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ライオンとペリカンの会・掲示板

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603.■「さくら丸」後の店  
名前:別府    日付:2020/2/7(金) 12:50
次の2月28日読書会の後は、中華店「星期菜(サイケイツァイ)」(本店の方)に予約を入れたので、と書き込みましたが、営業が10時まで(少しは居残れるとは思うけど)というのはやはり早過ぎるので、今、予約取り消しも考えているけれど、如何でしょうか? 
折角だからそのまま中華の後は、確か近くにアイリッシュバーがあったはずだし屋台もあるので……とも。
中華の味は良かです!
もし実行なら、一応参加人数も掴みたいので、宜しく。

602.2020年2月の課題本です  
名前:どうあげ。    日付:2020/1/25(土) 17:54

皆様、お疲れ様です〜。

さきほど山下さんとお話して、2月は『方舟さくら丸』に決まりました。
そして、4月は満を持して、山下さんに『どんなことが起こっても/これだけは本当だ、ということ。』をレポートしていただくことになりました。乞うご期待です。

『方舟さくら丸』、いちおう本は読み終わりましたが、どんな風にレポートしようか、まだまだ答えは風の中です。
ただ、高野さんや山下さんの強力な援護射撃が期待できそうだし、
「星期菜」までの、いつもより短縮された時間で、好きな作家について皆さんで考えることができれば幸いです。

そうそう、先日、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」を中洲大洋で観ました。
今年はじめて映画館で観た作品ですが、私のなかで、今年一番の映画になる可能性があります。
今回のレポートに活かされるかも…、しかし答えは風の中です。

601.読書会テキストとレポーター  
名前:山下龍一    日付:2020/1/22(水) 17:17
お忙しい中、掲示板へのアップありがとう御座います
今少し締め切りまでありますが、一番人気は安部公房著『方舟さくら丸』(新潮文庫)vs.どうあげ先生、次点で國分功一郎著『原子力時代の哲学』(晶文社)、ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)、と中川貴美子案の「本格テキストにはしにくいけど、おすすめしたい一冊」を全員それぞれ持ち寄って口頭もしくはペラ一枚程度の簡単レジメで紹介。私はと言えば、没後一発目になります加藤典洋著『どんなことが起こっても/これだけは本当だ、ということ。』(岩波ブックレット)これは、以前掲示板に上げていた文「前人未踏のハイジャンプ」で書いた加藤さんが、旅行に持ってきていた「やりかけの仕事」にうちの一つで、その後本になったモノです。事実上の遺作は、『9条入門』となりましたが、福沢諭吉「痩せ我慢の説」考から続く幕末からの思想史を述べた、ダイジェスト版ですが、本質的なことはもらさず書いてある本です。

