[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
ライオンとペリカンの会・掲示板

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | オプション ]
iモード&(絵文字)、au対応!ケータイからも返信できる無料掲示板!
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL



626.今月の読書会のまとめ  
名前:高野    日付:2020/6/28(日) 9:55
6月26日実施のライペリの状況につきまして、簡単ではありますが、ここにご報告しておきます。今回はいつもの「山下流解説」に代わりまして、当日の発表者だった高野が書きます。

言葉をまったく発することができない重度障害者と、「重度障害者はこの世に不要な存在」と信じてその殺害を計画する若き障害者施設職員、この二人の物語・・・辺見庸の長編小説『月』をテキストにしつつ、今回は7名が参加いたしました(別府、松井、どうあげ、山口、河口、山下、そして高野)。

なかなか読みにくいテキストを選んでしまい、発表者としては正直、どうなることかと冷や冷やしておりましたが、意外と(?)けっこう盛り上がり、無事に終わって今はホッとしております。

論文調のレジュメとなりましたが、別府さんから「詩のようだね」と言ってもらえてたいへん光栄でした(笑)テキストについては、前半部分の読みにくさと後半部分の面白さの対比を指摘する声が相次ぎ、僕自身も納得いたしました。議論中、松井さんが強調していた「『障害者』という言葉で様々なケースをひっくるめて語ってしまうことの危うさ」、それにくわえて、このテキストの最終部を「ある意味、恋愛小説とも読める」ととらえたどうあげさんの指摘などが、強く印象に残りました。花田清輝に関連付けた意見が山下さんから飛び出したり、「あの『やまゆり園事件』をこんな風に小説化するのはいかがなものか」との声が河口さんからあがったり・・・と、皆さんそれぞれにユニークな読み方をして下さったみたいで、どの意見も興味深く拝聴いたしました。ご多忙にもかかわらず、ラストスパートで最後まできっちりと読み切って来て下さった山口さんにも、あらためて感謝申し上げます。

議論後の宴は、別府さんなじみの大名のお店で、おいしい刺身に舌鼓を打ちながらの、たいへん楽しい時間となりました。松井さんと久しぶりに一対一でじっくり話せたのが個人的にはありがたかったです。およそ四か月ぶりの「対面式」ライペリでしたが、とりあえずつつがなく終わって何よりでした。文学館での開催ももちろん悪くないですが、花乱社オフィスでの開催もけっこう好きです(^^♪別府さんにあらためて感謝いたします。次回はどんなテキストが待ち受けているのやら・・・小説が再びテキストになることは、今後しばらくの間はないかもですね・・・ 

625.■懇親会場  
名前:別府    日付:2020/6/22(月) 18:26
26日の読書会後は、少し離れていますが、大名の「まんぷく屋」に予約を入れています。
小部屋が使えますので、密集度は中程度かと。
刺身他、魚が旨いです。

https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40039590/

624.■6月読書会の会場変更及び8月読書会予定  
名前:別府    日付:2020/6/16(火) 15:14
6月26日(金)読書会は、会場に予定していた福岡市赤煉瓦文化館から「定員12人の部屋はウイルス対策で6人で使用のこと」との要請があり、6人では収まりそうにないので予約を取り消しました。
6時半から花乱社(中央区天神5-5-8-5D)で行います。
それと、8月読書会については、とりあえず赤煉瓦文化館に28日(金)で予約を入れました。これもその頃ソーシャル何とかがどうなるか分かりませんが、会場変更する場合は、改めて投稿します。

623.出勤風景  
名前:高野    日付:2020/6/15(月) 16:43
今日また新たに詩を書きましたので、性懲りもなくまたもやアップさせて頂きます。どうかお許しを〰(^^♪

