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GONchan's 掲示板 @

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7703.5/25(土)は、鞆の浦弁天島花火大会の開催でした(^.-)☆(4) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/24(月) 10:27











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7702.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(12) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/24(月) 9:33
 ローズパレードはまだまだ続きますけど、今回は、パレード見物とはこの辺でお別れです。今までは、ズッとパレード終了まで観ておりましたけど、パレード進行中のパラ公園・緑町公園を散策となりました(^.-)☆
 ばら公園内は、さすがに人影は少ないもので、ユッタリとした気持ちでバラの鑑賞を(^_^)v
 パレードを横目に…と言いますよりパレードの行進に合わせて緑町公園にと向かいますと、う〜ん、ここは何かと賑やかでありました\(^o^)/

 まず眼に入りましたのが、木登りを楽しんでいますチビッコ達(^.-)☆
 これは楽しいでしょうねぇ〜
 本人は夢中で楽しんでいますけど、傍らで心配そうに見上げます保護者の皆様(^-^)こぅした遊びは、都心部では仲々出来ませんから、さぞ楽しいものと思います。

 公園内の小川沿いでも賑やかに子供達が…
 野外ステージに向かってみますと、パレードを終えたばかりのミスの皆様が、各地の観光アピールを(^_^)v
 今まで、この時間帯にはズッとパレードに眼を向けておりましたけど、タマにはパレード以外にも眼を向けてみますのもイィもののようですネ(^-^)//"












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7701.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(31) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/24(月) 8:30










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7700.5/25(土)は、鞆の浦弁天島花火大会の開催でした(^.-)☆(3) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/23(日) 22:45










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7699.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(11) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/23(日) 9:15










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7698.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(30) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/23(日) 8:36










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7697.5/25(土)は、鞆の浦弁天島花火大会の開催でした(^.-)☆(2) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/22(土) 11:2










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7696.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(10) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/22(土) 10:6











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7695.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(29) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/22(土) 9:17
 次は、「1号貯蔵庫」へと向かいます。

 ◆1号貯蔵庫

 「空調設備は?」「ありません」
 「蒸溜棟」で蒸留されたお酒は樽に詰められ、熟成し、ウイスキーへと変化していくのです。その樽に詰まったお酒を貯蔵しているのが「貯蔵庫」。見学用の一号貯蔵庫は創業時に作られたもので、増築を重ね、現在は26棟の貯蔵庫が稼働しています。
 樽に入っているお酒は呼吸をします。夏になると中の空気が膨張し、樽の外へと出ていきます。冬になると中の空気が収縮し、外気が樽の中へと入っていきます。この「呼吸」によって、味わいの邪魔になる成分などが出ていき、まろやかな味わいになるのです。

 A:ところで、空調設備が見当たらないのですが、見学スペースだからですか…?
 B:いえ、どの棟でも貯蔵は自然任せです。余市の気候は冬がとても寒く、湿度が高いため、貯蔵に適しているんです。この貯蔵庫も見学者から見える手前のほうは展示用の樽で中身が入っていませんが、ついたての向こう側には実際にウイスキーが入っている樽がありますよ。
 A:むしろ見学用の貯蔵庫に実際の樽があるのがすごい。

 ・むむMEMO
 樽の中で貯蔵されているお酒は、揮発して少しずつ減っていきます。知らぬ間に天使が飲んでしまったのかもしれないということで、その減った分を「天使の分け前」とも言ったりします。湿度が低く乾燥していると揮発する量が増えて、どんどんお酒がなくなってしまうので、湿度が高いことは重要な要素になるのです。

