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家系研究協議会掲示板

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3243.家紋と苗字の不一致について 返信  引用 
名前:いっちー    日付:2020年8月18日(火) 0時29分
私の旧姓は八木ですが、調べるとモッコウ家紋の八木家は見つかるのですが、群馬県在住の八木の我が家の家紋は丸に酢漿です。どなたか情報をお持ちの方、お知恵を拝借させていただけませんか?

3242.猪俣党・猪股氏は大伽耶王・己能末多干岐の血筋か 返信  引用 
名前:たまWEB    日付:2020年8月1日(土) 14時13分
「専門家の説によって、己能末多干岐を分解してみると

干岐=王

末多=王を強める言葉、たとえば最大の、最初の

三国史記百済本紀p371訳注14に、「摩牟」、「遺」王暦には摩帝、余大とあり、余大は扶余氏と王名の牟大を略称したもの。

日本書紀雄略天皇23年(478)夏4月条に東城王を末多王としている。

牟大、摩帝、末多はともに「マタ」の表記で、「長・初・最」の意味 とある。

ある専門家の説によれば、己能(この)=已能(いのう)=異脳

己(こ)は已(い)の誤りとしている。

と言うことから、己能末多干岐は大伽耶国の「異脳大王」となる。

「韓半島から来た倭国」によれば、新増 東国與地勝覧 高霊県の条に、
その建置沿革に釈順応伝を引用し、その中で ・・・

」https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/0263ee8afd17eec439c9435e6187f2ab

3241.高祖父の原戸籍記載の空欄について 返信  引用 
名前:もじ    日付:2020年6月24日(水) 17時42分
Original Size: 432 x 576, 75KB

先祖を調べるために、原戸籍をとったのですが、高祖父の記載に空欄、というより後から消したスペースが有りました。

以前にも役所の消し忘れがあったので推理できるのですが、これはたぶん、「士族」か「平民」のどちらかの記載だったと思います。

消した跡から察するに、「士族」ではなかったかと考えますが、いかが思われますか。

それと、この高祖父の母親名も、明らかに何かが書かれていたのを消されているのですが、要するに母親は明らかにするのはまずい人なのでしょうか。その場合、どういうことが考えられるでしょうか。


3239.高知県にルーツを置く杉本家について 返信  引用 
名前:杉本    日付:2020年6月9日(火) 0時27分
夜分遅くに失礼します。自分の家の杉本家は、ありきたりの名字ですが、高知県安芸郡羽根村(現 室戸市羽根町)出身です。
天保10年に5世の祖が恐らく羽根村に生まれ、年月日は不詳ですが家督相続をして明治19年式戸籍に戸主として、杉本貞平(1839-1923)の名前がありました。
これより先は、6世の祖杉本平之丞(?ー?)の名前があります。
もし、知っている方いましたら教えてください!
曽祖父の妹の証言によると、幕末は足軽だったそうです。
家紋は鷹の羽です!

3235.紀州平井家について 返信  引用 
名前:平井    日付:2020年5月19日(火) 15時24分
8年前に一度質問したことがあります。その時はありがとうございました。私の先祖は三河出身で、平井藤左ヱ門六郎と名乗り紀州藩初代の徳川頼宣以来の家来と聞いています。家紋は左三つ巴、裏紋が丸に立ち葵です。
先日、たまたま寛政重修諸家譜の第7輯で吉宗に仕えた平井正基の系譜をみつけました。
先祖は平井助左衛門正俊とあり、家紋は丸に立ち葵、左三つ巴と書かれていました。先祖の名前が違うのですが、同一人物なのでしょうか。
もしお分かりなら、ご教示いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします



3237.Re: 紀州平井家について
名前:馬原@管理人    日付:2020年5月22日(金) 2時59分
平井様

たまたま家に和歌山県立文書館の収蔵史料目録十一「紀州家中系譜並に親類書書上げ」(上下二冊)がありまして、その中に平井氏が7家出ていました。それを見てみますと、平井藤左衛門家と平井助左衛門家は別の家のようです(先祖は共通かも知れませんが)。
詳しい系図などは、直接和歌山県立文書館で確認していただかなければなりませんが、目録より略系図を作ってみますと、
平井藤左衛門家は
 平井正倫――――正之―――正芳―――正陳―――和孝―――正央―――正持
  四郎右衛門 藤左衛門 藤左衛門 藤左衛門 藤左衛門 藤左衛門  楠之進

平井助左衛門家は
 平井正朝――――正勝―――正俊―――正長―――正典―――正澄―――某
  次郎太夫  助左衛門 助左衛門 助左衛門 助左衛門 次郎太夫  斧七郎

となるようです。
尚、平井藤左衛門家の史料の請求番号は
 11565 先祖書幷親類書   寛政18・2
 11595 系譜        天保 2・2
 11594 系譜        天保13・8

の3つとなります。私が分かるのはこれまでです。後はご自分でお調べください。


3238.Re: 紀州平井家について
名前:平井    日付:2020年5月22日(金) 15時23分
馬原様

ご返答ありがとうございました。正俊から正長につながっていて、正基につながっていないのは、吉宗公と一緒に江戸幕府に行ったためでしょうね。寛政重修諸家譜によると徳川宗尹(一橋家初代当主)の守役でしたが、問題行動を起こして格下げされたあと、亡くなり、新宿あたりのお寺に埋葬されたとありました。
いずれにしても同じ平井で家紋も同じなのでもっとさかのぼれば先祖は同じかもしれませんね。私は現在東京在住で、和歌山に帰ることもほとんどないのですが、機会があれば和歌山県立文書館に行ってみたいと思います。詳細にご説明いただき本当にありがとうございました。

3232.御無沙汰しております 返信  引用 
名前:小林雅成    日付:2020年5月2日(土) 23時34分
武漢の影響が大阪にもでているようですが、皆様恙なくお過ごしでしょうか?
https://plaza.rakuten.co.jp/familycrest/

3223.飯井氏についての再考 返信  引用 
名前:齋藤源之亟    日付:2019年10月12日(土) 14時14分
2年前でしょうかこの掲示板に母の旧姓の「飯井」氏について照会をした
ところ小次郎様からレスをいただきました。家紋(丸に橘・井桁紋)と
井戸(敷地に湧き水の井戸があること)で母に再度確認したところ井伊氏と関係があるようです
。母の母の(=私の祖母)が母とその妹に子供のころにかもんえもんさん
(=掃部守)が狩りに来てそこの村の人に飯井という苗字をくれたという言い伝えです。但し、井伊では憚りがあり飯井にしたとのことですが
それを表すイイマケという言葉は群馬の方言で血族・一族ということを意味しています。
安中藩の殿様の井伊氏が来たようですがこの意味するところがよくわかりません。
ただいろいろ不思議なことがあります。例えば母の兄はいわゆるイケメンで戦時中近衛兵でしたが
彦根の市長だった彦根藩の井伊氏の子孫の方と顔が似ていました。しかも亡くなった日が2月1日で井伊直政と同じ日で
しかも戒名に同じ字が二文字使用されています。何か情報がありましたらご教示いただきたく。

3211.尾張・藤原氏族について知りたいです。 返信  引用 
名前:白鳥    日付:2019年1月5日(土) 10時45分
見解を聞かせて下さい
千鹿野 茂氏の家紋辞典の中で三重県の佐野姓(苗字)の欄で「藤秀郷流」と「尾張・藤原氏族」と同じ藤原氏をあえて違う表現で分けて掲示しています。
これは藤原氏の中でも違う系統だと示しているのでしょうか?また違うとしたら、この「尾張・藤原氏族」はどの系統の藤原氏だと考えられるでしょうか?
よろしくお願いします。

3206.垪和氏と竹内流 返信  引用 
名前:西本    日付:2018年9月24日(月) 10時32分
垪和に住んでいます。垪和氏、竹内流についてお話ししましょう。

3204.先祖 返信  引用 
名前:戸田    日付:2018年9月11日(火) 14時21分
家は、明治時代から高知県に居ると聞きましたが、昔の事は分からず、先祖を二年間調べて来ました。家に先祖の名前を書いた物があり、名前と亡くなった日は分かりますが、姓を調べてもとても多く中々いまいちなところ、ついに熊本藩士に家の先祖の名前を見付けました。名前を孫太郎で没は明治9年。第二次世界対戦の前後、おじいさんが熊本県から嫁をもらいました。川口家で川口や竹原が親戚に居ますが、熊本県の藩士にも同じ姓を見付けました。
熊本県藩士の可能性はどうですか

3201.なぜか優秀 返信  引用 
名前:匿名TTT    日付:2018年6月27日(水) 19時16分
父方は、広島県の豪族で毛利元就に仕えていたようです。
母方が茨城の士族と群馬の士族だったようです。
母方は、医者・中学校の教員などなどで、
父方は、医者・大学教授・歯医者・会社経営者・三菱商事勤務者
などなど、なぜか優秀です。
 わたしも、会社経営者です。社員はいませんが。 
 なぜ、起業しようと思ったかというと、ご先祖のことを知ったり
自分の身に起こる不運が、いつの間にか幸運に転嫁したりすること
が多いからです。
 

3200.(untitled) 返信  引用 
名前:小次郎    日付:2018年6月23日(土) 12時35分
ご無沙汰しています。
「家系を調べたい方へ」という駄文をアップしておきましたので、ご一読下さい。
google で検索しますと7番目くらいに出てきます。

3199.加賀江沼志稿巻12の日谷村について 返信  引用 
名前:河端信男    日付:2018年6月21日(木) 15時4分
村里・城西村村16村。〇日谷 府城ヨリ一里八丁 53軒家数、185人内96人男高持、25人内17人男無高、18疋馬、鍬91。
この当時人名は知る事が出来ますか教えた下さい。日谷村吉郎右衛門江戸病死(1840年)高祖父名

3198.長留の地名について 返信  引用 
名前:山邉尚幸    日付:2018年6月7日(木) 17時31分
長留の地名を調べています。『日本姓氏語源辞典』に「ナガトメ 長留 
鹿児島県・山口県・愛知県。永留姓あり。鹿児島県伊佐市の
菱刈(旧:長留名)は室町時代に記録のある地名。」とありました。
伊佐市菱刈は旧長留名で、室町時代ら記録があることですが、いろいろ
探しましたが、具体的な記録がなんなのかわかりません。ご存知の方
がおられましたら、教えていただけないでしょうか。

3197.薩摩 寺尾氏 返信  引用 
名前:能川和幸    日付:2018年5月16日(水) 9時58分
Original Size: 1166 x 649, 82KB

亡母の家系を知りたく、お便りします。
母は鹿児島県出身でで、生前「武士の家系で平氏だった。」といっておりました。渋谷五宗の入来院の流れを汲んでいるのではと思いますが。
ちなみに母方の祖母は天文館初代館長の水阯ヌ実の孫です。


3196.垪和氏!竹内氏! 返信  引用 
名前:垪和竹内    日付:2018年5月8日(火) 12時16分
僕は垪和に住んでいる者です。垪和もしくは垪和氏、竹内氏の縁がある方とお話しがしたいです。



3205.Re: 垪和氏!竹内氏!
名前:西本    日付:2018年9月24日(月) 10時29分
垪和に住んでいます。色々な文書等もあります。一度お話ししましょう。

3194.家系研究への投稿について。 返信  引用 
名前:市川@武州荒木    日付:2018年5月4日(金) 17時50分
当会会員No.153の市川です。

去年から今年の前半は、故親父の七回忌などもあり、仕事も多忙でしたので、何も出来なかったのですが、漸く時間に余裕が出来て来たので、これまで調べたことを纏めて、当会の会誌である家系研究に発表させて頂こうと思っております。

基本的には、国会図書館所蔵の青木家譜系図ならびに八代家系譜並びに故中倉茂氏からご提供頂いた甲斐源氏系譜から、甲斐市川氏の市川行房の真系が源義清ー方原師光ー市川行光ー市川行房であることを論証し、覚義系市川氏の系図については、古代氏族研究会のホームページで、真野信治さんが公開された系図の原史料は、国会図書館所蔵の本朝武家諸姓分脈系図には、曽根氏関係の系譜には、覚義系市川氏の記述はなく、あとは静嘉堂文庫の百家系図稿全冊を精査する以外ないので、6月に、静嘉堂文庫にて調査させて頂こうと思っています。それで確認出来ない場合は、真野信治さんの書き込みでは、当会会長でもあられる宝賀寿男先生がご存知であるとのことなので、今年の東京例会に参加させて頂き、宝賀先生がご出席ならば、直接、お話をお聞きしたいと存じております。

つきまして次号への投稿の原稿締め切り日と、四百字詰めの原稿用紙で、何枚程に纏めればよろしいかご教示下さい。



3195.Re: 家系研究への投稿について。
名前:市川@武州荒木    日付:2018年5月4日(金) 18時6分
表門神社の宮司家の市川家文書についてですが、2014年にお伺いして、お聞きしましたところ、かつて膨大な量の古文書が存在したが、昭和時代、東京大学教授を名乗る人物が来て、貸して欲しいとのことで、信用して貸し出したところ、返却されず、現在に至っているとのこと。宮司家伝来の古文書は、山梨県の重要な歴史史料として、文化財級の価値があり、信濃市川氏文書に匹敵するものと思われ、所持者は1日も早く宮司家に返却され、山梨県などの専門機関により翻刻され、山梨県民ないし市民の共有遺産として、山梨県の歴史研究に活用されるよう祈っております。


3216.Re: 家系研究への投稿について。
名前:市川@武州荒木    日付:2019年9月2日(月) 9時17分
大変ご無沙汰しております。

これまで、三十年かけて調査して収集してきた資料を元に、当会会誌への市川一族の歴史について纏めた 投稿文を執筆中です。秋分の日が原稿の締め切りとのことで、今月10日に脱稿して、事務局にお送りする所存です。

3193.家系の事で教えていただけますか? 返信  引用 
名前:河端 信男    日付:2018年2月9日(金) 17時51分
先日お世話に成つた会員の216の河端です。よろしければお願いします。

3187.訪ね人 返信  引用 
名前:堀丈次郎の生い立ちと家族歴    日付:2017年11月1日(水) 13時54分
私は丈次郎の孫です。

3186.(untitled) 返信  引用 
名前:野村庄右衞門    日付:2017年10月13日(金) 22時16分
初めて書き込みさせていただきます

私の父は婿養子で来ているのですが、父方の男系を辿ると外波山(とばやま)という名字になります。かなり珍しい名字のようで、静岡県浜松市の寺脇町に集中しているようです。菩提寺(臨済宗妙心寺派寶圓寺)もその町にあります。何かヒントがないかと問い合わせると、外波山氏の大本家の六右衛門という人物がそのお寺を開基建立したとのことでした。しかし、わかったのはそこまでで外波山姓の由来や発祥はわかりませんでした。同じ読みで鳥羽山姓も同じ町にあるようで、多分同じ一族ではと思っています。また、浜松市には鳥羽山公園という場所がありかつて鳥羽山城(二俣城の関連)もあったようです。図書館等で調べてみるものの関連を見つけることができず、名字の由来発祥もわかりません。外波山家の家紋は組井桁です。井伊谷もそう遠くない場所なので井伊氏との関連もあるのか?と想像したりもします。

どんな小さな情報でも構いませんので、ご教示願えますでしょうか?

よろしくお願い致します。

3185.備中松山藩士菅沼家について 返信  引用 
名前:俊弘    日付:2017年9月29日(金) 23時23分
私は備中松山藩士菅沼家の末裔です。
備中松山藩の前は伊勢亀山藩にいたところまでは身内から聞かされているので分かるのですが、それ以前が知りたくて質問させて戴きます。
膳所藩士に繋がっているのかどうか知りたいです。家紋は丸に隅立ち四ツ目です。
菅沼家で検索すると菅沼俊弘という名の方が実在したので、とても興味があります。
もし分かればでいいのでお調べ下さいませ。

3168.歴史の間違い 返信  引用 
名前:三本一博    日付:2017年4月8日(土) 16時41分
歴史の間違いを本家である私が正さず誰が正してくれるというのだろうか?

3166.棟札の証拠を出してください 返信  引用 
名前:三本一博    日付:2017年3月22日(水) 20時25分
棟札に、檀那である名前が無く役職名だけが 書いてある、棟札があるならば
ぜひ見せてください。

3165.棟札の読み方 返信  引用 
名前:三本一博    日付:2017年3月19日(日) 22時8分
棟札の定義
沼田頼輔は、『棟札とは神社仏閣その他建築物を建築物を建立もしくは修繕したる時、その事柄を後世に記念せんがために、
その建立もしくは工事に与かりし人々の氏名及び建立の成りし年月日等を木札もしくは銅版に記して、これを棟及び梁に釘付
としたるものをいう。然れども右の如く木札若しくは銅板に記さずして、直接に棟梁に記せるものもあり』(『考古学雑誌』
第八巻第七号、現代文に改めた)と定義している。
『国史大辞典』(吉川弘文館)には、『上棟式のとき、建物名・願主・工匠名・上棟年月日など書いて、棟木に打ちつけた板。
新築に限らず、大修理・屋根替の時にも造られる。古くは棟木の下面に直接書いた棟木銘が多いが、鎌倉時代の中ごろ以後は
棟札がふえ、南北朝時代以後はほとんど棟札となる』(大田博太郎執筆)と書いて増す。
また、『棟札の研究』(水藤 真 著)を 読んでもらえれば解ると思いますが、沙汰人や檀那に当たる人の名前が無く役職名
だけの棟札など存在しません。まして、役職名に(御)を付けるなど おかしいです、なぜ 領家は、御領家と、しないのですか。
また、高知の歴史家は、願主を檀那 扱いにしています。このように、棟札のことを知らない人が あーだこーだと歴史のことを
いっています。
本家(ほんけ)と書きたいならば、〇〇〇本家△△△領家次第沙汰人というように名前を書いてから役職名を書くのです。
こんなことも知らない人が、(ろくに調べもせずに家系詐称した)鳥越俊太郎氏、ろくに調べもせずでたらめな知識で私を否定する
あなたと どこが違うのですか?


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