出勤風景     高野吾朗

老いぼれ詩人と二人暮らしのあなた 今朝もまた
一心不乱に詩を書いている詩人の背に「それでは
行ってきます」と明るく告げると 羽根を広げる

出勤の途端 あなたはもはや人ではなくオウムだ
新築が立ち並ぶ一本道の東端に位置する自宅から
あなたはその道を飛ばずに歩いて 職場へと急ぐ

あなたの羽毛の色は 昨日までの白ではなく金だ
けれども鶏冠は いつもと同じく 派手な王冠だ
街の動物園のあの檻で 今日も閉園まで客相手だ

一本道の西端の家から いつものように鍬を持ち
例の男が道に出てくる 百歳をすでに越えた彼は
コンクリートしかないこの街で 自称「農夫」だ

「こんな時代なので辛いとみんな言うが こんな
時代だからこそ救われる人もいるんです そんな
人の声も聴かないと」 農夫のいつもの独り言だ

颯爽と西へ歩むあなた とぼとぼと東へ歩む農夫
あなたの介護にすがって生きている詩人の口癖を
オウムのあなたは 今日も 鼻歌のように真似る

「音律ノナイ詩ハ駄作ダ」「現実的ナ詩ハ愚カダ」
「詩ニ客観性ハ要ラナイ」「見エヌモノヲ夢想スル
感情 ソレガ詩ダ」「意味ヤ知性ヤ科学ハ不要ダ」

農夫はいつものように 新築の家を一軒一軒訪ね
アスファルトしかない庭を眺めては 「この土は
畑に最適です お忙しいなら私がお宅の代わりに

無償で耕して差し上げます」と インターホンに
優しく話しかけるが 応答する家は今日も皆無だ
錆びた鍬が 農夫の足元で鈍い金属音を繰り返す

その昔 この道の裏の用水路で 幼児が溺れた時
あまりの汚水の深さに怖気づく大人たちを尻目に
暗黒へと飛び込み 幼児を救ったのは農夫だった

汚れた紙幣を無邪気に握りしめる幼児を見かけて
「金に付いた黴菌に感染して死ぬのも地獄 金を
捨てて貧乏で死ぬのも地獄」と言ったのも農夫だ

東へと歩む農夫とすれ違う瞬間も 詩人を真似る
あなたの嘴は 止まる気配がない 「コノ宇宙ニ
翻訳不可能ナモノハナイ」「真善美ハ獲得可能ダ」

「神モ仏モタダノ形骸ダ!ソンナ神仏ヨリモ今ハ
詩ダ!詩ノ定型コソガ真ノ宗教ダ!」 けれども
詩人がつい先ほど 書き上げたばかりの詩の中に

並んでいるのは あなたが真似る言葉とはなぜか
まるで正反対な文言ばかりだ 一息ついた詩人の
家のインターホンに 農夫の優しい声が響き渡る

「今日も詩作ですか 世の中の全てが詩になると
おっしゃっていましたが 詩にならぬものだって
あるのではないですか お書きになる詩はどれも

不気味に終わるそうですが めでたしめでたしで
素直に終わるのは そんなにいけないことですか
お宅の畑 私が無償で耕して差し上げましょうか」

誰にも相手にされぬこの農夫が 命の次に大事に
しているのは 一緒に戦争を生き抜いたあの鍬だ
農夫が自宅に戻るころ あなたの王冠は檻の中だ

622.酔っ払いの日記  
名前:山下龍一    日付:2020/6/8(月) 15:15
次回の読書会テキストは、『月』辺見庸である。
ようやく読みはじめた。
このところ、山下は、加藤典洋さん没後、何を読んでいるか?
といわれると、はて、村上春樹をまた読むことにするか。
などと、言ったりもしてみていたのだが、どうも、時代はずいぶん変わり、当然村上春樹の書き方も、変わっており、当然小説家は、読んでもらいたい対象も変わる。
ちょっとまて、村上(春樹)の対象は「若い読者」らしいので、読者であるこの私が、単に、対象から外れて久しいだけのことのようだ。

ということで、私のような「おっさん」を対象にした、または、そのようにストライクゾーンを広くとってくれる小説家の小説を読むことにした。
てなわけで、ここは、「新聞小説」なら、ストライクゾーンが広いはずだ、というあやふやな根拠のもと、毎日新聞連載中の阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』なんかを、読んだりなんかしている。
なんでも、翻訳者が、日本の小説家で英語に翻訳したいというのを選んだ場合、先に述べたハルキ・ムラカミを筆頭に(このことをいったのが、彼の『羊をめぐる冒険』を翻訳したアルフレッド・バーンバウム)高橋源一郎、中原昌也、と阿部和重だからということも理由の一つである。もっとも、これも、一昔前の文芸時評で、加藤さんが書かれていたことでもある。

前回あげてくれた「霊獣」の作者、高野吾朗もそもそも、作詩したものを英語で出版した。で、職業は、英語の先生である。つづめていえば「翻訳」は、高野氏にしてみれば、自明の前提、縄張り、我田、今風にいえば、ゾーニングされたシマである。私のように外国文学に疎い読者は、とても、高野氏からのそれについて学ぶことは一通りではないのだが、彼の書く詩について、どうしても、形式に先に目がゆき、言葉の選び方とか、その、筆先に届く読み方をできるものとそうでないものに、かなり開きがある。
ただ、これは、翻訳という問題とは違う、というのを、今回の辺見庸の小説を読みはじめて感じた。彼、辺見庸の小説の言葉の選び方には、なにか、読む側をすんなりとそのプロットへ入らせるには、不似合いなものがある。それを、文学的にいうと「異化作用」というのかもしれない。(もっとも、辺見庸がこの小説にいたるまでには『眼の海』『生首』という詩集がある。帯文に「新たなる言葉の異化」なんてかかれてもいる)

少し思うのだが、辺見庸『月』を読み終える頃には、高野氏の詩も私の前にちがった相貌をもって現れるに違いない。

621.霊獣  
名前:高野    日付:2020/5/26(火) 20:43
今日また詩を書きましたので、さっそくここにアップさせて頂きます(いつもスミマセン・・・)

霊獣         高野吾朗

「もう帰るね」と母に言うと 娘は部屋をそっと後にした
晴れ渡る夏空の下 建物の外に出て 振り返り見上げると
殺風景な一人部屋のベッドから わざわざ起きてきた母が
ベランダの柵に寄りかかりながら 遥か遠くを眺めている

「そこから何が見えるの」 娘は大声で尋ねようとするが
やめておく 今の母に聴こえるのは自らの声だけだからだ
地図を開き その上を 指先でなぞるかのような手つきで
母が 中空の見えぬ誰かに叫ぶ 「来る イナゴが来る」

「平凡な日用品が なぜか大切な人の姿にしか見えない」
そんな疾患がこの世にあるとは まさか母がそうなるとは
男性週刊誌の棚に隠れ 汚物のごとく売られている女性の
生理用品を見るたび 母はそれを亡父や亡夫と思い込んだ

「それを無理に正してしまうと 別の問題が出てきます」
そんな助言を思い出しながら 娘が再びベランダを見ると
母の独り語りが迫力を増していた 「あんな大群だなんて
この無人島での晴耕雨読の日々も 今日でおしまいかも」

「『きっと必ず』なんて言い切ってばかりの人生よりも
『たぶん』と言い続けてばかりの人生の方が素敵」 母の
昔の口癖を思い出しつつ立ち尽くす娘 その姿に気づいた
母が叫ぶ 「霊獣だ!疫病退散の霊獣がすぐ下にいる!」

「もう帰るね」 そう言ってあの階上の部屋を去りかけた
数日前 母が急にし始めたあの話が 娘の脳裏にまた蘇る
「足し算と掛け算は 表裏一体の関係だとみんな言うけど
その二つが互いに無関係な場所で 明日は散歩したいな」

「あなたたちにあの獣は殺せない」 ベランダで叫ぶ母の
視線の中で イナゴの大群は いつの間にか 獰猛そうな
狩猟用の犬の群れへと姿を変えていた その後方で 銃を
構える人間には 『正常』の定義などもはや無関係らしい

「つながりのないものたちの間につながりを見出してやる
それが人生の醍醐味だ」 生前 亡父や亡祖父が 少女の
自分によくそう言い聞かせていたこと そしてその後ろで
母が黙ってそれを嘲笑っていたのを 娘はなぜか思い出す

「私とのつながりも嘲笑うの?」と 娘が呟くその一方で
階上の母は 霊獣の雄々しい立ち姿に まだ見とれていた
巨大な角 隆々たる全身の筋肉 悟りの境地のような両眼
額を狙う銃口をただじっと見つめたまま動かぬ その姿勢

「さあ 野生と勇気に満ちたその体で 軽々と飛ぶのだ」
心の中でそう呟く母の口元から だらりと涎が垂れていき
そのまま 真下の娘の頬に着地する それを拭き取る娘の
指先は 跡継ぎの童顔に自らの血を塗る族長の手のようだ

