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「歴史問題」を我々の手で解決しよう
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49.RMT激安販売の総合 返信  引用 
名前:zmgbvq6    日付:2010/1/23(土) 16:58
ゲーム通貨を買うならゲームマネー,随時更新の全サーバ激安販売
RF rmt

48.中国は間違いなく大国になる 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2009/4/14(火) 11:40
最近中国に行ってきましたが、聞きしに優る都市部の近代化に驚かされたのでしたが、そこから一歩出ると、巨大な近代的摩天楼の裏に隠れた旧市街で生活する人達が抱えてている困難な現状との落差の大きさにショックを受けました。

http://www.myoutlooktoday.com/index.php?option=com_content&task=category&sectionid=5&id=16&Itemid=98&lang=jp

しかし、考えて見れば、明治時代の日本が経験した急激な財閥系資本の形成過程で実際に見られた垂れ流しの環境汚染や、そこで勤勉に働いた日本の庶民が経験した残酷で悲惨な生活の現実を考えると、今日の中国の疾風怒濤の資本主義経済の発展にはこれは必要にして不可欠な歴史的犠牲であると考えざるを得ないでしょう。ケ小平が「鼠をとる猫は皆いい猫だ」と喝破したのを現実に自分の目で見る思いがしました。
これはまた、西部劇にドラマ化されたかっての米国の西部開拓時代をも彷彿させる光景でした。

岡本 豊
http://www.sbpark.com

47.中学生(高校生も)の社会科の歴史の記述について 返信  引用 
名前:みかん箱    日付:2008/5/25(日) 6:20
教科書の中に必ず載る「強制連行」について、別の視点でまとめました。意見や感想がありましたらよろしくお願いします。
メインテ−マがそれです。

http://www8.plala.or.jp/correct/

46.21世紀の日本の行方は? 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2008/1/17(木) 17:59
小堀さんからまた面白いメールが届きました。ご紹介しますのでご意見をお寄せくださし。

薄ら寒のなかを近くの甚五郎池畔(現在は大淵池と言っています)をめぐって松伯美術館へ行きました。
雨が降らなかったので満水から150センチは水が退いています。10年以上前までは、ここで鮒鮨向けの鮒を養殖していたので、私が38年前奈良西大寺から学園前に移ってくる以前から棲息していた白鷺や青鷺の群が四千坪ほどある佐伯邸の松林を棲家としていました。毎年二月ごろ、 7、8人やってきて、胸まであるゴム長スーツで、冷たい水につかって、鮒の死魚を浚い稚魚を入れ替えするのか辛い労働をしていました。

十年以上前、この甚五郎池へ黄色い(黄色くみえただけかも)嘴をした真っ黒な鳥の群が次々に飛来し、池の上空を旋回していました。
わたしが飽きもせず見上げていると、通りががかった男の人が教えてくれました。「これは鵜です。海鵜ですよ。シベリアから知多半島にやってきて、一旦そこで落ち着きます。そこから、西日本各地のえさのあるところを捜して移動するのです」
その海鵜を、空の上で区切って目の子算で数えると多い日には四百羽ほどになりました。海鵜が頭上を旋回するときザーッと音を立て、空が暗くなりました。

そのころはアヒルや亀もたくさんいて、それがどういうわけか、広い甚五郎池をすべて時計回りに遊弋していました。春になると鮒の餌場用の渡り板のうえで、親亀子亀が甲羅干しをし、初夏にはアメンボが群をなして跳んでいました。

送っていただいた梅棹忠夫さん・司馬遼太郎さん編の「桑原武夫傳習録」
何十人かの追悼文のなかで、まず開いたところは、河野健二さんの「桑原さんと人文科学研究所」
これが、なかなか面白いというのは、日本敗戦からあまり遠くない1947年ころからの京都大学の人文科学分野の動きが、桑原武夫さんが東北大学から、ここへ移ってきたこともとあわせて、時々刻々と何を問題にしていたかを生き生きと伝えているのに、引きずり込まれました。

桑原さんたちがとりあげたテーマは、まず「ルソー研究」、「フランス革命」そして「百科全書派の仕事」であったことです。これらのテーマが戦後なぜ彼らにとってホットな問題であったかということですが、いまの私には、それほど切実な問題でありえたのか、と思わせるものがあるのですが、河野さんが回想するところの、その共同研究に参加した当時30代のリーダー20代の若手の学者たちの、夜に日を継ぐ白熱し、時には取っ組み合いにおよぶ論争と集中ぶりには、驚かされます。

( 1950年代末、ニッセイ甲子園寮へ紛れ込んできた高野 明さんが夜な夜な自室に論客を集めて、カンカンがくがく止むことを知らなかったのは、あのような知的メッカで鍛えられたタマモノであったかと、いまさらながら気づきました)

ひとつには、
「半封建的」ともやがて「軍国主義的・全体主義的」ともいわれた戦前・戦中の日本の政治、社会が敗戦、ついで米軍の占領下で「民主化」されていく激動の時代に、一方では、労働運動の激化と急速な左翼政党の進出が進行しており、思想的には、「民主主義」の啓蒙から「社会主義」へ、学者のあいだではマルクス主義への傾斜が強くでてきていました。これがGHQの鎮座するTOKYO の形勢です。

これに対して、関西は、特にB29の無差別爆撃に晒されなかったKYOTOはどうであったか。

京大では、西欧近代の潮流をなしたブルジョア民主主義とはなにを根源にさかのぼって、たしかめようとして、フランス文学と哲学に研究の主題として追及し、それをもって、マルクス主義的な色彩をつよめていたTOKYO中心の学問的傾向やジャーナリズムを批判する立場を鮮明にするという、ポジションを知的にというより本能的に指向したのではないか、と私は推理してみました。

ちょうどそのころ、つまり1950年前後の日本おかれた状況を、マクロに見ると・・・占領期の後半では、朝鮮戦争が始まり、
占領直後の”民主主義過剰”のなかでの左翼勢力のトレンドとそれに危機感をもつ、岸信介さんのような、戦前派「右」勢力の先鋭な対立が、そして、米ソ対立の激化とともに日本を社会主義圏へ包囲網のアジアにおけるの防波堤としようとする米国の世界戦略の転換が重なって進行していました。

