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225.お知らせ @ 返信  引用 
名前:JWIL    日付:2014/9/7(日) 15:53
 「出エジプト会」の働き    倉敷めぐみ教会牧師 高山 正治
 
 私は牧師になって28年、その間に5つの教会を牧会してきました。その間、主の憐みによって、どこの教会に行ってもその都度、大きな祝福を頂きました。本来、牧師の働きは福音宣教と牧会でありますが、私はそれに加えもう一つの働きをしてきました。それは何かと言うと、カルト信者への救出活動と彼らに福音を伝える伝道でした。「異なる福音」に惑わされた人たちが、そのカルト団体から離れ、真の福音に触れイエス様を救い主と信じることは、救出に拘わった者としてそれは大きな喜びであります。
 今から13年前、私が60歳の時にカルト脱会者たちが、高山牧師の60歳の還暦祝いをしようと言って呼びかけて下さり、60名もの脱会者がお祝いに駆けつけてくれました。教会では還暦祝いはしないのだが、私は皆さんの好意を受けました。 あれから13年経ちましたが、今では彼らもカルトの後遺症が抜けて、それぞれの道を歩んでいると思います。みんな幸せになって欲しいと願っています。 
 私が同盟教団に加入したばかりの時、松原湖にて行われた教団の集まりで話をさせて頂く機会が与えられました。その時話したことは、「船の右側に網を下ろしなさい」という、イエス様のお言葉に従った弟子たちは153匹の魚を引き上げたという話でした。 10年以上前の話ですが、あの時数えてみたらカルトからの脱会者の数が153名もいました。今ではもっと増えて250ほどの人たちが救出されています。
       



226.Re: お知らせ A
名前:JWIL    日付:2014/9/7(日) 16:14
 28年の牧会の中で一時中断したことはありますが、一貫して続けてきたことは、月一度の「出エジプト会」の定例集会と機関紙の発行です。現在「出エジプト会」の会員は150名ほどいます。家族が無事救出されて、郷里に帰って行った人もいますが多くの人が教会に残り、クリスチャンになりました。 私にとって何よりうれしい事は、「異な
る福音」に惑わされていた人が、真の福音を知り、イエス様を救い主と信じ、受け入れた時です。 今までにカルト教団を脱会し、聖書を学んでクリスチャンになった人の数は、50〜60人はいます。この救出活動で、私が個人伝道をして福音を伝えた家族の数は1000人は超えています。子供の救出で親兄弟が福音を聞いて信じた人も大勢います。これ程の大きな伝道の機会が他にあるでし
ょうか。
 ただカルト伝道には問題もあります。困難な事もあります。妨害もあります。数年前のことですが、私はカルト団体から激しい攻撃、妨害を受けたことがあります。100人以上のカルト信者が「高山牧師を許すな…」というプラカードを持って教会の周辺をデモ行進しました。京都で講演した時も、会場前でデモされました。いろんな事がありましたが、カルト問題に取り組んで30年…あと何年この働きが出来るか、カルトは姿かたちを変えながら増殖し、今後も無くなることはないでしょう。私の願いは、カルト信者の救出に重荷を持って下さる方が起こされる事です。関心のある方は連絡して下さればカルト救出カウンセラーになる方法を伝授します。一人の人が救われる時、天において大いなる喜びが湧き上がるのです。 主の御名を崇めます。
                     