「もう帰るね」 そう言ってあの部屋を去り 建物を出て
今日のように振り返り見上げた数週間前 母は 上も下も
血のように真っ赤な衣装で独りベランダに出ると まるで
ロックスターのように指を鳴らし 真っ赤なハイヒールを

「こんなもの履けるか!」とわめきながら蹴り捨て 髪を
かきむしりながら 娘の知らない声で歌いだしたのだった
「あの雲を飛び越えてみせる 夜が来たら 最高の音楽を
あなたに教えてあげる」 小さな体を左右に揺らしながら

「もう何もしてさしあげなくていいのです ただ ずっと
そばにいてさしあげればよいのです」 そんな助言を胸に
帰り道 娘があのハイヒールを探していると 一本の杭に
つながれた飼い犬が 杭の周囲をひたすら駆け回っていた

「そんなに無駄に走ると おまえと杭をつなぐ紐がよじれ
徐々に短くなり 最後には動けなくなる」 紐のよじれを
緩めてやろうと近づくと なぜかその犬が 自分みたいで
また振り返ると 相変わらず母は 遥か遠くを眺めている

620.6月26日は  
名前:高野    日付:2020/5/25(月) 20:3
テキスト:辺見庸『月』

レジュメ担当:高野

場所:赤レンガ文学館を予定(もしもコロナ関連で閉館となった場合は、花乱社のオフィス内にて)

・・・ということに正式決定いたしました(山下さん、別府さん、どうもありがとうございました)。

辺見庸のテキスト、個人的には「好き嫌いが真っ二つになりそう」な予感がしておりますが、先に申し上げておきますと、僕がお配りするレジュメは「絶賛」とも「全否定」ともならない予定です(笑)。
https://www.amazon.co.jp/月-辺見-庸/dp/4041072271

619.6月  
名前:高野    日付:2020/5/21(木) 21:20
僕で本当によろしいですか。辺見庸の小説『月』で決まるようなら、何とかやれそうです。たとえ4月のようにオンライン形式となりましても、山下さん流に何とかやれそうです。いかがでしょうか。

618.投稿ついでにもういっちょ  
名前:どうあげ。    日付:2020/5/21(木) 18:22

次回のライペリは6月26日(金)で、いつもどおり赤煉瓦文学館で大丈夫ですか?

高野さんが、辺見庸の『月』をされるんでしたよね?

617.山下さん、ありがとうございます&なんだかスミマセンm(__)m  
名前:どうあげ。    日付:2020/5/21(木) 18:12

こんにちは。
緊急事態宣言の解除もあって、にわかに忙しくなってきました。

山下さん、このたびはご回答をありがとうございました。お礼が遅くなりました。
とはいえ、私は江藤淳や加藤さんのよい読者ではなく、安保闘争と言われても生まれてもない時代のことですな…、という感じで、
ご返信の内容についてもあまりよく理解できない体たらくなんですが、
ちょうど白井さん(私より2つ年下!!)の『永続敗戦論』が言及されていたので、
ちょっとこの本のことを振り返りながら、私が前回言いたかったことをもう一度書いてみます。


白井さんのこの本は、3・11の震災直後の2012年8月に書かれてますね。
そこで散々、政治家やマスコミの体たらくを見せつけられて、こんな「侮辱」は終わらせんといかん!!と最初から最後まで怒っています。

この「侮辱」の根っこにあるのは、「永続敗戦」、いつまでも敗戦を認めず、徹底した対米従属の姿勢を取り続けることにあるとし、
これで日本はこれまではうまくいってきたけれども、
じきにアメリカは日本を見放すだろうし、領土問題も噴出してるし、もはやこの永続敗戦の構造は維持できないだろうから、
これからは各々、自らが戦うべき相手を自主的に決めて、命をかけて守るべきものを守っていこうぜ!と締めくくってます。

これが私の以前の質問の、ちょうどコインの表(もしくは裏)って感じなのでした。

日本の現状は「対米従属」で、それはたいへん根深いです(山下さんのおっしゃる通り感情論や外交政策のアイテムでは済まされません。)
ただいままではそれで大変うまくいってしまったために、その問題やそこから派生するものについては不問にできましたが、
白井さんがこの本を書かれたときは、もはやここまでか!という日本のピンチでしたので、
いよいよここで、「戦後」を終わらせる!という意気込みがこの本からは感じられました。

ただし、じゃあどうやって終わらせるか、というと、白井さんは各自自分の敵を自分自身で見つけて戦って勝とうぜ!みたいな。
(領土問題のところでも、本当に解決するには、もう一回戦争して勝つしかない的なことが書いてありましたね。)
となると、その敵を見つけて戦う状態っていうのが、対米従属のいまよりもよいのかどうか、
むしろ、対米従属がうまくいかなくなったその時に、
対米従属をあっさり捨てて、よりよい道を選択するほうがよくないのかなあ、と素朴に思ってしまったのでした。

まあ、本当にそういう感じのつたない質問(感想?)だったので、山下さんにはお答えづらかったと思われます。
(いま考えたら、まあ対米従属を捨てた後の可能性を考えておくのも大事な思想家の役割ですもんね。)
なんだかスミマセンでしたm(__)m
なので、今回のにはどうぞ返信ご無用ですぞ。


それと、憲法9条についても、論文をありがとうございました。
ただ、憲法9条が、世界大戦後の国連の理想と決意を、
そして過去の植民地主義に対する反省や批判を想起させ続ける点で、やっぱすごいよね〜というのは、
やっぱりどこか現実離れしたというか、理想っぽい感じがしました。
(そもそも”誰に”想起させ続けるんでしょう?)

