[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
揆奮館流武術の掲示板
六尺棒術を主体とした稽古をしている総合武道塾『揆奮館(きふんかん)』の掲示板です。 武道・武術のことなら何でも書き込みOKです。 また、その他の話題でも構いませんので、武道・武術の修錬者や関心のある方等の交流の場としてもお使いください。   ※入力項目は、名前欄(本名でなく、ハンドルネーム・ニックネーム・イニシャル等で可)と、題名欄と、内容欄の3箇所だけでOKです。 なお、投稿KEYも入力しておくと、投稿後にページ下の投稿KEY欄へ入力して編集や削除をすることもできますので、気軽に書き込んでください。

[ EZBBS.NET | DoChat.NET | 新規作成 | ランキング | サポート ]
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    改行有効 等幅フォント
URL
添付

※画像をクリックすると、別画面で拡大画像が表示されます。 拡大画像にプラス表示がある場合は、クリックすると更に画像が拡大表示されます。 添付欄への画像等の投稿は合計300KBまで可能です。



1330.出水郷出身『電気通信の父』 寺島宗則(2)  
名前:出水の棍    日付:2010年3月18日(木) 23時57分
Original Size: 1024 x 783, 148KB Original Size: 1024 x 730, 147KB

実はこの本を見るまで「寺島宗則」という人は全く知りませんでした。
自分だけかもしれませんが、たぶん今はあまり一般には知られていない人ではなかろうかと思います。
この本の説明では、1865年には薩摩藩英国留学生の引率役として渡英。1868年(明治元年)に神奈川県知事に任命されると、外交問題を手がける一方で、電信機敷設、造幣機械購入、灯台建設などの近代化政策を行い、神奈川県庁と築地の東京運上所の間で電信事業を開業させ初代長官となっています。この功績で寺島はのちに『電信の父』と称されました。明治5年に大弁務使として渡英、特命全権公使となり、次いで参議外務卿、文部卿、元老院議長、駐米公使などを歴任しています。
学者・医者・科学者・通訳・外交官・政治家と多彩な面で幕末明治の薩摩藩・幕府・明治新政府で活躍してその後の日本に少なからず影響を与えています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%AE%97%E5%89%87


1329.出水郷出身『電気通信の父』 寺島宗則  
名前:出水の棍    日付:2010年3月18日(木) 23時48分
Original Size: 1024 x 755, 146KB Original Size: 1024 x 762, 150KB

出水市立中央図書館を定期的に利用しているのですが、たまたま借りた『幕末明治の肖像写真』という本を見ていたら、出水郷出身の薩摩藩士の「寺島宗則」という人が、総勢38名の幕府第1回遣欧使節団の中に御雇医師兼翻訳方として同行していたことを知りました。
この第1回遣欧使節団には有名な福沢諭吉も翻訳方として参加しています。
今年はNHK大河ドラマで『龍馬伝』を放送しているので幕末の頃に関心を持っている人が多いと思いますが、この本には幕末の有名人の写真も多数掲載されていて、写真とその説明はけっこう興味をひきました。
ネット検索で調べてみると、寺島宗則の働きで明治維新が早まっているようなので、明治維新の重要人物の一人であると思います。
http://www.minc.ne.jp/~megumi-t/r-tarasima.htm


1328.今日の杖道の稽古  
名前:出水の棍    日付:2010年3月13日(土) 22時47分
今日は鹿児島市のアリーナの武道場に杖道の稽古に行きました。
鹿児島杖道会の3月の杖道講習会は、剣道連盟行事と重なって、当初14日(日曜)だったのが、13日(土曜)に変更になり、時間の変更はないとのことだったので、今日の出水市総合武道館での揆奮館の土曜日の定例稽古の方は中止して鹿児島アリーナに出かけて行ったのですが、いつも稽古のときは武道場前に置いてある杖道募集看板等がなくて、あれ?どうしたのだろうと思って道場に入ったら、今日は先生は仕事の都合で来られないとのことでした。
携帯に着信していた先生からの事前の連絡メールに気がつかなくて鹿児島まで出かけて行ったのですが、先輩の方々が少人数来られていたので午前中は先輩の方々を相手に制定形の仕杖を稽古することができました。
杖道の仕杖と打太刀は相対稽古の数を少しでも多くこなさないと身体が覚えてくれませんので、短時間でしたがとにかく今日は稽古をすることができたのでよかったと思います。
鹿児島まで出かけて行かないと相対稽古をする相手がいないという今の状況が続く限りはこれからも杖道は覚えていくのにかなりの時間がかかりそうです。

1327.啓蟄の稽古  
名前:出水の棍    日付:2010年3月6日(土) 23時55分
カレンダーを見ると、今日は啓蟄でした。
『啓蟄(けいちつ)』は暦の二十四節気のひとつで、『雨水(うすい)』後15日めの3月6日頃に当たるそうで、“啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春暖の到来を感じ、草木が芽吹く と同時に地上へ這い出してくるという意味だそうです。
この時期、北国では 福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られるとのことですが、農薬のせいなのか、最近、モンシロチョウはあまり見かけなくなったように思います。
木の若芽が芽吹いているのは目につくようになりました。
『啓蟄』の今日の武道館での稽古は、空手・棒術・居合を稽古しました。
今日の稽古は、いつもは1階で練習しているバトンの子供たちが、明日1階で開催される極真空手の大会準備のため、1階で練習できなくて、2階で自分たちと隣り合わせで練習しましたので、バトン練習の音楽付でした。
棒術は、フォーム棒で二人組棒の基本20本を稽古しましたが、汗も流すようになりましので、春の到来を感じます。
あと、分解型5本、「徳嶺の棍」の揆奮館型の三番目の終了バージョンを稽古しました。
揆奮館の「徳嶺の棍」の型は、バージョンがいくつかあるのですが、いつも稽古しているのは、三番目の終了パージョンで、「揆奮館型V」といったところです。
また、研究のために、鹿児島の「錬心舘」スタイルや、沖縄の伝統的な「求道館」スタイルなど他のスタイルの「徳嶺の棍」もやってみたいと思っています。

