[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
●不条理日記●
「仏道をならふというは 自己をならふなり 自己をならふというは 自己を忘るるなり
自己を忘るるというは 万法に証せらるるなり 万法に証せらるるといふは
自己の心身および佗己の心身をして脱落せしむるなり」
/道元   合掌

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | オプション ]
iモード&(絵文字)、au対応!ケータイからも返信できる無料掲示板!
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL



3818.インド哲学>バイシュバーナラ  
名前:LEIKO    日付:2017/2/23(木) 19:55
サンスクリット語は、古代語と言っても差し支えないだろうか。

自然言語は、だいたい100年で変化する。その、自然の変化を止めてしまったのがサンスクリット語。
変化を止めた故に、古代のままの姿で言語が残っている。
何故そんな事が可能だったかというと、紀元前4C頃のパーニニという文法家が、変化していく言葉に危機感を持ち、言葉を類別、整理し、体系化して残した。
 『アシュターディヤーイー』
という。
日本でいうなら、弥生〜縄文の言葉がそのままの状態で残されていることになるかとも思う。そして、古代語を学ぶ中で解って来たのは、その時代の空気が言葉の中にタイムカプセルとして残されていることだった。
古代まで、肉体と脳味噌を巻き戻さないと、なかなか理解できない。




たとえば。
時間の単位。現代の人が当たり前に使う時間が、古代人の感覚と全く違う。
一日の始まりは日出。行為(動作>動詞)のある時間、つまり起きて肉体を使っている時間が、今日という日。そして、今日を明日という時間を分けるのは「眠り」!!!眠っている時は、行為が無いから。カウントしない。



インド神話で、ブラフマ神の眠りはマハープララヤと言って、世界は消滅する。日本語で「億劫」おっくうだ、と言うその億劫の時間の後に、ブラフマ神の昼の時間が終わり、眠りの時間がやってくると、世界は滅ぶ。そしてまたブラフマ神の起床と共に世界は始まり…っっというのと、人の一日も同じってこと。
人は毎日、新しい人生を始め、眠りと共に人生が終わる。
そして目覚めてまた新しい人生を生き、終わり、眠る。



なので、サンスクリット語は「本日中の過去」という分けの解らない時制が出て来る。古代の人の生き方が解らなければ、解らない。
古代の人にとっては、昨日も、何億年前も、同じことなんじゃあないだろうか。
時間と言うものは在ってなきが如しということを、見抜いていたに違いない…
大宇宙も小宇宙も同じであり、繋がり影響し合い、渾然一体となり、今という瞬間を作っている。
だから、昨日も数億年前も、前のブラフマ神の時代(86億4千万年より前)で、億劫の時代も同じ過去。
果てしのない繰り返しがあるだけ。

ちなみに、四つの時代(ユガ)は12000年周期。神の1日は、人間の1年。神の1年は、人間の時間に直すと432万年、1マハ−ユガ。1千マハ−ユガが「ブラフマ神の1日」
こんな気の遠くなる数字を割り出すインド人だけども、結局、昨日もブラフマ神の昨日も同じなんだわ、きっと。くくく、気がおかしくなりそうじゃ。


「再帰的」と言う言葉がある。
古代人は、再帰的に、毎日同じ事を繰返し、生成来滅を日々の中で行っている事を自認していた。現代人にはまったくムリな思考。
古代人は、星の巡りがそれと同じ様に再帰していくことも解っていたので、それを基準に生活も行った。古代の人はどこの地域の人も同じと思う。
生活の基準が違う。
生活の基礎の哲学が違う。
その基礎の哲学は、あらゆる科学の基礎となりうる、自然観察の上にある。
なので、とても普遍的。
この普遍性を今に生きる我々が、どう参考にできるか。
古代に見習い、その生き方を、自らのものにするには自然に習う以外にない。

というわけで、山に行くわたし。

秩父 四阿屋山


あ。しまった。表題の『一切人火』だった。

サンスクリット語「バイシュヴァーナラ」vaizvaanara वैश्वानर =『一切人火』
というのは「消化の火」のこと。
消化の火っていうのは、アーユルヴェーダでは「消化酵素」のことらしい。体内に存在する五大元素の中の、火の要素は『酵素』の形で肉体に存在している。酵素というけれども、もっと深い哲学的な意味がある。

【bhagavad giitaa15-14】
私は一切人火となり、生類の体に宿り、プラーナ気とアパーナ気に結びついて四種の食物を消化する(バガヴァッドギーター15章14節)
「私」とは、クリシュナのこと。つまり、神。神はどのような形で、体内に居るかというと、消化の火として居ますよ、と教えている。

アグニ(火神)の別名のひとつに、ヴァイシュヴァーナラがあり、ヴァイシュヴァーナラは一切人火と訳され、すべての人の中に存在して、食物を消化すると考えられています(上村勝彦訳、バガヴァッド・ギーター、岩波文庫、p207参照)

また
【bRhadaaraNyaka upaniSad 5-9-1】
人間の内部にあるものは、一切人火である。それによって、この食べられた食物が調理される。こうして両耳を蔽うと聞こえるのは、〔調理をしている〕その〔火の〕音である。人が〔この世から〕出立しようとするときには、彼は〔もはや〕この音を聞かない(ブリハッドアーラニヤカウパニシャッド5-9-1)

と説明されている。消化が起こるのは、そこに火があるから。
(=化学反応)
火によって、食べ物が変換されエネルギーになって、肉体を支える。
そして、日々の生活も火によって支えられている。重要な要素。




そして、ここからが本題。
私達は、日々の食事を作るけれども、作っているのは『火と水』であって、料理者がする事と言ったら、材料を集めて、切ったり洗ったり分けたりする…つまり「準備」だけ。
(「準備」をサンスカーラと言う…サンスクリットを学ぶ人なら、このことに衝撃を受けるにちがいない)(プージャの準備もサンスカーラ)(この人生を作る準備をしたのも?)
本当の調理者は「火」
これがまた、古代の言葉にはそのまんまある。読むだけで、材料を用意している者と調理している者が別の存在ってことが解る仕組みになってる。
すごい。
思考がぐるんと一回転するくらい衝撃。
古代人には叶わない。
まったく足下にも及ばない。

こんな思惟の上に生活していた精神性は、現代人と比べ物に成らないくらい崇高だ。。。。


日々の生活の中で、所謂「凡夫」が〜自己〜と思って行為していることの半分以上は、彼がやってはいない、という事実の衝撃。
やっているのは、五大要素が自動でやってる。
(文法で、自動詞:他動詞っていうトピックがある)

五大が自動でやっていることを、現代人は「自分がやっている」と思い込んでいる。。。。
生きていること、それ自体でさえも、五大がやってる。
人は生きようとして生きているわけではなく、五大の働きがあって生かされている。

     衝撃

それは、イノチカラ。命の力。イの力。言霊「イ」…父韻であり、親韻でもある。命の大本。創造意志。
本当の行為者は誰か?
これはインド哲学のトピック。
エゴは「私が行為者である」という。
それがそもそも違う。ということを、エゴ=アハンカーラという言葉が教えている。アハンカーラとは「私が行為していう」という意識のことを言う言葉だから。
そもそもの勘違いが自我意識。
でも、その自我意識があったからこそ、科学文明が発達した。
「自己」という幻が、他者と自己を分け、競争社会を造り出す。
それが、言霊陰没の理由。

ながいながい年月、自己と言う幻で、人類は生きて来た。
でも、それももうおわりに来てる…

ながいながいマーヤーの時代




わたしは
いつから
「わたし」だったのだろう


それは、無始である、とインド哲学では教える。
「自我意識」というのは、無知そのものであり、始まりが無くある。それを打ち破るのは「知識」(智慧)のみ。叡智の光によって、無知の闇が払われた時、自我意識が宇宙に融けて広がり、存在そのものになっていく。

古代の言葉から、そんな思惟に発展した私の思考。
わたしは居ないが、わたしが区別している意識があり。

思考の思考のそのまた思考。



   不思量底を思量せよ
    不思量底とは如何
     非思量である
http://old-spirit.at.webry.info/201702/article_5.html

名前 内容

3817.抜け作の血  
名前:LEIKO    日付:2017/2/9(木) 21:18
わたしには、粗忽者の血が流れている。抜け作の血と言ってもいい。
ほんとに、おっちょこちょいというか、思い込みが激しい質というか。
持って産まれた質なので、あれこれ文句言っても仕方ないけど、ほんと、参る.
特に、仕事なんかでは、はやとちりとか。

でも、この質は、自分のペースで動く場合には悪影響しない。

要するに、何か「まいてる」(時間とか)状態の時に悪化。

リアルタイムから逸脱したマインドが先行して、とんでもない世界を作ってしまう。
今此処にいないマインドは本当にやっかいだから。問題しか産まない。
マインドがしっかり今此処に居れれば、全てはやすやすと行くのに。

厄介なマインド。
サンスクリット語ではマナス。
漢語では、マナ識。
大和言葉ではコロコロ変わるココロ。

ぐぐっと下っ腹に力を入れないとダメなんだね。
そうしないと、いつまでたっても今此処は手に入らない。。。。。。。。。。。。。
http://old-spirit.at.webry.info/201702/article_4.html

名前 内容

3816.うぶすな神社の日記  
名前:LEIKO    日付:2017/2/6(月) 9:2
ここ↓
http://old-spirit.at.webry.info/201702/article_2.html

名前 内容

3814.ウェブの問題などなど(転載)  
名前:LEIKO    日付:2017/2/4(土) 12:22
ウェブ上で、文字のやり取りをしてての問題のいくつか
自分も含めて、みていると
こちらの意図していないことを、相手が自分の経験知からわざわざひっぱりだしてきて
「おなじ土場」に上げて、反論してくることがいくつか。
っていうか、いくつもある。
要するに、トピックをごちゃ混ぜにするっていうか
テーマというか主題と置き換えてもいいけれど、コメントの主旨、トピックを混乱している。それは、発言側にも問題があって、起こることだけども、反応する側の問題はかなり大きい。多分そういう人はどこにいっても、コミュニケーションに支障をきたしている筈。
と、思う。
トピックのすり替えや混乱は、ウェブのコミュニケーションだけの問題ではないからだ。
で、そこで浮きあがるのは、経験知のこと。
人は、必ず経験知でやりとりする。
いまここでなにを感じて、の今が無いで、過去に知ったものごとと、心に蓄積したもの、そこから得た結論を持ち出す。発言者が、それに経験知で返すならば、混乱は収集がつかなくなる。

参加してるクローズサイトでのやりとりを見てて、持論の確信を強くしてしまう、という経験知を積んでしまったのであった。笑。

経験知なしでのやりとり、ってなかなかないね。

言葉を勉強してると色々解って来る。(サンスクリット語という古代語だけど)
その影響で、ソシュールやチョムスキーの普遍文法のことも知った(=経験知積んだ)

経験知は判断を産む。

判断とは、禅では「コラッ!!!」なもの…
目前にあるものを自身の目で見ずに経験で見ること。
それは、目を曇らせ、ものを見誤らせる。

いまここでの目を使わない限りは、人と人とのコミュニケーションには限界がある。
かといって、全ての人が禅の修行をするわけでもなく。その奥義を知るわけでもなく。
会話は果てしなく食い違って行く、という。
わらえる。

言葉を見直して、自分がどの立場でもモノコトを言っているのか知り、そのうえで言葉を使う。そうしないと、世界はあほのるつぼと化する。
わらえるわ〜
(じぶんもふくめ)



毒舌でした
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_3.html

3815.LEIKO > 経験知云々で、はてしないやりとりをしていたのは、クローズサイトではないので念の為。。。。クローズサイトは、とても健康的に機能していて、わたしのような感想は論外かなー ( 2017/2/5(日) 19:4 )

名前 内容

3812.インド  
名前:LEIKO    日付:2017/1/19(木) 22:1
友人に、一緒にインドに行かないかと誘われて。
すごくすごく迷った。
行きたい。
でも、ほんと、いまの私には分不相応。
旅行できる身分じゃないわ。
残念。ほんとに残念。
インド、私の中でふくらみつつあったからな。チャンスとは思うけど、神様のフォローでもなければムリ。飛ぶ勇気ないし。
もしかしたら、今じゃない、って気持ちもあるのかな。

どうなんだろう。
わたしのこころは。

インド。

行きたいな。
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

3813.LEIKO > もう少し……気持ちが熟さないとだめなのかも。。。多分、もっと先になるかもしれないけど、いつかは行くと思う。神様はその時にフォローしてくれるかな??? ( 2017/1/19(木) 22:3 )

名前 内容

3811.唯識  
名前:LEIKO    日付:2017/1/13(金) 20:12
受講しました。
ああ!8年前に青松寺で玉砕した唯識の思い出が、上書きされました。
「理解」というかたちで

この8年の学びは無駄で無かった。
インド哲学に始まり、サンスクリット語、瞑想、ヨーガ、そしてなにより『言霊』!

いろいろな学びはただひとつ、人間の心、についての洞察だった。

それが分かって、更にその深奥に入る感じで。


うひょうひょ言いながら、金欠になりつつ、今年も始まる!
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

名前 内容

3808.きゃ〜  
名前:LEIKO    日付:2017/1/11(水) 23:1
あけおめもしないまま、七草も過ぎ、松の内も目前。

いやはやややのや。

新春は、やはり秩父に詣でて、札所34カ所満願しました。
ヤターーーーーーーッッッッ!
vvvvv!!
目指せ先達を〜

で、すっかり御朱印ガールと化して、手印集めに奔走というか。。。
たのしい♡。手印集め。。。
そして、茶道の初釜で、着物着るのにすったもんだして。
そして、サンスクリット語、今年初授業。その合間に、パートに行ったりなんだり、勉強もして。お正月気分は全く無し。。。。のまま。
今年はなんもお正月らしい気分を味わおうとせずに過ぎたなあ。

ベジおせちだけはたのしかったけど。

そして、なんか金欠に陥る私。
朝日カルチャーの授業料にお金が飛んでいる。。。

明日は唯識の初めての授業。ついて行けるんだか心配。

そうそう、プチ断食の最中。ま、一日だけですけど。
インド式にはエーカーダシに断食するといいらしいが。
もうエーカーダシは過ぎてるなあ。いろいろありの新年幕開け。
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

3809.LEIKO > お〜11日の11時1分だー ( 2017/1/11(水) 23:2 )
3810.LEIKO > 1月11日11時1分ね。 ( 2017/1/11(水) 23:2 )

名前 内容

3806.古峯神社は神社もすごかったけど、一緒だったメンバーが変で…  
名前:LEIKO    日付:2016/12/31(土) 22:8
話題がとにかく、インドでしょ、天狗でしょ、ニューエイジ系のスピな話題でしょ、古代史でしょ、神社でしょ…がわんさか。

情報ありすぎで何喋ったのかさだかでないけど、最後、また『丹』の話になり。
丹は辰砂とか赤色硫化水銀とか言われる。
中国では『仙丹』という、仙術に使う丹、薬に、辰砂が使われていた。
そしてまた、丹は『賢者の石』とも言われる!!!

なんだろうね、この丹っていう鉱物は。

で、古来、鉱物資源の知識が豊かだった渡来人と丹はとても密接な繋がりがあった。
そして、その知識は修験にも関係している。
空海は、鉱物資源についての知識に詳しい渡来人のネットワークを持っていたとかいう話。
で、空海の最後は水銀中毒の症状だったのでは、という話も(トンデモ?)本で読んでいる私。そこだけよく覚えている。
で、インドの養生学というか医学というか、の中に、こういった鉱物を扱う分野が独立してあったらしい、ということを、この日耳にした。
興奮ですよ、わたし。そうなの!って叫んじゃった。
それは、水銀を無毒化する方法があって、その無毒化された水銀の効果がすごいらしい。
それこそ、仙人になれちゃう薬かもしれない。それを空海は使っていたとか???
インドには昔からそういう学問があったそうで、それを中国伝いに空海が手にいれてもおかしくはない…という話になって…
えええええ!
みたいな。
それじゃあ、超人への肉体的なスイッチを入れる何かしかの方法を空海は密教と一緒に持ち帰ったのかも…という妄想が…笑!とまらない!爆

空海が、金星が口にとびこんできて悟りを得たって話とも、鉱物の話がなんかつながる臭い!(→暴走)