それよりは、白井さんの「日本社会の大勢にとって、「絶対平和主義」は生命を賭しても守られるべき価値として機能してきたのではなく、
実利的に便利であるがゆえに、奉じられてきたにすぎない。」というほうが、やっぱピンときますね。同世代だからですかね。

616.『どん・・・、こと。』レジュメ〔応答編vol.2〕  
名前:山下龍一    日付:2020/5/14(木) 14:29
こんにちはです。
感想をいただき、ありがとうございます。前回の高野さんレポートへのリアクション同様、回答形式にしようと思案してましたけど、どうもそれには、どうあげ女史の直截な物言いに応じれないだろう、と観念した私は今回は、受けて立つ構えにしようと思いました。

まず、「思想の二階建て構造」。どうあげさんの感じで言うと二階の「対米従属」が、一つの政治体制の根拠となりうるようにみうけられます。2015年にとりあげた『戦後入門』で、加藤さんは、「対米従属」が戦後どのように日本人に内面化されていったかを、江藤淳の安保闘争期の行動を軸に語っていました。それは、江藤淳の文学と加藤典洋の文学が、同じそれをめぐっての批評であるにもかかわらず、違う表現となったことからもわかる通り、感情論や外交政策のアイテムだけで済まされるものではないということです。
2013年とりあげた白井聡の『永続敗戦論』(46〜47頁)には、こうありました

(中略)してみれば、日本は「ポツダム宣言に明示された諸条件を受け容れて、ともかくも主権を維持しつつ降伏したのである」と主張する江藤(淳)の議論は、法理的正当性を仮に持つものであるとしても、結局のところ、「正義」における敗北を否認するものにほかならない。後に論ずるが、第二次世界大戦後に「主権」を維持し得たのは米国とソ連の二国だけであって、「主権の維持」という観念自体が妄想に過ぎないのである。
(第一章 「戦後」の終わり)

私は、この本が取り上げられてこのくだりを読んだとき、ああこの人は、政治的立場は違っても江藤淳の考える「国家主権」の立場からしか『敗戦後論』を読んでいないのだなあと落胆した記憶があります。つまり、「主権」の意味を「憲法制定権力」を容れてないところで、議論している。もしくは、一義的に確定して「決め打ち」しているのだな、とこれは『戦後入門』を読んだあと、わかったことでした。

「護憲論」にみる思想の二階建て構造、とわざわざ加藤さんが特定しているのは逆の意味で、「国民主権」側からの平和主義に基づく「護憲論」の瑕疵を指摘したかったからだとおもわれます。もちろん、憲法九条の内容が、外交カードとして未だ功利的かどうかというのは、門外漢の私にはわかりませんが、以下の論文はその参考にはなるようです。

 もうひとつ、二階を「九条の理念」に代表させた理由には、その「層」の間、階段で言えば踊場とでもいえばよいでしょうか。そこにある、今となっては政治的に有名な言葉ですが「ねじれ」の存在を見えやすくするという狙いもあったかもしれません。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/pdf/prime29/SM2S700

615.山下さんのご発表へのコメントというか感想というか。  
名前:どうあげ。    日付:2020/5/9(土) 11:46

皆様、こんにちは。
4月の山下さんの『どんなことが起こっても〜』のレジュメを読んで、ひとまずメモ帳に感想を書いたのですが、
考えが浅いように思えて、掲示板にアップするのをためらっていたのですが、
コメントが少ないのもさみしい感じがしますので、下記にコピペしておきます。

それと、高野さん、新作の詩もありがとうございます。
なんだかすぐ上に重ねる形になってスミマセンm(__)m

-----------------------(下記が感想です)------------------------------

山下さん、レジュメ受け取りました。ありがとうございましたm(__)m
本の内容を、とても明瞭にわかりやすくまとめてくださってました。

なので、内容については特に疑義はないんですが、
ふと思いつくことがありまして、それを今回、感想というか問いというか、書きたいなあと思いました。
私は吉本や加藤さんのあまりよい読者ではないので、拙いとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

この本では「思想の二階建て構造」について、幕末や戦後の事例でもって説明されています。
特に戦後、1階の、敗戦体験に基づく「戦争はダメ、絶対!」という、どこかいい加減なそしてリアルな気分の上に
禁欲的・思弁的な「憲法九条」(2階部分)があって、その2層構造によって平和は維持されてきたと書かれています。
そして、現実面で「憲法九条」の理論が破綻しかけたときには、
何があっても戦争ダメ!という1階部分の”不正義な平和”によってなんとなく破綻を乗り越え、日本は長らく平和を享受してきました。

しかし、近年になると、集団的自衛権等で、もはや2階部分の「憲法九条」では戦争を阻止できなくなりそうになっています。
だから、2階部分の「憲法九条」を死守するために、かえって大事な1階部分の「戦争回避」を見失わないよう気を付けて、
まずは「戦争ダメ、絶対!」という「どんなことが起こってもこれだけは本当」であることを優先して守るために、
憲法九条に代えて、国際的に孤立しない、アメリカにも対立しない方策を提示して、本はそこで終わっております。
(この方法については以前ライペリで読んだ『戦後入門』に詳しく書いてありました。)


しかし、私にとっては、「戦争はしたくない」気持ちはもちろんありますが、
憲法九条でその気持ちが理論武装されてるとか、九条が守ってくれてるというような思いを抱いたことはありませんでした。
むしろ、九条というのは、びっくりするほど現実離れした理想だと思っています。


あえて、この「二階建て構造」を使って日本の現状を説明してみるなら、
「戦争ダメ絶対」という1階部分の上には、2階部分として「対米従属すること」があるんではないかという気がします。
戦後すぐその仕組みを採用してみたら、思いのほか居心地がよい上に、
日本もいまのところ、どこの国とも戦争しないで済んでいて、よかったね〜!という感じで75年近く経ったのではないかと。

そうやって、1階に「戦争ダメ絶対」、2階に「対米従属」という仕組みを採用しているうちは、
集団的自衛権についてもいろいろありましたが決まりまして、それによって日本が戦争に巻き込まれる可能性がでてきたと指摘されるわりに、
でも、こうして従っているうちは、アメリカ様が守ってくれる、日本は戦争しなくて済むという安心感でいっぱいなのではないでしょうか?

そうであるなら、日本はこの二層構造(「戦争ダメ」+「対米従属」)でとりあえずこれまで通り走りつづけて、
そのうちに「戦争ダメ絶対」の棒が、現実につっかえてしまうことがあれば(つまり、他国と戦争をしないといけなくなったら)、
「対米従属」なんてあっさり捨てて、みごとに変態して、戦争をしないでよいほかの方法を選べばよいのではないでしょうか?