1326.慶田花宜佐  
名前:出水の棍    日付:2010年3月2日(火) 23時0分
徳嶺親雲上直伝の棒術を喜屋武朝徳に教えた人が、「慶田花宜佐」という名前であることを最近知ったのですが、ネット検索していたら、沖縄の新聞の『琉球新報』の「地域のニュース」の昨日の記事にこの人の名前が出ていました。
<<<生家の伝承書き残す「行事の心 伝えたい」石垣市の新本さん 
2010年3月1日【石垣】300年以上も昔から、家に代々伝わってきた話を子孫に残そうと、石垣市宮良の新本トヨさん(84)が今年に入り、ノートに方言と標準語で記し始めた。話は十二支の由来や十六日祭(ジュウルクニチ)や浜下り、お盆などの年中行事のいわれなどで、新本さんは「形だけでなく、心を込めて行事をするためにも子や孫に残したい」と一文字一文字丁寧に刻む。
 新本さんによると、1771年に八重山・宮古諸島を襲った明和の大津波後に小浜島から「道割り(強制移住)」で石垣島に来た慶田花宜佐さんが子や孫に語り次ぎ、その後慶田花家の血統の子孫に伝わったといわれている。
 新本さん自身は52歳のころ父親から聞いた。当時80歳を過ぎて病気で入院していた父親が退院後に初めて話してくれたという。当時の父親と同じ年代になり、「私はぜんそく持ちで学校にあまり行けなかったから、字もあまり書けないわけよ。でも私が死んだらじいさんの話が途絶えてしまう」という危機感から、初めて文字にしようと思った。
 グソー(後生、あの世)の正月と言われる旧歴1月16日の「十六日祭」。ことしは1日に当たる。その由来も儀式も複数の伝承があるが、慶田花家にも長く伝わる話がある。
 かつて離島などでは口減らしのために5、6歳になると売られることがあったという。ある女の子はいつか母親と一緒に暮らすためにお金をためていたが、風の便りで母が亡くなったことを聞き、毎日泣き狂っていた。女の子は寺の坊さんの教えで母親の墓を建て、ごちそうを作って拝んだ。その母親の命日が旧正月の16日だったという。
 新本さんは「『ジュウルクニチ』は産んでくれてありがとうというお母さんへの恩返しの祭り。みんなに大切にしてほしい」と思いを込めた。>>>
という記事ですが、「1771年の明和の大津波後に小浜島から「道割り(強制移住)」で石垣島に来た慶田花宜佐さんが子や孫に語り次ぎ、その後慶田花家の血統の子孫に伝わったといわれている。」とあるので、もしかしたら徳嶺親雲上関連の話しも伝えられているかもしれないと思いました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158494-storytopic-5.html

1325.新選組の日・・・  
名前:出水の棍    日付:2010年2月27日(土) 23時51分
Original Size: 1024 x 768, 150KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

カレンダーを見たら、今日は「新選組の日」としてありました。
何でだろうとネットで調べたら、『1862(文久2)年2月27日、「新選組」の前身「壬生浪士組(壬生浪士隊)」が結成された。壬生浪士隊は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当る為に幕府が江戸で募集をしたもの。翌1863(文久3)年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。まもなく幕府の帰還命令を受けて清川ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三ら24名はそのまま京都に残留、京都守護職で会津藩の松平容保の配下に入って、8月に「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行っった。』とありました。
ちなみに、自分は2004年NHK大河ドラマ「新選組!」を見てから、それまでの新選組の悪役の多いイメージが変わり、特に土方歳三の生きざまは武士道の面から好きになりました。
午前中は出水市歴史民俗資料館に久しぶりに行ってみたのですが、示現流の巻物や、日本刀の展示が増えていました。
係員の人に言って巻物の中を見せてもらいましたが、文章だけで絵図はありませんでした。
古文書が読めるといいのですが、絵図がないと???です。
午後、武道館に定例稽古に行き、空手・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、基本20本の一人稽古とフォーム六尺棒を使った二人組棒・分解型・型を稽古しました。
二人組棒は安全なフォーム棒でやったのであまり緊張感はないのですが、自分ペースで仮想的を相手にする一人稽古よりは、運動量は自然に多くなるようです。
今日は雨が降ったりして天気は好くなかったのですが、もうかなり暖かくなっていて、武道館の近くに1本あるハクモクレン?は花がもう散り始めていました。
もうすぐ出会いと別れの異動のシーズンです・・・。


1324.杖道講習会  
名前:出水の棍    日付:2010年2月21日(日) 22時11分
今日は鹿児島杖道会の月1回の杖道講習会が、鹿児島市のアリーナの武道場で開催されたので参加しました。
1月の講習会は、都合で参加できませんでしたので、今日は二ヶ月ぶりの今年初めての講習会参加でした。
早朝、出水市から紫尾峠を越えて行ったのですが、車の外気温は紫尾峠付近で、−1度でした。
でも路面は乾いていたので凍結によるスリップの心配はありませんでした。
これからは暖かくなるそうなのでもう路面凍結の心配はなくなります。
今日の講習会では、前回稽古から二ヶ月経ってもうかなり忘れてしまっている杖道形を乱留までですが、打太刀と仕杖を繰り返し稽古することができました。
まだ確実に覚えられなくて、すぐに間違うレベルなのでこれからも当分の間は繰り返しの稽古が必要であると思いました。
細かいこともいろいろと教えてくださるのですが、残念ながらすぐに忘れてしまいます。
忘れないようになる、というか、頭でなく身体がしっかり覚えこんでしまうまではかなりの長期間、繰り返しの稽古をしなければならないようです。
細かいところまでまだ確実に覚えていないということで幸い繰り返し繰り返し稽古しても稽古に厭きてしまうということはないのですが・・・。

1323.今日の稽古・・・(3)  
名前:出水の棍    日付:2010年2月20日(土) 23時14分
Original Size: 1024 x 768, 135KB Original Size: 934 x 701, 142KB

二階の道場からは今日は紫尾山頂の電波塔群もいつもよりはっきり見えました。


1322.今日の稽古・・・(2)  
名前:出水の棍    日付:2010年2月20日(土) 23時4分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

梅は刈り込まれていましたが、それでも結構開花していました。


1321.今日の稽古・・・  
名前:出水の棍    日付:2010年2月20日(土) 23時2分
Original Size: 1024 x 768, 150KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

今日は快晴で武道館での定例稽古も寒いながらも春の陽気も感じられる中での稽古でした。
稽古は、空手・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、Nさんの基本・分解・型の審査をして、あと、分解・型・フォーム棒を使った基本組棒などの稽古をしました。
稽古前に、武道館の周囲をちょっと見てまわりましたが、菜の花、アロエ、梅などの花が咲いていて春近しの様相でした。


1320.今日の定例稽古  
名前:出水の棍    日付:2010年2月13日(土) 21時7分
今日は今年第6回目の武道館での揆奮館流武術修錬会の定例稽古をしました。
空手、杖、棒術、居合を稽古しましたが、棒術は、型・基本20本の一人稽古と二人組稽古をしました。
二人組稽古は、前回と同じくフォーム製六尺棒でやってみました。
安全性が高いのでそれほど緊張感はありませんが、組棒の稽古には今のところ最適だと思います。
あと打ち合うので棒の耐久性がどれほどあるのかという点が、棒がそれほど安価な物ではないので心配なところです。
1月9日の第1回目の定例稽古と、1月16日の第2回目の定例稽古の時に、揆奮館流棒術のトレーニング用ビデオを撮ったのですが、今日やっとどうにかその編集が終わりました。
順番を間違えたりして不満足な内容だったのですが、やりなおしをするのは結構大変なことで、また残念ながらそれを編集で修正するだけ編集ソフトがまだ使いこなせません。
試行錯誤していくうちに、そのうちだんだんといいものができると思いますが、今はとりあえず、今日の時点のビデオのコピーを揆奮館流武術修錬会の会員の皆さんに提供することにしました。
悪い部分は反面教師としてとらえていただければと思います。
このところ稽古から遠ざかっておられるKさんとHさんには郵送しますので近日実施予定の昇段審査の参考にしていただければと思います。
さて今日は結構寒い日でしたが、武道館の梅もやっと開花を始めたようです。
武道館の梅は枝を昨年深く切り込んであるせいか、今年は前年より開花量がかなり少ないようです。
当地、出水市はツルの北帰行も始まっておりますが、明日、旧暦元日はこの寒い中ツルマラソンが実施予定です。
TV放送ではカナダのバンクーバー冬季オリンピックの中継が始まりましたが、これからしばらくは日本選手の活躍を見るのが楽しみなところです。
http://www.joc.or.jp/vancouver/

1319.立春過ぎの稽古  
名前:出水の棍    日付:2010年2月6日(土) 23時56分
立春は過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。
今日は寒くはありましたが、天気が好く春の陽気も少し感じられる中、武道館に定例稽古に行きました。
稽古は、空手・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、型と基本の一人稽古及び二人組稽古をしました。
二人組稽古は、基本の約束組棒になりますが、今日は試験的にこの掲示板No.1317の投稿で紹介しているフルコンタクト練習用の黒色のフォーム製六尺棒を使用してみました。
一番の利点はやはり安全であるということで、二番目の利点は木製等の堅い棒を使うと打ち合う時にカンカンと大きな音がして結構うるさいのですが、その騒音が全然ないということでした。
武道館以外の室外等での練習、他武道との練習等などに組棒の稽古をするのに適していると思いました。
フルコンタクト練習用と銘打って販売してありましたが、実際は防具を着用しなければフルスピードの打突、特に突きは危ないと感じました。
しかし、防具を着用すると防具付空手や剣道と同じで攻撃部位が防具部分に限定されてしまい、無防具で攻撃部位を限定しない武術的な攻防の稽古ができないと思いました。
スポーツチャンバラの柔らかい棒と、堅い棒の中間的な使用法になるようですが、安全な無防具の組棒の稽古には最適であると思いました。

1318.今日の稽古・・・  
名前:出水の棍    日付:2010年1月30日(土) 23時58分
今日は今月4回目の武道館での定例稽古でした。
曇りで冬寒の日の稽古は鬱々としてあまり気の進まないものですが、休むとクセになるので、気が進まなくてもとにかく週1回は武道館に足を運ぶのを生活習慣化しています。
稽古は、空手・杖・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、型を主にして、あと分解・基本を稽古しました。
体力・気力は低下していくばかりなのですが、寒いせいか高カロリーのものを好んで食べているのでメタボ一直線という感じです。
週2回以上の稽古が理想ですが、仕事が忙しくてそこまでの気力がわかないのが現実です。
来週からもう2月ですが、「節分」「立春」と暦の上では季節は春に移って来ます。
暖かくなってくると生物学的にも気力が上昇してくると思いますので、それまでの寒い時期なんとか頑張りたいと思います。

1317.六尺棒の比較  
名前:出水の棍    日付:2010年1月23日(土) 23時50分
Original Size: 1024 x 768, 150KB Original Size: 1024 x 768, 146KB

今日は今年3回目の武道館での定例稽古をしました。
曇りの寒い日でしたが、空手・棒術・居合を順に稽古しました。
棒術は、型・分解・基本を稽古しましたが、六尺棒を4種類持っていったので、振り易さ等いろいろ比較してみました。
写真の、左端が中国製の中太先細の「白蠟杆」「WHITE WAX」柳棒で、両先端が15mm、中央が25mmmの太さ、重量が450gです。
その右が、琉球古武道用の中太先細の赤樫棒で、両先端が22mm、中央が28mm、重量が870gです。
その右の黒い2本の棒がフルコンタクト練習用のフォーム製で、太さは35mm、ただし強く握ると約30mmになり、重量は750gです。
右端は、ハードウッド集成材製で太さは35mm、重量は1220gです。
今日は持ちきれなくて持って行かなかったのですが、普通の古武道用の赤樫製の六尺棒は太さが30mm、重量が1070gです。
いずれも販売カタログに掲載されている重量より軽いのですが、湿度の低い時期やよく乾燥した古い木製の棒は若干軽くなるのかもしれません。
ヤナギ製の棒は、細くて軽いので、非常にスピーディに振ることができますので、重量感はありませんが、見た目スピーディな演武をするのには向いていると思います。
しなりも全フォーム製の棒のしなりと比べると少なくてそれほど気にもなりません。
フォーム製の棒と、集成材の棒は太いのでしっかり握らないと手から離れやすいように思いました。
フォーム製は軽いので、軽く握ってしまい、思ったより手も滑り棒を手から外してしまいやすいようです。
集成材の棒も滑り易く、太くて重いので速く振ることは難しいのですが筋力鍛錬用にはいいかもしれません。
演武用として重量感はあっても動きが若干スローになるので不向きのように思います。
試してはいませんが、非常に硬く強度は普通の棒の1.5倍あるそうなので組棒で棒を打ち合うのには向いているかもしれません。


1316.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(7)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 11時26分
ブログを読んでみて、『徳嶺の棍』の伝承についてちょっと考察してみました。
徳嶺親雲上から慶田花宜佐へ、慶田花宜佐から喜屋武朝徳へ、喜屋武朝徳からその弟子へという系譜で、『徳嶺の棍』が直伝された期間はどれも比較的短期間であるようです。
また、その時の師の年齢はいずれも高齢の時であるようです。
高齢になった師が、加齢による身体能力の低下により、自分の最盛期の技で伝承をするのが特に難しいと思われるのは、跳躍系と駿足系や回転系でしょうか。
順番に関しては、記憶さえ確かであれば、高齢になってもそのまま伝承できたであろうと思われますが、慶田花宜佐は当時としはかなりの高齢で喜屋武朝徳に伝承していますので、たぶん徳嶺親雲上直伝の棒術の100%伝承は無理だったのではなかろうかと思います。
しかし、部分的にせよ、徳嶺親雲上直伝の棒術の伝承はこの系譜しかないようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1315.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(6)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 9時57分
ブログのコメントにもありましたが、慶田花宜佐は、何故、喜屋武朝徳にだけに徳嶺親雲上直伝の棒術を教えて、自分の息子の保武多や他の人には教えなかったのでしょうか。
教えていれば、喜屋武朝徳伝以外の『徳嶺の棍』もたぶん今の世に伝承され研究等ができたと思いますが・・・。ちょっと残念です。
でも、もしかしたら八重山には徳嶺親雲上直伝の棒術が伝承されて部分的にでも残っているかもしれません。
ヒロシおじぃさんが元気な時に、貴重な話をたくさん伺ってほしいですね。

揆奮館流武術修錬会で、修錬する棒術の型は主として『徳嶺の棍』ですので、また、『徳嶺の棍』に関することは、自分の研究課題の一つでもありますので、ブログでこのような貴重な情報を公開してくださったことは大変うれしく思っております。
なお、この掲示板に来た人が、リンク先のブログに行って閲覧する手間を省くために、写真を除きほぼ全部の内容をこの掲示板に転載させていただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1314.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(5)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 1時22分
以下は、ブログからの抜粋転載の続きです。

<<<<<<

【琉球唐手の権威 喜屋武朝徳4】

前回は喜屋武朝徳が八重山(石垣島)に来て、慶田花宜佐(1843〜1934・91歳没)から徳嶺親雲上直伝の棒術(所謂「徳嶺の棍」)を学んだということを紹介しました。

徳嶺親雲上が石垣島に流刑された年代ですが、徳嶺親雲上は流刑前、首里で本部朝基(1870〜1944)に唐手を教えていたと伝えられているので、流刑されたのは1800年代後半頃だと思われます。

喜屋武が石垣島に来たのは指南所を開いた昭和6(1931)年か、もしくはその前年(昭和5年8月に台湾武徳殿で唐手の公開演武を行なっていて、台湾帰りに石垣に来た可能性も考えられます)だと思われるので、宜佐は当時87〜88歳の高齢、不謹慎な話ですが、もし喜屋武の来島が数年遅かったら、「徳嶺の棍」は現代に伝えられず幻の技になっていたかもしれません。

なお、喜屋武が昭和6年以前に「徳嶺の棍」を学んでいた可能性について。
昭和4(1929)年夏、東京帝国大学唐手研究会の三木二三郎と高田瑞穂が沖縄に来て喜屋武をはじめ当時の空手の大家達から直接指導を受け、その成果を同年12月『拳法概説』(共編)として著します。文中に「附録」として棒術を紹介していて、「周氏の棍」「佐久川の棍」「白樽の棍」など9つの棒術の型名がみえますが、「徳嶺の棍」はありません。従って、昭和4年当時、喜屋武はまだ「徳嶺の棍」を学んでいなかったと考えるが妥当ですね。

さて、喜屋武に棒術を教えた慶田花宜佐(けだはな・ぎさ)は、石垣島に流刑された徳嶺親雲上が住んだ宿の主人となっていますが、「慶田花」は石垣市宮良にある苗字なので、徳嶺親雲上は石垣島宮良村に流刑され、慶田花宜佐が身の回りの世話をしたと思われます。

私の母が宮良の出身なので、先日実家に行った時、母に「慶田花宜佐、保武多(宜佐の息子)って人知ってる?」と聞いたら、「ほぶた(保武多)はカツボウの祖父さんさ!」と驚きの一言。

親戚のカツボウさんは昨年亡くなりましたが、私が子どもの時から時々実家に遊びにきたことがあり、よく知っている方です。そして、その関係で私が大学4年生の時、カツボウおじさんのお父さん(宜佐の孫・ヒロシおじぃ)から直接お話を伺ったことがありです。

私が学生時代聞いたというのは、もちろん棒術云々の話ではなく、昔の宮良の生活ぶりについてでしたが、その中で、ヒロシおじぃは盛んに「昔は財産も土地もたくさんあったけど、僕の代で食いつぶしちゃったよ〜」と笑いながら話していたことを思い出しました。

明治時代、宮良で最初に瓦葺きの家を建てたのが慶田花家で、太平洋戦争中は宮良に駐屯した軍隊の将校の宿舎だったそうです。ヒロシおじぃが財産食いつぶしたからかどうかは知りませんが、宮良で最初の瓦葺家は現在でも残っていて、ヒロシおじぃ夫婦が生活しています。

母は宜佐のことはあまり知らないようでしたが、息子の保武多やヒロシおじぃは宮良では棒の名人だったそうです。ヒロシおじぃとは大学生以来会っていませんが、母によるとデイサービスに通っているようなのでまだまだ元気そう。早いうちに話を聞きに行こう。

>>>>>>

http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1313.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(4)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 1時18分
以下は、ブログからの抜粋転載の続きです。

<<<<<<

【琉球唐手の権威 喜屋武朝徳3】

前回、前々回に紹介した、昭和6(1931)年の新聞記事によって、喜屋武朝徳師が八重山に訪れ、道場を開設し、空手を指導していたことが分ります。

そして、彼が八重山に来た理由は、その当時、首里では途絶えた徳嶺親雲上(とくみねぺーちん)が得意としていた棒術を学ぶためだったようです(「少林寺流志道館ホームページ」参照)。

現在「徳嶺の棍」として、喜屋武師の弟子であった仲里常延師(少林寺流)が継承している棒術の型です。

喜屋武師が「徳嶺の棍」(当時はその呼び名はなかったようです)を学びに、八重山に来た昭和6年前後、流刑され八重山に滞在していた徳嶺は既に亡くなっていましたが、彼を世話した人物が徳嶺から棒を学んでいて、喜屋武師はその人物から徳嶺の棒術を学んだといいます。

沖縄伝統古武道保存会総本部(文武館)会長の仲本政博範士十段が著した『沖縄伝統古武道 改訂版』(2007年発刊)の231p〜232pに以下の記述を見つけました。

「首里儀保村の徳嶺親雲上盛普は、空手と棒の使い手であり、能書家でもあったが、非常に酒好きで酒乱の気があり、辻町で筑佐事(現在の警官)多数と格闘となり、足腰立たない程に痛めつけ、一人を重傷に至らしめ公務執行妨害で捕えられた。八重山に流刑となり、流刑地で没する。

喜屋武ミーグヮーが棒術を習いに八重山を訪れた時にはすでに亡くなった後だったが、徳嶺が世話になった宿の主人慶田花宜佐(1843〜1934、91歳没)が徳嶺から棒術を教わっていて、喜屋武ミーグヮーに請われ教えたのである。

慶田花は自分の子供には武術は教えないと言い、息子の保武多(1882〜1974没)は、那覇へ出て大金を払って渡慶次ウシヌカジーより武術を習う。喜屋武ミーグヮーは保武多の前で棒を使うのは辞退したが、空手はチントゥーを演武していたとのことである。

保武多の一番棒(愛用のクバの骨でできた棒)と喜屋武ミーグヮーが沖縄本島より持参して来た棒とお互いに交換されたが、その記念すべき棒は今次大戦で紛失。八重山には徳嶺の棍としての型は残っていない」

仲本政博師は、昭和51(1976)年の八重山調査で上記の話を慶田花家の方から伺ったと同著に記しています。

(続く)

>>>>>>
http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1312.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(3)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 1時12分
以下は、ブログからの抜粋転載の続きです。

<<<<<<

【琉球唐手の権威 喜屋武朝徳2】

前回、昭和6(1931)年12月3日付『先島朝日新聞』の下記の記事を掲載しました。

唐手の演武会
武徳殿建設のため来る七日より一週間

本県唐手が体育の面に重要視され既に中央にも紹介され護身修養の妙技として各方面に採用されつゝあるが、本町では喜屋武朝徳氏が心ある子弟を集め道場を開き熱心に指導して居る。今回両新聞社後援の下に慈善演武会を開き、入場料は建設費に当て南島武徳殿を建てるもののやうである。
▽十二月七日午后七時開演一週間公開 千歳座に於て
◎唐手、唐手の形、組手、棒、棒の組手、テンベー、サイ
▽木戸銭、大人十五銭、小人拾銭
これにつき喜屋武氏は語る。
石垣町は体育養成の設備がまだないのを痛感し、子弟多数のため道場の必要を認めて今回の挙に出たもので諸賢の御同情を求める次第であります。

その後、市立図書館で調べたところ、
同様の記事を昭和6年12月5日付『八重山新報』で見つけましたので以下掲載します。

南島武徳殿建設の為諸賢の御同情を求め演武会を開催
喜屋武朝徳記

近来本県唐手が体育方面に重要視され護身修養の妙技として各方面に採用されるに至った。

「本来唐手なるものは、身寸鉄を帯びず敵に隙あれば拳骨猿びを以て之を突き足を以て之を蹴り、敵のはく撃にあへば身を転じ或は手足を以て之をはづすもの是れ沖縄特有の武術なり。然るに之を唐手と名づくるは今より四百余年前即応永、永享の頃支那に渡航せしもの彼れの武芸を学び帰国ののち之を沖縄特有の武術に加味し爾来改良を加へて、ますます進歩発達せるを以てなり。
沖縄特有のカラ手は、支那に於けるやり方と各々其の趣を異にし沖縄に於ては主に拳骨を用ひ支那に於ては主に指頭を以てせり。
現今カラ手に流儀二つあり。昭霊流、昭林流これなり。而して其の型数十種ありと雖も要するに体用の養成に過ぎず、昭霊流は体を主とし昭林流は用を主とす。何れも長短損失あり苟も可否を速断すべからず即被教育者の性質体格の如何によりて其の何れに重きを置きて教育すべきかを定むるを要す。カラ手の応用即ち現場試合に千変万化ありと雖も要するに正奇の二者に過ぎず又其実施手段としては満寸越の三者あるのみ。而して三者の何れを採用せし事は彼技の状況如何に依りて決するものとす。これ所謂知彼知己而後戦者也。」

※括弧内の文章は三木二三郎・高田瑞穂著『拳法概説』(昭和5年・東京帝国大学唐手研究会発行)の研究余禄に掲載されている論文「唐手の練習と試合の心得」(沖縄県農林校 喜屋武朝徳)の「一、唐手の歴史及び大意」の文章とほぼ重複しています。上記の記事内容は同論文を引用して書いたものだと思われます。

(以下新聞記事続きます)
文化の蔭には弱味隠れ、晴天の蔭には風雨が宿る。治乱興亡は古今の通則、陰陽去来は天地自然の順理にして文と武とは恒に相前後して離るるべからざるものなり。
治に居て乱を忘れず平に處して体を練るはこれ吾が国民精神なり、要は只かねての準備にあり。

カラ手の目的は体育の発展武術の練習、精神の修養をなし、武は暴を禁じ臥を戒め身を衛るの具なり。故に武を学ぶものは常に謹慎沈着機敏果断を旨とし行為を正し忠義の心を存すべし。為すべき時にあたり、心を尽し力をこめ身を致すは武の本領なり。
武といふ字の意義は二人干戈を交へたのを、中に這入って止めるといふことで、沖縄の武術に先手なし。徒手空拳で敵を防ぎ身を護り精神修養上又は体育運動方法として理想的なり。
体育養成法としては種々あるも沖縄特有のカラ手は精神修養体育発展の上に於て遥か優れたる処あり。現今中央に於て盛んに普及せられつつあるを以て知るべし。

思ふに石垣町は体育養成の設備未だ無きを痛切に感じ心ある子弟を集め目下自宅にてシ南中なるも弟子多数のため道場の必要を認め今回両新聞社後援の下に慈善演武会を開催し、諸賢の御同情ある入場料を以て建設費に当て南島武徳殿建設の目的を果し、以て体育発展精神修養の実を掲げんとす。
願くは本町のため此計画に満こうの御同情を賜わり御観覧あらんことを切望す。

余興
一、カラ手・カラ手の型・組手
一、棒・棒の組手・テンベー
一、サイ・ヌンチャク
演武会 十二月七日午後七時
期 間 一週間
木 戸 大人十五銭 小人十銭
場 所 千歳座

(続く)

>>>>>>

http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1311.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳(2)  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 1時8分
以下は、ブログからの抜粋転載の続きです。

<<<<<<

そこで「喜屋武朝徳」をネットで検索してみました。

以下フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

喜屋武朝徳(きゃん ちょうとく 1870〜1945)

明治3(1870)年、首里儀保村(現在の那覇市首里儀保町)生まれ。6歳の時、松村宗棍門下の唐手家でもあった父朝扶より唐手と角力の手ほどきを受ける。その後2年間松村宗棍(1809〜1899・琉球王国時代の最も偉大な武術家)の指導を受ける。父の上京に伴い、東京に約9年滞在。滞在中も父とともに唐手の鍛錬に励む。26歳の時沖縄へ帰郷。帰郷後は松茂良興作(泊手中興の祖)、親泊興寛に師事。他にも糸洲安恒、真栄田親雲上、徳嶺親雲上にも師事したとされる。38歳頃、読谷村に移住。この頃、北谷屋良(屋良親雲上・松村宗棍の弟子)から公相君を学ぶ。明治43(1910)年には読谷村比謝橋に居を構え、沖縄県立農林学校や嘉手納警察署などで唐手指導。大正13(1924)年、那覇旭が丘に設立された「唐手研究倶楽部」に参加。この倶楽部には他に本部朝基、宮城長順、許田重発など当時の大家たちが参加していた。昭和5(1930)年、比謝橋近くに道場を開設。昭和20(1945)年石川捕虜収容所で死去、享年74歳。弟子に新垣安吉、長嶺将真、島袋善良、島袋龍夫、仲里常延らがいる。

うーん、喜屋武朝徳氏、すごい経歴の持ち主です。琉球王国時代から現在にいたる空手(唐手)家の系譜に必ずといっていいほど、その名前が出てくるほどの人物だったんですね。

ですが、肝心の石垣島で道場開設の記録は出てきませんでした。

が、さらに検索キーワードに「石垣島」を入れ、再度検索をかけると、

「少林寺流志道館ホームページ」にヒット。

その中に以下の記述を見つけました。

「徳嶺の棍」
江戸の末期から明治の初期にかけて、首里に棒術の名手として人々から尊敬されていた武人に徳嶺親雲上がいた。「徳嶺の棍」の創案者である。徳嶺系の棒術は、首里を中心にして継承されていたが、故あって(一説には政治犯で)徳嶺親雲上が八重山に転出したので、いつしか、首里界隈での徳嶺系棒術の伝授者がなくなった。そして、この棒術の伝承は八重山に移ったのである。このことを知った喜屋武朝徳先生は徳嶺系棒術の核心をなす「徳嶺の棍」の教伝を仰ぐべく、昭和の初期に八重山に赴いたのである。だが時すでに遅く、徳嶺親雲上は現世のものではなかった。しかし幸いにも、徳嶺親雲上から直伝した古老が一人生存していたのである。その古老から授けられた「徳嶺の棍」は、やがて嘉手納でその伝承上の人派を持つようになり、近くの村々の棒術にも大きな影響を与え、今日に至っている。さて、棒の長さは六尺、技術的には「貫技」や「突き技」・「受け攻撃」を多用するところが「徳嶺の棍」の特徴である。更に演武線は、八方の敵に対する攻防からなっている。

喜屋武朝徳氏、やっぱり石垣島に来てました!

>>>>>>
http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1310.慶田花宜佐から「徳嶺の棍」を学んだ喜屋武朝徳  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 1時6分
『Yahoo!ブログ−KAZYBLOG』という石垣島でボディビルをやっている方のブログに、『八重山の空手・古武道の歴史』というカテゴリーで、『琉球唐手の権威 喜屋武朝徳』というテーマの書き込みがあり、その中でネット上での情報は初めてだと思いますが、喜屋武朝徳が八重山(石垣島)に来て、慶田花宜佐(1843〜1934・91歳没)から徳嶺親雲上直伝の棒術(所謂「徳嶺の棍」)を学んだということを知りました。

以下はその抜粋転載です。

<<<<<<

【琉球唐手の権威 喜屋武朝徳】

石垣市役所発行『石垣市史 資料編近代6 新聞集成V』に以下2つの新聞記事が収録されています。

「琉球唐手の権威喜屋武朝則翁が指南所創設す」
目下来郡中の琉球唐手の権威喜屋武朝則翁は一昨夜八重山館に唐手を公演しているが大川一八十喜屋武(元呉服店)氏方に指南所を創設して会員に指南している同氏は現に台湾武徳殿唐手講師をなし農林一中の嘱託をもなしている。午前八時より十一時(朝) 午后七時より十一時迄 会費は二円である。猶本日迄八重山館で公演することになっている〔八重山新報昭和6年9月15日〕。

「唐手の演武会」
武徳殿建設のため来る七日より一週間
本県唐手が体育の面に重要視され既に中央にも紹介され護身修養の妙技として各方面に採用されつゝあるが、本町では喜屋武朝徳氏が心ある子弟を集め道場を開き熱心に指導して居る。今回両新聞社後援の下に慈善演武会を開き、入場料は建設費に当て南島武徳殿を建てるもののやうである。
▽十二月七日午后七時開演一週間公開 千歳座に於て
◎唐手、唐手の形、組手、棒、棒の組手、テンベー、サイ
▽木戸銭、大人十五銭、小人拾銭
これにつき喜屋武氏は語る。
石垣町は体育養成の設備がまだないのを痛感し、子弟多数のため道場の必要を認めて今回の挙に出たもので諸賢の御同情を求める次第であります〔先島朝日新聞昭和6年12月3日〕。

上記2つの記事によれば、「琉球唐手の権威」喜屋武朝則(徳)なる人物が昭和6(1931)年当時石垣島で唐手の指南所を創設、会員から会費を取り唐手を指南していることが分かります。

>>>>>>
http://blogs.yahoo.co.jp/syakusime/folder/1044740.html

1309.積雪の投稿記録  
名前:出水の棍    日付:2010年1月17日(日) 0時27分
Original Size: 1024 x 768, 145KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

以前同じくらい積雪したのは、いつだったかなと思ってこの掲示板の以前の投稿を見ていったら、No.564の投稿に、2005年12月22日の冬至の日の積雪の状況を書き込みしていました。
上の2枚の13日の積雪の写真は、No.564に添付の積雪写真と同じ構図のものです。
今回のほうが、若干多く積雪しているようです。
思えばかなりの長期間この掲示板への書き込みを続けているのですが、今回はこんな比較もできてしまいました。
武道・武術とは直接関係ありませんが・・・。


1308.「大寒」前の稽古  
名前:出水の棍    日付:2010年1月16日(土) 23時47分
今週はあまり積雪することはない当地も13日に積雪して、まだ日陰には少し雪が残っていたりと寒い日が続いていますが、今日は本年2回目の武道館での定例稽古に行きました。
稽古は、空手・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、型・分解・基本を稽古しました。
寒い日でしたが、気合を入れて稽古したので、動いている間は汗ばむほどでした。
しかし、休憩すると身体が冷えるのが非常に早く、すぐにまた動かざるを得ないのであまりゆっくりと休憩できないという、とにかく疲れる「大寒」前の「寒稽古」でした。
ビデオ撮りもしたのですが、稽古不足で何回やっても満足なものが撮れず、そのうち体力不足でもっとダメな状態になる始末でした。
加齢に伴う体力低下は避けられないし、このまま稽古不足が続くと、もしかしたらもう自分のピークは過ぎてしまっていて、ただ下手になっていくばかりかもしれないとも思いました。
もっと稽古すると、ピークを過去から未来に持っていける、もっと上達できると思うのですが・・・。

1307.稽古始め  
名前:出水の棍    日付:2010年1月9日(土) 23時11分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 147KB

今日は、出水市総合武道館での揆奮館流武術修錬会の定例稽古の今年の稽古始めでした。
稽古は、簡単な空手の型で準備運動?をして、棒術の型・分解・基本をやって、戸山流居合の居合剣法・基礎居合で整理運動?をしました。
武道館の入館前に写した写真ですが、武道館の入口のガラス戸に武道館正面玄関上の青空が映っています。
今日はこのように天気が良くてあまり寒くない穏やかな稽古日和でした。
新年初稽古で気合を入れて稽古しましたので、少し汗ばむほどの陽気でした。
しかし、稽古では型の動作順番等を毎回全く同じように繰り返すことができず、自分のみしかわからない型の正誤等、その修正の意味等、あとでいろいろ疑問点が生じたりしてきました。
稽古もただ繰り返すだけの漫然としたものにならないよう、武道・武術研究の方も深めていかねばと思いました。


1306.謹賀新年!  
名前:出水の棍    日付:2010年1月1日(金) 21時53分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 150KB

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

写真は初詣に行った地元の箱崎八幡神社です。
新しき年、皆様が心身共に健康で、武道・武術に心置きなく精進できますことをお祈り致します。


1305.『初発心時、便成正覚』、『百尺竿頭、須らく歩を進むべし』  
名前:出水の棍    日付:2009年12月31日(木) 13時34分
大晦日に振り返ってみると、今年1年間でこの掲示板への書き込みは150回くらいしているようです。
他に書き込む人はほとんどいないので、自分のブログのように使ってしまい、稽古実施等のことなどたわいのないことばかり書き込んでいるようです。
今では稽古をしないとなんか書き込むことがないので、掲示板への書き込みが稽古継続の動機付けにもなっているようです。
今年も病気したり、またその治療をしたりと、稽古の継続に支障が出そうな状況は何度かありましたがなんとか乗りきれました。
修行に完成はありませんので、これからも、表題の言葉のように常に出発点に立って、「守・破・離」の精神を以て、武道・武術の修行を続けていきたいと思います。

1304.稽古納め  
名前:出水の棍    日付:2009年12月26日(土) 23時55分
今日は、出水市総合武道館での揆奮館流武術修錬会の定例稽古の本年稽古納めでした。
稽古は、簡単な空手の型で準備運動をして、棒術の基本20本の一人稽古と二人相対稽古・型、戸山流居合の居合剣法・基礎居合をしました。
先週とすると、あまり寒くもなく穏やかな稽古日和でした。
今年は1月10日の稽古始めから、計40回の定例稽古が実施できました。
他の行事のため1ヶ月に1回しかできなかった月もありましたが、何とか稽古を継続してこれました。
1年でたったの40回しか稽古できないのか、また40回稽古してもこの程度かと思うともっと考えて稽古しなければと思いました。
やはり稽古の継続で、何がしかの進歩が得られないと稽古に対する意欲も低下します。
来年の揆奮館流武術修錬会の出水市総合武道館での稽古始めは1月9日の予定です。
今年いろいろな理由で稽古から遠ざかってしまった人も心機一転新たな動機付けをしてまた稽古を再開してください。

1303.杖道稽古納め(2)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月21日(月) 0時38分
Original Size: 1024 x 768, 145KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

杖道の稽古納めの帰り、今日も形をなかなか覚えきれなかったなとか、山越えは大丈夫かなとか思いながら車を運転していると、まだ鹿児島市内で高速に入る手前ですが、近くを来年のNHK大河ドラマの派手な広告をつけた長崎の観光バスが走っていました。
『長崎は2010年大河ドラマ「龍馬伝」の舞台です』と書いてありました。
NHK大河ドラマは「篤姫」の影響で鹿児島にも観光客が結構来ているのですが、その観光への影響はかなり大きいものがあります。
龍馬が主人公の大河ドラマは2回目のような気がしますが、今回も面白そうですので来年の放送が楽しみです。
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_ryouma.html


1302.杖道稽古納め  
名前:出水の棍    日付:2009年12月20日(日) 23時58分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 147KB

今日は鹿児島杖道会の月1回の杖道講習会が鹿児島アリーナの武道場で開催されたので参加しました。
山間部の積雪と路面凍結が予想されたので、遅く出発し早く帰りました。
途中、紫尾峠と入来峠はチェーン着用の電光表示がされていましたが、対向車が着用しないで来るのでそのまま行けると判断しそのまま通過しました。
行き帰り峠付近は雪が降っていて路肩は積雪していましたが、外気温は1度くらいで路面は融けていましたので何とか通れました。
今日の講習会では、形の乱留と乱合を稽古しましたが、やっと順番を覚えたかどうかというところまでしかできませんでした。
先は長いです・・・。
写真は行きの紫尾峠付近です。


1301.『月刊 秘伝』2010.1号  
名前:出水の棍    日付:2009年12月20日(日) 1時4分
Original Size: 775 x 1024, 149KB

特集は「"空手の祖"松村宗棍生誕200年記念特別企画!沖縄古伝"手"?中国拳法?示現流?What is 首里手?」としてありますが、松村宗棍が、示現流を薩摩の奉行官及び薩摩藩士の伊集院弥八郎より学び、門下に唐手だけでなく示現流も教授しており、それが後の首里手の技術の発達に大きな影響を及ぼしたと考えられるとあったのが興味深いところでした。
昔のこうした薩摩と琉球の武術交流は、今の空手や琉球古武道棒術等に少なからず影響を与えていると思います。
揆奮館の会員のHさんも長年示現流を修行されてきて、かつ空手もやっていたことがあり、今は揆奮館で棒術を修錬されているのですが、順番はちょっと違いますが、こうした武術の歴史を自然に辿られている方が今も身近に実際おられるのも何か面白いことと思いました。


1300.今日の稽古  
名前:出水の棍    日付:2009年12月19日(土) 23時59分
寒波到来で、全国的に雪が多く降ったりしているようですが、こちらも山間部は降雪し、道路は路面凍結で事故が発生したりしているようです。
今日の武道館での定例稽古は床が大変冷たくなっていて、本格的に寒中稽古のシーズンに入ったと感じました。
稽古で身体を動かすと暖かくなりますが、休憩するとすぐに寒くなるので、いつもよりたくさん身体を動かさざるを得ないという感じでした。
稽古は、簡単な空手の型で身体を温め、棒術は基本20本・分解5本・型を稽古し、居合は戸山流の居合剣法・基礎居合を稽古しました。

1299.サザンカの咲く頃  
名前:出水の棍    日付:2009年12月12日(土) 23時28分
Original Size: 1024 x 768, 149KB

今日の武道館での定例稽古は、空手・杖・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、入門されたばかりの方に合わせて、基本20本をじっくりと稽古して、あと型を稽古しました。
写真は武道館の東側で、今咲き誇っているサザンカです。
もしかしたら寒椿かもしれませんが、違いがよくわかりません。
この花が咲き誇ると、師走の12月、年末になったと感じます。


1298.Re:天草の戸山流  
名前:管理人    日付:2009年12月12日(土) 20時42分
先に揆奮館流武術事務局のメールアドレス宛に同じ内容のお問い合わせをメールでいただきましたので、本日20時にメールの方で回答いたしました。

1297.天草の戸山流  
名前:ご質問です    日付:2009年12月12日(土) 19時34分
お尋ねいたします。
熊本県の天草に住むものですが、
戸山流居合に興味があり、戸山流九州支部に問い合わせたところ、
天草では戸山流はやっていないという回答でした。(5年ほど前まではやっていたとのこと)
ところが、たまたまこちらのホームページの掲示板を拝見いたしましたところ、
天草で戸山流の指導が行われているとの記述がありました。
そこで、ご質問です。
天草で戸山流を習うことは可能なのでしょうか?
可能だとすれば、どこに申し込めばよいのでしょうか?
お教えいただけると幸いです。
よろしくお願いします。

1296.短穂槍(3)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月12日(土) 11時53分
Original Size: 1024 x 768, 146KB Original Size: 1024 x 768, 150KB

槍に記されている「島田住人源義重」と「於江戸作之」の銘から、この槍を武器として使ったのは誰だったのだろうかといろいろ想像されます。
ネット検索してみると、「源義重」という名前の歴史上の人物は複数いるようですが、槍の形と「江戸作」とあることから、源 義重(みなもとのよししげ)は新田 義重(にったよししげ)(平安時代末期から鎌倉時代初期の河内源氏の武将。源義国の長男。新田氏の祖。武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の孫。異母弟に足利氏の始祖源義康がいる。新田氏本宗家(上野源氏)の初代であり、上野国新田荘を本拠とした。)のことかなと思ったりしましたが、島田住人とあるので、今ひとつよくわかりません。
どこの島田だろうか・・・。
こういうのに詳しい人がいたらぜひ教えてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E9%87%8D


1295.短穂槍(2)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月5日(土) 23時55分
Original Size: 1024 x 768, 150KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

茎に彫られた銘


1294.短穂槍  
名前:出水の棍    日付:2009年12月5日(土) 23時52分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

今日の武道館での定例稽古は、3週間ぶりでしたので久しぶりに稽古したという感じでした。
稽古は、空手・棒術・居合を稽古しました。
棒術は、少し汗ばみながら、基本20本を時間をかけてやり、あと型を稽古しました。
Hさんが、手に入れたという短穂の直槍を持ってこられましたのでしばし鑑賞しました。
穂は整った正三角で、茎に「島田住人源義重」と「於江戸作之」の銘が彫ってありました。
鞘と柄は木製で、柄は組み合わせて長くするものでした。
槍はさまざまな形のものがあるので見て楽しむのによさそうな美術骨董品だと思いますが、この槍は分解すると手槍というか投げ槍に使えそうな携帯性もあり、そんなことを考えるとやはり物騒な武器だと思いました。


1293.唐津城(6)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 21時0分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

十手と鎧


1292.唐津城(5)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 20時50分
Original Size: 1024 x 768, 147KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

一刀流允可目録と皆伝。
袖搦の棒もありました。


1291.唐津城(4)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 20時44分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

一刀流允可目録と皆伝


1290.唐津城(3)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 1時18分
Original Size: 1024 x 768, 143KB Original Size: 1024 x 768, 147KB

唐津城天守閣から見た「虹の松原」方向と、帰りのバス内から見た唐津城天守閣


1289.唐津城(2)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 1時1分
Original Size: 1024 x 768, 150KB Original Size: 1024 x 768, 146KB

唐津藩政期の刀剣等の武具も展示してありました。
最上階の5階は展望所で、国指定特別名勝の「虹の松原」が眺められました。


1288.唐津城  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 0時50分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

名護屋城のあとは同じく唐津市内の唐津城に行きました。
ここは模擬天守ですが、内部が資料館になっている立派な天守閣があります。
天守閣に行く途中の石段の紅葉がきれいでした。
ここも桜の名所らしいので春に行くのもよさそうです。


1287.名護屋城跡  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 0時29分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 150KB

先週の日曜日は、唐津市にある佐賀県立名護屋城博物館と名護屋城跡に行きました。
名護屋城は、約400年前に豊臣秀吉が朝鮮半島や明国に出兵するための軍事拠点として加藤清正等に設計させ、各大名に分担させて築いたもので当時は大阪城に並び雄大な城だったようです。


1286.筑前秋月(3)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 0時9分
Original Size: 1024 x 768, 148KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

裏門であった長屋門と黒田家職制の説明
秋は紅葉がきれいですが、杉の馬場は桜の名所らしいですので、春にも行ってみたいところです。


1285.筑前秋月(2)  
名前:出水の棍    日付:2009年12月2日(水) 0時3分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 148KB

杉の馬場の通りにある今の中学校の武道館も何か趣がありました。
秋月藩校稽古館跡は説明を見ると、以心流剣道場、弓砲道場、槍剣道場があったようです。


1284.筑前秋月  
名前:出水の棍    日付:2009年12月1日(火) 23時32分
Original Size: 1024 x 768, 149KB Original Size: 1024 x 768, 149KB

先週土曜日は、福岡県朝倉市の城下町秋月に行きました。
筑前秋月は、秋月氏が1203年に築城した山城跡で、秋月時代が約400年、のち1624年から福岡藩黒田家の分家の城下町として栄えたところで、国重要伝統的建造物群保存地区になっています。
城跡には現在は秋月中学校が建っていました。
黒門の周囲近辺の紅葉は風情があってきれいでした。


1283.11月の杖道講習会  
名前:出水の棍    日付:2009年11月23日(月) 23時59分
今日は鹿児島杖道会が月1回開催する今月の杖道講習会が、鹿児島市の鹿児島アリーナ武道場でありましたので参加しました。
早朝に出水市を出発し、朝から夕方までの稽古をして、夜に出水市に帰りますので、講習会参加は1日がかりです。
参加すると、いつも体重、体脂肪、内臓脂肪などが確実に減少しています。
ただすぐにリバウンドしますが・・・。
今日の講習は、杖道の稽古は終わり近くに少しして、神道夢想流杖術の併伝武術の神道流剣術と、内田流短杖術の稽古が主体でした。
まだ体験入門レベルなので、これから復習して身体が覚えこむまでは、まだまだ時間がかなりかかりそうです。

1282.Re:沖縄拳法 開祖中村茂先生と保勇先生の交流  
名前:出水の棍    日付:2009年11月17日(火) 23時53分
はじめまして。
投稿されたお名前と内容から、糸東流空手道八段・沖縄拳法空手道範士八段で奈良拳聖会拳聖館館長のきたむら先生が書き込みをしてくださったものと認識しております。
この掲示板での3年ほど前の私の投稿No.801、No.807、No.810の書き込みに対してコメントをしてくださったものと思います。
貴重な情報を提供してくださり感謝いたします。
確かあの頃、中村丈人先生に直接電話でいろいろお聞きしましたが、あまり詳しいことはわかりませんでした。
保勇先生が自流に防具付組手を導入されたのは、その交流から中村茂先生の沖縄拳法を参考にされたものと思います。
余談ですが、私の師である池城先生は、この掲示板で紹介した投稿No.801の1966年1月1日付消印の中村茂先生からの年賀状を頂いた翌年の昭和42年に、師事した保勇先生の少林寺流錬心舘から離れて独立し、自流の道場「揆奮館」を設立しております。
その当時から允許証には「全沖縄拳法空手道連盟揆奮館総本部」と表示し、「沖縄拳法空手道揆奮館総本部」の看板を自宅に掲げておられました。
名称に「沖縄拳法」の字句を入れているのは、おそらく、中村茂先生の「沖縄拳法」を意識されてのことだろうと思います。
弟子の私の目から見ると、池城先生の空手の原形スタイルは、保勇先生のものではなく、やはり青少年期に師事した比嘉世幸先生の剛柔流であるように思っております。
例えば、型では錬心舘では教えない「三戦(サンチン)」やカキエなどをされました。
池城先生の空手のスタイルはその後に師事した大塚博紀先生の和道流や保勇先生の少林寺流の影響を受けたものとなったようです。
ただ棒術については、琉球古武道以外の棒術、薙刀、銃剣道、杖術などを修錬されたことが影響しており、それらの総合的なものになっております。

1281.沖縄拳法 開祖中村茂先生と保勇先生の交流  
名前:北邨 敬治    日付:2009年11月16日(月) 16時41分
私は昭和43年に中村茂先生に師事し45年に師範を認定されました。
其の修行中に保勇先生も名護の道場に来られていたのは事実です、
交流が有りましたが、保先生は師範は取得されませんでした。
私の道場には中村茂先生自記筆の系図が有ります。私が師範取得の時に
書いて頂いたものです。現在は二代目中村丈人先生と交流が有ります。


ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >> >| 


   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb