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ライオンとペリカンの会・掲示板

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403.無関係の書き込み失礼します  
名前:米村    日付:2017/4/24(月) 17:38
鳥取市に知人がいらして以下のおかしな出来事の真相はわからないでしょうか?
地元の人は問題発生から20年以上経っているのに、証言してくれません。


「週休4日制の会社出現!」とか「休みの多い会社」と週刊誌が騒いでいる最中の
鳥取市のリコー工場にアルバイトに行った。僕達アルバイトは週休1日制だった。
僕は無断欠勤などをしてサボって辞めた。

その後僕は町工場に就職して1年半後、僕が町工場で仕事を休まずに働き続けているという噂が
「休みが多い」ことで週刊誌沙汰になったリコー工場の社員に伝わり
リコー社員は「あいつ(米村)が仕事を休まずに働き続けているのはうちの会社(リコー工場)に対する”報復”」
と言い出し、そのため僕は町工場を解雇になった。

この件でリコー工場は地元の一部で笑い物になった。
僕はリコー工場に慰謝料を要求しようにも
地元の人は関わりたくないのか、証言してくれない。

詳しくは参照
http://m3s.dousetsu.com/0.html

402.来週ですよ読書会  
名前:山下龍一    日付:2017/4/19(水) 17:29
三寒四温が二寒五温位にはなりましたが、皆さん体調は大丈夫ですか?

さて、テキストが決まってから二週間ですが、久しぶりに新書だと高を括っていたのですが、ここに至ってようやく
第三章 日本はなぜ植民地帝国となったのか
まで、辿り着いた。
誤解されては困るので言っておきますが、退屈なのではけして無く、一言一句がゆるがせに出来ない精度の高さがそうさせているだけであります。

レポーター担当別府氏は、専攻が政治学だったこともあり「客観性」についての判断基準が、半端ない。
少し説明が必要なのでそれを、エピソードとして紹介したいと思います。

氏は31回目の読書会で、バーナード・クリック著『政治の弁証』という本をレポートされた。
当時は、携帯やスマホの所有率が今より低く、ハガキによる「案内文」の添えられたモノが届いていた。
ただその回は例外的にA4で1枚の添え状つまり、テキストの選択動機の書かれたモノが送られてきた。
例外的だったのはそれだけではなく、なんと頁数227頁の書籍を片面見開きで、コピー。その枚数、114枚が郵送されてきたことである。
口に出したかどうかはさておき「何じゃこら」とその場で立ちすくんだことは間違いないのである。
その添え状にはテキスト選択動機としての文章が書かれていて自身の思いが綴られていた

僕も、「文学」を大事に思い、「文学的なるもの」を希求する気持ちは人後に落ちないつもりですが、一方、人間世界における「政治」及び「政治的なるもの」の存在理由(その必然性)を、無視し放置してしまえると思ったこともこれまでありません。ただ「政治は必要悪」といってしまうことだけで「文学」の”純粋さ”が保証(救抜)されるはずはない、と思い続けてきたのです。
そうした僕が、学生時代の読書を通じて、「政治は必要悪」というテーゼを超えるメッセージをなんとか受け取ることができたのは、あの丸山眞男とこのクリックの本でした。

以上「ライオンとペリカンの会・読書会(30)のご案内 」からの引用

で、「政治はたんに必要悪でないばかりか、現実的な善である」というクリックの引用がありました。

日付に、1999.3.01とありますので、翌四月の開催前に瞬発力のある対応にも今さらですが、感心しました。
「季節」は、あの加藤典洋氏が『敗戦後論』を出版し、文学と政治の枠組みの再編成(残念ながらというべきか編成されたとは言いがたい現状もありますが)が叫ばれていた時期でした。
そしてその前の回に、筒井さんがやられた『文学なんかこわくない』高橋源一郎のそれ(敗戦後論)、に対する共感を述べた文章に呼応するリアクションが、別府氏を駆り立てた行動だったようです。

『近代とはなんであったか』序文には、19世紀英国の政治学者バジョットの紹介が、議会政治についての解説と共に効果的ですが、先のクリックも『現代政治学入門(WHAT IS POLITICS?)』講談社学術文庫/2003.7で、言及していたので、先のエピソードに思い至りました。