そのときには加藤さんのご提案の「日米安保条約解消+国連待機軍」構想も選択肢としてあるのかもしれませんが、
そのときにならなければ、なにが採用すべきベストな方策かはわからない気がします。

-----------------------(感想ここまで)------------------------------

という感じです。
日本の戦争はながらく回避されてるし、日本を独立国として承認しない国はないのだから、
特に現状に問題がない(と私は思っている)ので、加藤さんの御本を読むたびに、いつもとても興味深いのですが、
加藤さんは、いったい何と戦っていらっしゃるのだろう?というのが、どうもよくわからない(腑に落ちない?)のでした。

おそらく大本の問題は、私たち自身が、戦中や戦前とどう向き合えばいいのかわかってないし、
その延長上で、被害を与えてしまった国々とどう向き合えばわからないということが、いつまでも根強く残ってることでしょう。
それを憲法九条とか対米従属とか政治の方面から考えちゃうと、もうかえって混乱するだけなので
慰霊とか交流とかそういう文化の方面から、なんとか糸口をみつけていくしかないんだろうと思います。

…話せばもっと簡単に明瞭になったかもしれませんが、書くとやっぱり難しいですね。

613.密の味  
名前:高野    日付:2020/5/8(金) 8:58
5月の長期休暇の自粛生活を利用して、新たにまた詩を書きました。よければご一読のほどを。

密の味         高野吾朗

あなたとわたしは もはや体を触れ合うことを許されていない
触れ合えば お互いの肉体を破壊するどころか 社会に大きな
混乱を招きかねないと 権力者たちが一斉に禁じてきたからだ

そこで二人は 長らく「役に立たぬ」と言われ続けてきた力を
用いて 二人にしかできぬ秘密の密接行為を始めることにした
まず わたしの頭頂から どこにも実在しない一本の 巨樹が

伸び 緑の若葉を思い切り繁らせて 大地に大きな影をつくる
すると あなたの背中が縦に割れ そこから 毛がふさふさの
愛くるしい顔をした四足の獣が現れ のそのそと巨樹に近寄る
 
獣と巨樹の他には誰もおらぬ 水を飲む習性も汗をかく習慣も
ない この獣の唯一の食べ物は 猛毒を持つこの巨樹の若葉だ
幹にしがみつき 枝から枝へと這い 毒まみれの葉を貪る獣の

おかげで 巨樹はみるみる丸裸にされていく わたしにはその
姿こそが わたしだけの真実の言葉のごとく見えるのだ 一方
毒まみれになった獣は 消化のため そして体温を下げるため

死者のごとく冷たい巨樹の幹を 懸命に抱えたまま 半永久の
眠りにつく 食べる葉はここにはもう一枚もなく 他に頼れる
樹木はもはやどこにもなく あなたの体へ戻る術もないままに

あなたとわたしは もはや体を触れ合うことを許されていない
接触せぬままなら もはや生きているとは言えないはずなのに
直に触れ合ってなくても 結局は間接的に触れ合っているのに

今度はわたしの中の誰かと あなたの中の誰かが呼び出されて
くじを引けと命じられる 全ての国民が引かされているくじだ
国家滅亡を回避するための生贄と その生贄を殺す者の二人が

これで決まる わたしたちが選ばれたのは本当に偶然のせいか
それとも嫉妬ゆえの陰謀のせいか 差別ゆえの不公平のせいか
今回はわたしがあなたを殺すが 次回はきっと役割が逆だろう

儀式のクライマックスを見守る群衆を背にしながら あなたの
首に手をかけると この不条理が二人を驚くほど冷静にさせる
この絶望まみれの連帯に もはやヒロイズムなど全く必要ない

誰にも責任をなすりつけることなく ただあなただけを見つめ
両手に力を込めると 背後の群衆は もはやどこかに消え去り
二人だけの歓びが 空間を垂直に分かち 同時に 水平に覆う

あなたとわたしは もはや体を触れ合うことを許されていない
わたしたちの接触を許さない人たちは きっと 自らの不安が
収まるやいなや わたしたちのことなど 忘れてしまうだろう

二人の秘密の行為はなおも続く 若々しく溌溂としたあなたと
わたしは スポットライトを一身に浴びつつ ダンスフロアの
中央に立つ チャビー・チェッカーの歌うLet’s Twist Againが

大音響で流れはじめると 二人は軽やかにツイストを踊りだす
「去年の夏のようにまた踊ろう 回って回ってアップ ダウン
さあ もう一度」 体をくねらせながら 互いに近づくたびに

二人の間の遠さが身に染みる 両手を左右に激しく振りながら
離れ合うたびに 二人の間の近さがまざまざと痛感されていく
汗まみれの自分のこの姿を 夢の中で じっと眺めているのは

昏睡状態で横たわる 老いさらばえた 骸骨のごときわたしだ
そしてそのすぐ隣では 老いさらばえた骸骨のごときあなたが
同じく昏睡状態のまま わたしの手をぎゅっと握っているのだ

あなたとわたしは もはや体を触れ合うことを許されていない
それでも別に構わない 二人のこの秘密の行為に 終わりなど
全くないし たとえ全てが幻でも もう十分 幸せなのだから

614.『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。』レジュメ〔番外篇〕  
名前:山下龍一    日付:2020/5/7(木) 17:16
皆さん、お元気ですか
自宅待機の方、お仕事でしょうか
緊急事態宣言の効力延期されましたね
私は相変わらず仕事に行ってますけどね

高野さんのリアクション以降に、アップもないし
まあ、事態予測ができていればやりようもあったかもしれませんが
「たられば」をいってもしょうがありません

今回のテキストで、興味のある方は、下段のサイトにアクセスしてみてはいかがでしょうか。
「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」寺田俊郎という方の論文です。
四年前に、加藤さんの『戦後入門』をレポートさせていただきました。その際、V原爆を投下されること 第三部原子爆弾と戦後の起源で、「トルーマン氏の学位」G.E.M.アンスコムのパンフレット原稿が検討されていました。
今回のレジュメでは、7.護憲の二階建て構造でも再度とりあげられました。
個人的にはこのアンスコム女史(論理哲学者ウィトゲンシュタイン『哲学探求』英語版の翻訳者)、福岡大学時代の一般教養の授業で、このイギリス人哲学者の著書『インテンション』菅豊彦訳(産業図書)が、サブテキストとして菅教授の授業で行われました。そのこともあって、もう少し、掘り下げてみようと思い資料を検索していたら、先の『戦後入門』第三部で検討された寺田俊郎の論文公開を見つけ出した次第でした。
私も、読むのはこれからなので、また、感想がてらアップしたいと思います。

皆さん。近況でも何でもよいので、載せていただくとありがたいです。
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2410&item_no=1&page_id=13&block_id=21

612.加藤典洋さんの本の感想(フルバージョン)  
名前:高野    日付:2020/5/5(火) 9:45
高野です。山下さん、僕の読後感にさっそく応答してくださり多謝。

僕の感想文、一応フルバージョンでここにアップしておきます。よろしければご一読のほどを。

--------------------------

今回のテキストの読後感として、ひとつだけここに書いておきたいことがあります。

「どんなことが起こっても、これだけは本当ということ」、すなわち「やむをえないほどの”地べた”の思想」なるものが、心の中のどこを探しても見当たらない場合・・・・・・あくまでも仮想上の話ですが、もしもそんなケースに陥らざるをえなくなった場合、わたしたちは一体どうすればいいのでしょうか?