            日本同名基督教団発行  世の光誌 2014年9月1日

223.エホバの証人に関わらない 返信  引用 
名前:たも    日付:2012/12/13(木) 10:11
エホバの証人に関わらない

年末,年始,キリスト教を名目に信者獲得に野外で奔走する,カルト教団エホバの証人。マインドコントロールされたエホバ信者。カルト教団エホバの証人の信者獲得方法は年々巧妙化している。そのエホバの証人に一度でも関わったら,ずるずるとカルト組織に引き入れられ,人生の結末は悲惨な事になることを幾度となくこの掲示板に書いた。
一定の方向に向かって進もうとするその人の進路を変えさせることは難しい。まして,マインドされ「思考停止」されているエホバ信者は特にそう言える。
自分がエホバの証人の良き理解者で,何とか誤った道から救い出して上げようなど一般の人が考えるのは,単に生兵法を用いるようなもので危険だ。まして,言葉巧みなエホバの証人相手では,ミイラ取りがミイラになるだけである。
私たちが考えている以上に,エホバ組織は一般信者をマインドして,一般社会から情報が入り感化されないように予防線を張っている。尚且つ,エホバの証人のことに少しでも疑問に思っている人に,その疑念を説くという形で接触して,やがては聖書研究に結び付け,信者にするという方法を神権宣教学校,奉仕会などと言う集会で繰り返し繰り返し練習しているのである。その際,エホバの証人が用いる本が「論じるの本」である。
こうして訓練されたエホバ信者あるいは,脱会者を相手に,福祉関係の相談援助技術で用いられるような。初めに相手に共感して,共通の土台作りをしてからなどと言うやり方は,「論外」且つ「危険」である。
エホバ信者の書籍,雑誌,集会,大会などで,反対者からエホバ信者になった人の経験を読んだり,聴いたりしたことがないだろうか。
「私は最初,(妻,あるいは子供)がエホバの証人の宗教をするのは反対でしたが。話し合っているうちに自分が反対していることの間違いに気づき」と言うくだりの経験談である。
まさにミイラ取りがミイラになった良い例である。それで安易な考え方をせず本格的な救出,援助は訓練された人に任せるべきである。
一般の方は,「エホバの証人は,カルト教団である。宗教ではない。そのエホバの証人とは関わらない」そうした見方,スタンスを保ってほしい。それがあなたとあなたの家族をカルト教団エホバの証人から守る方法なのである。

222.お知らせ 返信  引用 
名前:JWIL    日付:2012/12/13(木) 10:9
Merry Chist'mas & A Happy New Year
 
今年もお世話になりました。特に記事を書いて頂いた方に感謝します。
来年も宜しくお願いします。

         JWIL事務局

221.JW2世さん、元2世さんへ 返信  引用 
名前:おる    日付:2012/8/26(日) 19:10
ブログ始めました、是非お読み下さい。
私がJWを辞めた後の生活や、仕事のことを書いております。
では、宜しくお願いします。
http://s.ameblo.jp/jin-ping

189.道程 1 返信  引用 
名前:哲也    日付:2011/12/31(土) 16:23
はじめまして、こちらのサイトの管理人さんより、JW2世時代の体験談を書いて欲しいと言われましたので、思いのままを書いてみました。ちょっと長いですが、皆さんに読んで頂けると嬉しいです。

私はいま36歳で、おそらく4歳か5歳の頃から母親に連れられて王国会館に行っていました。私には3歳年上の兄がおり母と私と兄の3人で毎週3回自転車で寒い日も雨の日も王国会館に通っていました。疲れたから行きたくないと思う日もなくはありませんでしたが、4歳くらいから母に連れられて通っていた私にとって集会に行かないという生活は知らないに等しかったのでそこに疑問は持たなかったし何よりみんなで集会に行くことで家族3人団結して絆を保っていましたので集会に行って注解をして母に喜んでもらいたい一心でした。父はいましたが当時は未信者でしたので私にとってはいないも同然でした。仕事から疲れて帰ってきてテレビをだらだら見ている父を母は世の人扱いして悪いテレビを見ているから父には近づかないようにと態度で示していました。小学校に入っても私は集会に出席するたびに
たくさん注解するいわゆるいい子でした。当時私と同年代の子供は会衆にたくさんいましたが、その中でも私は模範的で元気な子供の部類でした。そしてその時期父は聖書の研究を始めます。当時早稲田大学の学生だったある兄弟が我が家に来て父と研究をしていました。3歳年上の兄は私が小学校の高学年になる頃には思春期に入っており反抗期が始まっていました。今思えば兄は小学校低学年から突然週3回集会に行き始めるという生活に一変したわけですから私よりも受け入れるのに抵抗があったことでしょう。兄は家庭内で暴れたりその当時は結構家の中は荒れていました。その間の私は兄がそんな状態でしたのでせめて私はいい子でいようと普段よりもいい子にしているようにしてまた母を慰めたりしていました。兄の中学校生活は大変なものだったと思います。どうも学校でも人間関係に苦しみまた、受験にも失敗するなどいろいろあったようです。
しかし何かが兄の中で変わったのでしょう。高校に入るとすぐバプテスマを受け高校に入ってからの兄は人が変わりました。クラスメイトに聖書の証言をしたり中学校からの友達とは縁も切って私よりもむしろ模範的なクリスチャンになって行きました。私はと言うとまだそんな悩みを持つ年齢にはいっていませんでしたが、父がその頃霊的に進歩し始め集会や大会にも出席するようになっていました。そうしたらあんなに父に批判的で「お父さんは世の人だから」と言っていた母が、頭の権とかなんとか言い始めてお父さんを敬いなさいと子供に強要するようになりました。私は戸惑いを隠せず、父とどう接していいかわかりませんでした。
私は中学生になり、多感な時期になって来ました。中学生になるとエホバの信者には部活動や柔道の授業をどうするかなど問題が出てきます。幸い私の中学校は柔道の授業がありませんでしたが、部活動の問題はありました。

