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漱石の広場

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361.『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ) 返信  引用 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/12(木) 13:1
 代助は人類の一人(いちにん)として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)と心得てゐた。



366.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/24(火) 15:5
今の世は政治家だけでなく、マスメディアも大学教師も軽蔑せずにはいられない不幸な世の中だ。


367.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/8(水) 10:18
『野分』で白井道也は次のように述べている。

 英国風を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。


368.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:伊豆利彦    日付:2012/2/8(水) 21:38
白井道也にとっての理想はいかなるものか。西洋に対する東洋か。魂から出る理想とはいかなるものか。魂は言葉ではない。言葉ではあらわすことのできない何かだ。「道草」には「異様の熱塊」という言葉があった。1910年の夏、秋水らが検挙されて間もない時期に、長与病院に入院中の漱石を石川啄木は二度訪ねている。啄木は二葉亭四迷全集の編集をしていて、二葉亭から強い感化を受けていた。幸徳らの謙虚に衝撃を受けて、「時代閉塞の現状」を書き、「いっさいの美しき理想は皆虚偽である!」と記している。漱石は啄木に共感し、美しい言葉で飾られた広瀬中佐の詩を否定し、潜航艇が沈没して、刻々に死に追い詰められている状況で書き綴った佐久間艇長の遺書にの乱れた文章を褒めたたえている。
http://www.asahi.com/politics/update/0207/TKY201202060686.html


369.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/9(木) 16:53
代助は「現代の社会を、二十世紀の堕落」と見たが、白井道也は現代の社会に住む青年たちの堕落の理由を理想の欠乏によるものと見た。たしかに欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)に襲われつつある彼らに理想を持つ余裕などがあるわけではない。

しかし、「理想」=「魂」である。青年たちに「理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。」と聞かせたのも道也である。

その「魂」とは何か。漱石は1906年の秋、鈴木三重吉宛ての書簡に「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神」という言葉を書いたことがある。漱石にとってデモクラシーとは何か。正義とは何か。人格とは何か。


371.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/11(土) 16:2
1906年8月11日の「都新聞」の記事には次のような内容が載っている。

 電車賃金値上反対の旗幟を標榜して其の絶交運動を市民に促す為め開催されたる日本社会党有志者の行列ハ昨日午前九時五十分神田区三崎町三町目一番地の同党本部を出でたり行列の一行ハ出来得るだけ質素に且つ静粛ならん事を期したるより総数を十人と限り堺枯川、森近連平、野沢重吉、菊江正義氏外四名と堺氏の妻君夏目(漱石)氏の妻君是に加り(傍線は論者)

堺利彦・片山潜らが日本社会党を結成してからまもない頃であった。その翌年には桂内閣により社会主義への弾圧が厳しくなり、日本社会党の結社禁止、そして1910年には天皇暗殺計画を企てたという容疑で幸徳秋水らが逮捕される事件に続くのだから、その激動の流れから見ても非常に敏感な時期であったといえる。

370.『現代文集』の発行に就いて 返信  引用 
名前:水島寒月    日付:2012/2/11(土) 3:27
二月十二日の夜十一時半頃、一月末迄『実業之世界』記者であった安成貞雄氏(くん)が、社の三階に寝泊りしている僕を訪ねて来た。『至急相談したい事があって、遅いとは思ったがやって来た』と云う。僕は寝床の中で本を読んでおったので直ぐ会った。『いよいよ馬場孤蝶先生を推し立てる事になった。今日、先生の宅で、生田長江、森田草平その他の諸君に集まって貰って相談を取り極めた。選挙運動の方法は、全然英国の方法に拠ることにした。この社から出る安部さんの「誰を選ぶべきか」に書いてある通りの方法を採ることにしたのだ』『しかし、先生にも吾々にも金がない。そこで、馬場先生と吾々の知っている人々から原稿を貰って、大きな文集を作って、その原稿料を運動費に充てる計画を立てた。今確実には言えないが、少なくとも四五十人には寄稿を承諾して貰えるだろうと思う。どうだろう、その本の出版を引受けて貰えないだろうか。』と云って原稿を依頼すべき人々の名簿を見せた。