なんでも、この本。出版計画が持ち上がったのが2003年だったようで、それを鑑みれば、その思考の持久力はただ事ではありません。
無論その内容は、推して知るべし。

401.ちなみに詳細。  
名前:どうあげ    日付:2017/4/6(木) 12:40

東浩紀、『ゲンロン0 観光客の哲学』、株式会社ゲンロン。
発売日は2017年4月8日。
お値段はちと高くて、2,484円。
アマゾンの「現代思想」カテゴリでは発売前にして「ベストセラー1位」となっております(^^ゞ

400.わお、ご指名!  
名前:どうあげ    日付:2017/4/6(木) 12:35

では、6月のテキスト候補として、東浩紀の『ゲンロン0 観光客の哲学』を挙げとこうと思います。
そろそろ店頭に並ぶころかと思いますので、ぜひご確認くだされば。

私は一足先に手に入れて、3分の1ほど読み進めているのですが、
「他者」という言葉を用いた哲学的思考はこれまで多くありましたけど、
(たとえば,私がライペリで初めてレポートしたのは野矢茂樹の『心と他者』でした。)
この本では「観光客」という、どこか「商業的で即物的で世俗的な言葉」でもって他者論を語るという、
ある意味、実験的な哲学を構築しようとしています。
(その成否はいまんとこ不明。だけれど、本質は同じでもニュアンスが異なる言葉で考えるとき、
だまし絵みたいに、いつも見ている風景から思いもがけぬ絵がひょっと浮かび上がってくる気がします。
そういう意味では「観光客」という「他者」に代わる言葉を手に入れた東さんはすごいと思う。)

また同時に、現在の世界情勢にきわめてフィットした柔軟性のある政治思想としても読めると思います。
天衣無縫のようで一貫した論の運びは読んでいて気持ちがよいです。

あと、先日、トークイベントにも参加した國分さんの『中動態の世界』も興味深そうなので、
読み比べてそちらになる可能性もあるかもしれませんが、できればこちらの本はどなたかがレポートしてくだされば。

以上、ご報告まで。

399.■6月読書会日程  
名前:別府    日付:2017/4/1(土) 15:14
 6月23日(金)で赤煉瓦文化館に予約済。
 レポーターは福岡(篠原/胴上げ)さんだよね。

398.■4月読書会レジュメ  
名前:別府    日付:2017/3/31(金) 18:6
 山下さんにさせると連続になるし、他の人にも振れなくなってしまったので、已むなく4月28日のレポーターを僕がすることに。
 テキストは、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか──問題史的考察』(岩波新書、950円)。
 【政党政治を生み出し、資本主義を構築し、植民地帝国を出現させ、天皇制を精神的枠組みとした日本の近代。バジョットが提示したヨーロッパの「近代」概念に照らしながら、これら四つの成り立ちについて論理的に解き明かしていく。学界をリードしてきた政治史家が、日本近代とはいかなる経験であったのかを総括する堂々たる一冊】

 先日、同年代の中国分析専門家と会食した。
 その際、僕がよくする言い方で「日本(或いは東アジア)近代の悲しさ」(平田オリザも言っていたか)と口走ると、その中国ウォッチャーは「日本や東アジアより “悲しい” 国や地域があります」と。例えばアフリカには、古代から一挙にこのグローバリズムの現代に放り込まれた社会がある──といった議論だったか。
 まだ50ページしか読んでいないけれど、大掴みな話題ながら学識と年輪を感じさせる文章で、問題意識が鮮明なのがいい。
 今から弁明しておくのもなんだけれど、相変わらずドタバタとしているので、おそらく、思いつく要点を掲げただけのレジュメになること必至。ご海容のほどを。
 

397.それなんですけど  
名前:山下龍一    日付:2017/3/28(火) 22:53
筒井さん。気をもませてましたね。
『下り坂をそろそろと降りる』平田オリザ、一週間ほど前に読み終えて、その間別府氏とテキストについての選択肢をふやしてみたり、高野氏に読後感を伝えて、自分が仮にレポートする場合を想像してはみたのですが、あまり、「気の利いたことが言えるかどうか自信がない」つうのが現状なんですね。
いまのところ、知っているかぎり「これから日本どうすんのさ」的言説の中で、正鵠を得ているといえるのは、どうしても「先の「複合災害」から、どう立ち直るか」という立脚点に立つ思潮が主流で、逆に、そのことによって目を覚まさせられたところから、自分はどう考えるべきか、といった内発的な主張は多くはないとは思うのです。
そういった意味で言えば、この本は、「喉まで出かかっている」「ほんとは言いたいんだけどなんか言えない」といった、うじうじ感をぬけた、直截な語り口が貴重であるなあ、とはおもいます。両氏には、おおむねそのようなことを話したのです。

