漱石は朝鮮旅行の時、ソウルの南山から下りて次のように歌った。
高麗百済新羅の国を我行けば
我行く方に秋の白雲
肌寒くなりまさる夜の窓の外に
雨をあざむくぽぷらあの音
草繁き宮居の迹を一人行けば
礎を吹く高麗の秋風
しかし、この内容に穆(シズカ)さんは「要領を得ない歌だな」と述べたという。穆さんは、妻鏡子の妹時子の夫鈴木禎次の弟で、朝鮮総督府副総督をしていた人物。
漱石は、朝鮮総督府副総督(自分の妻の親戚に当たる穆さん)と過ごしていたわけだが、漱石の朝鮮を見る心境は複雑であっただろう。
イギリス社会の格差を鋭い視線で批判した漱石とはいえ、日本の朝鮮植民地化について日本の責任を公開的に問い詰めることができなかったところには、こうした背景からのものもあったと思う。
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