今日の政治界が一大革新を要することは言う迄もない。僕は、多少の抱負を持っている。敢えて選挙場裏に打って出たいと考えているが、年齢(とし)が足らない。そこで、政治界に、何等(なんら)か貢献したいと考えたので、安部磯雄先生を訪ねて、『今度の総選挙に際して、国民に選挙の意義を理解せしめたい。御同感ならば、選挙に関する本を著して戴きたい。』と御願いした。安部先生は『私も平素から選挙界の弊風を慨(なげ)いておるから、それでは是非書こう。』と快諾して下すった。そして書いて下すったのは安成君が云った『誰を選ぶべきか』と云う本である。安成君は、その出版の相談にも与(あずか)り、その原稿をも読んでいるのである。僕は、馬場勝弥氏が『誰を選ぶべきか』に詳述された選挙の方法をそのまま採用すると聞いて、自分の理想の一部が実行されることを欣(よろこ)んだ。馬場氏には僕も会ったことがある。その人物見識は、安成君や和気君から聞いてよく知っている。

僕は、寄稿者を四五十人として、出版の胸算用を立てて見た。そして、少なくとも損はしないと考えた。安部先生の『誰を選ぶべきか』を出版する時、もともと多少の損失位は厭わない覚悟であったのであるから、その本に書いてある方法で運動する人の為(た)めに本を作ることは僕の望む所である。それで損をしなければ、出版業者としても引受けるのが至当である。そこで、僕は、安成君に『宜しい、引受けよう。』と言った。安成君は『それで安心した。』と云って、十一時五十分に帰って行った。

原稿が集まったのを見ると、文壇の名家八十氏の作品が揃っている。安成君や和気君に聞くと、今度の様な企てに対して文壇の殆ど全部が賛同したのは、空前であると云う。そして、馬場氏がその目的を達するに、日本空前の方法によることは、文壇が社会の趨勢に一歩を進めていると云う明証であると思う。僕は本書の出版を引受けることを以って、自分の理想の一部の実行と信じ、且つ、それを依嘱せられたことを光栄とするものである。

大正四年三月一日
実業之世界社に於いて
野依秀一
______________________________
まだ、著作権が切れていないのね。

363.漱石と魯迅 平和というものは、人間の世界には存在しない 返信  引用 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/14(土) 20:24
魯迅は革命の思想を説き、その観点から戦闘の精神を強調した。

「平和というものは、人間の世界には存在しない。強いて平和とよばれているものは、戦
争が終わった直後、あるいは未だ戦争が始まらないときを言うに過ぎない。外見は、平穏
のようだが、そこには常に暗流が潜んで居て、一度時節到来すると、直ちに動きはじめる
のである。」

「平和が破れることによって、人間は向上するのである。しかしながら、そのために、上
は天子から、下は駕篭かき人足に至るまで皆以前の生活を変えなければならない。だから、
彼らが協力して、この芽をおしつぶし、その旧来の生活を永く保持しようと考えるのも、
人情の常だといえよう。旧来の状態が永く保存されているのを、古い国というのである。」

 こうした魯迅の言葉を平和のために戦うという私達はどのように考えたらいいだろうか。

1987・7・5  芦溝橋事件五〇周年記念講演 草稿

http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/rojinto.htm



364.夏目漱石が「点頭録」デ紹介したジョルジュ・パラントの言葉 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/15(日) 19:20
フランスでは科学的に「力」というものが、正義権利の観念と衝突した。・・・・ルソー式、四海同胞式、平和式、平等式、人道式なる観念のために本来の「力」という考えがつい 曲げられて・・・・・・正義と人道と平和の為にこの「力」というものを軽蔑し且カツ否定しなければな らなくなった。・・・・・・奮闘も差別も自然の法則であることを忘れた。美其物も一種の「力」であ り又「力」の発現であることを忘れた。正義其物も本来の意味から云えば平衡を得た「力」に過ぎ ないということを忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却て転来的であるという事も忘れた。 斯んな僻見に比べるとニーチェの方が何ドの位尤もであったか分からない。・・・・・・・


365.漱石「点頭録」 現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならない
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/15(日) 19:37
彼等が其平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強いられるに至っては、彼等と雖も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないという平凡な理屈を彼等は又新しく天から教えられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極平和そうに見える。今迄彼等の享有した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びていたのである。しかも彼等は相撲取のよう にそれを自覚していなかったために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後当分の 間忘れる事の出来ないように遣付けられた。

358.『倫敦塔』  生れて来た以上は、生きねばならぬ。 返信  引用 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 10:1
又想像してみる。生れて来た以上は、生きねばならぬ。敢て死を怖るるとは云わず、只生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子以前の道で、又耶蘇孔子以後の道である。何の理窟もいらぬ、只生きたいから生きねばならぬのである。凡ての人は生きねばならぬ。この獄に繋がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼等は死ぬべき運命を眼前に控えておった。如何にせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼等の胸裏に起る疑問であった。一度びこの室に入るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人しかない。彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今にわたる大真理は彼等に誨えて生きよと云う、飽くまでも生きよと云う。彼等は已を得ず彼等の爪を磨いだ。尖がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。一をかける後も真理は古えの如く生きよと囁く、飽くまでも生きよと囁く。彼等は剥がれたる爪の癒ゆるを待って再び二とかいた。斧の刃に肉飛び骨摧ける明日を予期した彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦の疵は生を欲する着の魂魄である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に脊の毛穴から身の内に吹き込む様な感じがして覚えずぞっとした。
         



359.「硝子戸の中」 <どういう風に生きて行くか>を基本とする
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 10:14
不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死という境地に就いて常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。
「死は生よりも尊とい」
こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。
然し現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曽祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事が出来ないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。
だから私の他に与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内に於てしなければ済まない様に思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う。既に生の中に活動する自分を認め、又その生の中に呼吸する他人を認める以上は、互の根本義は如何に苦しくても如何に醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」
こうした言葉は、どんなに情なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、如何に根強く我々が生の一字に執着しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事が出来なかった。


360.『文学論』序 五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 13:41
 倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。

帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す。此光栄と権利を五千万分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧ろ力の継く限り、之を五千万分一に回復せん事を努むべし。是れ余が微少なる意志にあらず、余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。


362.日本人の目的
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/14(土) 17:42
ロンドン留学中のノートに漱石は「日本人の目的」は 「(1)文明ノ大勢ニ従ヒchanceヲminimumニスルコト (2)外国ニ抵抗シ、之ヲ圧伏 スルコト (3)宇内ヲ統一スルコト (4)然ル後世界全体ヲ改造スルコト」と記している。

355.処刑直前に赦免されたドストエフスキー 返信  引用 
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 2:9
 漱石は処刑寸前に赦免されたドストイェフスキーについて、1911年1月10日の朝日新聞に掲載された『 思い出すことなど』二十一に書いている。幸徳らの公判中で、1月19日に判決が出て、24日に処刑された。非公開で、証人調べもせず、まったくの暗黒裁判だった。死刑を言い渡され、処刑台上に引き出されたドストエフスキーについて書いた次の文章には、やがて死刑を宣告される幸徳らへの思いが込められていると思う。


 同じドストイェフスキーもまた死の門口まで引き摺られながら、辛うじて後戻りをする事のできた幸福な人である。けれども彼の命を危(あや)めにかかった災は、余の場合におけるがごとき悪辣な病気ではなかった。彼は人の手に作り上げられた法と云う器械の敵となって、どんと心臓を打ち貫かれようとしたのである。
 彼は彼の倶楽部で時事を談じた。やむなくんばただ一揆あるのみと叫んだ。そうして囚われた。八カ月の長い間薄暗い獄舎の日光に浴したのち、彼は蒼空の下に引き出されて、新たに刑壇の上に立った。彼は自己の宣告を受けるため、二十一度の霜に、襯衣(シャツ)一枚の裸姿となって、申渡の終るのを待った。そうして銃殺に処すの一句を突然として鼓膜に受けた。「本当に殺されるのか」とは、自分の耳を信用しかねた彼が、傍に立つ同囚に問うた言葉である。……白い手帛(ハンケチ)を合図に振った。兵士は覘(ねらい)を定めた銃口(つつぐち)を下に伏せた。ドストイェフスキーはかくして法律の捏ね丸めた熱い鉛の丸(たま)を呑まずにすんだのである。その代り四年の月日をサイベリヤの野に暮した。



357.「七刑人」
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 12:2
『それから』にアンドレーエフの「七刑人」を読み、仲間が次々に処刑されて、最後に残った刑人の感慨に衝撃を受ける代助が描かれている。

代助は今読み切ったばかりの薄い洋書を机の上に開けたまま、両肱(りょうひじ)を突いて范乎(ぼんやり)考えた。代助の頭は最後の幕で一杯になっている。――遠くの向うに寒そうな樹が立っている後に、二つの小さな角燈が音もなく揺めいて見えた。絞首台は其所にある。刑人(けいじん)は暗い所に立った。木履(くつ)を片足失くした、寒いと一人が云うと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処(どこ)にいると誰か聞いた。此所(ここ)にいると誰か答えた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿っぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云った。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持った、白い手――手套(てぶくろ)を穿(は)めない――を角燈が照らした。読上げんでも可かろうという声がした。その声は顫えていた。やがて角燈が消えた。……もう只(たった)一人になったとKが云った。そうして溜息(ためいき)を吐(つ)いた。Sも死んでしまった。Wも死んでしまった。Mも死んでしまった。只(たった)一人になってしまった。……
 海から日が上った。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。そうして引き出した。長くなった頸(くび)、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖(おそ)ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……

356.羅馬ハ亡ビタリ。希臘モ亡ビタリ 返信  引用 
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 10:49
英国の繁栄に驚く漱石は、それがアジア、アフリカの植民地の収奪によって成り立つものであることを知っていた。ロンドンに到着してすぐ、南アフリカでボーア人を残酷に殺戮した軍隊の凱旋に熱狂するロンドン人を見た。文明を誇る英国が、貧富の差が激しく、裏面に恐ろしい暗黒が秘められているのを見た。そして、英国ばかりでなくドイツもフランスも世界一の強国と自己を誇り、そこに恐ろしい帝国主義戦争の因子が秘められていることを知った。

「吾人ノ眠ル間、吾人ノ働ク間、吾人が行屎走尿の裡(うち)に地球ハ回転シツヽアルナリ。吾人 ノ知ラヌ間に回転シツ[ヽ]アルアリ。運命ノ車ハ之ト共ニ回転シツ[ヽ]アルナリ。知ラザル者ハ危シ。知ル者ハ運命ヲ形クルヲ得ン」

 留学中の漱石が日記に記した言葉である。そして漱石は「天下一」を誇りあう英独仏について、「彼等ハ過去ニ歴史アルコトヲ忘レツヽアルナリ。羅馬(ローマ)ハ亡ビタリ。希臘(ギリシャ)モ亡ビタリ。今ノ英国仏国独乙ハ亡ブルノ期ナキカ」と記している。大きな歴史の中で、世界を支配する強国の運命を思い、日本の前途を憂えたのである。

漱石がこれらを書いたのは一九〇一年、幸徳秋水が『二十世紀の怪物 帝国主義』を刊行した年の三月のことであった。


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