳を握りしめて立ち上がってはみたものの、キョロキョロと辺りを見渡し、何をどうして良いか解らず、再びそっと静かに椅子に腰を落とすまさきであった・・・・。(・ω・)

57.年頭 返信  引用 
名前:まさき    日付:2009/1/2(金) 11:36
新年 明けましておめでとうございます。

年来の思いですが、「松浦の民話」をもう少し充実させたいと
思っております。
本年もよろしくお願い申し上げます。

56.高杉晋作 返信  引用 
名前:まさき    日付:2008/12/1(月) 0:18
維新の志士で誰が好きか、というと「高杉」である。
龍馬や西郷、大久保に木戸などと様々な志士がいる中で、やっぱり「高杉」である。
で、本棚から引っ張り出して以前読んだ三好徹著「高杉晋作」を読んでみた。
面白い。ただ、面白い。
こういう生き方は憧れでもある。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目は駭然として敢えて正視するもの莫し。此れ我が東行高杉君に非ずや」
        − 明治四十二年 伊藤博文

54.田平 返信  引用 
名前:北松浦    日付:2008/11/13(木) 20:24
松浦党戦旗を読んだりして、疑問が浮かんだのですが、峯氏っていると思うのですが、田平に本拠を置いていて、その田平の名前の田平氏ってどこにいたのですか?多分田平氏って下松浦に居たと思うのですが。  詳しい方居られたら教えていただきたいです。           



55.大変遅くなりました。
名前:まさき    日付:2008/11/26(水) 0:54
 勉強不足ですが田平というのは多分、宇野御厨荘の中の一地名であって、峯氏が起こりであることは間違いないでしょうが、「江迎の歴史 歴史概説」(http://www.emukae.jp/rekishi2/gaisetsu_01.html)によると田平では松浦純本というのも見えます。
このことから考えると峯氏=田平氏、あるいは田平氏=松浦純本などという、地名が氏を表す呼び方をしていたのではないでしょうか。
間違っていたら済みません。


64.Re: 田平
名前:北松浦    日付:2011/6/9(木) 10:12
まさきさん、大変遅くなりましたが、解答ありがとうございますm(__)m
私も松浦党戦記などで調べましたが、田平という人はいたようでした。「松浦党戦記」→田平五郎、「太平記」→田平左衛門蔵人、まだまだ文献等で調べてみたいと思います。
また立ち寄りたいと思います。ありがとうございました。

53.お月見 返信  引用 
名前:まさき    日付:2008/9/5(金) 4:29
 ここら辺り、今年の中秋の名月の日は、9月14日らしい。
というのは、詳しくは知らないのだが、この「中秋の名月」は毎年同じ日ではないらしい。

ま、とりあえずススキの穂と月見団子で、「お月見」をしましょう。
古き良き、日本の伝統文化です。

51.獅子ヶ城 返信  引用 
名前:まさき    日付:2008/6/20(金) 11:50
 久し振りに古城を訪ねた。松浦党水軍の党祖、松浦今福の梶谷城々主である源久公の孫にあたる源披が治承・文治年間(1177-90)に築城した獅子ヶ城である。源持の時代に松浦党の拠点が平戸方面へ移っていったため一時廃城となるが、この地方は松浦党勢力の南東の最前線であり、室町時代にも松浦党と佐賀を拠点とする竜造寺氏のせめぎ合いの地となり、松浦党は鶴田兵庫介源前を獅子ヶ城主とし、天文14年(1545)城を改修した。

 当時この地方は上松浦党の覇者、波多氏の勢力下にあったが、源前は竜造寺氏に屈服、長子源賢の時に竜造寺一門である多久氏に降り、佐賀も竜造寺氏から鍋島氏へ勢力が推移していくに従い、この城も次第に重要性が薄れていった。
 この後、唐津城主寺澤広高公時代に一時支城となるが、元和の城割で最終的な廃城となり、その後使われることはなかったと思われる。

 城址は岩壁の上に本丸、二の丸、三の丸、出丸と一列に並んだ縄張りで、井戸曲輪の他、幾つかの虎口があり、堀切などもはっきりしている。あちこちに高石垣も残り、中世から近代にかけて修築された形態がよく残っている。

52.松浦党史跡と今福城山 返信  引用 
名前:まさき    日付:2008/5/30(金) 1:58
 昨年、一昨年と続き、今年も松浦市へ修学旅行でやって来る生徒の受け入れでインストラクターとして案内することになった。体験型旅行のプログラム名は「松浦党史跡と今福城山」だそうだ。

 先日は松浦党と梶谷城についてTV局の取材を受け、リポーターとのやり取りがどうにも怪しかったので、今回はきちんと予習をしておかなければならない。少なくとも子供達から見れば「歴史の専門家」である、インストラクターはなかなか大変なのだ。

50.今年は 返信  引用 
名前:まさき    日付:2008/2/20(水) 14:56
 忙しくて古城跡めぐりも出来なかった昨年に代わって、今年は少し出向こうと思っている。思ってるだけでは行けないのだが。


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