もっとも、座長(別府氏)とのなかで、プランBとして、@『日本史の謎』大澤真幸(朝日新書)、A『日本の近代とは何であったか‐問題視的考察‐』三谷太一郎(岩波新書)という候補はありますが、目下速読中。

プランAで、簡便なレポートをつくり、議論を誘発する、というオプションでどなたか、白羽の矢を受け取る方がいらっしゃれば、お願いしたいところですが。
どんな具合でしょう?

396.次回のテキストは?  
名前:筒井    日付:2017/3/21(火) 0:48
次回のテキストは『下り坂をそろそろと降りる』平田オリザ/講談社現代新書になりますか?*私はまだ購入していないのですが…。
ところで、少し前上野千鶴子のインタビュー記事で論争がありましたね。(2017.2.11「東京新聞」上野千鶴子インタビュー記事・見出し「平等に貧しくなろう」。)
これについて書いた中島岳志が興味深かった。(福祉国家ヴィジョン 移民政策をめぐり紛糾)
 『下り坂をそろそろと降りる』もちょっと出てくるので、冒頭を引用します。興味のある方は、こちらをどうぞ。http://www.chunichi.co.jp/article/feature/rondan/list/CK2017022302000248.html

***********
『中央公論』3月号で「2017新書大賞」が発表された。ベストセラーとなった橘玲『言ってはいけない』が一位だったが、注目したいのは、二位と四位だ。
 二位は吉川洋『人口と日本経済』(中公新書)。経済成長のカギを握るのはイノベーションで、人口減少が進んでも日本は衰退しないと主張する。一方、四位は平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)。「もはや日本は、成長社会ではない」と断言し、寛容と包摂を実現する成熟のあり方を模索する。
 この両著が同時に支持されている現状は興味深い。成長路線と成熟路線。要するに、日本の将来に対するヴィジョンが割れているのだ。
◆「平等に貧しく」
 さて、ここで本題である。二月十一日の「東京新聞」に上野千鶴子のインタビュー記事が掲載された。見出しは「平等に貧しくなろう」。上野は「人口減少と衰退を引き受けるべき」だという。経済成長という「妄想」は捨てて、「下り坂」の進み方を考えるべきであるという。国は社会民主主義路線を採用し、国民負担率を増やして再分配機能を強化する。NPOなどの「協」セクターの機能を活発化させ、市民社会における再分配も強化する。
 この主張は、平田の方向性に近い。一見すると、現代のリベラルな左派に受け入れられそうな主張だ。しかし、平田の著書が支持を集める一方で、上野のインタビュー記事に対しては批判が相次いだ。特に上野の支持層であったはずの左派から厳しい批判が繰り返された。一体、なぜか。…。

395.読書会報告  
名前:山下龍一    日付:2017/2/22(水) 23:27
2017年2月17日(金) 現代暴力論/栗原康
レポーター:山下龍一
参加者:河口、高野、筒井、森下、別府 (敬称略)

風の強い天気で、なんだかテキストからわき上がってくる瘴気に、巻かれたのかプリンターの不調で、レポーター30分遅刻のスタート。
自注ではないが、あまり枝葉をつけない発表を心掛けたので、要約でもない、「ツイート」のようなレジュメをサクッと40分ほどで音読終わり。
それからそれから、30分くらいは、少しサディステックな高野氏の評。「愛のような」著者への気がかりを熱く語られた。「気がかり」というか、兄が弟へ向けて、叱咤しているというか、いつもの戦略家高野とは少し違っていたような。
そして、別府氏から政治的ロマンティシズムの行方を占う目線が、口調の強さからもうかがえて、興味深かった。
ここから、議論は現在する政治の次元にシフト。
森下氏は、「極論」を今だからこそ発言すべき、とアクチュアルな態度で、いつになく辛口。
筒井さんからは、前回の著書に対する選択動機が「問題意識」について議論にあたいするものが、多くあるという判断基準を、重ねて述べられた。
「働かなくて、たらふく食べたい」=生の負債からの解放、についての違和が入口。
レポーターの足りなかった問いが、その議論を引き出せる文脈を用意できていなかったのは、手落ち。
河口さんからは、大杉栄について。そのカリスマ性、ヒロイズムの有無を入口に文学性を評価できるが、多面体的政治存在としての大杉栄が、高野氏の評価と交差していた様子だった。