「正義の戦争よりも不正義の平和の方がよほどいい」という情念を、終戦直後の日本人たちのように強く実感することがいま一つできず、それがはたして「これだけは本当のこと」などと言い切ってしまえるほどの代物なのかどうか、どうもいまだに半信半疑のまま・・・そんな人、意外といるのではないでしょうか。そんな人たちに、加藤さんの今回のメッセージはどのくらい説得力を持つのでしょうか。

「地べたの思想」をまったく持てぬまま、そして、常時「内在」してくれるような一貫性のある情念とずっと無縁のまま、ひたすら「関係」づくりだけが巧みになり、ひたすら「変態力」ばかりが旺盛になっていく・・・加藤さんから見れば、そんな人生はさぞや「不合格」なのでしょうが、そんな生き方にだって、それなりの存在意義がありはしないでしょうか?

上記の思いを、加藤さんの「二階建て構造」の理論を借りてあえて言い直してみますと・・・情念的な「地べたの思想」の一階部分を全く欠いたままの状態で、あえて二階のイデオロギー的・思想的部分からまず作っちゃう(「一階がないのにどうやって二階が先にできうるの?」という現実的な疑問はあえて完全無視した上で、です)・・・そしてそのあと、ようやく(その二階に見合うような)一階の設計方針を真剣に探し求めていく・・・そんな非常に「シュールレアル」な方向性も、別にあっていいのではないか・・・などと思ったわけです。

ちなみに・・・加藤さんが文中で批判している「1930年代の皇国思想」についてですが、僕のこの考えに照らしてあえて言いますと、あの思想は、「一階のないまま二階を先に作ってはみたものの、そのあと『真の一階づくり』を意図的に怠ってしまい、できたばかりの二階のことをひたすら『これこそが一階なんだ!』と思い込もうとした」結果・・・ということになるかと思われます。僕から見ても、そんな思想はやっぱり危険、ということになります。

このようなことを考える背景には、僕自身の個人的な詩作のありようがあります。

僕は詩を書く際、最初はなんの「地べたの思想」も持たないままスタートします。「正義の戦争よりも不正義な平和の方がよい」という考えには、常日頃から個人的に大いに賛同しておりますが、詩を書く時だけは、あえてその情念さえをもいったん反故にいたします。つまり、「一階部分」の構想がまだ空白の状態のままで、「家づくり」をスタートさせるわけです。その際、僕の詩想上の主な材料となってくれるのは、詩作開始に至るまでの間に、僕の外部から僕の脳へとたまたま偶然に飛び込んできてくれていた、様々な他者たちの「思想」や「抽象概念」たちです。僕的に言うと、「二階部分」の構成要素たちです。それを「あーだこーだ」とこねくりまわして詩の形にしていくうちに、我知らず、なんらかの「地べたの思想」がどこからともなく立ち上がってくる・・・自分の通常の「意識」や「感情」だけではとてもたどり着けなかったような「本当のこと(?)」が、(無意識のうちに?)詩の中にふわっと立ち現れてくる・・・そんな経験をよくするので、今回は上記のような思いを抱いたわけでした。

611.『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。』加藤典洋 レジュメ〔応答篇〕  
名前:山下龍一    日付:2020/5/4(月) 22:55
前回の掲示板に応じていただいた方々、ありがとうございました
データは、無事開けましたでしょうか
どうしても、読書会は、レジュメを作ってからが本番なので、配っただけでは、会が終わった気がしない。
早速、高野氏から応答をいただいたのでその返信内容への回答という形式で、できるだけ、つたないレジュメの足りない部分を補填するという意味もかねて、やりたいと思います。
では、議論のふくらみも期待して、あまり、山下のレジュメはようやくとしての意味をなしてないところがあるので、それを読んだだけでは、議論に参加もしにくいかと思いますが、内容的には、災後の加藤典洋についてであればぎろんできるとおもいます。
よろしく投稿の方もお願いします。
〔応答〕
T)「どんなことが起こっても、これだけは本当(だ、(引用者))ということ」、すなわち「やむをえないほどの”地べた”の思想」なるものが、心の中のどこを探しても見当たらない場合・・・・・・あくまでも仮想上の話ですが、もしもそんなケースに陥らざるをえなくなった場合、わたしたちは一体どうすればいいのでしょうか?
Y)テキストに「やむおえなさ」という言い方で書かれていますが、幕末で言えば外国船を排撃するか、つまり、交戦状態に入るかまたは、開国して、外交力によって、植民地へとなり下がることを避けるかという極端な選択肢しかない状態の時に、ひとはその本質を表すものなので、そのことをさしていった言葉であることが一つ重要だと思います。
つまり、これが、もしかして、俺の本質?だったと気づく(あるいは、周りの人に指摘されることもあるとは思いますが)ことであるので、日常にそれがあるかないかを探すこともない。
もし、おっしゃるように、例えば、今回のコロナ感染による緊急事態宣言が発令されたような事態で、仕事もなくなり、お金も無くなり、にっちもさっちもいかなくなる状況という事態に至った場合。いまは、行政指導に従って自粛し、「不要不急の外出を避け」て部屋にいるわけです。それは、なにやら、10万円の手当がでるらしいので、いったん胸をなでおろしているわけですが、昨日発表されたように、これが、一か月延長されたのちこの事態は先行き不透明になってしまう。そういった状況で、自らを頼りに考える場合の順序としては、「内在」から始めるのがよい。
もちろん、知恵のある方で、たとえば、確率を信じて、投機に走ったり、リスクを顧みず、感染の少ない外国へ渡航することを、考える人もいるでしょうけど。それは、それでそうせずにはいられない理由があると思うので、その理由を聞かずには返答はできないと思います。「あなたのそうしなけければならなかった理由は何ですか」ときいてみてからです。
もう一つ言えば、「あなたはなぜ憲法に「緊急事態条項」を書き加えたいと望んでいるのですか」と、時の政府へ質問してもここでいう「やむをえなさ」の自覚を促すことは、できないかもしれません。
そういった状況に至った場合、思い至る、そう考えざるを得ない「やむをえなさ」、私の考える「やむをえなさ」はそう言った自覚を持ちきたす何かであるということになります。一つの信念形態です。