ひとまず、民主投票言い出しっぺの提案でした

600.この国のどこかで  
名前:高野    日付:2020/1/22(水) 16:5
今日、また新たに詩を書き上げました。いかがお思いでしょうか。

この国のどこかで         高野吾朗

誰かが深夜の窓を激しく叩き 「隣が火事だ」と私に警告する
警告者は私の熟睡を不安視しているようだが 私は起きている

寝そべる私の隣に誰かが横たわっている その人も寝ていない
見知らぬその人が急に私に尋ねる 「死ぬ間際に何を願うか」

「もうすぐ燃え移るぞ」と叫ぶ警告者の声に 別の声が混じる
「正義は我らにある 戦いは避けたかったが かくなる上は」

火事など嘘だ いつもと変わらぬ夜だ だが煙が侵入してくる
本当は熟睡しつつ夢を見ているのかも だが煙は偽りなく煙だ

死ぬ間際に私は何を願うだろうか 煙の流れが二つに分かれる
黒い煙が屈強な男の体に 白い煙が妖しい女体に 見えてくる

男のマッチョイズムと女のエロチシズムを私は羨望し興奮する
いつの間にか 私は古びたカメラ片手に 彼らの裸体に近づく

「あなたは長らく一睡もしていない」と 隣の人物が苦笑する
「私の体が激しく痙攣する原因を想像できないのはそのせい」

窓の外で「この炎を共に消し 共に戦おう」という声があがる
そんな嘘には決して騙されないと思いつつ 騙されそうな 私

正体が煙だと知りながら 私の肉眼は 男の美しい筋肉に酔い
女の裸の奥へと分け入るが いざ撮影となると 話は別だった

「私は目が見えず 歩くことも立つことも座ることもできぬ」
そう言いながら涎を垂らす隣の人物の微笑が あまりに美しい

ファインダーから覗くと どの裸体も蠅の大群に覆われている
実物がちゃんと撮れているのか 私は気になって仕方なくなる

窓の外では 今度は慇懃無礼な別の声が 謝罪の弁を連呼中だ
「見舞金は出しますので 過去の責任の追及はやめて下さい」

ねじれた紐のごとき体が 這いずりながら私にさらに寄り添う
「全てを奪われた今の私 もともとあなたは私と一つだった」

このカメラは今まで どんな被写体に出会ってきたのだろうか
煙の乱入が激しくなる 男女の裸が消え 別の風景が浮上する

新たな風景の中で 私の子供たちが 私を一心ににらみつける
吸い込むのを躊躇したくなる大気の中 森羅万象がひび割れる

隣の人物の体から蜜があふれる 涎まみれの麻痺した口が開く
「この蜜に誘われて 私との共生を夢見る者はいまだに多い」

「あれは不慮の事故なのか」と子供たちが問う どう答えよう
「この苦しみが遺伝なら 責任を取ってくれ」 どう答えよう

窓がいっそう激しく叩かれる 「早く起きろ 逃げ遅れるぞ」
それとは別の声が明るく宣言する 「和解の儀式の開始です」

私の子供たちの後ろに 地平線まで延々と続く一本道が見える
その道の上に 見知らぬ子供たちの列がどこまでも続いている

「生き物の子育てに愛があるなんて考えるのは ただの幻想」
蜜まみれの体はそう言って 変身中の私の肉体をじっと眺める

フラダンスのリズムが窓を震わせる 和解の儀式はにぎやかだ
「科学に停滞なし」という声もする どれも観光用の味付けだ

蜜に溺れる蠅のように 私も眠りに溺れるのか 「あなたは今
亀 甲羅の中で冬眠中の亀」 隣の肉体がそう言って痙攣する

路上の子供らは全員 私の名を不本意に継いだまま 動かない
首を伸ばして窓の外を見るべきか否か 甲羅の中で 亀は迷う

599.(untitled)  
名前:松井    日付:2020/1/21(火) 11:37
どうあげ先生vs.「方舟さくら丸」に1票!(◎_◎;)

598.安部公房はいいですね  
名前:高野    日付:2020/1/20(月) 18:58
安部公房はわたしがもっとも尊敬する小説家です(とはいえ、100%礼賛というわけではなく、ちょっと批判したくなる部分もあったりはしますが)。

日本文学の授業を受け持っていた時、「安部公房特集」と題して、15回すべての授業を「彼の作品群についてひたすら議論する」ことに捧げたこともあります。

新潮文庫で出ている安部の作品群、くわえて「砂漠の思想」等の別文庫の作品、その授業担当時にほぼ全て読みました(「飢餓同盟」は残念ながら未読)。「さくら丸」はその時の授業テキストの一つでした。勅使河原宏監督による映画「砂の女」「他人の顔」も大好きです(「燃え尽きた地図」は残念ながら未見)。

安部公房について久しぶりにじっくり考えるのは、僕にとってもありがたいことです。とはいえ、諸々あってこの時期に発表担当をすることはできかねます。多謝。というわけで、どうあげさん、期待しております!

597.姉さんカッコいい❣  
名前:河口    日付:2020/1/20(月) 17:55
皆様、お疲れです。響子ちゃんの丁寧なお詫び文を読みながら、かくありたいと思います。

さて、どうあげさんのご推薦、ヤマザキマリの安部公房は番組でも異色ながら、日本現代文学に精通した彼女らしい視点で良かったです。掘り下げて、安部公房を考えてみたい衝動に駆られます。
たまたまですがヤマザキマリの「ジャコモ・フォスカリT」を持っています。登場人物は多分主人公がイタリア人のドナルドキーンで、安部公房が絡み、三島由紀夫?らしき人とか、舞台が多分1966年頃の新宿っぽい。青年は中上じゃあないけど、「路上のジャズ」っぽいシチュエーション。2巻が7年くらい出ていないからこれで終わりの様な、ヤマザキマリの安部公房愛はこれでわかるかも知れません。

ヤマザキマリの公房好きは薄っすら知ってはおりましたが、漫画にする程とは。

と、いう訳で河口はどうあげさんに1票。

596.ハセキョ―の窮地とあらば  
名前:どうあげ。    日付:2020/1/20(月) 13:24
ハセキョー、いま確認いたしました。
年度末は何かと突発的なことが増えますもんね。
しかも、まだ参加して2度目なのにレポーターはなかなか大変だとも思います。
ぜひぜひ今は力をためて、次回は思う存分に暴れたおしてください。

で、次回ですが、我こそはでもないのですが、ハセキョ―をほっとさせるためだけにひとつ。

 安部公房、『方舟さくら丸』、新潮文庫、1990年(649円 …私が持ってるやつは520円)

はいかがでしょうか?