次回、テキスト候補として挙がっているのは、『下り坂をそろそろと降りる』平田オリザ/講談社現代新書(税別760円)別府氏推薦。

394.アルジェの戦い  
名前:高野    日付:2017/2/18(土) 12:43
昨日の読書会、出席なさった皆さん、どうもお疲れ様でした。

わたしが昨夜の席上でご紹介した映画「アルジェの戦い」、こんな映画サイトが存在してますので、一応ご紹介しておきます。

http://algeri2016.com/

また、Youtubeでは、この映画をフルで鑑賞できるようです。くわえて、当時の予告編まで同時にアップされておりましたので、ここではそちらをご紹介しておきます。ご興味あればどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=Wd5Pz8KJeU4

393.参加します  
名前:筒井    日付:2017/2/16(木) 13:49
宜しくお願いします。

392.二次会  
名前:高野    日付:2017/2/14(火) 11:35
よければ参加させてください

391.今度の読書会、二次会のお誘い  
名前:山下龍一    日付:2017/2/14(火) 11:20
残すところ、4日間となりましたが、恒例の二次会の参加人数を募ります 希望するかた明日中までに山下か別府氏(花乱社)まで、ご連絡いただけますでしょうか

387.読書会報告(修正)  
名前:山下龍一    日付:2017/2/9(木) 19:38
読書会報告 2016年12月16日(金)
栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ‐伊藤野枝伝‐』(岩波書店)
/レポーター:筒井和代
参加者;河口、高野、福岡、別府、山下 以上六名

開口一番、高野氏が口火を切って、「伝記とはいえ手放しにほめ過ぎている」「批判的」側面が見られず、あまりに肩をもち過ぎている」と提示。
そこで、別府氏の好意的意見「読むべきは、著者の文章力にあり、癖がある文体が対象(伊藤野枝という個性)を際立たせている」というもの。ついで、福岡女史も同意見。
また、太宰治への傾倒を、指摘もされていた(多分、文体に影響がみられるといった程度の事だったと思う)。
レポーターは、以前著者のトークライブに参加されたようで、さぞ心酔(言い過ぎか)されているのだろうと思いきや、意外と冷静に分析するスタンスだった。
そういえば、以前から分析的な構えのレポートを得意とされていた、そこは、昔と変わらず。「相互扶助」における友愛の精神。「生きる」ということの前提条件/奴隷根性を捨てて「ゼロに引き戻せ」。
こういったメッセージを受取ったという要点、簡潔であった。
しばらくしてからの、河口さんの登場。
彼女は、この本が出る以前、伊藤野枝に興味があり、松下竜一の著作(娘のルイズさんについての評伝)などからその個性には興味があった由。
興味が再燃するきっかけになったそう。

ここから、しだいに、著者 栗原康氏へと話題はシフト。変わらず高野氏は、へんちくりんな「あとがき」をいただけないなと、書き手としての態度に懐疑的、辛口の意見に終始した。
報告者は、この文章も、伊藤野枝という個性も、ともに好きである。
少なくとも、この本を読む限り。
そして、この著者にも興味はまだある。

〔追加〕著者の文体について
高野氏の文体についての意見にもうひとつ、その煽動的な構えに意見があった。前作の『現代暴力論』からのレポーターの引用もあり「「暴力」を取り戻せなどの表現がどうも無神経というか、考えなしにいっっとるのじゃないか」と言った気がかりからだったようだが、その辺の検証の必要から、異例だがひとつ前の著作にも当たってみようとの合意ととらえて、それを次回も取り上げるながれ。
今回の『村に火をつけ、・・・』は評伝だったので、著者の思想に切り込むには格好といえると思われる。

年の瀬は、今のところ、暖冬傾向のようだが、年明けたら去年みたいにドカ雪の降る日があるやもしれない。みなさん、からだに気を付けて穏やかな年末を過ごされることを祈っております。
今年は、熊本の震災や阿蘇の噴火、米国の大統領選。右往左往の一年でしたが、そんな中「いい本に出合いました」という話を、お聞かせいただけたら楽しい年末を過ごせると思います。
どうか、おしげもなく、我田引水引田天功的書評を書いてみてください。
何冊でも結構です。

