この問題については、すでに多くの拙論で贅言を弄してきた問題である。筆者自身が初期の10年以上、日本古方派漢方にのめり込んでみて感じたことは、まるで禅宗の悟りを求めるような不屈の精神で、傷寒・金匱要略を繰り返し熟読し、方剤を理解するにあたってはまるで禅宗の公案を解く様な面持ちで、全身全霊で小柴胡湯の方意を体得せねばならないことに、感激したものである。
すなわち学としての漢方ではなく、術としての漢方の修業の道である。 おかげで四逆散の方意を得るのに10年間、日本漢方の流儀に従って学んだが、どうやっても理解困難で難儀し続けた。
ところが何のことはない、本場中国の中医学書を熟読すれば、いっぺんに難問が氷解したのである。基礎理論を蔑ろにした吉益東洞は問題外にしても、吉益南涯がその反省から打ち立てたてた気血水説くらいではあまりにも貧弱かつ脆弱に過ぎるのである。
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