 --- http://yorimichi.airdo.jp/mumu_nikka --- より引用

 …と、こんな「1号貯蔵庫」のようです(^.-)☆
 続いて向かいましたのが「ウイスキー博物館」でありました。

 ◆ウイスキー博物館

 2棟の貯蔵庫が博物館に姿を変えた琥珀色の空気が漂う空間で生命の水の浪漫に出会う。

 1998年4月18日、余市蒸溜所に『ウイスキー博物館』が誕生した。建物はウイスキーが眠っていた貯蔵庫を改装したもので蒸溜酒、ウイスキーの歴史、製法、種類などを展示した「ウイスキー館」とニッカウヰスキーの生い立ちから現在までの歴史を映像やパネル、展示物で紹介した「ニッカ館」の2棟からなっている。
 特に「ニッカ館」には創業者である竹鶴政孝と、彼のウイスキーづくりの夢を共に分かち合ったリタ夫人の写真や遺品が展示されており、ウイスキー愛好者ならずとも興味惹かれる展示がなされている。
 ウイスキーとは何か?その応えが凝縮されている「ウイスキー館」。「ウイスキー館」の扉を開けると銅製のポットスチルと整然と積み上げられた樽が目に飛び込んでくる。
 “琥珀色の始まり”に置かれたアランビックやパネルに記された蒸溜の始まりから、蒸溜酒の誕生、世界の蒸溜所が語りかけてくるのはウイスキーの創世記。
 ウイスキーとは何か? その答えがここに凝縮されている。
 “ウイスキーづくりの道具”ではウイスキーの熟成に欠かせない樽の製造法の紹介から、使用される樽材、樽づくりの道具を展示。ウイスキーストリートを抜けると、そこは“ウイスキー倶楽部”。
 シングルカスクウイスキーやニッカの商品、世界のウイスキーが有料で試飲出来るほか、余市モルトの無料試飲が行われている。

 ◆リタと政孝のロマン溢れる「ニッカ館」

 「ニッカ館」のプロローグは“ニッカシアター・浪漫”。
 竹鶴政孝とリタ夫人の物語が、映像で綴られており、ラストの2人が仲睦まじく微笑みあうシーンは文字通り浪漫に溢れている。“竹鶴政孝の肖像”は竹鶴政孝が残した数々の資料とパネルの展示で、彼の生涯を紹介。広島の造り酒屋に生まれた政孝が、やがて洋酒づくりに興味を持ち、単身渡英。
 彼が記したノートにはウイスキーづくりのノウハウから蒸溜器の図解が丁寧に記録されており、彼のウイスキーづくりへの情熱が伝わってくるようだ。
 政孝とリタ夫人の運命を決めた場といわれる、カウン家(リタ夫人の生家)のクリスマスシーンをアンティーク家具などを使って再現したのが“クリスマスのプディング占い”。
 プディングの中に入っているのは6ペンス銀貨と指貫。未婚の男女に銀貨と指貫が入っていると「2人は将来結ばれる」。
 政孝のプディングには銀貨が、リタのほうには指貫が。言い伝えのとおり2人は結ばれ、琥珀色の夢を紡いでいくのだった。

 “リタ&政孝の軌跡”は2人の遺品の実物展示とパネルで、「大日本果汁株式会社」時代から「ニッカウヰスキー株式会社」に社名変更するまでの時代を中心に、理想のウイスキーづくりへの道のりを紹介。日本のウイスキーの軌跡を辿ることが出来る。ウイスキー、そしてニッカウヰスキーの歴史に触れることができる『ウイスキー博物館』。熟成を重ねたウイスキー同様、味わい深い空間と言ってもいいのではないだろうか。











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7694.この絵を見ます度に元気が湧いてしまいます(^.-)☆ 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 23:8
 今月の上旬でしたか…孫達がヤッて来ました際に「貼るとこ無いから貼っといて…」と、孫が置いて帰りましたこの大作…
 なんでもタイトルは『等身大の自分』とか(^.-)☆
 それを聴いておりましたGONsanなんですけど、にも関わらず「で、誰を描いたの?」と質問したばっかりに、暫く口をきいて貰えなかったGONsanなのであります(^-^;

 こんなにデカいのですから、我が家にも貼るとこなんぞありません(^-^;
 で、仕方なく壁面に貼り付けます事に(^_^)v
 そぅか…自分自身を描いたのか…片隅に大好きな「ジバニャン」をさりげなく入れていますところが孫らしい…と、思わず微笑んでしまいます(^-^)

 以降は、朝晩必ずこの絵に眼を向けておりますけど、その都度、微笑んでしまいます。
 GONsanも、もぅすっかりジジィですから、時として元気が無い時も有るのですけど、そんな時、この絵を眼にしますと、何故か途端に元気回復\(^o^)/
 不思議ですネ(^-^)
 それにしましても、大きな模造紙いっぱいに、無駄なくバランス良く描いていますから感心してしまいます。

 左足・右手は黄緑で、左手・右足は黄色…そしてジバニャン。おまけに、左足の履き物は捻りが(^-^)
 いかにも孫らしい…と、何度眼にしましても微笑みが(^-^)
 このまま、孫が成人しますまで、例えボロボロになりましてもズッと此処に貼っておきたいと思います。
 いつの日か、「恥ずかしいから、もぅイィ」と言うか言わないのか分かりませんけど、例え言われましてもズッと貼っておきたいですねぇ(^-^)//"