元旦のNHKの番組でヤマザキマリが取り上げていたので、最近再読しはじめました。
前々から、安部公房については、特に『箱男』か『砂の女』でレポートしてみたいというのがありましたが、
フィクションのためになかなか手が出せませんでした。
でも、先月の河口さんのラテンアメリカ小説紹介を受けて、その勢いでやってみようかなと。

ちなみに、内容は下記のとおり。
「地下採石場跡の巨大な洞窟に、核シェルターの設備を造り上げた〈ぼく〉。「生きのびるための切符」を手に入れた三人の男女と〈ぼく〉との奇妙な共同生活が始まった。だが、洞窟に侵入者が現れた時、〈ぼく〉の計画は崩れ始める。その上、便器に片足を吸い込まれ、身動きがとれなくなってしまった〈ぼく〉は―。核時代の方舟に乗ることができる者は、誰と誰なのか?現代文学の金字塔。」

全然レポートの方向性もアイデアもないし、
『さくら丸』より『箱男』や『砂の女』のほうの言及が増えるかもしれませんし、
なんだかだ言って、私は1年に一回レポートをしていることもあるから、
いまのところはただの案として、まだおいておいてくださいね。

さいきんご無沙汰の方、まだしたことのない方などなど、もしよろしければ挙手してくださ〜いm(__)m

595.2月読書会のお願い<緊急告知の件  
名前:長谷川響子    日付:2020/1/18(土) 22:58
夜分遅くに失礼致します。
不肖長谷川でございます。
私から皆様へのご連絡遅くなりまして申し訳ございません!
勤務時間に急な変動がありまして、当日の参加が難しくなってしまいました。どなたかレポーターを代わっていただきたく思っております。

次の会まで1ヶ月と半分を切ったところ、大変申し訳ございません。
新年早々皆様にご迷惑をおかけして心苦しいのですが......何卒!何卒よろしくお願いいたします_(..)_

乱文で大変申し訳ございません。


別府さん、しょうこさん、山下さん、ご連絡と対応ありがとうございました _(..)__(..)_

594.緊急告知  
名前:山下龍一    日付:2020/1/18(土) 12:57
お疲れさまです
今年は、暖冬のようですね。未だ雪降らず。一月生まれの私としては、少しものたらない気分ではあります。

さて、前回出席の方には、長谷川響子さんがレポーターの予定を、ご自身からも伺ったとはおもいますが、やんごとなき理由が出来てしまい。今回は、断念せざるを得なとの連絡が入りました。
ということで、1週間、期限を切って募集することに致します。
我こそは、という方レポーターをお願い仕ります。

593.読書会報告  
名前:山下龍一    日付:2020/1/10(金) 20:55
『ラテンアメリカ十大小説』木村榮一(岩波新書)レポーター: 河口尚子
参加者: 野、中川、長谷川、福岡、別府、松井、山口、山下(五十音順)

如何にして私は、ラテンアメリカ文学に私淑したか。
これが、レポーターの選んだ今回の、プレゼン方法でした。
ほぼ、前半がスペインへの傾倒に至る道程、詩的な語りによる書法(こういう場合、エクリチュールと言った方が良いのだったろうか)。
そして、どうも作家紹介としての『ラテンアメリカ十大小説』がこの後レジュメを展開していくのにそぐわなかったのだろう
『ラテンアメリカ文学入門』寺尾隆吉・中公新書をサブテキストとして、西洋文学からの影響と脱皮?といった文学史的レクチュールへと場面展開する。
 いつものレポーターの性格からすると、テキストから脱線することなく整然とレジュメを作ってくるというイメージが強かったので、些かこの事態に度肝をぬかれた?感はあったが、正面に位置する松井氏はとみると、どうもNo problem的表情をしている。そうか、許容範囲か。と無教養な報告者は、途中途中で無作法に質問を入れたりして、まいっか、ということでラフな感じでラテン文学を堪能できた2時間でした。

ということで、ここからちょっと、その後に考えたりしたことを述べさせていただくことにします。
ラテン文学というと、ざっくりこの国で紹介されている大家マルケス/フェンテス/コルタサル/ボルヘス/リョサ等等を共通項で、括ってしまう方法に慣れてしまっていて、例えば「フィクション」という概念一つをとってみても、日本文学的に「虚構」「幻想」「SF」等ジャンルによる区分が災いして、かえって、一人一人の作家のダイナミズムが形容し難くなってしまうという感想を抱いてしまいました。
 それから、当日『幻想文学集成』という外国文学の移入に寄与したであろう本の紹介のところに「芥川(龍之介)」の名前があったので、一体それを翻訳紹介した日本人は誰だ、と質問した私でしたがweb検索の結果、成果がありましたので、略述します。

高木 佳奈 (Kana Takaki) 東京外国語大学大学院博士後期課程が、2015年に書いた論文がwebで公開されていたのを見つけた。
タイトルは、「酒井和也の翻訳と絵画 ―移動を続けた帰国二世の軌跡―」。日系二世である酒井は、1950年代まで、佐賀県神埼郡の伯母のところでやっかいになり、早稲田大学中退の後その伯母とともにアルゼンチンに渡る。そこから、翻訳者としてラテンアメリカ文学を、日本語に翻訳紹介する傍ら、芥川龍之介や安部公房等の小説を翻訳紹介して日本文化の輸出に寄与すること大であったようです。メキシコ在住であったころは、オクタビオ・パス(ひきあわせたのは、ドナルド=キーン)の雑誌『プルラル』に芥川、安部公房、三島由紀夫、川端康成などの翻訳と表紙のデザインをも手掛ける(本職は画家)など、その功績は揺るがせにできないものがありそうです。
この論文と酒井和也の紹介をした高木佳奈さんは、今調べられる現段階では、久留米大学の非常勤講師をされているようですが、この酒井和也の文章を訳してくれないかななんて欲もあったり…。
もっともこの酒井和也という人物、日本の文学作品だけに限らず、ジャズ批評美術批評など他分野についての文章もあり、興味は尽きません。