では、良いお年を。

389.■4月読書会日程・会場  
名前:別府    日付:2017/2/3(金) 19:17
 2月テキストについて、本当に『現代暴力論』でいいのか?……などと(山下さんとウロウロして)最終決定を長引かせたのは、僕に責任がある。

 ──レポートするときは、ワクワクしなければいけない。ドキドキしなければ出来ない。

 まさにそうだと思う。
 今年は、もう一踏ん張り心を入れ替えて──「別人」になるのではなく───僕もレジュメに取り組みたい。

 4月は28日(金)に赤煉瓦文化館の部屋を押さえました。

388.2月のテキスト  
名前:山下龍一    日付:2017/1/30(月) 19:13
睦月。あたりまえですが、来月は如月。
年末に「栗原康氏の『現代暴力論』を続けて取り上げる」なんてことにしてしまっているのに、はて、レポーターはと思ってしまったら、なんか、じわじわと、巨大なコンボイならぬデコトラのような影が私に向かって迫ってくる。
つまり、これは「言いだしっぺ」の法則か、はたまた「語るに落ちる」と言うやつか。
どうせなら早めに。
どうせなら?
いやいや、そんな中途半端な気持ちではいけない。
レポートするときは、ワクワクしなければいけない。ドキドキしなければ出来ない。
ん?まだ、観念してないのか?
そうか、そもそもレポーターやるときは、いままで見たこともない光景を見に行くためにやるのだったな。
見通しは、何もないが、やってみるか
『現代暴力論』栗原康(角川新書)\800/税別

386.■2月読書会日程  
名前:別府    日付:2016/12/6(火) 14:52
2月は17日(金)に、赤煉瓦文化館の予約を入れました。
テキスト・レポーターは未定。
どうぞ宜しく。

385.[読書会報告]2016年10月 グロテスクな教養/高田里惠子  
名前:山下龍一    日付:2016/11/2(水) 15:0

レポーター:河口尚子

参加者)筒井・福岡・別府・山下・高野 以上六名


ちょっとシャツ一枚では寒いかなと思わせる膚寒い小雨交じりの週末。

月の半ばらしく、集まりもじわじわ。始まりも、すこしゆっくりめ。


開口一番の感想は、テキストの選択理由。

「なぜこの本だったのか」意外な印象は、筒井さんと福岡さん。
レポーターからは、ひとまず自身の「血縁」および「家」に由来する階級意識の問題があった、との解説。

レジュメは、びっしりがっつりのA4で七枚。

章立てを追ってのレポートが禍したのか、史的記述と著者でさえ思い惑いながらと感じられる「教養」⇄「文化」の往還が、読む側に混乱を誘発してしまう嫌いがあったようだ。

その後、「ああじゃねえか、こうじゃねえか」と類推憶測独断を続け議論していくうちに、「女性の教養」による文化の醸成は可能か?というがちがちに要約するとそんな論旨は見えてきたのでした。

しかし、だとすると、1,2,3章の前ふりは「永い言い訳」になってしまいかねないので「んな訳はないでしょう」、と「すこし長いあとがき」で当初のもくろみであった「教養主義」の復権が告白されるわけだ。


ちょっと月をまたいでの「報告」になってしまいましたが、ご容赦ください

会終了後、高野氏が階段の下から、現れたのには「できすぎた」演出感もあったが、食事会のテンションも上がり短い秋の夕べは更けていきました。(ちいさくまとまりすぎか?)

384.12月テキストについて  
名前:筒井    日付:2016/10/30(日) 6:32
次回、12月16日(金)読書会のテキストは栗原康『村に火をつけ、白痴になれ──伊藤野枝伝』(岩波書店)、レポーターは筒井です。
私は栗原氏が少し前から気になっていて、今年1月に森元斎氏×栗原康氏「アナーキズムのほうへ、おもむろに」という対談を聞きに行きました。
テキストをまだ読んでいないのですが、別府さんはすでに読んでいて、面白いと思ったそうです。(別府さんの感想は花乱社のブログにあります。http://karansha.exblog.jp/23527271/)

383.(untitled)  
名前:河口尚子    日付:2016/10/4(火) 17:40
度々すみません、同じものを二回投稿してしまいました。削除できなかったですね。お目汚しになりますが、申し訳ありません。


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