いずれも、日興上人の門流であれば、当然至極の内容である。
しかし、つい先年まで(日精が生きていた間は)何の問題にもなっていなかったこれらのことで、突然責められた北山本門寺は、大いに怒り、大石寺を自讃毀他のかどで寺社奉行に告発するのである。北山日要が寺社奉行所に提出した訴状がある。その中に
「去る寛文八年申の三月十七日、御奉行所より仰せ出され候諸宗の寺法御尋ねの節、
大石寺より一部頓写千部読誦執行仕り候儀、又僧階に依りて色々の袈裟衣を着用致し
候儀又御免許に於いては色衣香衣を着用申し候儀証文差し上げ候処に、只今日俊等一
部読誦堕獄等の邪儀を申し立て候は、御公儀を軽しめ申すのみにあらず仏法の大儀を
廃し先師代々をも忽諸せしむるの条、言語道断の至りに存じ奉り候事」
(富要九・三一)
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