もうひとつ、今回参加二度目の「響子」女史。二次会の席で映画愛を語られていたのを、おじさんの脳ははっきりキャッチしており、近所のTSUTAYAで、うろちょろしていたらありました『パンズ・ラビリンス(原題:El Laberinto del fauno)』faunoは、ローマ神話の森の神ファウーノで、パンはギリシャ神話での呼び名。彼女が言っていたようにスペイン内戦末期の反政府軍とフランコ率いる政府軍との戦いを、「不思議の国のアリス」に代表される「冥界下降譚」によるファンタジーを並行させることで、リアリティを増幅させると言った手法の映画でした。脚本は、ギレルモ・デル・トロという映画監督。
響子女史の趣味嗜好を垣間見ることが出来ました。主人公の名は「オフィーリア」。この監督は、メキシコ出身だそうなので、ラテン文学の西洋文学からの影響を鑑みると面白い点があるのかもしれない。

さて、次は話題の上っていたアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』を観ることにしよう。

592.月と太陽の対話  
名前:高野    日付:2019/12/29(日) 11:22
すみません、先ほどの投稿、うまくできませんでしたので(おまけに投稿キーを入れ忘れたので消去できない・・・)、あらためて投稿しなおします。

月と太陽の対話           野吾朗

この扉の外は真空の世界 だから鍵をかけて立てこもるのだ
  「この部屋に今日も引きこもるあの子の 心の鍵はどこだ」
扉の外のあの声が 次に殺処分したがっているのは私らしい
  「この中で独り老いゆくわが子こそ 私の人生の屠殺者だ」
窓から射すこの光の海の中にいる限り 私は永遠に大丈夫だ
  「暗いこの廊下から察するに あの子はまるで溺死寸前だ」
自分のことは自分で守るしかない 家族さえも今は敵なのだ
  「子供のための自己犠牲 昔はそれを神の恩寵と信じたが」
今日もスケッチ帳を開いて 気ままに絵を描いて過ごすのだ
  「今日は人生最後の皆既日食 全てを忘れて独りで見たい」
眠りながら描くかのように この手の動きに全てを任せよう
  「眠りながら歩くかのように この足に行き先を任せたい」
扉の外が静かになった 無償の愛を訴える あの声が止んだ
  「この扉を無理に開けたところで 待つのはどうせ暴力だ」
旅する獣をまず描こう 野に晒され 獣の心には風が沁みる
  「家を後にした今日の私は旅人だ そして空は時雨模様だ」
旅に病みそうになりつつも 獣は枯野を夢のごとく疾走する
  「子をしばし忘れ 旅立つ私 鳥は啼き 魚の目には涙だ」
獣の巨体に衝突 または踏み潰されて 数々の小動物が死ぬ
  「しばらく歩くと 大きな袋を重たげに背負った男がいた」
全速力の獣の後ろには 獣に殺された動物たちの霊を描こう
  「男によると 袋の中身は死体で 彼の子供なのだそうだ」
霊たちが見せる奇妙なダンスは あの獣を呪い殺すがための
  「わたしと違い 男は 行き先も帰る場所もない漂泊者で」
そして自分らを蘇らせるためのもので それを知らないのは
  「子の死体にはまだ血が通い 生者そっくりなのだという」
前を行く獣本人だけだ さらに駆ける獣の前に描かれるのは
  「男が言うには その奇跡の子はきっと聖人のはずであり」
人間の幼児だ その子は車道のそばに立ち 反対側の歩道を
  「それが公式に証明されれば 多くの心を救うはずだから」
見ている 反対側にはひとりの大人が背を向けて立っている
  「自分がずっと信仰している宗教の教祖を訪ね その方に」
顔の見えぬその大人を 自分の親だと信じ 幼児はいきなり
  「聖人と公認してもらいたいのだが 何度行っても断られ」
信号のない車道を 左右を確かめぬまま 渡ろうと飛び出す
  「気づくといつの間にか 膨大な月日が経ったのだという」
それを見た獣は迷う あれは 自分とは違う世界の生き物だ
  「会って下さるまで 自分が死ぬ日まで 訪問は続けると」
だから救う必要はないはず だが 苦境の只中にあるものに
  「笑いながら言って去る男の背中が 私には聖人に見えた」
手を差し伸べるのは当然では 車道に獣が飛び出すと 車が
  「皆既日食が見える丘まで エッシャーの騙し絵のような」
獣か幼児のどちらかを轢き 内臓が路上に飛び散る 幼児の
  「街をさらに進むと 旅人を殺してその肉を食らうという」
顔を どうして私は私そっくりに描くのだろう 烏の群れが
  「老いた女の鬼と出会った 彼女の周りには人骨と内臓が」
早くも上空から路上の内臓を狙う 行きかうどの車も その
  「山のように積まれていた その鬼がわんわん泣いている」
死のために停まることはない どの通行人も気づかぬままだ
  「どうしたのかと尋ねると はるか昔に 置き去りにした」
轢かれるその瞬間 幼児の脳裏にも 獣の脳裏にも 音楽の
  「わが子と気づかぬまま 先ほど旅人を殺し食ったという」
爆弾が炸裂する スケッチ帳の残りの余白があらゆる音符で
  「誰かこの音楽を止めてくれと泣き叫ぶ 鬼に別れを告げ」
埋め尽くされて 私はようやく全てに飽きてしまう すでに
  「私はようやく丘の頂へとたどりつく すでに太陽が月に」
光の海は消え去らんとしており 窓の外には 暗黒の世界が
  「覆われようとしているのに この決定的瞬間に なぜか」
その色を濃くしはじめる 言い知れぬ恐怖に 私は 思わず
  「私を除いて 丘は無人だ ああ あの月と太陽のように」
着衣のまま 失禁してしまう ああ あの月と太陽のように
  「私の世界とわが子の世界が 再び重なる瞬間が いつか」
私の世界が 扉の外の世界によって再び覆いつくされる日が
  「来てくれるだろうか すると漆黒の闇の中から 誰かが」
来るのだろうか すると再び 誰かが扉を静かにノックする
  「囁く ここに花が咲いているのがわかるか 二つの命の」
そしてこう囁く 君の世界を無限にしたいのなら 扉の外の
  「中にあるこの花が見えるかと 私の両足が丘を下りだす」
無を この得体の知れぬ世界を 扉を開けて迎え入れるのだ

