「岡富古川区画整理」に見る宮崎県・延岡市の問題
岡富古川区画整理に対して、市民の方々より、「反対は一人たけと聞いている」などのコメントを頂きましたので、意見を補足します。
この事業の問題は下記の通りである。 @無駄な事業 (人口減少、厳しい財政事情の中で、二つの区画整理に162の税金を使い、50ha・1240戸の広大な団地を造成する) A地震災害の拡大 (崩落や塑性変形をもたらす階段状の大規模盛土造成。流域故の豊富な地下水分を吸い寄せる盛土、雨水を吸収しやすい盛土。それらがもたらす深刻な液状化) B家屋の不同沈下 (軟弱地盤では長期間で家屋の重量側が沈む。加えて、盛土高凸凹による特有の不同沈下) C水害問題 (流域の宅地化・市街化は水害を悪化させる。また、嵩上げは、堤防「国道218号」より約1m低い基本高水の高さまでしかない)
この事業が問題事業であることは疑う余地がない。「問題がありすぎる延岡市の区画整理事業」と題する衆議院への意見書は、国政に反映されるべき問題事業として決算行政委員会理事会に報告されている。(平成18年2月28日 衆議院決算行政委員会 委員長 筒井信隆) 以下、この「岡富古川区画整理事業」から見えてくる延岡市の行政上の問題を指摘したい。
1.国の最高機関で問題事業として報告されたこの事業に対して、延岡市はどの程度の 問題認識を持っているのだろうか。
市の見解は「問題点を分かった上で工事計画している」とのことだが、住民説明もなく、問題意識の強さが伝わってこない。また、この9月議会での「盛土問題」に対する建設部長答弁を聞く限り、国に比べて極めて危機意識が低い。
さらに、市長は、今年の3月議会では「災害に強い街づくり事業である」と腑に落ちない答弁をしている。トップ以下の、この事業に対する問題意識の欠如こそ、最大の問題である。あるいは、問題意識がないのではなく、問題を承知でとぼけているのかもしれない。後者であれば、さらにたちが悪い。
区画整理事業は、個人の財産権と居住権を侵害する。行政にそれが許されるのは、事業に公益性がある場合であり、そのメリットとディメリットを根気強く誠意を持って納得を得るべきである。仮に、不都合を隠さざるを得ないならば、その事業には実施される資格はない。
2.次に、この「岡富古川区画整理」に関して、住民合意、反対住人は一人ということは、よく聞く話だが、本当なのか。
そもそも、区画整理は、@減歩 A換地に伴う引越し・借住まい、という苦痛を住民に強いる。高齢者世帯・病身者を抱える家族には辛い。そんな中、高齢世帯も多い350の対象世帯で一人だけ反対というのは、まったくありえないことである。私が見るところ7割以上が反対。なぜこのような世論が形成されるのか。
住民や市民に与えられる行政情報は、殆どが行政当局から発信されるものであり、広報誌、議会、記者クラブ・マスコミなど、その宣伝力は強大である。一方、住民個々の不満の声は、声なき声として終わる。老人たちや一般住民の反対不満の声が、いかに渦巻こうとも、マスコミや議会が取り上げなければ、100%行政のやり方に同意したとみなされる。 「反対者は一人」との意見は、偶々、投書などで一人だけ、面に出たからに過ぎない。事実としても真実ではない。
民の生の声が無視され、行政都合の世論が形成され、それが幅を利かすような社会が健全といえるのだろうか。市民の総力が結集され、市民が躍動する地域・都市たりうるだろうか。 「民の声と真実を神として」教えを乞う、そんな行政体に率いられた都市でなければ、道州制の中、熾烈さを増す都市間競争に勝ち残ることは出来ない。
無駄で有害な「岡富古川区画整理事業」の計画と実行。似たような状況は他には存在しないのだろうか。そうではあるまい。一斑は全豹を表す。市の裏金工作は一箇所だけでなく、庁内すべてに蔓延していた。問題事例を、反面教師・反面教材として、それを生み出した内部体制と、悪しき伝統や行政風土を抜本的に見直し、行政体質を正していくべきである。
「市民協働」を目指す延岡市に求められる意識改革の第一は、市長以下公務員は、市民に仕える公僕であるとの「公僕意識」を持つことである。 そして、その「公僕意識」の第一は、市民・住民へ正直であること、嘘をつかないことである。だが、現実には、議会答弁など聞いていても、詭弁的な表現や、事実でない発言もある。まずは、正直な発言、ここから改善をしていかなければならない。
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