私は小学校でずっとサッカーをやっており中学生の先生からもサッカー部に入らないかと誘われていました。私もサッカーがしたくてサッカー部に入部することになりましたが、入部して間もなく日曜日も部活があることがわかり、自分の意思で退部しました。ここで重要なのは自分の意思でやめた、ということです。母はむしろ部活つづけたらいいじゃないと言いました。しかし私は部活の厳しさを知らない無知な母にいらだち母とけんかをするようにしてやめました。物心つかないうちのエホバの証人2世は価値観を含めてしっかりと一つの考え方を植え付けられますから自分が本当にしたいことすら分からなく、親から教えられたことが自分の意志だと勘違いする傾向があります。ですから私がそうであったように子供のほうから望んで自分が本当にしたいことを押し殺してまでものみの塔の教え、つまり信者の親の言うことに従おうとするようです。ですからエホバの教えから離れた後、自分はあの時に自分がしたいことも出来ずにエホバの教えに従ったのだと訴えても、親は「あのときあなたは自分の意思でそれを選んだのよ!」と主張してわれわれの話し合いは平行線をたどるのです。



190. 道程 2
名前:哲也    日付:2011/12/31(土) 16:29
部活動をやめた私はすることがなく、だからと言って伝道活動を積極的にしたいわけではなかったので学校から帰ってきたらひたすら寝るという生活をしていました。そんなわたしを見かねた友達がある日、変な宗教をしている私から脱退させてあげると私に言ってきました。私はその頃ごく近しい友達には自分の宗教のことを話していましたので中学生の友達から見ても私の宗教はおかしいと思ったのでしょう。しかし有難迷惑だった私は彼らに事情を説明して自分の意思でやっていることだから大丈夫だと言ってなだめました。やがて高校受験の時期になりました。寝てばかりでろくに勉強をしていなかった私ですが勉強ができるできないより何よりも柔道の問題がありますので

授業で柔道がなくて宗教色のない高校を選ぶことだけを考えていました。中学の担任の先生も母親と三者面談の際自分の学力や行きたい高校を選ぶわけではなくて全然別の選考基準で高校を選ぼうとする私に気づいたのでしょう、なぜもっと向上心を持たないんだ、と私に問い詰めました。私は自分の事情を先生に話したくなかったし話してもわかってはもらえないしそんなことを先生に話したら母が悲しむと思っていましたのでただ、「僕は別に親から期待もされていないのでこの高校でいいです。」とだけ言いました。しかしその言葉にプライドを傷つけられたであろう母は、帰る途中私に「お母さんはあなたに期待してないわけではない、なぜあんなことを言うのか」と説教されました。子の頃の私は自我が芽生えだしたもののそれをどう表現していいかわからないという状況だったように思います。しかし確実に芽生えだした自我をエホバの証人的に罪を犯しはじめる予兆だと思った私は

罪悪感に苦しみこのままだと自分はいずれエホバから離れてしまうのではないかと考え、自分を守るためにもバプテスマを受けるしかないと思い、中学3年の冬にバプテスマを受けました。結局紆余曲折の末に、知り合いのお姉さん(エホバの信者】の通っていた高校に進学することとなりました。しかしその高校は学力レベルも決して高くありませんでしたが、なにより自由なと言うか自由すぎる高校で学生も授業中でも勉強することはなく、いわば保育園のような高校でした。親になった今の私からするとなぜあんな高校にろくに調べることもなくただ柔道がないから、と言う理由で子供をいれたのだろうと理解に苦しみますが、とにかく凝り固まった考えの私にあった学校とは全く言えませんでした。ただ持ち前の要領の良さとその時すでに身につけていた親や会衆内の自分と、学校や友達の中の自分を使い分ける技術で何とか高校生活