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7693.5/25(土)は、鞆の浦弁天島花火大会の開催でした(^.-)☆(1) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 16:56
 5/25(土)は、最終土曜日ですから、鞆の浦弁天島花火大会の開催でした(^.-)☆
 ここ数年、弁天島の花火は、田尻町の杏畑を見下ろします山際の遊歩道から鑑賞しておりますGONsanで、今回もまた同じ場所からの花火見物を予定です。
 で、当日は、P.M.6:30過ぎに我が家を出まして、JA福山市田尻支店sanの駐車場にと直行となりました。
 ここに車は無断駐車、そして、杏まつりの時の散策コースでノンビリと歩いて十三仏方向へ(^-^)

 杏畑・エクセル鞆の浦・弁天島…等を眺望出来ます十三仏手前の遊歩道に到着が、A.M.6:58でありました。
 場所的にはイィのですけど、唯一の心配は毛虫の多いこと(^-^;
 今年は毛虫の異常大量発生ですから、ここも例外ではありません。早速、到着と同時に三脚設置場所辺りを這っています毛虫を踏み付けまして抹殺です。でも、またスグに毛虫が近寄って来ますので安心は出来ません。
 それに、足元ばかりでなく頭上からも蜘蛛のように糸を伝って降りて来ますから、油断は出来ません。
 とにかく、前後左右、上下…と確認しながら三脚・カメラをセットです。

 一通り準備が終わりまして周辺を確認致しますと、う〜ん、先客がおられましたようですねぇ〜
 1組は、5人のご家族連れで、もぅお一人はGONsan同様に花火を狙って三脚セット(^-^)
 毛虫を警戒していますのはGONsanくらいで、皆さん、平然と花火打ち上げ時間の到来を待っておられますから、チョッと不思議。

 三脚をセット済みの方に近付き、「毛虫はおりませんか?」と、お尋ねしますと、「う〜ん、多い(^-^;もぅ何匹も殺したよ…」との事。
 うん、うん、やっぱり毛虫の出現には危惧しておられましたねぇ〜
 そぅこぅしておりますと、いつの間にか打ち上げ時間も到来で、最初の花火が上がりましたのは、19:42でありました(^.-)☆

 もぅ何年も花火を撮ってはおりますけど、毎回、うまく撮れません。
 今回はどうでしょう?…上手く撮れますと宜しいのですけど(^-^)//"










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7692.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(9) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 12:31










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7691.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(28) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 11:49
 ガイドさんの案内に従って、旧事務所・リタハウス・旧竹鶴邸…と、ウイスキー博物館方向に進行です(^.-)☆

 ・旧事務所
 竹鶴政孝の事務所として1934年(昭和9年)に建設。余市町の「指定文化財」であり、企業内の建物としては北海道内で初めて文化財に指定された。

 ・リタハウス
 1931年(昭和6年)建設。工場の操業開始後にウイスキー製造の研究室として使用していた。見学不可。登録有形文化財、近代化産業遺産。

 ・旧竹鶴邸
 1935年(昭和10年)に竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建設。後に余市町の郊外山田町に移設するが、2002年(平成14年)に再び工場内に移築・復元した。玄関ホールと庭園を一般公開している。登録有形文化財、近代化産業遺産。










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7689.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(8) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 9:42










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7688.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(27) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/21(金) 0:18
 見学者待合室で暫く待たされましたけど、この待合室内で、まずはレクチャー(^-^)
 そして、蒸留所ガイドツアーがスタートとなりました(^.-)☆
 最初に見学しましたのが乾燥棟(キルン棟)で、次が蒸留棟でありました。

 ◆世界で「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」だけ!石炭直火蒸溜

 長い年月といくつもの工程を積み重ねてできる美味しいウイスキー。「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」では、先代から受け継がれたこだわりの工程を、五感で学ぶことができます。その中から「蒸溜棟」をご紹介。
 ポットスチル(単式蒸溜器)が並ぶ蒸溜棟は、原料の麦汁に酵母を加え醗酵させてできた「もろみ」を蒸留し、アルコールを取り出す作業をする施設。余市蒸溜所では世界でここだけの、創業当時から続く石炭による伝統製法「石炭直火蒸溜」が行われています。
 石炭での直火蒸留は温度調整が難しく、熟練の技を持った職人が必要不可欠。コスト面でも決して効率が良いとは言えません。それでも芳ばしい香りと力強い味わいを持ったウイスキーをつくるため、石炭直火蒸溜を守り続けます。
 施設が稼動している時期は、数分置きに約700度の熱気の中、石炭をくべる職人技を実際に見ることができます。迫力がありますよ!

 ※真夏と真冬は温度調整が難しいため蒸溜棟は稼動していません。

 蒸留棟には他にもニッカウヰスキーならではの特徴があります。それはポットスチルに飾られた注連縄。これは創業者・竹鶴政孝氏の実家が造り酒屋であったことから、「良いウイスキーができますように」と願いを込めしめられています。
 また、写真の中の小さなポットスチルは、創業当時に使用していたもの。こんなところにも注目して見学してくださいね!

 --- https://www.travel.co.jp/guide/article/4898/ --- より引用。

 次に向かいましたのが「醗酵棟」です。
 今回は見学出来ませんでしたけど、「粉砕・糖化棟」では麦芽を粉砕し温水を加え、麦汁という、いわば麦のジュースを造ります。「粉砕・糖化棟」でできた麦汁は、こちらの「醗酵棟」へ運ばれます。
 「醗酵棟」は、ガラス越しの見学になりましたが、この巨大なタンクの中で、酵母が加わり、麦のジュースが麦のお酒へと変わっていくのです。タンクには水冷ジャケットがついていて、温度管理はばっちりとの事です。
 糖化や醗酵などの行程は、外の展示パネルで詳しく説明されています。












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7686.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(7) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/19(水) 21:29










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7685.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(26) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/19(水) 20:51
 余市町と言いますと『余市ニッカウヰスキー工場』ですネ(^.-)☆

 ◆余市蒸溜所

 余市蒸溜所(よいちじょうりゅうしょ、英:Yoichi Distillery)は、北海道余市郡余市町にあるニッカウヰスキーの工場(蒸溜所)。正式名称は、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所。

 ・概要

 ニッカウヰスキーの創業地であり、竹鶴政孝がウイスキーづくりの理想の地を求めてスコットランドに似た気候風土を備えていた余市に蒸溜所を建設した。蒸溜所では世界的に見ても今では珍しい昔ながらの「石炭直火蒸溜」を行って「品質第一主義」を貫いており、日本国内で初となるザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になった。また、「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として「北海道遺産」に選定されているほか、蒸溜所内の建造物9棟が国の「登録有形文化財」に登録され、「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー竃k海道工場)」として経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されている。観光地としても人気があり、トリップアドバイザーから「エクセレンス認証」を授与されている。

 ・歴史

 1934年(昭和9年)、寿屋(現在のサントリー)を退社した竹鶴政孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていた。竹鶴政孝が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることであった。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていた。

 当初は現在の江別市を工場予定地にしていたが、予定地が氾濫する恐れのあることがわかったために断念し、酒造家で資本家でもあった但馬八十次の紹介もあって余市での工場建設を決めた。余市は三方を山に囲まれて北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていたほか、果汁の原料となるリンゴの産地であることも工場建設の決め手になった。ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考え、同年に「大日本果汁株式会社」を設立した。1935年(昭和10年)の冬になって、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が1器届き、翌年から製造を始めた。1940年(昭和15年)の第1号「ニッカウヰスキー」発売後、程なくしてウイスキーなどは贅沢品として製造販売が制限された。その後、余市蒸溜所は大日本帝国海軍の指定工場となったためウイスキーは海軍が買い上げることになったが、物資が乏しい中でも大麦の配給を受けることができたため、原酒を作り続けることができた。

 1934年(昭和09年):「大日本果汁」設立し、余市に工場完成。
 1935年(昭和10年):「ニッカ林檎汁」(リンゴジュース)発売。
 1936年(昭和11年):ウイスキー・ブランデーの製造開始。
 1940年(昭和15年):「ニッカウヰスキー」「ニッカブランデー」第1号発売。
 1952年(昭和27年):「ニッカウヰスキー」と社名変更し、本社が東京に移転。
 1980年(昭和55年):旧事務所が「大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー株式会社)工場創立事務所 」として町の「指定文化財」になる。
 1989年(平成元年):「シングルモルト余市」発売。
 2001年(平成13年):ニッカウヰスキーがアサヒビールと営業統合。「シングルカスク余市」がウイスキー・マガジン『ベスト・オブ・ベスト』最高得点獲得。
 2002年(平成14年):ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になる。「ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所」として平成14年度「緑化優良工場経済産業大臣表彰」受賞。
 2004年(平成16年):「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として「北海道遺産」認定。
 2005年(平成17年):建造物9棟が国の「登録有形文化財」登録。
 2007年(平成19年):「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー竃k海道工場)」として経済産業省の「近代化産業遺産」選定。
 2008年(平成20年):「シングルモルト余市 1987」がウイスキー・マガジン『ワールド・ウイスキー・アワード』(WWA)シングルモルトウイスキー部門で世界最高賞受賞。
 2016年(平成28年):西川浩一工場長が『アイコンズ・オブ・ウイスキー』(IOW)の「ワールド・ベスト・ディスティラリー・マネージャー」受賞。

 …と、こんな『余市蒸溜所(余市ニッカウヰスキー工場)』でありますようです(^-^)//"










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7683.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(6) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/18(火) 10:46









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7682.5/11-5/12は、某協議会第2分会の皆様と小樽・札幌方面への研修旅行でした(^.-)☆(25) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/18(火) 9:46
 う〜ん、この建物はキレイですネ(^.-)☆

 ◆豊平館
 豊平館(ほうへいかん)は、札幌市中央区中島公園内にある西洋館。

 ・概要

 1880年(明治13年)、今の大通に面する位置に高級西洋ホテルとして開拓使が建造した。最初の利用者は明治天皇で、以後要人の宿泊、祝賀会、各種大会に用いられた。後に公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後にアメリカ軍に接収された。1958年(昭和33年)に中島公園に移設され、以後は2012年(平成24年)3月まで市営の結婚式場として利用されていた。重要文化財(1964年5月26日指定)。平面積562.194u。運営費は年間約2,800万円。

 豊平館の設計は、開拓使工業局営繕御用掛の安達喜幸により、工事は大岡助右衛門が請け負った。1879年(明治12年)に建築をはじめ、翌年11月に完成、12月3日に落成式が催された。完成当時、完全な西洋式のホテルは日本にほとんどなかった。
 豊平館最初の宿泊客は明治天皇で、札幌行幸のとき、1881年(明治14年)8月30日から9月2日までの4日間、行在所に用いた。これによって開拓使は面目をほどこし、豊平館の格式もあがった。同年11月6日に開拓使は旅館と料理店の経営を民間に委ねた。しかし、天皇が泊まった2階客室に他の人を泊めることをはばかり、1階だけを利用させたため、ただでさえ少ない客室がさらに減ることになり、料金も高く、ホテルとしての利用は低調であった。中央の高官の宿泊のほか、祝賀会や各種式典の場として用いられた。
 札幌市の発展とともに式典・大会会場の需要が高まったため、札幌市は1921年(大正10年)に宮内省に願い出て豊平館を譲り受け、1926年(昭和元年)に豊平館の裏に新しい建物を作って連結した。豊平館と新しい建物は市の中心部にある公会堂として盛んに利用された。昭和初期に、明治天皇ゆかりの場所である豊平館は聖蹟とされた。そして1933年(昭和8年)に国の史蹟に指定された。

 豊平館は、第二次世界大戦中に北部軍に利用され、戦後にアメリカ軍に接収された。後にアメリカ軍が三越札幌支店を接収すると、三越にかわりの店舗として貸与された。アメリカ軍が近郊に建設したキャンプクロフォードに移転した1947年(昭和22年)に、札幌市のもとに戻った。以後、新旧の建物は公民館、市民会館として利用された。
 長く大通公園の東の端にあった豊平館は、1957年(昭和32年)に中島公園への移築のため解体された。跡地には新しい市民会館が建てられた。移築の対象は明治時代からの古い建物だけで、翌年に建築当時の姿に近い形で復元された。以後の豊平館は、市営の結婚式場として利用されていた。この間、史跡指定は1948年に解除されたが、1964年に明治時代の歴史的建築物として改めて重要文化財に指定された。

 2012年4月より2016年6月まで、耐震補強を含む保存修理工事のため、休館していた。工事完了後の利用方法について市は「集客交流資源として積極的に活用していく施設としてリニューアルオープンする予定」としていた。2016年春に札幌市は、6月20日に再オープンし昼間は観覧施設、夜間は貸し室として使用することを発表した。貸し室の用途には、修理工事以前と同様、結婚式の使用が認められている。

 中島公園入口方向に進んで行きますと、こんな碑が…「四翁表功之碑」と刻まれていますけど、どんな碑なのでしょう…

 ◆四翁表功之碑

 この碑は、中島公園にある[日本庭園]の入り口に建立されています。この四翁とは、札幌の開拓に尽力した[水原寅蔵][大岡助右衛門][石川正叟][対馬嘉三郎]の四翁の事です。
 [四翁表功之碑]は、1918年(大正7年)が開道50年と札幌本府創建50周年の年でした。これを記念して翌1919年(大正8)に創建当初の功労者を顕彰するためにこの碑を建立したものです。

 中島公園とお別れし、ホテル方向に戻っていますと、豊川稲荷札幌別院が…

 ◆豊川稲荷札幌別院

 豊川稲荷札幌別院(とよかわいなりさっぽろべついん)は、本院が北海道札幌市清田区北野7条2丁目8−18、祖院が中央区南7条西4丁目1−1にある曹洞宗玉宝禅寺の別称である。
 豊川稲荷(愛知県豊川市)の別院である。祖院は明治31年(1898年)開創。本院は昭和59年(1984年)建立。

 ・沿革

 祖院は札幌市の歓楽街・薄野の中心部のやや南側に位置する。1871年に遊郭が設置されて以来、薄野は商業地・繁華街として発展したが、商売繁盛を司る稲荷神への信仰は早くから存在し、1880年代初頭には既に無住の稲荷堂が建てられたという。その後1894年に地元の酒造業者・波多野与三郎によって、豊川稲荷の分霊を迎えようという計画が持ち上がり、現在の札幌市中央区南3条西4丁目に設立寺務所が設けられ、募金活動が開始された。波多野が花柳界と繋がりが深かったこともあり、発起人には料亭・芝居小屋・遊郭・見番(芸妓の登録組織)などの関係者が数多く名を連ねた。1年足らずの間に現在の金額で1億円近くの浄財(寄付金)が集まり、1895年から現在地で稲荷堂の建設が始められ、1898年5月に落成した。

 以後、豊川稲荷は「薄野の守護神」と呼ばれ、地域の人々の崇敬を集めることとなる。玉垣や門柱には寄進者として、地元の有力者や興行主などの他、見番に属する芸妓などの名前も数多く刻まれており、花街との関わりは特に深いものがあった。昭和初期までは、芸妓や遊女、小料理屋の女主人や仲居など、水商売に縁のある女性が、お百度を踏む光景が頻繁に見られたという。また、毎年9月22日に催された例大祭は、かつては札幌神社祭・三吉神社祭とともに、札幌三大祭と呼ばれるほど盛大なものであった。
 1976年5月25日、札幌料飲業団体連合会会長・熊谷秀一らを中心とした「薄野花街哀悼碑建立期成会」によって、薄野の花柳界の無縁仏と見づ子(水子)を哀悼する「薄野娼妓並水子哀悼碑」が建立された。境内を取り囲む玉垣は、地域の再開発などによって、昔よりも大幅に縮小されているが、災害などでの損壊を免れた本殿や門柱などとともに、遊郭時代の薄野を偲ばせる数少ない遺構となっている。
 清田区の本院は1984年、開創88年を記念して新寺として建立された。上記の経緯もあり、本院・祖院では水子供養が行われており、毎月24日には水子供養合同法要、毎年5月24日は水子石碑建立記念法要が催されている。

 …と、こんな豊川稲荷札幌別院のようであります。
 ホテルに戻りますと朝食を済ませ、そしてバスに乗車し余市町行きとなりました(^.-)☆
 途中、バス車内から「北海道庁旧本庁舎(レンガ)」をパチリです(^-^)/

 ◆北海道庁旧本庁舎

 北海道庁旧本庁舎(ほっかいどうちょうきゅうほんちょうしゃ)は、かつて北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りの西洋館である。「旧道庁」や「道庁赤レンガ庁舎」、「赤レンガ」などと呼ばれ、親しまれている。重要文化財(1969年3月12日指定)。館内は北海道開拓関係資料を展示・保存する北海道立文書館等として一般に公開されているが、一部は隣接する現道庁の会議室として現在でも使用されている。北海道(道庁)にとっての象徴的存在であり、広報番組などのタイトルにしばしば「赤レンガ」が用いられている。道庁前のイチョウの並木は大正14年、勅任技師名井九介の指導により植えられたものである。











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7681.翌・5/19(日)も「福山ばら祭り」を楽しみました(^.-)☆(5) 返信  引用 
名前:GON    日付:2019/6/17(月) 15:18
 定刻に福山ばら祭りオープニングセレモニーが開始。これが終わりますと、いよいよローズパレードがスタートです(^.-)☆
 毎回、ローズパレードは、最初から最後まで観ておりますけど、今回は適当な時に打ち切りまして、野外ステージ・大道芸の方を楽しみたいと思います(^-^)/










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