591.月と太陽の対話  
名前:高野    日付:2019/12/28(土) 18:32
今年最後の詩作が先ほど完了しました。ちょっと実験的なことをしてみました。よろしければお読みください。別府さん、お店の予約、感謝です!

月と太陽の対話           野吾朗

この扉の外は真空の世界 だから鍵をかけて立てこもるのだ
「この部屋に今日も引きこもるあの子の 心の鍵はどこだ」
扉の外のあの声が 次に殺処分したがっているのは私らしい
「この中で独り老いゆくわが子こそ 私の人生の屠殺者だ」
窓から射すこの光の海の中にいる限り 私は永遠に大丈夫だ
「暗いこの廊下から察するに あの子はまるで溺死寸前だ」
自分のことは自分で守るしかない 家族さえも今は敵なのだ
「子供のための自己犠牲 昔はそれを神の恩寵と信じたが」
今日もスケッチ帳を開いて 気ままに絵を描いて過ごすのだ
「今日は人生最後の皆既日食 全てを忘れて独りで見たい」
眠りながら描くかのように この手の動きに全てを任せよう
「眠りながら歩くかのように この足に行き先を任せたい」
扉の外が静かになった 無償の愛を訴える あの声が止んだ
「この扉を無理に開けたところで 待つのはどうせ暴力だ」
旅する獣をまず描こう 野に晒され 獣の心には風が沁みる
「家を後にした今日の私は旅人だ そして空は時雨模様だ」
旅に病みそうになりつつも 獣は枯野を夢のごとく疾走する
「子をしばし忘れ 旅立つ私 鳥は啼き 魚の目には涙だ」
獣の巨体に衝突 または踏み潰されて 数々の小動物が死ぬ
「しばらく歩くと 大きな袋を重たげに背負った男がいた」
全速力の獣の後ろには 獣に殺された動物たちの霊を描こう
「男によると 袋の中身は死体で 彼の子供なのだそうだ」
霊たちが見せる奇妙なダンスは あの獣を呪い殺すがための
「わたしと違い 男は 行き先も帰る場所もない漂泊者で」
そして自分らを蘇らせるためのもので それを知らないのは
「子の死体にはまだ血が通い 生者そっくりなのだという」
前を行く獣本人だけだ さらに駆ける獣の前に描かれるのは
「男が言うには その奇跡の子はきっと聖人のはずであり」
人間の幼児だ その子は車道のそばに立ち 反対側の歩道を
「それが公式に証明されれば 多くの心を救うはずだから」
見ている 反対側にはひとりの大人が背を向けて立っている
「自分がずっと信仰している宗教の教祖を訪ね その方に」
顔の見えぬその大人を 自分の親だと信じ 幼児はいきなり
「聖人と公認してもらいたいのだが 何度行っても断られ」
信号のない車道を 左右を確かめぬまま 渡ろうと飛び出す
「気づくといつの間にか 膨大な月日が経ったのだという」
それを見た獣は迷う あれは 自分とは違う世界の生き物だ
「会って下さるまで 自分が死ぬ日まで 訪問は続けると」
だから救う必要はないはず だが 苦境の只中にあるものに
「笑いながら言って去る男の背中が 私には聖人に見えた」
手を差し伸べるのは当然では 車道に獣が飛び出すと 車が
「皆既日食が見える丘まで エッシャーの騙し絵のような」
獣か幼児のどちらかを轢き 内臓が路上に飛び散る 幼児の
「街をさらに進むと 旅人を殺してその肉を食らうという」
顔を どうして私は私そっくりに描くのだろう 烏の群れが
「老いた女の鬼と出会った 彼女の周りには人骨と内臓が」
早くも上空から路上の内臓を狙う 行きかうどの車も その
「山のように積まれていた その鬼がわんわん泣いている」
死のために停まることはない どの通行人も気づかぬままだ
「どうしたのかと尋ねると はるか昔に 置き去りにした」
轢かれるその瞬間 幼児の脳裏にも 獣の脳裏にも 音楽の
「わが子と気づかぬまま 先ほど旅人を殺し食ったという」
爆弾が炸裂する スケッチ帳の残りの余白をあらゆる音符で
    「誰かこの音楽を止めてくれと泣き叫ぶ 鬼に別れを告げ」
埋め尽くし そこで私は また全てに飽きてしまう すでに
    「私はようやく丘の頂へとたどりつく すでに太陽が月に」
光の海は消え去らんとしており 窓の外には 暗黒の世界が

「覆われようとしているのに この決定的瞬間に なぜか」
その色を濃くしはじめる 言い知れぬ恐怖に 私は 思わず

590.■2月読書会後の…  
名前:別府    日付:2019/12/28(土) 15:32
またまた来年の話。
昨夜、中洲に向かいながら野さんに中華店「星期菜(サイケイツァイ)」(HP↓)の話をしたところ、「是非、行きたい」とのことだったので、早速今日、2月28日(金)の予約を入れました。
中洲水上公園にある店の本店(博多区須崎)。こちらはそこそこリーズナブルで、出る料理、どれをとってもなかなかのもの。
3テーブルのみで、十数人しか入れない。
営業が10時までということなので、8時半からとしました。
一応、6人で予約しましたが、2月に入ってからまた参加を募ります。

https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400102/40020950/

589.■2020年2月読書会予定  
名前:別府    日付:2019/12/14(土) 11:11
もう来年の話。
2月は28日(金)に赤煉瓦文化館(改修後、1階は予備校の図書館みたいに。市の管轄部署名が「文化財(保護課から)活用課に変わったから」と。高島のやりそうなこと)に予約を入れました。

今度のテキスト関連では、僕は随分昔、ラテンアメリカ文学に少しだけ浸り、マルケスやカルペンティエルなどを読んだ記憶が。

588.12月27日の読書会二次会出欠確認  
名前:山下龍一    日付:2019/12/9(月) 20:8
お疲れさまです
師走です
今朝は、吐く息も白く、車の窓も凍ってたり、すっかり冬、でも、今年はやっと冬という感じかな。
ラテンアメリカ十大小説、登場してる方々は、長編作家が多いので、どうしても誰か一人をエイッという風に決めて大作のさわりを読みたくて、あたってみたものの、とても読書会までには無理だろうけど、選んでみようとカルロス・フェンテスの『我らが大地(テラ・ノストラ)』を借りてきましたところです。

今年の年末読書会は、27日とおしつまっているので、出来るだけ早めの予約を取りたいので、来週の火曜、12/17迄に、皆様ご返事よろしく。

585.『急に具合が悪くなる』読書会報告  
名前:山下龍一    日付:2019/12/9(月) 11:40
レポーター;高野吾朗 参加者;河口、逆巻、長谷川、福岡、別府、松井、山口、山下(五十音順)

ギリ陰暦で、11月なので勘弁していただくということで、後出しジャンケンにならないように、「報告」にしたいと思います。

少し前、福岡市美術館に久しぶりに行ってきました。
目的は世紀末パリの画家ギュスターヴ・モロー展。ここでは、そのことではなく、その展示の出口を抜けた後に観た、梅田哲也 〈うたの起源〉でのインスタレーションのことを書きたいのです。
歌/唄/詩の起源を現代風にたとえれば、それは、時間の芸術なんてことがよく言われます。なるほど、展示物には水や光など、始源的なものと近代的な線的時間を想起させるフラスコにたまった水が落下していく仕掛け等等具体的な意匠のモノがいくつもありました。中は、照明も薄暗くよく観ないとわからなかったのですが、何もない白い右壁にA3のコピー用紙が横一列に、ひとの肩くらいの高さのところにはられていました。案内係の女性が、あと、5分ほどでインスタレーションを行いますので、参加されますか。と聞いてきたので、暇な私は、はい、と答えて、暗がりで2、3人のそれに同意した客と少しの間待っていました。しばらくして、「その壁にあったA3の紙をゆっくり両手で押してください」と言われ、仰せのとおり、参加の三名で、謎の隠れ扉を押す探検家の気分で1メートル程おすと、その向こうには、真っ白で何の展示物もない白い部屋。広さは15メートル四方、高さ3メートル程のがらんとした部屋に「お好きな時に右側の扉からお出になってください」と言い残されたまま、何もないその部屋に取り残された。
どこの鍵かはわからないが、小さな鍵だけがほぼ中央の床に一本おいてあるだけ。

『急に具合が悪くなる』の読書会本番二次会のあとひさびさにスナックでカラオケフルコースということに相成った。
それはそれとして、テーマをざっくりいうとすれば、「偶然性」について、ということとになる。ともあれ、闘病中の哲学者と文化人類学者の往復書簡ということで、どうしても、「死」をぬきにこのテーマに向かうのに、予断を排するのは至難の技。
宮野真生子と磯野真穂ご両人、どうしても、治療するひと/される人、お見舞いする人/される人という形式を脱した語りを試行錯誤暗中模索されているその身振りが、読む側にもつたわり「偶然性」のテーマに、さらにその向こうに行くまで、かなりの助走を強いられたなというのが、偽らざる感想。もちろん、僕の。

一般的には、人口の二人に一人は癌にかかり、三人に一人が死亡、なんていうデータらしい。たしかに、癌に罹る確率は2分の1。なのかもしれない。これは、偶然とは、もはや言えない。保険の話ではない。
そう、この二人が病ではなく、何と戦っていたかというと、対称的でしかない言語形式をどう抜けるか。神なしに。

話を僕の話に引き付けていうと、この読書会時期、今年の5月に白血病で他界された、加藤典洋さんの追悼原稿を書く用事があり、死についての思い出の一部を、つまり、晩年の記憶を一時遮断するようにして、原稿を書いていたので、どこかまともに読めていなかったのかもしれません。逆巻さんには、借りを作ったようでいて、気になっていたので、これに連なるテーマを、また、できれば良いなと思い、この時期まで引っ張ってしまいました。

さて、師走の読書会、豊穣のラテン文学です。紹介のどの作家か、ひとり選んで読んでみるとしますか。

587.点と線  
名前:高野    日付:2019/12/5(木) 9:33
今日またあらたに詩を書きました。よければご賞味ください。

点と線      高野吾朗

まずは自己紹介から始めます わたしは詩人でして
ただの「点」に過ぎません 一方 今こうして棺の
中にひっそりと横たわっているこの一本の「線」は
わたしが人生を長らくともに過ごしてきた相手です
わたしはこの「線」から今まで数々の言葉の暴力を
受けてきました これまで何度も何度も別れようと
思いましたが ついに今日まで 一緒におりました
「詩など何の役に立つのか?世間にとってこれほど
不要で愚かしい労働はないはず!」黙って熟考中の
わたしの背に 四六時中 「線」は容赦なく罵声を
浴びせておりました 詩を書くことで他人の痛みと
つながり 共感しあい そしてそれを慰めることが
できると いくら言い返しても「ただ書くばかりで
何の行動も伴わないなら無意味では? 弱者たちを
慰めれば慰めるほど 弱者がさらに弱くなることを
どうしてまだ悟れずにいるのか?おまけにどの詩も
固定観念を助長するばかりで かえって有害だ!」
と 怒鳴り散らされ わたしの心は傷だらけでした

遺骸となった「線」の安らかな顔をこうして上から
見下ろしながら わたしは今 あの夜のことを再び
思い出しています それは「線」の生前最後となる
誕生日会の夜でした シャンデリアの煌めく豪奢な
宴会場で もはや飲めない体であるにもかかわらず
ワイングラスを片手に 主賓の「線」は開会の辞を
このように切り出しました「今日はわたしのために
世界中からこれほど多くの紳士淑女がお越し下さり
感激しております すでに皆さんもご存じのとおり
わたしはこの偉大な国の元首の血筋の 最も正統な
継承者なのですが その崇高なる正体をあえて隠し
名も偽り 社会の落伍者を長く演じ続けております
とはいえ わたしのこの高貴なる品性は なかなか
隠しきれるものではなく この血筋の匂いに惹かれ
これまで数々の異性がわたしに近づき その愛人と
なりました そのうちの一人は この国が その昔
植民地にしていたかの国の生まれでした この国の
他国への侵略の歴史など わたしには全く無関係な
はずでしたが わたしの血筋に勘づくや その人は
わたしを裸にして 手足を固く縛り わたしの体を
サディスティックに責め立てました それは甘美な
快楽でした また 別の愛人はわたしと会うたびに
時間の感覚を失くすと言いました 爆笑が止まらず
何もかもがあまりに美しく見え わめき叫びながら
死ぬまで走り続けたくなるらしく 『まるで麻薬だ
早く警察に捕まりたい さもないと あなたを一生
止められないかも』と言いつつ わたしとの密会に
マゾヒスティックな歓びをいつも感じておりました
時は流れ 今のわたしの伴侶は 自称『先住民』の
あの詩人です 見てやってください 宮殿のごとき
この会場の片隅で 細胞のごとく 原子核のごとく
トウモロコシの種のごとく佇む あの小さな姿を」
けれど皆さん 「線」の理想の居場所であったあの
会場に来ていたのは 「線」とわたしの二人だけで
素敵な舞曲が流れてきても 「線」はわたしと一切
踊ろうとはしませんでした そしていま 宴の場は
棺へと姿を変え 「線」を弔うのはわたしのみです
死者は最後まで知らずにいました わたしが精霊を
いつでも呼べることを わたしの詩の中のリズムが
わたしをいつでも 森羅万象と一体化させることを
生前「線」は 欲しくもないパスポートを無理やり
わたしに与え わたしの居場所を自分勝手に定義し
わたしの詩のことばを「ただのエキゾシズムだ」と
罵り続けました その死を幾度も望んだはずなのに
どうして今 この死体が 外国なのに故郷のように
未知の言語なのに母語のように 仇敵なのにいまや
戦友のように思えるのか シャンデリアの光で涙が
煌めいた瞬間 読者たるあなたの巨大な手が 再び
「点」を伸ばして「線」に替え 「線」を「点」に
戻します いつもの反転 お決まりの繰り返しです

586.足跡  
名前:高野    日付:2019/11/19(火) 8:11
昨日、また新たに詩を書きあげました。皆様のお口に合えば幸いです。

足跡        野吾朗

この世のどこか片隅に なにもしゃべらぬ絵描きがいる
古ぼけた小屋の片隅で 今日も彼は自画像を描いている
それはどれも掌に乗るサイズの絵で 黒い帽子に黒い服
表情はひどくぼやけていて 幕の上がった舞台になぜか
ただ立ち尽くしている彼自身の姿だ そんな絵ばかりが

何百も 床に散らばっている小屋の小窓から 絵描きは
再び うっすら雪の積もった路面を見つめる そこには
今日も誰かの足跡がある 誰のものだろう 彼は今日も
半人半馬の幼女の天使を想像する バレエのダンサーの
ように舞い踊りながら 天使が歌う 「なぜ人は不変を

夢見るのか なぜ 変化を禁ずるものに怒れないのか」
天使の君こそが まず率先して怒るべきではないのか?
そう言いたくなる心を抑え 先ほど描き始めたばかりの
自画像の体を 彼が黒く塗り始めると ぼやけたままの
その顔から 「わたしには声にならない悲しみがある」

という声が漏れる すると 床いっぱいに散らばる他の
自画像たちからも 「わたしもだ!」という声が上がる
集中力を乱された絵描きが 再び窓の外の路面を見ると
歴史から消えた者の残り香のごとき 新たな足跡がある
これは半人半牛の若い女の天使だと 絵描きは想像する

恋愛中のような顔でその天使が嘆く 「虐げられている
者たちはなぜあんなにも黙っているのか どうして誰も
怒りを相手にぶつけないのか」 天使の君こそが まず
率先して怒るべきではないのか? と言いたくなる心を
再び抑えて ちょうどいま 帽子を黒く塗ったばかりの

自画像を 絵描きが見つめ直すと 曖昧な容貌から再び
声がする 「声にならない悲しみというやつは 悲しむ
本人からするりと抜け出して ある日突然 幽霊の姿で
本人を惑わせに来るというが わたしの悲しみは まだ
一度も 幽霊の姿で わたしを惑わせに来たことがない

一体どうしてだ」 すると再び床から「わたしもだ!」
という声が一斉にあがる その哀れさから逃れるように
絵描きが再び外を見ると 蹄のような足跡が 彼のいる
小屋の方へ向かって少しずつ増えている もしやこれは
一角獣のものかも そう彼は想像してみる 柔和な顔で

純白の獣が美しく嘶く 「この街の動物たちはどうして
人間たちに飼われ 好き勝手に扱われ 時に犠牲になり
そして最後は 人間のやり方で葬られていくのか なぜ
もっと怒らないのか」 一角獣の君こそがまず率先して
怒るべきではないのか? 思わずそう言いそうになった

絵描きの掌の上で 完成間近の自画像がまた嘆き始める
「わたしには 声にならない悲しみがある それなのに
わたしを創り出そうとしているこの男にだけは なぜか
この悲しみがちゃんと憑依してくれないのだ なぜだ」
再び床一面から「わたしもそうだ!」の大合唱が起こる

窓をこつこつと叩く音に驚き 絵描きがそちらを見ると
老いた女の天使が 真冬にもかかわらず 砂漠の女王の
ごとき半裸のいでたちで 彼に何かささやきかけている
窓に遮られてよく聞こえないが 「早く私を抱きしめて
ほしい」と訴えている様子だ 絵描きが初めて声を出す

「自分を殺した者に もはや怒れない死者たちのことを
冷笑している君は間違っている 君こそがまず怒れ!」

窓を叩き続ける天使の両目には 預言者の首を欲しがる
遥か昔のかの踊子の色香が浮かぶ その手には一角獣の
角のごとき鋭利な何かが光る 「一度だけ抱いて下さい
でも子供は作りません 世界が真に平和になるまでは」
小屋の壁という壁を飾るのは 彼女を描いた無数の絵だ

583.(untitled)  
名前:山口    日付:2019/11/3(日) 10:46
中川さん
私人生の後半戦は文化芸術に親しんで生きて行きたいと思っているのです。
絵も音楽も本も劇も小さい頃は好きだったのに
随分と蔑ろにしてきたので。

特に子ども達がそういったものと触れる機会を得る事は
大変有意義な事だと思うので
お会いした時は是非色々聞かせてください^_^


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