そうなると、関西の、といってもその核心は京都大学の立地というのは日本の奥座敷にあたり、一種の岡目八目を聞かせるゆとりポジションであったこと、しかも戦前からの、人文科学における京都大学という劇場の立役者、すなわち日本の独創的な思想家を輩出してきました。京大は日本の単なるアカデミズムのメッカたるのみならず、近代化日本の文化的支柱を継承しているのだという、誇りと業績の蓄積があったればこそ、戦後2、3年にして、桑原さんなど多士済々をリーダーとする、共同研究が日本文化を代表する情報発信源となりえたのではないかと私は思います。

ただ、1950年代、60年代というと、フランスでは、構造主義の論客が輩出し、哲学、人文科学世界に地殻変動を起こしていました。日本では、独自にはこの構造主義的な、つまり polyphonic な科学哲学というか石の目を読む
ような、分析的哲学が独自には生み出すことは行われず、つねにフランスの成果の翻訳であり、一般的には、いつもなにかの一枚岩、ヘーゲルとかマルクスとか大伽藍のような哲学的支柱を頼りに、モノを、社会を、観る学問的習慣から自由になれなかったのではなかったか、ということです。

それはさておき、
このような日本文化の二大メッカ、TOKYOとKYOTOの競争的共鳴現象は、日本が高度経済成長から世界第二の経済大国として絶頂を極める1980年代にはどうなったか。台風一過、アカデミズムにおいても、ジャーナリズム、論壇においても、熱気は次第に醒めていったように思われるます。

ですから、河野健二さんの「桑原さんと人文科学研究所」に観られるような、ホットな問題意識にみちた、学問的かつ、日本文化に共鳴現象を起こさせるような共同研究の台風圏というのは、いまはどこにあるのか、といいたいところです。

いわゆる文系についてみれば、大学は幼稚園化し、就職のためのタイトル授産所になった。そして教授や、教授予備軍は、そのようなアカデミックかつ、全日本的、世界的な論争の場の主宰者、演出者としての function の担い手
であるとか、あろうとか思ってもみないで、依然としてタコツボに沈潜しつづけているのではないかということです。

そこで学界でもイキのいい人材は、単発的にジャーナリズムやジャーナル的論壇へごぼう抜きされて浮名をながすか、外国の有名大学へ脱出し、切磋琢磨して、かの地で業績を積み、まことに孤独なキャリア形成に自己満足するしかない、ということになっいるのではないでしょうか。世にオーバードクターは何万とあり、日本では知宝は痴ほう化するにまかせてあるのかも知れません。

ですから、昭和56年刊の、この「桑原武夫傳習録」を開くと、日本の知的集団の追悼録といいたいような気持ちにさせられます。
21世紀の日本は、政治ダメ、外交ダメ、地方自治ダメ、官僚ダメ、人文科学ダメ、基本的コンピュータソフトダメ?、現代文学ダメ、スポーツダメ、かつては自賛他賛の的であった企業組織ガタガタ、長時間労働放置ときます。
マクロで見れば、世界はおろかアジア圏でも地盤沈下、頼りにしていた親分アメリカも行き詰まり。その実態は日本の実質GDPが1988年以来、 20年間停滞したままであるところに現れています。この加速化する世界では20年間ひとところにとどまっているというのは、一文明としては退化過程に入ったといえるでしょう。

では、いいものは、日本料理、マンガ・アニメ、古典芸術、俳句はBasho は神様扱い(現代俳句は、海外と交流するハイジンは、変なガイジン扱い)。

だんだん主題とズレてきましたので、この辺で。


2008.1.16
Kobori H
kobor@kcn.jp
http://www.parap.org/

45.奈良からの新年のメールです 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2008/1/8(火) 15:32
新年早々奈良の小堀さんから面白いメールが届きました。ご紹介しますのでご意見をお寄せくださし。

岡本 豊

2008年年明け、Tange sanのニュースに驚きつつ・・・・。
1月17日に予定されている検査結果がベスト、あるいはベターであることを祈ります。

むかしのスケッチがでてきましたので、慰問にお送りします。
これは、81年とメモがあるように学園前の大淵池の夏景色です。

ところで、1982年に東京へ移ってからも、休みの日に、表参道をbase campに、銀座、月島、隅田川や、根津、などをスケッチしたり、巷の路地でふらりと入った居酒屋で一杯やっていました。

つぎに移ったのが荻窪街ですが、戦前から文人がたくさん集まるようになっていました。このことは、「東京新聞」に1960年代、延々と連載された「荻窪風土記」(これはコピーしてあり)に詳述してあるのですがなかなか味のある街だったようです。北原白秋とか近衛文麿とか住んでいたころのことは知りませんが、晩年の井伏鱒二氏も私は出くわしたことはありませんが、駅の北商店街にあった銘酒をだす店に出没しているようでした。

ある冬の夜、国鉄荻窪駅の南まん前にある骨董的居酒屋、いや酒場ののれんをいつものように分けて入りました。
カウンターは荻窪の常連客でぎっしりでした。
その一角に腰掛け、ちろりを燗してもらい、蕎麦ちょこに酒を酌んでいると、隣のじいさんが戦争中の話をしていました。
わたしも調子がでてきたのでじいさんに話かけました。(そこでは、隣の客に話しかけるのは、ごく当たりまえだった)

私:   昭和18年でしたか、私は小学校4年ぐらいだったかな。どういうわけかルーズベルト大統領を尊敬してたんですよ。
隣のじいさん:そんなことがあるはずはない。
私:   いやほんとです。アメリカと日本が戦争する前から知ってました。
ルーズベルトが若いとき小児麻痺にかかって、両足の麻痺と闘いながら、車椅子で弁護士になった。そして大統領に選出されたことも。アメリカにはなかなかえらい人がいる、と。日本に反撃するために戦闘機を四万機を生産するのだと新聞に載ったのを覚えている ・・・
じいさん:戦争中は、日本人はみんな鬼畜米英と戦っていたんだ。お前みたいなやつがいるはずがない!それも子供が、なにが分かる!

