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しりとり575
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55865.扱いで長く持つもの すぐ腐り 返信  引用 
名前:こんぎつね    日付:2019/7/22(月) 21:24
夏は特に気を付けないと。。。
http://www.ne.jp/asahi/tearoom/kongitsune/konframe.html

55864.レポーター ぱしりのような 扱いで 返信  引用 
名前:晴れおとこ    日付:2019/7/22(月) 21:17
スタジオに居るMCがエラソーに・・・・

レポートの途中であれこれ口を挟むのか超〜ウザイ。
現場は現場で限られた時間で一生懸命伝えているのだから、
取り敢えず全てのレポートを聞いてから質問なり疑問を投げかけるべき。。。
宮根誠司、恵 俊彰等々。。。

55860.ひきつれて 芸能記者や レポーター 返信  引用 
名前:粋人亭の親父    日付:2019/7/22(月) 18:15
吉本興業の経営者の記者会見がありました。
http://suijin/sakura/ne/jp



55861.Re: ひきつれて 芸能記者や レポーター
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 18:18
内部事情が、。。


ユニオン、組合、、

海外では たれんとさんたちの、くみあいなどもしっかりしているとか

契約書とかもろもろも、と
聞いたことがありますが

他の職業に関しても
契約以外のことは、手を、、ださないというか、、
それははっきりしていますが

日本では 気配りとかそれが、、やさしいともいわれていますが
http://www.hanako916.shop/index.html


55862.Re: ひきつれて 芸能記者や レポーター
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 18:19
ところで、狸 狸、

へいせいぽんぽこたぬきがっせん、、このあにめもすきでしたが

その前に、、


阿波狸合戦(あわたぬきがっせん)は、江戸時代末期に阿波国(後の徳島県)で起きたというタヌキたちの大戦争の伝説。阿波の狸合戦(あわのたぬきがっせん)[1]、金長狸合戦(きんちょうたぬきがっせん)ともいう[2]。

四国に数あるタヌキの話の中でも特によく知られており[3][4][5]、徳島のタヌキの話の中でも最も名高いものともいわれる[6]。物語の成立時期は江戸末期と見られており[7]、文献としての記録は1910年(明治43年)に刊行された『四国奇談実説古狸合戦』が初出とされる[8]。明治時代から戦中にかけては講談で、昭和初期には映画化されて人気を博しており、平成期には徳島県のまちづくりの題材となって、徳島県民に親しまれている。


目次 [非表示]
1 伝説
2 異説
3 由来
4 関連する伝承
5 史跡 5.1 金長神社
5.2 そのほかの史跡

6 関連作品 6.1 講談
6.2 映画
6.3 その他

7 徳島県内のまちづくり 7.1 小松島市
7.2 徳島市津田地区

8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク

伝説[編集]

後述する金長神社の社伝や、徳島県出身の考古学者・笠井新也の著書『阿波の狸の話』から伝説を要約すると、以下のようになる。

天保年間(1830年から1844年まで)、小松島の日開野(後の小松島市日開野町)での話。大和屋(やまとや[9])という染物屋を営む茂右衛門(もえもん[9])という者が、人々に虐められそうなタヌキを助けた[10][11]。間もなく、大和屋の商売がどんどん繁盛し出した。やがて、店に務める万吉という者にタヌキが憑き、素性を語り始めた。それによればタヌキは「金長(きんちょう)」といい、206歳になる付近の頭株だという。万吉に憑いた金長は、店を訪れる人々の病気を治したり易を見たりと大活躍し、大評判となった[10]。

しばらく後、まだタヌキとしての位を持たない金長は、津田(後の名東郡斎津村津田浦、現・徳島市津田町)にいるタヌキの総大将「六右衛門(ろくえもん)」のもとに修行に出た。金長は修行で抜群の成績を収め、念願の正一位を得る寸前まで至った。六右衛門は金長を手放すことを惜しみ、娘の婿養子として手元に留めようとした。しかし金長は茂右衛門への義理に加え、残虐な性格の六右衛門を嫌ってこれを拒んだ。

これを不服とした六右衛門は、金長がいずれ自分の敵になると考え、家来とともに金長に夜襲を加えた。金長は、ともに日開野から来ていたタヌキ「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦した。しかし鷹は戦死し、どうにか金長のみが日開野へ逃れた。

金長は鷹の仇討ちのため同志を募り、六右衛門たちとの戦いが繰り広げられた。この戦いは金長軍が勝り、六右衛門は金長に食い殺された。しかし金長も戦いで傷を負い、まもなく命を落とした[10]。

茂右衛門は正一位を得る前に命を落とした金長を憐み、自ら京都の吉田神祇管領所へ出向き、正一位を授かって来たという[12]。

この戦いの頃、六右衛門へ攻め込む金長軍が鎮守の森に勢揃いすると、人々の間で噂されていた。人々が日暮れに森へ見物に押しかけたところ、夜ふけになると何かがひしめき合う音が響き、翌朝には無数のタヌキの足跡が残されており、合戦の風説も決して虚言ではないと話し合った[10]。

異説[編集]

この伝説を紹介している書籍には、媒体によっていくつかのバリエーションがある。これは本来の地元の口承が後述する講談の影響を受けて変化したのではないか、とも見られている[3]。
六右衛門の娘の名は「小安姫(こやすひめ)」。彼女は金長に恋焦がれており、金長を攻めようとした六右衛門側を批難し、ついには自刃することで父を咎めようとした。だが、小安姫の死によって却って六右衛門の憎悪が増長した。また、金長も、自分を愛してくれた小安の死を知り、打倒六右衛門の決意を固めた[13]。





勝浦川合戦の舞台である勝浦川を挟み、金長軍総勢600匹余り、六右衛門軍総勢600匹余りが対峙し、死闘は3日3晩に及んだ[13]。
淡路島の化け狸である芝右衛門狸も、合戦に参戦した[14]。
金長は合戦で致命傷を負ったものの、必死に日開野へ帰り、恩義ある茂右衛門に礼を述べ、力尽きた。その生き様に心を打たれた茂右衛門は、金長を大明神として祀った[15]。
瀕死の金長は、霊となって万吉に憑き、死後も霊として永遠に茂右衛門の家の神として報恩を誓った。これに心を打たれた茂右衛門は、金長を大明神として祀った[16][17][18]。
金長と六右衛門の戦死後、2代目の金長と六右衛門の息子との間で弔い合戦があったが、讃岐屋島(後の香川県高松市屋島)の化け狸である太三郎狸(屋島の禿狸)が仲裁に入り、合戦は終結を迎えた[14]。

由来[編集]

天保年間には、大和屋に助けられたタヌキが恩返しをしたという動物報恩譚があったため、これを由来とする説がある[19]。その後のある年、勝浦川の河川敷に多数のタヌキの死体があった事実が加わり[20]、それらを講談のように仕立て、金長と六右衛門の二大勢力の激突の話が誕生したという説もある[19]。

一方では、この合戦における争い、悲恋、葛藤などは人間社会でも珍しくなかったため、阿波狸合戦の実態は、人間社会での出来事をタヌキに置き換えたものとも考えられている[21]。

徳島の修験道の霊山では別派同士の争いがあったこと、伝説を綴った古書『古狸金長義勇珍説席』で投石の場面があり、投石は中世以来の戦闘手段であったことから、太竜寺山と剣山との間で生じた修験道の争いがタヌキの伝説に仕立て上げられたのではないか、という説もある[22]。この説においては、太龍寺の修験者が金長、剣山の修験者が六右衛門のモデルになったと考えられ、太竜寺山から北上しようとする勢力と剣山から南下しようとする勢力が衝突し、流派や拠点の異なる者同士の紛争に繋がった可能性が示唆されている[22]。

また、徳島県では藍染めが盛んであり、その工程で砂を用いる。そして津田浦で採れる砂は藍染めに最適であった。よって、勝浦川の両岸地域で砂を巡る争いが起き、これが狸合戦の題材になったという説がある[23]。さらに、津田地区と小松島の間の漁業権の争いがモデルになったとの説もある[23][24]。六右衛門の史跡のある津田寺(後述)の住職である浅川泰敬も、この漁業権の争いを由来とする説を支持している[25]。これらのように人間をモデルとする説が事実なら、どこか憎めないタヌキたちの姿は、実は愚かな人間たちの振る舞いの投影ということになる[23]。

なおタヌキの話の真偽はともかく、茂右衛門は実在の人物であり[5][26]、後述の映画『阿波狸合戦』も、講談本とともに茂右衛門の直系の子孫の家の口承をもとに制作されている[5]。また万吉にタヌキが憑いた事件は、狸合戦とは別に実際に起きた事実であり、後の講談師がこの万吉の事件と狸合戦を結び付け、「阿波狸合戦」を創作したとする説もある[22]。

関連する伝承[編集]

徳島県下の伝承によれば、阿波藩の時代、時の太鼓(時刻を知らせるための太鼓)が打ち鳴らされていたが、市内の富田大道では四つ時、寺町では六つ時だけ、太鼓が打たれなかった。これは、富田大道の金毘羅神社の末社に金長の2代目が「お四つさん」として祀られ、寺町の妙長寺に狸合戦に関係したメスのタヌキが「お六さん」として祀られており、それらと同じ名に相当する時刻に太鼓を打つと祟りがあるのだという[14]。別説では、寺町には六右衛門の2代目が祀られたためともいう[27]。
http://www.hanako916.shop/index.html


55863.Re: ひきつれて 芸能記者や レポーター
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 18:26
http//


阿波、とくしま、、
小松島の、狸、

たぬきがっせん


阿波と言えば、、平家一門が、などと
。。

徳島の、、。。
https://www.city.komatsushima.tokushima.jp/komatsushima-navi/spots/8102.html

55855.しきってる しょうもないこぶん ひきつれて 返信  引用 
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 16:38
警察署って、モニターカメラが、、稼働

そういうところに、、おかしなでなが あたしのすまほがめんに、、とか
面白い現象がございました
ふふ、、ふふ、、ふ、、、、
と、、

古物は 法務省の管轄で
安易な書類では、で

でも とおったあたし


まえのいえ 会社、、

とりひきさきいろいろのかんけいいで
調査も、
盗聴ほかも、おきまりでして
それだけのものでありました


では

かずこさんというのは 舅さんのおんじんで 若いころ
ちょうねんてんをなおしてくれた
かんごふさんだったとかです
http://www.hanako916.shop/index.html



55856.Re: しきってる しょうもないこぶん ひきつれて
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 17:24
金沢市からの、、書類って

住民票など、異動届も出ているのに、、
永江様、、山崎様、、って

前の住所から、、
〒の、転送で、、

なにがどうなてますねん
金沢市、、

おしごとのかんしとか
でっけええだけが、、ぎょうせいくぢゃああないんだよ、、

ぼ〜っと
あんらくのいすにすわってんじゃねえ

某BK やくいんさんたちはPKの車の整理とかあ
清掃を、、

お客様のおかおが、、
と、
数千万円でなじゃあかねでてえってか、、都市BK のあほのいうことで
そういうのは、つぶれていくよ、、
http://www.hanako916.shop/index.html


55857.Re: しきってる しょうもないこぶん ひきつれて
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 17:26
前の市長さんは

母校の、大先輩であられまして、、

ちゃじんであり ぶんかじんであり、、

。。もろもろ

ちゃじんということは
香 うつわ
花 書、所作、つきないもにがあるとかで
http://www.hanako916.shop/index.html


55858.Re: しきってる しょうもないこぶん ひきつれて
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 17:28
行政とぷが、、そうであると
下層部も、、これでいんふぁと、なる

企業も、
おなじであり、


悟りをえて、、

謙虚な謙虚な、
おぼうさまがたにたくさんおめにかかり


学者さんたちも
世界の学会を、、

話題豊富でなければ、、、
ばかあつかい、、
http://www.hanako916.shop/index.html


55859.Re: しきってる しょうもないこぶん ひきつれて
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 18:4
万葉集その六百四十二 (祭と市)

夏から秋にかけて全国各地は祭や市の季節到来です。
賀茂、祇園、ねぶた、立佞武多、飛騨高山、花笠、仙台七夕、郡上おどり、風の盆、
朝顔市、ほおずき市、風鈴市、草市等々、数え上げればきりがありません。

夏祭がこの時期に多いのは災害や疫病が多く発生し、それを祓おうとする
ところから起きたとされていますが、神輿や山車、祭り太鼓といった賑やかで
勇壮なものが多く、想像するだけでも浮き立つような気分になってまいります。

「祭る」は「祀る」「奉る」とも書かれるように神を崇め安置して
儀式を行うことをいいますが、中西進氏はその語源について非常に
ユニークな見解をされているので一部引用させて戴きます。

『  神は人間にとって怖く恐ろしい存在ですが、それゆえにその畏怖すべき
力を借りたい場合もあります。
   その時に出てきてもらわなければならない。
   一所懸命に笛を吹いたり、囃したりして、さぁ来てください、
   さぁ来てくださいといって、神を待つ。
   つまり「まつる」とはそういうふうに神を待つ「まつ」に「る」が付いた言葉で、
   「まつり」とは「まつる」の名詞形です。
      (中略)
   神様は、それぞれに支配のおよぶ範囲が決まっていて、その圏内を
   ほうぼう旅して回ります。
   祭礼の時、社を出た神輿が仮に鎮座する場所を御旅所(おたびしょ)といいますが、
   これは神様が立ち寄るところであると同時に、そのテリトリーを示すものでも
   あります。
   神様は「おまつり」されることで、そこへ降りて人々に恩恵を与えるのです。 』

           (  「 日本語のふしぎ 」 小学館所収 )

なるほど、なるほど、お祭りとは神様が来ていただけるように、踊りや
神楽で囃しながらお迎えする、天の岩戸の天照大神以来の伝統であったのだ。

古代の人達にとって神とは太陽や月、海山や川、風や雷など
命の糧や安全にかかわる自然神や各地の地霊神でした。
人々は身近なところにある山々や海川の近くに社を作って祀り、
旅する人は自国と他国の境界を異境と感じ、その地の社や道祖神に
幣を手向けて道中の安全を祈ったのです。
幣とは白い布や紙を榊などの神木の枝に付けたもので、今でも
その名残をとどめています。

 「 国々の 社の神に幣(ぬさ)奉(まつ)り 
                 あがこひすなむ 妹が愛(かな)しさ 」

       巻20−4391  結城郡 忍海部五百麻呂( おしぬみべのいほまろ)

( あちらこちらの社の神様に幣を祀って無事を
  祈ってくれているだろうあの子。
  おれに恋焦がれて、なんともいじらしいことよ。)

作者は結城国(茨城)出身の防人。
故郷を離れ集合地の難波に向かう途中で詠ったものです。

徒歩、野宿の長い長い旅。
山々を越えながら思い出すのは可愛い妻。
泣く泣く別れたあの日の朝。
「今ごろは、あちらこちらの社で旅の安全を祈ってくれているだろう。」と、
故郷の方角を振り返り、振り返りしながら歩いてゆく若者です。

万葉時代の祭は、新年の宴、若菜摘、曲水の宴、花見、端午の節句、
薬狩り、七夕、初穂の祭り(新嘗祭)、紅葉狩など宮廷行事に多く見られ、
次の歌は新嘗祭の寿ぎ歌です。

「 天地と 久しきまでに 万代(よろづよ)に
    仕へ奉らむ 黒酒(くろき)白酒(しろき)を 」 
                巻19−4275  文室智努真人( ふみやの ちのの まひと)

( 天地と共に遠い遠い先々まで、万代にわたってお仕えいたしましょう。
      このめでたい黒酒や白酒を奉げて。)


752年11月25日 孝謙女帝のもとで新穀を神に供える儀式、新嘗祭が
催されたのちの宴でのもの。
新米で作られた酒は、クサギという木の灰を加えたものが黒酒、
加えないものを白酒といい(延喜式)、新嘗の酒を捧げ、治世の長久を賀した一首です。

  「 雑踏の 中に草市 立つらしき 」  高濱虚子

 草市: 盆の時期に供え物の蓮の葉などの植物や食物、用具を売る市

市の歴史は古く西暦280年頃に立った軽の市(奈良県橿原市)が
我が国最古のものとされています。
当時の市は露天であったので、木陰を確保するために色々な樹木を植え、
海石榴市(つばいち:椿)、桑市(桑)、餌香市(えがいち:橘)、軽市(槻:けやき)
などと呼ばれました。

平城京の時代になると物資の交換の場として東西の官営市が設けられましたが、
掘割などの水運をともなう大規模なもので、東市は51店舗、西市は33店舗あり、
取扱い品は各地から運ばれた衣食住に関連するもののほか武器なども扱っていたとか。
朝廷が官営の市を運営したのは、全国各地から税として納められる物産や
現物支給の役人の給与を金銭や必要な物資に交換するためです。

一方、海石榴市、軽の市、阿倍の市(駿河)など市井のものは自由な雰囲気で、
時には歌垣なども行われており、男女の出会いの場となっていました。

「 紫は灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の 
    八十(やそ)の衢(ちまた)に  逢える子や誰(た)れ 」
                                巻12-3101 作者未詳
( 紫染めには椿の灰を加えるものです。
      海石榴市の分かれ道で出会ったお嬢さん! 
      あなたは何処のどなたですか?
      お名前を教えてくれませんか?)

            八十の衢:諸方へ四通八達に道が分かれる要衢の辻

  紫染めの触媒に椿の灰汁(あく)を使います。
 この歌では紫を女性、椿の灰を男性の意を含めて、“混わる”すなわち結婚の
 誘いかけをしています。
 当時は女性の親だけが知っている「本名」と「通り名」があり本名を男に告げることは
 求婚の承諾につながりました。
http://www.hanako916.shop/index.html

55846.存在を 気づかせぬまま 仕切ってる 返信  引用 
名前:kazu    日付:2019/7/22(月) 9:53
闇営業で揺れるあの芸能プロ…。(^_^;)



55852.Re: 存在を 気づかせぬまま 仕切ってる
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 13:7
これまで。。

平氏でなっけばと、、国家を独占し

悪党らを 東国、、
かんとちほうに、流し、、

それらが徒党を組んで

源氏の、なりたち


おごれるものは、ひさしからずや

いばりきうさってるものたちは
ながくはないよ、と


せいじも、、負けた党派が、どんどン悪事が暴露される、
http://www.hanako916.shop/index.html

55845.老夫婦 空気のような 存在に 返信  引用 
名前:ととろ    日付:2019/7/22(月) 9:26
ある意味そうかもです・・・
雅美@はなこ母さん
 おはようございます。いつもありがとうございます。

https://6226.teacup.com/totoro/bbs



55853.Re: 老夫婦 空気のような 存在に
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 13:11
羽咋警察、、

こちらのとうかつは
羽咋市、、。。



帰りに羽咋郡 志賀町、高浜、、

ここは 役所の統括

空き家バンクで、おせわになった
住宅整備課の担当の方に挨拶に
お礼、、ですね

住民票もうつしましてなどなど、

高浜は、、とかいだ、、とおもえました
しかし 富来がちかくなると
ほっとしてしまいました


ゆったりと、、
ここがいいです
http://www.hanako916.shop/index.html

55844.手をつなぎ 仲良く歩く 老夫婦 返信  引用 
名前:明民    日付:2019/7/22(月) 8:12
素敵だなあ。

雅美@はなこ母さん、おはようございます。



55854.Re: 手をつなぎ 仲良く歩く 老夫婦
名前:雅美    日付:2019/7/22(月) 13:12
そうなりますよ、、

やってみればいい、、
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55843.それなりに 爺と婆さん 手をつなぎ 返信  引用 
名前:照ちゃん    日付:2019/7/22(月) 6:51
お邪魔しました・・・とほほほほ
http://blog.goo.ne.jp/teruteru555g0



55850.Re: それなりに 爺と婆さん 手をつなぎ
名前:雅美@はなこ母    日付:2019/7/22(月) 10:49
お茶目な舅さま  納屋の大きな大きなきんこ  中味は  軍隊のげーとる ちょうか 長靴 嫁の好子さんが
縫ってくれたふんどし   金沢 野町では遊び人 たーさんで有名で  若い頃遊び人てくさせたきくゑぱあばで


55851.Re: それなりに 爺と婆さん 手をつなぎ
名前:雅美@はなこ母    日付:2019/7/22(月) 11:57
きよちゃんは会計事務所の所長さんのところに嫁にいき 加藤さんという金沢でもゆうめいなびょういんを  おおばばさまはお世話しました


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