T)「正義の戦争よりも不正義の平和の方がよほどいい」という情念を、終戦直後の日本人たちのように強く実感することがいま一つできず、それがはたして「これだけは本当のこと」などと言い切ってしまえるほどの代物なのかどうか、どうもいまだに半信半疑のまま・・・そんな人、意外といるのではないでしょうか。そんな人たちに、加藤さんの今回のメッセージはどのくらい説得力を持つのでしょうか。

Y)それは、私も時に考えます。それは、戦後世代が戦争体験を継承する場合に、必ず、もたげてくる問題だと思います。この意味にとらえてよかったでしょうか。
その場合に、「正義」の戦争という概念を、どう論理的に解釈するかを、一つの入り口に今回考えて書きましたが、もし、正当な理由を持った戦争というのがあるとすれば、そこには、想定すべき敵がいることになります。
そこで、「不正義」の平和とは何を意味するのでしょうか。砕けた言い方だと、「ずるい」平和とでもなりますね。思い出すのは、湾岸戦争時のいわゆる、「金」だけ出す平和面した参戦というのがそれにあたると思いますが、「半信半疑」となる理由の一つは、こういうことだとおもいます。
加藤さんの言い方だと、憲法九条と米軍基地の存置のワンセットを黙認しているという事実にたいする、うしろめたさ、とでもいえましょうか。

T)「地べたの思想」をまったく持てぬまま、そして、常時「内在」してくれるような一貫性のある情念とずっと無縁のまま、ひたすら「関係」づくりだけが巧みになり、ひたすら「変態力」ばかりが旺盛になっていく・・・加藤さんから見れば、そんな人生はさぞや「不合格」なのでしょうが、そんな生き方にだって、それなりの存在意義がありはしないでしょうか?
Y)まず加藤さんの言う「変態力」という概念ですが、このテキストの8、壁にぶつかる護憲論からの議論で述べられている、現在私たち日本人の置かれている状況で考えられうる選択肢での「自衛隊」を、国連主導のもとに再編成するというプランで、九条を強化する。
この選択肢を理念として進むとした場合、当然「壁」にぶつかることはありえます。その時に、どういった「変態力」をはっきするか。それは、哲学的には蓋然性を、倫理的には善悪の問題といった主体的な判断材料が考慮されるべきだと考えますが、それは(変態力)、あくまで、事後的に見いだされる何かであって、その可能性を積極的に明示することは論理的にできないと思われますが、いかがでしょうか。

T)上記の思いを、加藤さんの「二階建て構造」の理論を借りてあえて言い直してみますと・・・情念的な「地べたの思想」の一階部分を全く欠いたままの状態で、あえて二階のイデオロギー的・思想的部分からまず作っちゃう(「一階がないのにどうやって二階が先にできうるの?」という現実的な疑問はあえて完全無視した上で、です)・・・そしてそのあと、ようやく(その二階に見合うような)一階の設計方針を真剣に探し求めていく・・・そんな非常に「シュールレアル」な方向性も、別にあっていいのではないか・・・などと思ったわけです。
Y)シュールレアル、超現実的なイメージです。前回の読書会テキストの小説家安部公房著「砂の女」での溜水装置でしたか、そのアイデアを思い付いた男の、縄梯子を伝って外の世界へ脱出することもできるし、そうしないこともできる。そういった場面を思い出させます。
「地べたの思想(一階の思想)」ではなく、「地下室の」思想からみた「一階の思想」へのありうべき批判(想像力)といえます。
「砂の女」に敷衍して述べれば、この縄梯子も女が、子宮外妊娠をして砂の住処を出ざるを得なくなった結果掛けられたモノであるからして、この男にも原因の一端はあるわけで、彼がそう思わなかったとしても、空間的には可能性としては拡張した。それは、地上についての想像力の働く余地が増えたからだといえます。
これは逆に、二階からの見下ろす想像力だとおきかえても、そこに、一階の思想への想像力をもたないと、単なる、空中楼閣になってしまう。そういった、哲学的問題をはらんでいます。

今のところの回答はこのくらいで。

610.挨拶と連絡先  
名前:山下龍一    日付:2020/5/1(金) 5:48
〔読書会レジュメデータ頒布について〕

今回は、例外的に希望者の方へレジュメを、メールまたは、FAXにてお送りするという方法でやりたいと思います
先だって投稿したとおり、出来れば、今週中4/25(土)迄に山下メールアドレスまで、あなたのPCで利用可能なwebメールアドレス(gmail.com等の)を送っていただいたき、添付データを返信するという形にさせて頂きます。尚、迷惑メール防止の観点から、あなたからの書信は、必ずタイトルまたは、本文にライペリに関することまたは、本名を入れて頂ければ、それにより判断いたします
また、後日ご意見が戴ければ、この掲示板への感想の掲載も考えています。
つきましては、第二信でテキスト、レジュメについてのご意見を直接ちょうだいできる場合、お名前掲載の承認・不承認、または、匿名希望などもその際、ご記入いただければ簡便かと思います
また、FAX送付希望の方は、花乱社への連絡(下記ホームページにもアクセス情報あり)

後先になりました
皆様におかれましては
今まで通り
健やかな日常を送られることを
切にお祈りしております
http://karansha.com/kaisha.html

609.ペンギン  
名前:高野吾朗    日付:2020/4/21(火) 18:14
また詩を書きました。今月の読書会テキストからも有益なヒントを頂きました。レポーターの山下さんにふたたび感謝。皆さん、いかがお思いでしょうか。