それでだな!その事を聞いたあと、興奮のまま帰宅して、なんとはなしにテレビを見ていたらシンクロナイズドスイミングの番組で何故か『脾臓』の話題をしている。
脾臓?
みたいな。
ぜんぜん、欄外で見てない臓器。
その臓器が、水中に住むほ乳類では重要な役割をしてる、という話。
長い時間水中に潜る時に、脾臓が蓄えた酸素たっぷりな血液を放出して、無呼吸状態を支えている、という話だった。長い時間水中にいるシンクロの選手は、この脾臓の働きが通常の人より活発だった、という。。。。
えええ?もしかして、脾臓って、あれ、シュタイナーのオカルト生理学の中で『重要』って位置づけなかったっけ???みたいなことを思い出し、ネットで調べる。
脾臓は、肉体的には(物質的には)ほとんど役割が無いが、霊的にはとても重要な役割がある…ということだった。
   それだーーーッッ!
なんかわかんないけど、それだ!って気がする。
そしてまた、最近の私の興味に、チベット密教で言う「覚醒」があった。
なぜか、そういう話題をしてるページを見つけて、もう、釘付け。
なんじゃこりゃ的。
クンダリーの覚醒は、モノによっちゃ、すごく危険でというか
エネルギーがぐちゃぐちゃになって、一生を棒に振るケースがある、という。
で、そこに有効なのは、信仰、とか、知識(普通の知識では無い、インド哲学がよく使うパラビッディア、至高の知識のこと)であるというような事が書いてある。
この時、わたしにはいろいろなシンクロが巡っていて、一連のこれらの情報は全て一つに繋がっていると思える。
それは、生物的な進化と霊的な進化の事。
それをだれかが教えようとして、シンクロを起こしているとしか思えなく。

多分、人間が進化するには、色々な鍵があるのだが
その中でも重要なのが、脾臓、呼吸、丹(賢者の石)、脈管(チベット密教の言う)、金星、鉱物…

それは、知識の土台が無いと危ない。

人間の自然な進化の過程で、霊的な進化が起こるなら
そこで、過去のカルマに引きづられて覚醒を止めてしまうことがあるかもしれず
それをして、危険、という説明をしているのだと思う。

そこに普遍的な知識を以てすることが重要で。


チベット密教では、顕教の勉強をとても重視する。それは知識に関するものだからだ。
その知識がない、半端な覚醒では、その人にとって危ういことになってしまうと。

そして、なぜ仏教かというと、これはサンスクリット語を学んでいる中で知ったことだが、仏教と言うのは、神を否定したことにより、心理面を深く掘り下げざるを得なくなり、心理面の発達は、他の六波哲が及ばない深くまで掘り下げることをやってきた。
勢い、その中で「人間とは」の深い洞察が培われ、その知識によって、また覚醒も促されて行くことになる。というような。あーなんか書く手がおいつかない。まとまってない。けど、こんな感じの神社巡りだったわけで。

神社というのは、ある意味「装置」として優秀なものかも。
そこに参る、詣でることでの心理的変化。
人間を洞察していた、古代日本のヒシリたちがそのシステムや、装置に熟知していたことは想像に難く無い。。。。。
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

3807.LEIKO > いやー、かなりあぶねーこと書いてるよ〜わたし! ( 2017/1/1(日) 0:26 )

名前 内容

3805.古峯神社再訪  
名前:LEIKO    日付:2016/12/29(木) 22:50
ひじょーにねむい

一緒に行った睡眠の足りていない友だちよりも
ずっと睡眠時間を取っているわたしが
とてもねむいのだ〜〜〜〜っっ

つづきはあしたさ
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

名前 内容

3804.そして今日もサンスクリット  
名前:LEIKO    日付:2016/12/26(月) 0:3
ヨーガスートラ原典講読

はあ〜なんか最近勉強ばっかり。。。。
人のバイオリズムっていうのはさまざまですねえ。
今わたしのバイオリズムは勉強モードまっさいちゅう。

数年前は、人との出会いがすごく多かった。
最近そういうのは無い。
ぽちぽつと、縁ある人には出会うけれども、以前ほどではない。
それよりも勉強モードがすごい。

どしたわたしってくらい。

唯識は、7年くらい前に、青松寺の唯識講座で挫折してから
諦めきってたけども、なんか私の中の唯識熱が高まったのか
状況が揃ったのか。
「成唯識論」通い始めるかも。
なんとか着いて行けそうな講座。
漢文はこりごりだったんだけど、それもクリアできそうな。

唯識もやっと出来るまで私自身が成熟したってことかしらね。

そして、言霊学で、心をどう扱うか、その助けにもなりそうな気配。
そういう流れで、唯識が来たのだと思う。
心を扱う、心を知る手がかりの為に。
言霊の手がかりの為に。

私のアートマが手を貸してくれたんだから、がんばるしかない。

えーい!
http://old-spirit.at.webry.info/201611/article_1.html

名前 内容

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >> >| 

無料アクセス解析

アクセス解析の決定版!無料レンタルで最大100ページ解析!

   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb