はじめまして。 投稿されたお名前と内容から、糸東流空手道八段・沖縄拳法空手道範士八段で奈良拳聖会拳聖館館長のきたむら先生が書き込みをしてくださったものと認識しております。 この掲示板での3年ほど前の私の投稿No.801、No.807、No.810の書き込みに対してコメントをしてくださったものと思います。 貴重な情報を提供してくださり感謝いたします。 確かあの頃、中村丈人先生に直接電話でいろいろお聞きしましたが、あまり詳しいことはわかりませんでした。 保勇先生が自流に防具付組手を導入されたのは、その交流から中村茂先生の沖縄拳法を参考にされたものと思います。 余談ですが、私の師である池城先生は、この掲示板で紹介した投稿No.801の1966年1月1日付消印の中村茂先生からの年賀状を頂いた翌年の昭和42年に、師事した保勇先生の少林寺流錬心舘から離れて独立し、自流の道場「揆奮館」を設立しております。 その当時から允許証には「全沖縄拳法空手道連盟揆奮館総本部」と表示し、「沖縄拳法空手道揆奮館総本部」の看板を自宅に掲げておられました。 名称に「沖縄拳法」の字句を入れているのは、おそらく、中村茂先生の「沖縄拳法」を意識されてのことだろうと思います。 弟子の私の目から見ると、池城先生の空手の原形スタイルは、保勇先生のものではなく、やはり青少年期に師事した比嘉世幸先生の剛柔流であるように思っております。 例えば、型では錬心舘では教えない「三戦(サンチン)」やカキエなどをされました。 池城先生の空手のスタイルはその後に師事した大塚博紀先生の和道流や保勇先生の少林寺流の影響を受けたものとなったようです。 ただ棒術については、琉球古武道以外の棒術、薙刀、銃剣道、杖術などを修錬されたことが影響しており、それらの総合的なものになっております。
|
|