顔の出し方がとってもまばらなので、何を読んで何を読んでないのか、何に感想を言って何に言わなかったのかがもうさっぱりわかりません。なのでとりあえず『そーろんぐ・ぐっどばい』〜『いしに布団を着せましょう』までつらつらと行きますー。
>そーろんぐ・ぐっどばい 山鳥さんの書くおはなしというのは、特に草SSに於けるものの場合、時間の経過を強く感じます。どう言えばいいんでしょう、行ってしまう側と置いてかれる側の差異? その、絶望的と表現してもいい隔たりが際立っていて、息が苦しくなりそうなほどの物悲しさが伝わってくる。 よく人間と動物……まあ犬とか猫とか、ペットとして(あるいは家族として)扱われる存在の体感時間、つまりは生きていられる長さの違いというものが物語では描かれますが、それはきっとわかりやすい時の流れを示すからですよね。小さなクドと歩んできた妹は、同じ時間を生きてきたはずなのに、子供を産んで歳を取って、変わってしまっている。歩みの違いは「いつまでも一緒にいられない」という現実を思い知らせるようで、ああ、辛いなあ。本当に、辛い。残すのも、置いてかれるのも、どうしようもないからこそ嫌なものだと思うのです。
>君がいた夏は 最後まで読まなければ、普通に理樹君と鈴がお祭りの縁日でデートしてるんだな、としか思わないでしょうけど、ラストですこーんと頭を横から打たれました。こうなるとそこまでのほのぼのした展開が全てラストの寂しさを強調するために用意されたみたいで、大谷さんが感想会で言っていたように、細かい部分までしっかり組まれてるんだなあ、と。 理樹君が手を握ってるのは、生きてる鈴。失われたものを想う中で、その確かな繋がりはとても得難いのかもしれないなとか、そんなことも考えました。おはなしはやっぱり、悲しいだけじゃ辛いです。
>「また」リコール隠し 基本的に私は読解力がないので、感想会で言われるまでタイトルの意味もさっぱりわからなかったわけですが、結局物語というのはやたらめったら広い世界の中からたった一握りの部分を切り取るようなもので、私達はそのちっぽけな一握りの箱庭をこれでもかと誇張して書くけれど、登場人物がどんなに必死で頑張っても、大きな視点で見れば何ら「特別なこと」には為り得ない。 理樹君の半ば思い詰めに近い生き方だって、ヒロイックな思考だって、巨大な世界の中では埋もれてしまうのでしょう。そんなのはどこにでもありふれてると、冷たく突き放されたような気がしました。その厳しさこそがこのおはなしの魅力なんでしょうね。読むのは苦しいけれど面白い、そういう感覚は、普段前向きなタイプのものばかり目にしたり書いたりしている私からすれば、割と新鮮だったりもします。 しかしそれはそうと長方形に梨を切れるある意味器用な鈴可愛いよ。
>いしに布団を着せましょう 何というか、今回挙げた四本の中で一番不思議な読了感のおはなしだったかもしれません。一行目のインパクトがすごいですが、序盤の程良く気が抜けた朝の風景でまずにやつき、おじさんとの会話でああなるほどこういうことなのかと話の流れに気付いて納得し、野菜まみれな鈴を想像してちょっぴり萌え、二人で鍋をつっつくという何とも奇妙な光景にほのぼのとした気持ちを抱き、墓参りに行く二人を見て、何だかんだでこの二人はちゃんと幸せになれるんだろうな、と確信しました。 思えば山鳥さんはよく「失われたもの」や「欠けたもの」……特に「いなくなったひと」をテーマに据えている気がしますけど、何だろう、あまりそういう死者の意思みたいなものを語ることはしなくて、ちゃんと生きてる人の懊悩や葛藤を書いてるなあ、と感じるのです。その姿勢が、個人的にはとても好きというか嬉しいというか素敵というか。
気付いたら随分長くなってました。 感想を溜め込むとこういうことになる、という証明にもなりますね。
どうにも山鳥さんの作風は万人受けしそうにないのが大変勿体無い感じなのですけど、いずれ草でさらっとMVPを取ってしまいそうな気もするので、まったり頑張ってくださいー。私も草葉の陰から見守ってます。こっそり。
|
|