ペンギン   高野吾朗

この世の息がとても吸いづらくなった
例の悪性ウイルスのせいかと 心配し
医師に相談してみたら そうではなく
「もっと悪性で もっとぼんやりした
ものです」と言う とはいえ それも
やはり伝染性らしく 接触感染だけは
絶対に避けろと 何度も念を押された
このまま死ぬのかと再び医師に問うと
「まだ軽症なので入院は許可しない」
「重症になるまで来ないで」とのこと
今頃はあなたも発症しているだろうか
私よりももっと 重症なのではないか
あなたを助けるつもりで近づいたのに
逆にあなたを死へと導いたかもしれぬ
感染防止を理由に完全隔離されたまま
誰にも会わずに葬られていくあなたの
最期の平安を 月光に酔うかのごとく
想い描きながら 「助けて下さい」と
半狂乱の態で 医師に懇願し続けると
「不正義の平和より正義の戦争こそが
大事だとまず悟りなさい」と叱られた
叱責の意味がわからず 薬も出ぬまま
病院を出て ふらふら足を向けたのは
あなたと二人で 行くことにしていた
あの喜劇役者のワンマンショーの会場
感染させる恐怖と 重症化する予感を
ともに抱えたまま 独りで入場すると
どこにも隙間などないほどの超満員だ
剽軽な付け髭にタキシード姿 軽快な
音楽に合わせて 無言のまま まるで
ペンギンのように舞台上で踊る役者の
登場を 今か今かとひたすら待つ観衆
どの顔も 私と同じ状況 同じ不安を
抱えつつ 笑いという救いを じっと
リスク承知で 待っているかのようだ
役者はきっと まずは普通のサイズの
フラフープを持って ひょこひょこと
いつものように登場するのだ それを
難なく腰で回し ペンギン踊りで袖へ
去ろうとすると 観客が「まだまだ」
と叫ぶのだ 最初は不満げに けれど
すぐに満面の笑みで ペンギンは戻る
次のフラフープは前の二倍の大きさだ
それを回そうとする彼の顔は まるで
観衆全員の精神を そのまま映す鏡だ
とはいえ 彼の姿はまだ舞台上にない
私も他の観衆も まるで戦争の遂行を
みだらに欲望しているような顔つきだ
正しさがどこにもないことを忌み嫌い
どんな誤りにも縋りたがっている顔だ
あなたの昔の言葉がふと思い出される
「私の裸体をこうして見せているのは
触れてもらいたいからではなく ただ
あなたとの違いを見せつけたいだけ」
「あの病原は そもそも私たちの体が
作ったもので 私たちの体に舞い戻り
繁殖したがるのは ごく自然なこと」
もしすでに あなたが遺体だとしたら
誰もあなたに触らない理由は 汚染の
激しさのゆえか それとも あまりの
神聖さのゆえか さあ 拍手喝采の中
いよいよ 付け髭ペンギン様の登場だ
回さねばならぬフラフープは 次々と
巨大化していくはずだ 失敗のたびに
袖へと下がり また無情に呼び戻され
作り笑顔で 眩暈に耐え 見えぬ敵を
探すかのように 次のフラフープへと
またも手を伸ばすのだろう 不正義の
平和の味を 涙目で 噛みしめながら

608.例外状況  
名前:山下龍一    日付:2020/4/11(土) 18:5
こんにちは、四月、読書会レポーター山下です。

緊急事態宣言が出させてからのリアクションを、と考えてましたので、「対応が遅えよ」と思われてる方には、ちょっと言い訳を。

まず、鼻から止めてしまって、この四月読書会は、「無かったことに」しちゃう。御時世ですから、ということで。
次に、ウィルスなんてどこ吹く風、みたいになにくわぬ顔で、文学館が駄目なら花乱社でやってしまう。
そして最終手段として、この掲示板にレポーターが、レジュメを直接書き込み、我こそは、という方が次から次に意見を挙げる。
などを選択肢として別府氏と思案した結果、二案目は、緊急事態によりステージが上がり、現実的ではない、ということで却下。かといって、全く切れてしまうのもいかがなものか、また、山下の意見はどうあれ、加藤典洋没後一年のテキスト選択理由をうっちゃらかすのは、やはり、いけないのではないか。

なんて考え、今回だけ、レポーターのweb mailアドレスを限定的に公開して、そこに、(まあできるだけ日頃使わない、できればweb mailがよいでしょうが)「ライペリ読書会、レジュメ希望」とタイトルにして、メールしていただければ私が、添付ファイルで一斉送信するという形にしようかと考えています。
メールアドレスは、教えたくないわ、という方には、例えば郵送にするとか、FAXで送るとかを、考えています。
そしてその後、ご意見は、山下へ返信されるなり、掲示板に書くなりして議論出来る様、整えることにしたいと考えています。
つきましては、山下への返信での感想は、掲示板への公開は匿名であれば可能、または、署名ありでも可能、いやいや、載せてくれなくて、あなたの胸の内にそっとしまっておいて、あれ?じゃなく、匿名で議論の内容次第で載せてもらってかまいません、的な条件を添えて戴ければこちらで判断します。
ひとまず、この方法で、4/24(金)までに、また告知したいと思います。
アドレスは、また、その時に載せたいと思います。

では、みなさん、無茶な外出は、止めときましょうか
取り急ぎの連絡です

607.■4月24日読書会について  
名前:別府    日付:2020/4/10(金) 17:54
少し様子見をしていましたが、福岡市赤煉瓦文化館が5月6日まで休館となりました。
では読書会を花乱社事務所で、とは一旦思いましたが、やはり感染リスクを互いに避けるに如かずで、次回レポーター・山下さんとも相談して、今回は集会としては行わず、メールやこの掲示板を使ってレジュメ配布及び意見交換をやってみようということにしました。
テキストは案内済みですが、加藤典洋著『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。──幕末・戦後・現在』(岩波ブックレット983、638円)。
同書をベースに山下さんは、加藤さんの本をあれこれ渉猟されているようです。
追って、山下さんの方から「レポーター挨拶」及び “インターネット読書会” 要領の投稿がなされます。
どうぞ宜しくお付き合い下さい。
 *
なお、5月6日以降のことは今は誰にも見えませんが、赤煉瓦文化館が郵便で予約を受け付けていますので、6月26日(金)で仮予約をしておきます。
今日、小社の顧問税理士と話していて、現今の事態が過ぎた後、きっと「コロナ景気」が訪れるので決してネガティブにならないように、と諭されました(僕は元気です)。
抑圧されてきたものの反動的で爆発的な発現──ということでしょうか。
ともあれ、人間須臾のいのち、こういう事態に際会するのもやはり「もののあはれ」かなと。
では、いつかまたお会いする時までは、「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ」を探し合う機会に。


ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >> >| 

無料アクセス解析

アクセス解析の決定版!無料レンタルで最大100ページ解析!

   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb