よく、「稽古は試合のごとく、試合は稽古のごとく」と言いますが、僕はこの意味がよくわかりません。正確に言うと、言わんとしていることはわかるような気がするのですが、納得ができません。 僕の好きな言葉、というか納得している言葉に、これもよく言われることですが、「無心」があります。 僕の思考回路では、この「稽古は試合のごとく、試合は稽古のごとく」と「無心」を同時に成り立たせることができなくて、困っています。 稽古とは、古(いにしへ)を稽(かむがへ)ることであり、先人の遣った理想的な形に近づくべく修練することですので、もちろんその中にはあーでもない、こーでもないといった思考、意識の存在があると思います。あるべきだと思っています。 しかし試合においては、数少ない試合経験で考えるのは無謀なのかもしれませんが、自分の技が決まるのは、身体が自然に反応したときが多いような気がします。逆に、抜きドウを狙おうとか、相面に乗ってやるなどと試合中に考えているときは相手に見透かされてうまく決まりません。これが、僕が無心という言葉が好きな理由の一つであり、試合中にいろいろ考えると、それが表に現れるので、試合には無心で望むべきだと思うのです。もちろん自分のねらいが相手に見透かされるのは僕が未熟であるためでしょうが、そのせいだけにしたら、自分の心を相手に悟られないこと、逆に相手の心を悟る事だけで、優劣の大勢が決まってしまいます。(書いていて今思いましたけど、もしかして優劣は、この自分の心を相手に悟られないこと、相手の心を悟る事に尽きます?) このようなわけで、日頃の稽古には心をもって取り組み、試合には無心で望むべき、つまり試合と稽古は別物と考えています。ですが、「稽古は試合のごとく、試合は稽古のごとく」はよく言われることであり、本当は大切なことなのだとも思います。そして自分でも稽古の時のような技が試合で出せたらなぁと思いもします。しかし、自分の中でこの二つの言われることを同時に成り立たせようとするのですが、いつもどこかで堂堂巡りになってしまい、うまくまとめることができません。納得いく考え方、というか、本来の教えを是非教えていただきたいと思います。まとまりの無い文章で理解しづらいでしょうが、僕も自分の考えをまとめきれない状態ですのでご容赦ください。 よろしくお願いします。
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