じいさんの剣幕と大声に、店中お客がこっちを見ていました。カウンターだけで四十人はいたでしょうか。それで、私は反論するのをやめて、酒をのむことにしました。
それでも、じいさんはまだ怒りが収まらないらしく、別の隣の客に非国民奴がと、憤懣をぶちまけていました。

まあ、それから二十年以上になりますが、その酒場は、「戦争懐かしや」の老人のいわば溜まり場になっていて、夕方明るいうちから飲んでいました。日本は世界中を敵にまわしてよくやった、という派が酒場では幅を利かせていました。

まあ、いまは、中国やインドが、日本を追い上げてきたのが気に食わない連中も増えてきているわけで、昔もいまも、日本人は相変わらずかもしれません。

尻切れトンボですが、この辺で。
2008.1.8
Kobori H
kobor@kcn.jp
http://www.parap.org/

44.扶余時代から高句麗時代に至る歴史の画像体験です!!! 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2008/1/1(火) 19:26
歴史フォーラムの皆さん

緊急ご報告です。
フジテレビBsチャネル()に暮れの31日から元旦3日までの4日連続放映プログラムで韓国の歴史的ドキュメンタリー=三国志依存資料を基にして、漢代の中華文明を摂取してできた最初の塞外の北族王朝である扶余王国が旧満州で扶余王朝が生まれ、同王族の異母王子間の相克の結果いかにして扶余が滅び高句麗王朝が朱蒙によって創設されたかを描く何と30時間以上の古代歴史物語ドキュメンタリー「朱蒙」が、四日間にわたって放映されています。
卑弥呼以前の日本史について全く映像的イメージを持たない私たち日本人、特に私個人にとってはこの映画は大ショックです。日本人の北族的人種と文化の要素を多分に継承する日本人にとっては、この映画を見るのはいろんな意味で「渡来人論争」の2008年度の新しい出発点となると確信します。ぜひご覧ください。明日2ひと明後日3日午前10時から午後6時前後までフジテレビBsです。

岡本 豊
http://www.parap.org/

42.いったいどこのだれが貧しいの 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2007/12/10(月) 23:38
昨日、奈良の小堀さまから次のような愉快なコメントをいただきましたのでここに転載させていただきます。

岡本 豊さま

PARAPSITE TEST版拝見しました。

ネパールの子供たちのPHOTOでしょうか。
鮮明です。

その中身はわかりませんが、でてくる面々は、生き生きとして、自由です。その精気は、1945年ー60年ごろの日本人群集のスナップ写真と共通点があります。

それは、着ているものが質素であり、表情が悲しんでいるかはつらつとしているということ。
家が粗末であり、空気が汚染されておらず、山が澄んでいること。
自動車が極めてすくなく、超高層ビルがないこと。

したがって金額換算での所得水準は低くいのは自明であるのに、あたかも、大雪山、キリマンジャロ、の別荘持ちのような表情であることです。

その脈絡では、貧困は21世紀の大都市にありということではないでしょうか。

また日本の小学校から大学を含む初等教育(?)の内容と環境は、設備がかなりよいconcentration camp とみたほうがよいのではないでしょうか。

このことは、いわゆる先進国でも、ドイツの一部、更に、フィンランドの無償教育のほうがまだ独創性と自由があると報告されているところにも裏づけられていないでしょうか。

日本の高等教育をうけた人たちのなかでも、最近不祥事が明らかにされる企業のトップ層が、いわゆる高学歴そろいにかかわらず、3度4度と平身低頭して、じつはなんの痛痒も感じていない。誰に謝っているのか不明、というのはどうでしょう。

これの最たるものが、防衛省の実力次官夫妻です。
みずからは納入業者から過去300回以上のゴルフ・ゴルフ旅行の丸抱え接待をうけ、不明金を自分の口座に振り込ませているケースです。しかし、元省次官は、自分は悪いが、他の巨悪を見なさい。自分はやはりお国のためを思って、知力と労力を傾倒してきた国士であるという基本認識に立う本音を吐きつつあることです。

この態度を清廉潔白と見るものは自他共にないでしょうが、自分の悪いところは、刑罰に値するなら、そのとおりと認めることにやぶさかではありませんと、開き直っている彼をどう評価しているのでしょうか。

あるいは元次官は言うかもしれません。
日本を抜きつつある中国を見よ。あれだけワイロが一世風靡しいるのに、なぜ高度成長を続けることができるのか。

「鼠を取る猫はいい猫だ」
「ワイロあるがゆえに、高度成長あり」

2007.12.8
kobor@kcn.jp

http://www.parap.org/

41.日本人の北からのルーツと武家社会文化 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2007/12/8(土) 14:43
面白い話があります。

10月末に立ち上がった「パラップサイト」http://www.parap.org/ は、私たち日本人の北からのルーツを探る意図を込めたプロジェクトを企画しています。極東ロシア沿海州とハバロフスク州に住むアジア系の先住民族中でも日本人とのかかわりが知られているウデヘ族の集落であるクラスニヤールとの交流と支援がその目的です。

ウデヘ族と日本人をつなぐ糸は、遠い昔に高句麗王国の成立に大きな役割を果たしたといわれる女真族や、時代が下って中国のラストエンぺラーという名で名高い北族の征服王朝清国を建てた満州族であり、日本海のリマン海流に乗って太古の時代から列島に漂着渡来して東日本のエミシの主要な祖先となり、関東騎馬武者の中核部分を構成するに至ったという説もあります。

ウデヘ族はしかし、スターリンのソ連時代からその故地を離れてコルホーズのような集団生活を強いられた結果、その自然な狩猟採取文化とライフスタイルを失い、ポスト冷戦時代には国家の補助の廃絶の結果、世界的基準で言えば「絶滅危惧種」と呼ばれるほどの衰退と離散と同化の運命にさらされています。

その上、彼らは日本海を隔てた島国の日本人と血を分ける関係にあるという事実に関しては、ソビエット時代以来全く知らされていないのです。しかし、21世紀の今日の国際環境の下では日本人がウデヘ族と交流するのには何らの支障も不都合もありません。

この交流計画はパラップと地球の友ジャパンの共同プロジェクトとして計画されていて、人口数百名のクラスニヤール村が今でもソ連時代からのジーゼル発電機依存の電力インフラに依存しているのですが、石油をここまで運ぶコストでは一日に4時間程度しか通電できないという摩訶不思議な状況が続いているのですが、これを環境にやさしい水力、太陽光、風力をミックスしたハイブリッド発電システムに変え、手付かずの自然が残っているビキン河の環境を保護しようというのが目的です。

具体的な計画については下記のURLでご覧ください。
http://www.parap.org/

http://www.parap.org/



43.Re: 日本人の北からのルーツと武家社会文化
名前:Hiroshi Kobori    日付:2007/12/17(月) 0:59
皆さん

このPARAPSITE ですが、、
岡本さんが発信するというより、アジアの子供たちの、毎日を、そして今日を、ネパールや、ロシア沿海州、など、界各地から、PHOTOと動画、またはTVで発信する、劇場型サイトです。構成も、取材もまだテスト版の段階ですが、将来、中東諸国もカバーするという計画だそうです。

いづれ、ネパールの子供たちと、ロシアの子供たちが、お互いにホームステイをするような、教室の中の先生と生徒とか、学校とか、国籍というような枠を越えた、お互いの交流やエコツアーに発展するプログラムであるようです。

これらの世界の過疎地域で暮らしている子供たちは、いわゆる所得水準という目盛りで見れば、日本の子供たちの10分の1、30分の1レベルかも知れませんが、彼らの住んでいる自然環境は、東京や、大阪の10倍ぐらい鮮烈であることが PHOTOの背景をみればすぐ分かります。このような劇的なすれ違い自害が起こるのはナゼでしょうか。

ただこれらの過疎地域では、エネルギー利用の方法を飛躍的革新する必要に迫られています。

化石燃料に頼らない、クリーンなエネルギーを発生させる、低コストの方法が工夫されれ、提供されれば、どういうことになるでしょうか。
そのような画期的な方法を、研究開発中の個人や、グループ、組織があれば、ぜひ、それを、ネパールや、ロシアの過疎地域で導入するよう声をかけてあげ、支援してあげてください。

それが成功すれば、その人かグループは、21世紀のノーベル物理学賞、化学賞、さもなくばノーベル平和賞が授与されるでしょう。
ノーベル賞は、慎重なリサーチが行われ、受賞候補者のリストが作られ、授賞候補者が絞り込まれてくると、その有望な発明・発見をした個人かグループのタメに、推薦状を出すようにノーベル賞選考委員会から依頼してきます。それが誰に依頼されるかもノーベル賞選考委員会が決めることになっています。

その推薦状は、日本人の発明であれば、ふつうその分野の、日本人か、世界の著名な人の誰かに執筆を依頼してきます。
たとえば、日本人では、ノーベル文学賞の例では、大江健三郎さんの前は、川端康成さんが受賞しましたが、その推薦状は、三島由紀夫さんが委員会から名指してきました。

川端康成さんの受賞には、私の知っているところでは、ある因縁があります。
三島由紀夫さんは、日本人で初のノーベル文学賞をもらうのは、三島氏自身であると、密かに心に期待していました。いや自分以外に誰かいるはずがないと、決めていました。ところが、川端さんの推薦状を書く人として白羽の矢が立ったのです。

三島さんにとっては、衝撃でした。
しかし、彼は彼が二十歳のときから尊敬していた川端さんのためにさすがな推薦状を書き上げ、ノーベル賞委員会に送りました。

そして三島さんは、「楯の会」に傾斜し、そのごまもなく、自衛隊本部のバルコニーで割腹し、側近に介錯をさせて果てます。
そして三島由紀夫さんの亡くなったあと、追うように川端さんも自殺します。
川端康成さんの、ノーベル賞授賞の記念講演のタイトルは「美しい日本のわたくし」でした。これは、後に、日本の総理大臣が借用したらしいところをみても、なにか、空恐ろしい言葉です。

画期的な、低コストのクリーンエネルギーの発明者、それを、世界の過疎地に送る支援をするかたは、二人のノーベル文学賞の受賞者のような、悲劇的な結末とは、正反対に、輝かしい貢献をしたとして、喝采をうけるでしょう。

KOBORI 氏の噺は往々にして横道にそれてしまうのですが、今日もごたぶんにもれず、となりました。

では、又。

p.s. 岡本 豊さんの新サイトPARAPSITE をご紹介しましたが、これは岡本さんの、「歴史問題はわれわれの手で解決しよう」ブログ宛の、email です。

2007.12.16
Kobori Hojo
Kobor@kcn.JP

http://www.parap.org/

40.ヘッダをつけて英語版にリンクしました 返信  引用 
名前:Yutaka Okamoto    日付:2007/8/14(火) 16:10
最近、秋田県北部の男鹿半島から日本海を望む断崖の写真をヘッダーに使ってみました。今日の沿海州から朝鮮半島北部あたりから縄文晩期以来海路日本列島に渡来した人たちが漂着したルートの中央に位したのが男鹿半島であったのだと私は思っています。
また、8月14日付けで歴史問題を扱うこのフォーラムも日本語版と英語版がクリックで見られるようになりましたのでご覧ください。第一部から第三部に分けて日本海経由で息の長い渡来を続けた人たちの歴史に関する私見を英語で簡潔に説明したのですが、意外とアクセスが良いのは、第一部から第三部までほぼ平均して読み進んでくれているのはうれしい限りです。これは、下記の「英語版」をクリックすればアクセスいただけます。

岡本国際問題研究所

岡本豊

【英語版】
http://www.sbpark.com/

33.中国の歴史教育界の新しい風 (本文) 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/3/10(土) 12:17
歴史問題にご関心のある皆さん:

昨日京都の小堀さんから以下の貴重な資料とご意見をいただきましたので
原文のまま掲載させていただきます。
21世紀の最初の10年を生きる上で、私達日本人にとっては大変に重要な変化が中国で起こっているのが注目されます。

2007年3月10日
岡本 豊


Subject: 歴史問題随想
Date: Sat, 10 Mar 2007 01:50:49 +0900
From: 小堀寛

岡本 豊さま

上海市の新しい教科書編集についての朝日新聞記事は、3月8日朝刊国際

ページでした。これは7段抜きの大きな記事になっています。
添付の時事通信の記事によると、朝日記事の前に、New York Times が報

道し、中国内部でも、ネット上で賛否が取り上げられ、ホットな問題にな

っているようです。

胡錦濤主席は今回の全国人民代表大会に先立って、上海の共産党上層部の

腐敗を糾弾し、従来江沢民の支配下にあったとされる上海市党本部を構造

改革しはじめたようです。

胡錦濤氏は一方、中学、高校の歴史教科書の全面的改革にGoサインを与

えたと見られうので、一種の整風運動に発展しそうな動きがそこから感じ

られます。3月8日付朝日新聞に引用された日本に関する上海市編新教科

書の内容には、「戦後の日本の中国に対する援助開発計画が日中の協力関

係を促進した」という趣旨の記事が登場しています。
またその別の箇所で、「1937年の南京大虐殺で30万人の一般市民が

殺され、多くの婦女が強姦されたあと殺戮された」ということが、記事量

としては、圧縮されたものの従来の見方が取られています。

上海市が進めている新教科書編集の眼目は、そうした日本関係記事の見直

しに重点があるというより、世界の文明交流の歴史を大スケールで問題群

別にまとめ、中国の新世代に提示し、眼を開かせ、グローバルに活躍する

ことのできる人材を育成しようということらしいのです。

そこには21世紀の世界国家としての中国へ転換することを、国策の基本

線と構想している胡錦濤指導部のビジョンが背景にあると、私は見ていま

す。
毛沢東から江沢民まで、中国共産党の教条主義的国家体制擁護の姿勢を構

造改革し、米国やEUと互角ないしそれを超える、leading nation にシ

フトしようという野望が透けてみえてきます。

そこで、中国の最近の外交を大づかみにしながら、今後の日中関係の展開

を考えてみましょう。かなり単純化した潮目の読み方かもしれませんが、

あえて・・・。

1・中国は、米国 vs ソ連という超大国の轍を踏まない。
つまり、米・ソ超大国のデスマッチを生き抜いた米国が、その配当を享受

することだけでは満足せず、地球上からのテロ絶滅という看板を掲げて、

世界の紛争地域に過剰介入を強行する neo-conservative 路線を取った
ものの、むしろイスラム圏の反発を激発させ、中国、インドいわゆるBR

ICs諸国などの21世紀の新勢力の興隆を招いているという、歴史的な

展望に立ち、米国の陥った紛争地域では正面から覇を競うことは避けつつ

、傍観的「平和共存」をはかる。
つまり 超大国ゆえにはまりこんだ過剰介入(over-extension)の愚を繰

り返さないことを大方針とするであろう、ということ。
米国は建国わずか230年、冷静に歴史に学ぶ知恵がついていないのだろ

うか。(日本は十分歴史がありながら、歴史をわすれる傾向が、最近目だ

つが)

2・中国の隣接諸国との平和共存 &ナショナリズムの制御
中国が従来国境紛争を招いて、危機的緊張を繰り返してきた隣接諸国、イ

ンド、日本、ロシア、台湾(半独立國と見なし)、ベトナムなどと、極力

対立を避けているように思われる。中国は、その15億の国民が自国の巨

大化に伴い、自信から、極端なナショナリズムに傾斜しはじめたのに対し

て政府として極力ブレーキをかけ、国民のエネルギーをグローバルな貢献

に誘導しようとしている。

3・中国。大国としての軍事力:
中国は軍事力は漸次増強しつつある。だが、外国を圧倒するような、大量

破壊兵器、空母群を含む強大な海軍力、米国に対抗する大規模戦略空軍な

どを持とうとしてはいない。それを所有することは、地球的破局を誘発す

る危険があり、そうなれば、「持たざる大国」から「持てる超大国」に変

貌する中国を崩壊させる可能性が大である、と中国指導層が認識している

からだ。
まさにこれは毛沢東主義のアンチテーゼである。

4・中国は知的パワーの飛躍的拡大を模索する:
黄河・長江文明の発祥にはじまり、漢・唐帝国以来の大文明圏を形成して

きた国民的自負心が貫いてきた。これを21・22世紀ハイパー・ハイテ

ク時代の知的リーダーとしてのポジションへと転進をはかることにより、

平和的大競争における覇者たらんとする。

5.日本と中国の21世紀的関係
中国の世界史的方向転換を上のように仮定すれば、
そして日本との関係にしぼって21世紀を展望するならば、どういうこと

になるか。
日本のアジア・太平洋における経済的覇権が相対的に decline するととも

に、日本政府や国民の間に frustration ないし閉塞感が次第に強まり、

nationalism の圧力が高まる可能性がある。それは、日本の近・現代史に

おける過度の軍事国家へと傾斜させる力として働くだろう。
すでにその兆候現に存在する。
戦力の保持と、戦争による紛争解決の否定を明文に掲げた1948年制定

憲法の核心条項を排除することに成功したときから、軍事力の日本は急展

開するだろう。
更に、日本のnationalismの自然的帰結として、米国の核の傘、軍事力の傘

下からの開放、日本の独立した戦力樹立への要求へ向かうだろう。

6・日本と中国の関係に潜在するDNA
上記のような悲観的展開を予見しなければならないとしても、中国は、日

中間の本格的軍事対決になだれ込むことは極力予防しようとするだろう。

特に中国共産党・政府のリーダー層は、日本との決定的な軍事的な対立を

予防するための、外交力と経済力、そして日中の人的交流の拡大などあら

ゆる方法を政策的に追究することになろう。これはかつて周恩來氏が対日

関係を誘導していた時代からの政策的蓄積を現政権が継承して、日本国内

の世論のいわばキバを抜く文化交流の形で静かに大規模に日本社会に浸透

してくる可能性がある。「周恩來以来」ではなく、「隋、唐以来」のDN

Aの力を借りて。

7・20世紀の日本と日本人の自己分析
21世紀の転換をした場合、振り返って日本と日本人は中国の変身にどう

対応するか。それは、多分にというのではなく、いまや痛切に興味あるテ

ーマとして現れつつある。

日本人は、誇高い民族だ。
しかしまた危機にあたって緊張しやすく、激しやすい。
1930年代から40年代の国運をかけた大戦争を通じてそのような日本

人の気質は遺憾なく発揮された。青年たちは生命を賭け、賭けないものは

引きずり込まれて倒れた。そのプロセスで体制を批判をするものは国賊と

された。

体制への、上層部への批判を行動に転化させた者はゼロではなかった。
昭和のクーデターを遂行した陸海軍の若手将校たち、そして、マルクス主

義という一神教に殉じて、あるいは労働争議を強行し、人権無視の国家機

関と企業に反逆し、監獄にぶちこまれ。拷問された知識青年たちがいた。

体制への批判を放棄した滅私奉公。
これは、江戸期まであった、「武士道」とも後に名づけられた「武士の理

想」とは、似て非なるものであった。武士の理念は、武士階級のなかの地

位を問わず、個としての尊厳に裏打ちされ、主君の暴虐や無能に対してプ

ロテストを行う権利と義務を自覚していた。それができないものは「武士

の風上に置けぬ」者とされた。

人個人の自己分析は当然ある。可能だ。
国家体制に自己分析はありうるだろうか。ありうる。しかしそれは国家を

擬人化することによってか、国家を他己として分析するかだ。他己に自己

を重ねるという操作を要する。

そしてそれは、次に考えてみましょう。 
2007.3.10未明
Kobori H                         


END
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32.中国の歴史教育界の新しい風 添付資料 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/3/10(土) 12:12
Subject:上海 新歴史教科書
From: 小堀寛

中国で論議を呼ぶ新しい歴史教科書の内容



中国の新学期にあたる9月から上海の中学、高校で、新しい歴史教科書が使

用されるようになった。新教科書は従来の革命の歴史中心から大きく転換

し、IT革命の推進者となったマイクロソフト会長のビル・ゲイツや日本の

新幹線まで登場させる多様な内容となっている。中国の歴史教科書といえ

ば、昨年の反日デモにもつながる「愛国主義」高揚に大きな役割を果たし

てきた。その見直しは、国際協調と責任大国化を目指す胡錦濤政権の方向

にも沿った動きだが、まだまだ国内には異論があり、ネット論壇でも反対

論が多数を占めている。



論争に火を付けたN.Yタイムス

 中国の新版歴史教科書問題について、最初に火を付けたのはアメリカの

ニューヨークタイムズだった。新学期に入る9月1日付で、「毛沢東はどこ

に行った?中国で教科書を修正」という見出しで、大きく報じた。上海市

内の一部中、高校で採用された新版歴史教科書では、「戦争や王朝、共産

主義革命が落とされ、それに代わって経済やテクノロジー、社会的規範、

グローバリゼーションについての記述を優先している」と伝えている。「

新版教科書には、ビル・ゲイツやニューヨーク証券取引所、スペースシャ

トルそれに日本の新幹線が登場する」「毛沢東に関する記述はお義理程度

で1回しか登場しない」とも書かれていた。これを受け、中国でも「南方週

末」や「青年参考」などの有力紙が特集を組んで報道、11月になっても、

「人民日報」などのインターネット論壇で論議が繰り広げられている。



まだまだ根強い反対論

 ネット論壇ではやはりまだまだ反対論が根強い。「これは歴史を消し去

るようなものだ」「これでは、中高校生がわが国の屈辱的な歴史を知らな

くなってしまう」「歴史は愛国主義を養うことが重要であり、これでは百

科事典と同じだ」と喧々諤々。上海市の教育当局はあまりの問い合わせに

、当面取材を拒否すると宣言する騒ぎとなっている。

中国マスコミの代表的な論壇の一つ、人民日報の「強国論壇」は、北京に

本拠があるので、出遅れの感があるが、11月に入って、「今年の新版歴史

教科書では、革命、戦争、傑出した歴史的人物に関する描写が大幅に縮小

され、改めて社会の各界に広範な議論を巻き起こしている」との背景を紹

介し、議論を呼びかけた。当然、「民族の誇り、自尊心の重要な役割を忘

れてはならない」「階級性を放棄するな」「マルクス主義の優秀な伝統を

放棄して、いわゆる文明史観に置き換えようとしている」といった議論が

多数を占めている。だが、「歴史教育は社会の進歩のニーズと青少年の健

康的な成長を願うところから出発すべきだ。無意識のうちに、戦争や暴力

を宣揚してはならない。国家や人類の文明の進歩の歴史的な足跡を描くべ

きで、帝王や将軍、あるいはいくつかの政治勢力による争奪史が歴史では

ない」などといった反論も掲載されている。11月12日現在、新版教科書へ

の批判意見に対し290票、賛成意見77票、中立22票という経過になっている



 もっとも「南方週末」に掲載された新版歴史教科書の編集責任者の蘇智

良氏にインタビューした記事よると、ニューヨークタイムズの記事には「

歪曲や一面的な強調がある」という。たとえば、本当はビル・ゲイツ氏に

ついて1か所しか論及していないが、実は毛沢東については120か所あ

まりの記述がある。実際、中国革命を指導した功績はもちろん大躍進政策

や文化大革命における毛沢東の誤りについても、名前を挙げて、「比較的

客観的な評論をした」と語る。新版歴史教科書を読まず、ニューヨークタ

イムズの記事を基に、ネット論壇で激論が交わされた結果、「政変がひそ

かに上海の歴史教科書から始まった」「上海の教科書は “オレンジ革命”

のひそかな始まり」などといったとんでもないコメントが出ていると蘇氏

は迷惑顔を隠さない。

 

歴史見直しは一つの流れに

 しかし、今回の教科書が大きな改革の一歩であることは疑いない。別の

編集者は、雑誌「中国新聞週刊」のインタビューに対し、匿名で「国家教

育委員会の改革の一環であり、編纂作業は98年から始まった。あらたな

研究成果の反映であり100人を超える編集者の間でそれほどの意見の違

いは無かった。多元的な文明という理念がその例だ」と述べる。また別の

専門家は「70年代から80年代にかけてわが国の歴史研究には歴史を政

治史と同列に扱うという大きな弊害があった」と指摘する。その現われが

王朝史観や農民運動史観であったが、この点が明確に修正され、社会、文

化の変遷に重点が置かれている。

 中国では、今年はじめ「中国青年報」の週刊付録紙「氷点」誌上で、歴

史教科書の記述見直しを訴えた歴史学者の論文をめぐって、同紙の停刊騒

ぎ持ち上がり、日本のマスコミでも大きくクローズアップされた。新版教

科書の登場は、むしろ歴史の見直しの議論が中国で一つの流れとなりつつ

あることを示している。

 不可解なのは、今回の動きを日本のマスコミがあまり報道していない点

だ。東アジアとりわけ日本、中国、韓国の関係改善に向け、歴史認識の共

有を求める声が高まっている。安倍訪中、訪韓でもこの問題が取り上げて

いるわけだから、特派員たちは、もう少し、中国で出始めた歴史見直しの

動きにも注目してもらいたいものだ。

(時事通信社『世界週報』2006年12月5日号)
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27.ビリケン画像 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/1/22(月) 7:26
Original Size: 891 x 1074, 174KB

名前:岡本豊 日付:1月14日(日) 16時11分

皆さん

これがロシアの沿海州の奥地の寒村で手に入れたビリケンの木刻像です。

私がなぜ今「ビリケン像」を持ち出したのかについては「渡来人研究会」


http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/


の左端の掲示板に下記のようなメッセージをアップし、その添付写真としてお見せしたのです。

[引用]

お話についてのご提案

Saturday, January 13, 2007 20:50:06 岡本 豊 MAIL WEB

棘の紀氏さん

お返事いただきました。その中に:

「このテーマを、私たちで少し掘り下げてみませんか。」ですが 
管理人さんの判断に委ねたいと思います。今後とも岡本さんの見識を御教授ください、楽しみにしております。

というコメントを頂きましたが、私がなぜ北東アジアの宗教文化に日本人として関心があり、こだわる理由の一端をここにご紹介します。

下記にウイキペディアの「ビリケン」に関する記事を引用します。

*********************

ビリケン(Billiken)は、幸運の神の像。日本では大阪の二代目通天閣にあるものが有名である。

尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている。

元々は、1908年にアメリカの芸術家フローレンス・プリッツが制作した像で、彼女が夢の中で見た神がモデルになっているという。これをモデルにした像が、「幸福の神様」として世界中に流行した。日本においては、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。

日本には、1909年頃渡来し、1911年大阪の繊維会社「神田屋田村商店」(現・田村駒(株))が商標登録を行い、販売促進用品や商品キャラクターとして使用した。

*********************

私は、かって1970年代にアラスカに住んでいて極北のエスキモーの人たちと日常生活を共にしていた頃に彼等の間にいまだに生きている「ビリケン」信仰について知る機会がありました。
1980年代初頭に日本に帰ってから、南満州からロシアの沿海州、ハバロフスク州、マガダン州に北の日本文化のルーツを探ってきましたが、その過程で沿海州の北端のサマルガ河中流にある女真系のウデヘ族の集落で偶然手に入れたのがこのビリケンの木彫像なのです。私が彼らのことを「ジュルチェン=女真」でしょうと言ったのに反応して、そんなに我々のことを知っているのならこれを持って帰ってくれ、と手渡されたのがこのビリケン像です。

http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

上のウイキペディアの「ビリケン」に関する記事が如何に致命的に間違っているががこれだけでも明瞭ですが、このウイキペディアの記事内容が北東アジアの日本の研究者によって提供された情報であることこそを私は問題にしたいのです。


「最初に言葉ありき」という文化と、「最初に言葉無かりき」という文化の交流と和合が21世紀の世界のあるべき姿だと私は考えています。

岡本 豊

[引用おわり]

岡本


24.2007年には我々で歴史問題を解決しましょう (第三部/最終部) 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/1/5(金) 13:57
Size: 27KB

新年おめでとうございます。

最終部の第三部の校正もできましたのでアップロードします。

これは、私が自分の小さな勉強会で使っていたガイドブック的な小論に加筆したもので、全体が縮小版となっていますが、歴史問題についての私の考えを最初に明らかにしておきたいと考えたのであえて本サイトで公開することとしました。

ご一読頂ければ、なぜ今日問題視されている「歴史問題」が日本の古代史と関わりがあるのかという点についての私の考えをご理解頂けると思います。

では、皆さんの自由なご参加とオープンな討論をご期待します。


岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/


23.2007年には我々で歴史問題を解決しましょう (第二部) 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/1/5(金) 13:54
Size: 17KB

新年おめでとうございます。

第二部の校正をやりましたので再度アップロードしますので左上のアイコンをクリックしてご覧ください。

これは、私が自分の小さな勉強会で使っていたガイドブック的な小論に加筆したもので、全体が縮小版となっていますが、歴史問題についての私の考えを最初に明らかにしておきたいと考えたのであえて本サイトで公開することとしました。
ご一読頂ければ、なぜ今日問題視されている「歴史問題」が日本の古代史と関わりがあるのかという点についての私の考えをご理解頂けると思います。
では、皆さんの自由なご参加とオープンな討論をご期待します。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/


22.2007年には我々で歴史問題を解決しましょう 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2006/12/31(日) 12:37
Size: 14KB

渡来人研究会と、それ以外の個人でご関心のおありの皆さん

左上のアイコンをクリックなさると、下記の私の小論文がご覧になれます。今回は「はじめに」の部分だけですが、漸次本体もアップロードして、これからの皆さんとの交流を進めるための一助となれば幸いです。

年末もいよいよ押し詰まりました。

今年度はいろいろお世話になりましたこと御礼申し上げます。

私が今年中にぜひ始めたいと念願しておりましたプロジェクトの大切な一つが、いわゆる東アジアの「歴史問題」に関する本格的な掲示板の立ち上げでした。
その間、渡来人研究会さんともお付き合いが始まり、そのフォーラムにすでに歴史問題掲示板があったので、そこで先ずは書き込みという形で参加させて頂いたのですが、これをバックアップするために私自身の歴史に関する考えと、西欧や中国側の歴史学の伝統と、それに乗って創り出された日本の近代歴史学のあり方に対する私の考えをお示ししておく必要を痛感しておりました。
今回、私の主唱する岡本国際問題研究所のHPの「歴史問題掲示板」をこの目的に当てて、昭和4年生まれの私が一生をかけての体験から生まれた日本人としての歴史感覚と意見を文字にしてみる決心をしました。
ぜひ、先学の皆さんのご意見やご批判をいただきたいと考えますので、ご遠慮ないメッセージをアップロードなさってください。

2006年31日

岡本 豊
http://www.sbpark.com/


21.インターネットTV事始 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2006/12/15(金) 17:58
渡来人研究会がミカエルブロードキャスト放送局を新しく開設されたので、日本の歴史にこだわって生きてきた私の過去の人生と現在の活動について数回にわたってお話する機会が出てきました。

下記のURLがその第一回の放送ですのでぜひご覧ください。

http://www.michaelbroadcast.net/syakaichannel.htm

旧友の松本さんから以下のような感想が寄せられています。引用された三島由紀夫の言葉は、今日の日本の抱える問題を恐ろしい程の洞察力で予告されているのに今更ながら胸を打たれましたので、ご紹介させていただきました。

[引用]

 岡本 豊 さま
こんにちは“松本文雄”です。

 大変ご無沙汰しております。御報せいただいたURL
を開き、懐かしい、お元気な姿と、ご高説を伺いました。

 断片的にお伺いしていた、岡本兄のヒストリーとお考えが
まとまってわかりました。また”渡来人”とのかかわりの引き金
などを新しく知ることができました。
 次のアラスカの体験からの話も楽しみにしております。

 小生も風の伝道者として、自然エネンルギー公園のジオラマ
作りや、あちこちでの話を通して、今年も楽しく過ごしました。

 過日、忘年会があり、話題として
 三島由紀夫が30数年前、自決の前に残した言の
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
  「やがて、日本はなくなって、その代わりに、
  無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の
  富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に
  残るであろう。」
  (もはやそれを”日本”ニッポンと呼ぶのだろうか?)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 を基に、今日のアイデンティの見えない、日本(日本人)の現状を
肴にしましたが、もう一度、岡本さんのおっしゃる「日本人のルーツ」
から、総国民が学ばなければ、日本,nipponも世界の中から
存在の危ぶまれる、民族になるのでしょうか?

[引用おわり]
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

18.最近のトピックスはなんですか? 返信  引用 
名前:Kobori H.    日付:2006/11/29(水) 22:32

ここ3ヶ月ほどのあいだに、安部晋三政権が、中国にソフト路線に転じたその深層になにが動いているのでしょうか。
一方、国内政策として
1.防衛庁から防衛省への格上げと海外派兵の常態化
2. 教育基本法の改正 教育の国家統制強化
3.企業減税と消費税アップへ
4.日本版レーガノミックスと成長経済へ
5.日本国憲法第9条の改正
などが全体の脈絡不透明のまま、国民的議論ないままに、志向されてい
ますが、このような国内的無風状態は、日本という国になにをもたらすでしょうか。



19.Re: 最近のトピックスはなんですか?
名前:岡本豊    日付:2006/11/30(木) 16:45
ご指摘の諸点は、どれを取っても今日の国際情勢下の日本では深刻な問題ですよね。安倍政権の対中政策転換は、尾崎久彦さんのような親アングロサクソン諸国の、そして基本的には米国の外交路線への配慮だと思います。
しかし、安倍政権の「美しい国」のコンセプトには、「古き良き」民族意識と愛国心への回帰というトーンが明瞭に打ち出されていますから、明治日本の「脱亜入欧」に代わって平成の「脱亜入米」の政策路線が、前者の場合には帝国主義列強に伍してアジアの帝国主義国になろうとしたのに対応して、今度はネオコンとエバンジェリスト組織を背景にしたブッシュ政権のユニラテラルな「先制攻撃による民主化=21世紀型帝国主義」に対応する日本的な右翼政治形態を模索しているのではないでしょうか。
このような視点からすると、小堀さんが挙げられた1から5までの日本の国内政策の相互の脈絡が見えてくるのではないでしょうか。
http://www2.ezbbs.net/36/underbranch/


20.Re: 最近のトピックスはなんですか?
名前:岡本    日付:2006/12/3(日) 22:13
265.国民国家論 返信 引用

名前:管理人 日付:12月3日(日) 0時45分
メイン掲示板からの引用です。

キシさんこんばんは!
中国からエジプトの杖?の発見、おもしろいですね。モーセの杖の時代と重なりますね。モーセもエジプトで杖を手にいれているはずですから・・・。
中国開封でのユダヤ人、有名ですね。金の時代ですか。
先日読んだモンゴル帝国におけるネストリウス派が、モンゴルの王族、大臣などに浸透していたことと、その影響もあってか、十字軍とモンゴル軍が完全衝突するケースとは別に、欧州からエジプト方面へ共同軍ができていたことなども興味深い事実でしょう。
中国は実に多くの民族を含有してきたということですね。
少数民族をはじき出した国民国家論という幻想は、今でも中国に影響を及ぼしているのでしょうか。この理論はほんとにこの国に導入されるべき性質のものだったのでしょうか。よくわかりませんが今でも気になりますね。


--------------------------------------------------------------------------------

266.Re: 国民国家論
名前:岡本 豊 日付:12月3日(日) 21時34分
管理人さん

古代史掲示板でのキシさんの大活躍には驚いています。私は新参者なので、キシさんとは「私的アジア世界」というHPを2001年度にウエブサイトに集中的に発表された「子欲居」さんと同じ方なのですか?
 
彼の言う「黄河長江文明」と、その「周辺への波及」という東アジア史の枠組みの組み立て方は結構意味があると考えますので、これをたたき台として東アジア史、そしてその枠組みの中での中国史、韓国史、日本史といった、いわゆる国民国家史の位置づけについて新しい議論を展開してみたいと思うのですが、キシさんが子欲居」さんと同一人物なのはどうかお知らせ頂けますでしょうか?

「モンゴル帝国におけるネストリウス派が、モンゴルの王族、大臣などに浸透していたことと、その影響もあってか、十字軍とモンゴル軍が完全衝突するケースとは別に、欧州からエジプト方面へ共同軍ができていたことなども興味深い事実」です。余談ですが私はネパールで占領軍として派遣された元軍の残留者を祖先とする人たちが居ることを発見しました。彼らはその事を心の誇りとして今日も生き続けているようです。中国が多くの民族を含有した多民族、多文化文明であり、「少数民族をはじき出した国民国家」だとする幻想は、単に今でも中国に影響を及ぼしているだけではなく、日本の皇国史観にも共通するエスノ・セントリシズムへの偏向の結果ではないでしょうか。

この種のエスノ・セントリシズムの克服は、まさに21世紀の歴史問題解決への鍵だと私は確信しておりますので、ぜひ上記の国民国家史の位置づけについて新しいスレッドを開きたいのです。

岡本
http://www.sbpark.com


http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/


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