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漱石の広場

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291.漱石の著作について 返信  引用 
名前:飯島幹也    日付:6月13日(土) 1時14分
私は、一介の会社員ですが、土居健郎氏の有名な「甘えの研究」によって漱石文学を愛読するようになった者です。数々の精神分析的な示唆に富んだ著作は、私たちの心に訴えてやみませんが、私の子供をはじめとして、若い世代に読まれていないことを残念に思っています。
企業という利益追求の世界に身を置く者にとって、漱石の著作が生活に潤いを与えることを実感しています。
青年たちが、「坊ちゃん」「夢十夜」などから、豊かな精神世界に触れてくれればと願っています。漱石が亡くなった年齢になってみて、しみじみとその偉大さを思っています。

289.イギリス社会の格差を鋭い視線で批判する漱石 返信  引用 
名前:金 正 勲    日付:1月1日(木) 20時45分

漱石はロンドンでイギリス社会の格差に批評の目を注いだ。
労働者のクビキリが流行している現代、貧富の格差で生活の意欲を喪失する人が増えつつある今の時代に漱石の言葉は新たな意味として読まれる。

ただ己のみを考ふる数多の人間に万金を与え候とも、ただ財産の不平均より国歩の艱難を生ずる虞あるのみと存候。この不平均は、幾多有為の人材を年々餓死せしめ、もしくは無教育に終わらしめ、かえって平均なる金持ちをして愚なる主張を実行せしめる傾なくやと存候。幸いにして平凡なるものも今日の教育を受くれば一応の分別生じ、かつ耶蘇教の随性と仏国革命の殷鑑遠からざるより、これら庸凡金持どもも、利己一遍に流れず、他のため人のために尽力致候形跡それあり候は、今日失敗の社会の寿命を幾分か長くする事と存候。「岳父中根重一宛の書簡―1902年3月15日」



290.Re: イギリス社会の格差を鋭い視線で批判する漱石
名前:伊豆利彦     日付:3月24日(火) 17時5分
イギリスの経験が生涯を通じて漱石の思想の根底となった。

288.西郷信綱先生のこと 返信  引用 
名前:伊豆利彦 転載    日付:12月4日(木) 7時58分
   十一月二十三日の朝日新聞・追悼記事を読んで
      山本 直哉

 昨日の朝日新聞に先生の追悼記事(二十五ページの「惜別」という欄参照)が
写真入りで大きく出ていましたから、お読みになった方も多いことと存じます。
私がこれまでお会いした学者の中で最も尊敬する人物です。先生の講義はとても
素晴らしく、魅力的でしたから、文科の学生のみならず、商科の学生まで聴講に
来ました。世界のあらゆる文化遺産に精通され、国文学者ですのに、西洋文化の
話まで取り混ぜての、学生を飽きさせない講義でした。その中でとりわけ印象に
残り、私自身も同感したことのひとつは、「源氏物語」と「古事記」についての
言及でした。また、これは半ば冗談めかしたことですが、「映画は芸術ではない」
とする意見でした。「映画館から出てくる人間の馬鹿面を見れば分かる」という
ものでした。これには異論あるひともいるかも知れませんが、私は先生のおっし
ゃる通りだと思うようになりました。文学と比較しての話の中で出された言葉だ
ったわけですから、例えば小説が映画化された際の格差を前提にされているのだ
と理解できました。確かに映画を見る時間があったら、本を読んだ方がいいとい
うことです。学生には「一日三百ページ読みなさい」とおっしゃっておられまし
た。ただし、私はそれほどの読書家にはなれませんでしたが。
 先生が五十五歳で大学の教授をお辞めになり、在野の学者として、「古事記」
研究に没頭されたことは、よく知られております。その研究の合間に菜園で野菜
作りにも専念されていたとのエピソードは、朝日の記事で初めて知り、とてもほ
ほえましく思いました。野菜談義を交えて、文学論を交わしてみたいと思いまし
たが、それは今はかなわぬ願いになりました。
 私が体調を悪くして、療養のため帰郷していた時には、わざわざハガキを下さ
り、「今は小説などは読まずに、天文学の本を読んだらどうか」という主旨の言
葉が書かれていました。鬱屈していないで、広大無辺な宇宙を見詰めなさいとい
う意味が込められていました。暖かな心配りに感激したものです。
 「万葉集」の演習の折りに、私の柿本人麻呂の長歌に関する拙い発表を、先生
がかなり高く評価して下さったことも忘れられません。まことに惜しい文学者を
失ったと、心より思い、先生のご冥福を祈ります。

287.姜尚中  「悩む力〜姜尚中が読む夏目漱石〜」 返信  引用 
名前:伊豆利彦 転載    日付:11月9日(日) 9時55分
http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html
ETV特集 11月9日(日)午後10時00分〜11時30分

政治学者・姜尚中さんの人生のかたわらにはいつも「文豪・夏目漱石」の本があった。近代人の自我を描き、その先に明るさを決して見出していないにもかかわらず、「愛」にも「金」にも「本能」にも逃げず“悩み”を引き受ける覚悟を示した漱石。そうした漱石の文学に内在するメッセージは、在日コリアンとして常に「自己矛盾」と「自己嫌悪」を抱えて生きてきた姜さん自身の生き方に大きな影響を与えてきた。

以下全文
http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html

284.西郷信綱さんについて 返信  引用 
名前:馬場 徹    日付:11月4日(火) 17時55分
私は、日本民主主義文学会に所属して批評を学んでいる者です。西郷さんの死が身にこたえています。西郷さんとは全く面識がなく、ただ著書を通して大きな影響を受けている者です。『国学の批判』『詩の発生』から『古事記注釈』に至るまで愛読してきていますが、まだ民主文学会でこれといった成果を出せないでいます。しかし、西郷さん、丸山静さんの研究を継承した評論を書きたい、そういう人間も民主文学にはいます、ということをお伝えしたくて投稿してみました。



285.Re: 西郷信綱さんについて
名前:伊豆利彦 転載    日付:11月7日(金) 12時50分
西郷さんについては亡くなれた後になって、その業績をふりかえり改めてその意味を感じています。

丸山さんが強調された国民文学論の意味もこの頃になってよく分かる気がしています。

体調がわるくて中絶していますが、ホームページの「私と日文協の50年
」に私の記憶を記して置きました。参考になれば幸いです。

http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@12.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@13.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@14.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@15.htm
http://j.peopledaily.com.cn/94474/94734/6528507.html


286.Re: 西郷信綱さんについて
名前:伊豆利彦 転載    日付:11月7日(金) 14時30分
横浜市大で同僚だった田中正司さんの<西郷信綱さんを偲んで>という文章がちきゅう座というサイトに掲載されています。

田中さんは商学部の教授で社会思想史を担当しておられました。国文学者とちがった角度から西郷さんのお仕事に興味ある指摘をされています。

参考にしていただければ幸いです。
http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=166

283.西郷信綱先生(横浜市立大学名誉教授) 死去 返信  引用 
名前:bungaku    日付:9月28日(日) 11時7分
西郷信綱氏死去 国文学者
2008年9月26日 22時22分

 西郷 信綱氏(さいごう・のぶつな=国文学者)25日午後10時35分、急性心不全のため川崎市内の病院で死去、92歳。大分県出身。葬儀・告別式は30日午後0時半から川崎市多摩区南生田8の1の1、春秋苑で。喪主は妻みち子(みちこ)さん。

 東大卒。清水高等商船教授などを経て、横浜市大教授になったが、大学闘争への当局の姿勢を批判して71年、辞職。

 古事記や万葉集の研究で知られ、著書に「古事記注釈」(角川源義賞)「万葉私記」「日本古代文学史」など。95年文化功労者。

(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008092601001134.html

281.秋風秋雨、人を愁殺す 返信  引用 
名前:伊豆利彦 転載    日付:9月16日(火) 9時6分
彷徨える魑魅魍魎残日録
2004年10月31日 秋風秋雨、人を愁殺す

 秋の心を愁といい、古来、秋には憂愁がつきまとってきた。とりわけ秋の雨は心を重くし、今年の秋雨は、ひときわ憂いを誘う。

 この言葉はあまりに鋭すぎるだろうか。「秋風秋雨、人を愁殺す」。清に対して革命を企てたとして1907年、33歳で刑場に散った秋瑾の言葉である。彼女は調べに黙秘を貫き、渡された紙にただ先の言葉だけを記した。辛亥革命のさきがけといわれ、英雄視される彼女の辞世の言葉には、悲憤と哀愁が入りまじる。

 フランスの詩人のつぶやきも心にしみいる。「秋の日の ●オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。」(ヴェルレーヌ「落葉」上田敏訳)。詩人は、鐘の音に過去を思い出して涙し、落ち葉にさだめなき我が身をなぞらえて慨嘆した。

 木の葉が色づき始めた10月に鳴く「秋の蝉(せみ)」のことを倉嶋厚さんが書いていた。盛夏の生き残りではないだろうという。「長い地下生活を終えて、やっと地上に出てきたら、彼等の季節は過ぎていたのです」。彼等の「生まれながらに季節の挽歌(ばんか)を歌わなければならない運命」をいとおしみ、声援をおくる(『癒しの季節ノート』幻冬舎)。

 さわやかな秋日和がつづく年もあるのに、今年の10月は、台風、地震と大きな災害に見舞われた。冷たい秋の雨風は、それこそ心身を打ちのめしかねない。非情な追い打ちが気がかりだ。

 「秋風蕭々(しょうしょう)として人を愁殺す」で始まる作者不明の中国の古い詩「秋風」は、家を離れて暮らす人の深い憂愁を描く。被災地の人々の憂愁の深まりが思われる。(天声人語)

 (●は「ヰ」に濁点「゛」が付いた字)
http://d.hatena.ne.jp/chimimouryou/20041031

280.芥川龍之介 文芸的なあまりに文芸的な 十 厭世主義 返信  引用 
名前:伊豆利彦 転載    日付:9月9日(火) 19時34分
 僕も亦正宗氏のやうに如何なる社会組織のもとにあつても、我々人間の苦しみは救ひ難いものと信じてゐる。あの古代のパンの神に似たアナトオル・フランスのユウトピア(「白い石の上で」)さへ仏陀の夢みた寂光土ではない。生老《しやうらう》病死は哀別離苦と共に必ず僕等を苦しめるであらう。僕は確か去年の秋、ダスタエフスキイの子供か孫かの餓死した電報を読んだ時、特にかう思はずにはゐられなかつた。これは勿論コムミユニスト治下のロシアにあつた話である。しかしアナアキストの世界となつても、畢竟我々人間は我々人間であることにより、到底幸福に終始することは出来ない。

 けれども「金《かね》が仇《かたき》」とは封建時代以来の名言である。金の為に起る悲劇や喜劇は社会組織の変化と共に必ず多少は減ずるであらう。いや、僕等の精神的生活も幾分か変化を受ける筈である。若しかう云ふ点を力説すれば、我々人間の将来は或は明るいと言はれるであらう。しかし又金の為に起らずにゐる[#「起らずにゐる」に傍点]悲劇や喜劇もない訣ではない。のみならず金は必しも我々人間を飜弄する唯一の力ではないのである。

 正宗白鳥氏がプロレタリアの作家たちと立ち場を異にするのは当然である。僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに変るかも知れない。が、本質的にはどこまで行つても、畢竟ジヤアナリスト兼詩人である。文芸上の作品もいつかは滅びるのに違ひない。現に僕の耳学問によれば、フランス語のリエゾンさへ失はれつつある以上、ボオドレエルの詩の響もおのづから明日《みやうにち》異るであらう。(尤もそんなことはどうなつても我々日本人には差支へない。)しかし一行の詩の生命は僕等の生命よりも長いのである。僕は今日も亦明日のやうに「怠惰なる日の怠惰なる詩人」、――一人の夢想家であることを恥としない。

278.小林多喜二とプロレタリア文学  返信  引用 
名前:伊豆利彦     日付:8月29日(金) 18時18分
『民主文学』1973年3月号 拙稿
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/proletarert%20bungaku.htm

津田はどこまでも高い位置を得ようとし、生活も贅沢で、常に利害の計算を忘れることができない。お延に対しても、吉川の親友の岡本の姪という打算がともない、お延の歓心を得るために、父の金を無理に引き出したりするのである。津田はどこまでも上昇して行こうとするために無理を重ねており、藤井の叔母は贅沢すぎると言う。服装や食物ばかりでなく「心が派出ハデで贅沢に出来上ってる」から、「始終御馳走はないかないかって、きょろきょろ其所ソコいらを見廻してる人」のようだと言うのである。

津田は「じゃ贅沢どころかまるで乞食じゃありませんか」と言うが、「乞食」はこの作品で繰り返される重要なイメージである。吉川家からの帰途、橋の所にうずくまる乞食を見た津田について、作者は「乞食と彼との懸隔は今の彼の眼中には殆ど入ハイる余地がなかった。彼は窮した人のように感じた」と述べている。最後に近く山の中の温泉の浴場の場面でも、 「温泉烟ユケムリの中に乞食の如く蹲踞ウズクマる津田の裸体姿ハダカスガタ」と書いている。

小林は贅沢な津田と余裕のない自分を比較して、「何方ドッチ が窮屈で、何方が自由だか。何方が幸福で、何方が束縛を余計感じているか。何方が太平で何方が動揺しているか。僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐スワってないよ」と批判する。

『明暗』を論ずる者は誰でも津田やお延の虚栄と虚偽に満ちた俗物性を批判する。しかし、津田やお延の俗物性は彼らの「自然」であった。そして、それは自己を誇り、たえず上昇を志向する、漱石自身をも含む小市民階級の姿であった。また、それは無理に無理を重ねて近代化を進め、資本主義の発展に努めて、世界帝国主義諸国の一員となり、世界の一等国であると自認するに至った日本の姿でもあるだろう。資本主義近代の論理は津田やお延を貫き、そして明治以来の近代日本を貫いている。それは絶え間なき自己拡張と発展の道であり、「前の方ばかり眺めて」ひたすら上昇の道を歩きながら、自己の内部に恐るべき空洞と病気を発展させて、それに気がつかぬ。プロレタリアを踏みつけ、アジア諸民族を侵略しながら、それを「別世界」のこととして、顧みようとしないのである。

小林は日本国内で行きづまり、朝鮮に生きる道を求める落ちぶれたインテリである。自分は何一つあなたに悪いことをした覚えがなく、厭がらせをされる理由がないというお延に、「僕は世の中から無籍もの扱いされている人間ですよ」という。お延にはそれが津田や自分と何の関係もないことに思われた。しかし、小林は「あなた方から見たら大方ないでしょう。然し僕から見れば、あり過スギる位あるんです」と言う。小林にとってこの「世の中」が敵であり、この「世の中」で幸福な者はすべて敵であった。お延の意識を超えて世界は広がり、お延の主観的意図の如何に拘わらず、彼女を憎み、彼女を敵視するものが存在する。抑圧者は自分が抑圧者であるという事実を自覚しない。そこに搾取と被搾取の階級の問題があり、侵略と被侵略の民族問題がある。漱石は個人の意識を徹底して追究しながら、個人の主観を超えた世界として現実を描いた。ここに『明暗』が到達したリアリズムの高さがある。

もとより小林はプロレタリアではない。社会の変革を目指すものでもない。現代社会からはみ出し落ちぶれて、社会に怨恨を抱き、ゆすりや厭がらせをして復讐しようとするやくざな男に過ぎない。しかし、この現代社会から落ちこぼれ、下層社会との境界に立つ小林によって提示される「別世界」の現実によって、津田やお延の世界は揺り動かされ、資本主義近代の矛盾が露出される。漱石はこの作品の冒頭から、個人の意識を超えた現実、個人の主観的な願望や意図を打ち砕く事実というものを強調した。小林は津田に「よろしい、何方ドッチ が勝つかまあ見ていろ。小林に啓発されるより、事実その物に戒飭カイチョク される方が、遥ハルかに覿面テキメンで切実で可いだろう」と言うのである。

全文
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/proletarert%20bungaku.htm

279.小林多喜二「『世界意識』という神聖な病気」 返信  引用 
名前:伊豆利彦     日付:8月29日(金) 18時17分
多喜二は蔵原とは反対に、秋田の貧農の子として生まれ、夜逃げする一家とともに北海道に移住して、伯父の援助で小樽高商(現在の小樽商大)を卒業し、拓殖銀行に就職したのでした。多喜二は「赤貧洗うが如し」という貧農の子としての生い立ちと、銀行員としての生活から生まれる小市民的インテリゲンチュアの意識との矛盾に苦しみました。多喜二の初期の文学は、抜け道のないこの矛盾と苦悩を執拗に追求し続ける所に成立しました。大変な苦労の末、やっと手に入れた現在の小市民的な幸福を失いたくない。特に苦労に苦労を重ねた母のことを思うと、その思いはいっそう強められました。しかし、自分がその中で生い育った労働者農民、さらに安定した仕事もなくどん底の暮らしをしている多数の人々の悲惨な現実は、現在の小市民的な生活に安住することを許さない。多喜二はその苦悩を「『世界意識』という神聖な病気」と呼んでいます。

 このシナリオと同じころの『「下女」と「循環小数」』(『新樹』 大正十五年五月)という文章で、多喜二は「『世界意識』という神聖な病気」を問題にしている。カフェーでビフテキを食べようとする瞬間、寒空にふるえる人のことを思い、そのビフテキを捨ててしまう。笑おうとするとき、笑えない人の存在が彼の顔をゆがめる。こうしたことが何の役にもたたぬことは明かである。しかもそうせずにいられない「『世界意識』という神聖な病気」は、感傷にすぎぬとして、ひたすら嘲笑し去られるべきものであろうか。

277.文明の革命 返信  引用 
名前:金 正 勲    日付:8月12日(火) 7時18分
圭さんのいう「文明の革命」のような精神は、ロンドンの漱石にも通用するものであっただろう。漱石は「創作家の態度」でいう。


文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙、英吉利もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません。

271.欧州社会の格差をみつめる漱石 返信  引用 
名前:伊豆利彦     日付:6月26日(木) 19時1分
英国に留学した漱石がなによりも強く貧富の差に注目し、欧州近代社会は失敗だったといった意味が、いま、あらためて強く思われる。国内的な格差、国家間、民族間の格差、漱石は植えた下層の人々、東洋の人々の生活を見つめ、繁栄のロンドンを見つめていた。義父に宛てた所感の意味、ノートに記した学問の目的についての言葉が思われる。



272.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:8月9日(土) 10時54分

漱石は明治43年1月5日『東京朝日新聞』に次のように述べた。

一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。


273.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:8月10日(日) 21時28分
漱石はフランス革命、パリ・コミューンに言及をしているのでしょうか?
「阿蘇の噴火」だけでしょうか?

出先のネットカフェなので年代の記憶は曖昧で検索もしていませんが、キーワードとしては「クロポトキンのロンドン亡命」時期


              Kameda                

http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/

http://d.hatena.ne.jp/futei/

http://yamanohon.exblog.jp/m2008-08-01



 
http://yamanohon.exblog.jp/8394339


274.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:8月11日(月) 9時59分

シンチェホは次のように述べた。

歴史とは何か。人類社会の<我>と<非我>の闘争が時間に発展し、空間に拡大する心的活動状態の記録である。(略)

何を<我>と言い、何を<非我>と言うのだろう。深く掘り下げることまでもなく、いわば主観的位置に立っているものを<我>と言い、その他のものを<非我>と言う。要するに朝鮮人は朝鮮を<我>と見て、英・露・法(フランス)・米などを<非我>と見る。<略>
無産階級は無産階級を<我>と見て、地主や資本家を<非我>と見る。

漱石の「文学論」序、「創作家の態度」、「マードック先生の『日本』歴史」の言葉がしきりに思い出されるのはなぜか。


275.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:8月11日(月) 17時1分
 前の書き込みは、説明抜きの内容なので改めて…
「欧州社会」という概念が出されたとき私が真っ先に想起したのは
『二百十日』でした。

1906年発表の「二百十日」
テキスト引用は「青空文庫」よりコピー・貼付け (ルビ)

 ディッキンスの両都物語(りょうとものがた)りと云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国(ふっこく)の革命の起る前に、貴族が暴威を振(ふる)って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝(ね)ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟(りくつ)だからね。ほら、あの轟々(ごうごう)鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留(ど)まって、黒い煙の方を見る。
 濛々(もうもう)と天地を鎖(とざ)す秋雨(しゅうう)を突き抜いて、百里の底から沸き騰(のぼ)る濃いものが渦(うず)を捲(ま)き、渦を捲いて、幾百噸(トン)の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍(おど)り上がって来る。
 雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅(あつ)めて、余念もなく眺(なが)めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、
「雄大だろう、君」と云った。
「全く雄大だ」と碌さんも真面目(まじめ)で答えた。
「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。
「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云う。
「革命か」
「うん。文明の革命さ」
「文明の革命とは」
「血を流さないのさ」
「刀を使わなければ、何を使うのだい」
 圭さんは、何にも云わずに、平手(ひらて)で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返(へん)叩(たた)いた。
「頭か」
「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」
「相手は誰だい」
「金力や威力で、たよりのない同胞(どうぼう)を苦しめる奴らさ」
「うん」
「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」
「うん」
「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」
「うん」
「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩(たた)きつけなければならん」
「うん」
「君もやれ」
「うん、やる」

クロポトキンはフランス革命に関する著述がありヨーロッパの各言語に翻訳、ロンドン亡命中。

 有島武郎はロンドンにてクロポトキンと面談、1906年か?
http://yamanohon.exblog.jp/8394339/


276.資料としてシン・チェホの「朝鮮革命宣言」紹介
名前:Kameda    日付:8月11日(月) 17時24分
 下にスクロールをして

 五章(漢数字五)が眼目 
http://d.hatena.ne.jp/futei/20080101

「民衆文化を提唱する為奴隷的文化思想を破壊する所以なり。」

http://yamanohon.exblog.jp/8394339/


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