を送っていました。その頃私も普通に思春期に入っており、年齢相応の友達と遅くまで遊びたい、女の子と付き合いたいなどという普通の願望もありました。実際自然な形で特定の女の子と付き合うようにもなりましたが今から思うと高校2年生の時に一つの転機が起きました。それは高校での交換留学という形で夏休みの2週間オーストラリアに短期留学をするというイベントでした。子供に海外を見せて上げたいと言う親心だったのでしょう。私よりも親がそれに参加するよう積極的に働きました。もっとも短期留学の2週間でも現地で王国会館を探して集会に行くようにとはくぎをさされましたが。子の短期留学の間私は色々なことを経験することとなりました。始めて長期間親許から離れて生活したこと、一度だけ現地の王国会館には行きましたがそれ以外は行けなかったのでその時、集会に行かない生活の気楽さ親許で親を気にしなくてもよい生活を堪能しました。

現地の高校生の女の子とも仲良くなり、個人的に付き合うようになり女の子と付き合うことの楽しさも知ることになりました。また、こっそり引率の先生がある日ワインをごちそうしてくれたり(今だったら考えられませんが)、今思うと、この出来事は生まれて初めて親以外の価値観があるんだと知った時だったと思います。オーストラリアから帰ってきてまたいつもの生活に戻りました。親や会衆の長老は何か雰囲気が変わった、大人になったと褒めてくれましたが私にはよくわかりませんでした。


191.道程 3
名前:哲也    日付:2011/12/31(土) 16:31
時は流れ高校三年生の夏休みになりました。具体的に進路をどうするか決めなければいけない時期です。あまり勉強をしない行風のせいで周りの友達からは専門学校に郁か就職をするもしくはとりあえずフリーターになるなどの声が聞こえてきました。私は何も考えていませんでした。というか進路については考えたくありませんでした。組織の勧めは

開拓奉仕者でしたしかし最低限の生活の保障はあるものの狭い親の庇護のもとで開拓奉仕をする生活など退屈だと感じていました。しかし親に相談し自分の心境を素直に吐露するとまた決まって、おまえはエホバの証人の生き方をばかにしている、開拓奉仕をばかにしていると言われるだけです。それでとりあえず予備校の夏期杭州だけには行かせてもらうことにしました。講習に行くと自分がいかに同学年の生徒から後れをとっているか思い知らされました。同時にやはり進学したいという思いも強くなってきました。そこでエホバの組織が最近海外で奉仕活動をすることの意義についてよく話題にしていることに気づき語学の勉強をしたいという口実のものと外語大学はどうだろうかと思いつきました。これなら両親を説得しやすいと考えたのです。さっそく大学の学校案内の本を買ってきて外語大について調べました。そうしたらある大学が目に飛び込んできました。受験科目が2教科

しかなくしかも学部によっては国語の点数が最も重視されるという大学でした。国語だけは昔から得意でしたのでさっそく親を説得してそこを受験させてもらいました。結果は合格で、晴れて大学生になることが出来ました。もっとも長老であった父はあとで他の長老に私が外語大とはいえ大学に行くことを話したら、怪訝な顔をしたそうです。このことについては親はよく頑張って私が大学に行くことをバックアップしてくれたと思います。しかしながらそもそも、普通の家庭では大学に行くことは世間体からしたら喜ばしいことでしかも他人に怪訝な顔をされるなど考えられないことです。一般常識と外れたところで自分たちだけのルール作ってしまうエホバの組織とは一体何なのでしょう。大学の入学式の日、両親は私の入学式に来てくれました。私はというと、きれいなキャンパス、自由な雰囲気どれをとっても大学生活

というものがとても楽しいものなのではないかと期待し気分が高揚していました。さて入学式が始まって効果か国歌を歌い起立する場面がありました。両親は立ちません。私はどうすべきかわからなくとりあえず立つだけ立ちました。(厳密にはエホバの証人的には立っても問題ないと思います。)そうしたらやはり起立していない家族が他にもいたようです。(そのことはあとで母親から聞きました)すぐに母親はその家族の元に行ったようです。やはりその家族もエホバで、大学生になる子は女の子でした。母親はものすごく喜んで、さっそくエホバの力が働いた、エホバが祝福してくれたんだと興奮しています。とにかく何かあるとこれはエホバの力だ、何か悪いことがあるとサタンだ、と関連したがるのはエホバの証人のくせですが。私は内心入学早々まいったな、と思いました。というのは私の中ではかなりはっきりした形でもうエホバは続けられないなと感じていたからです。

この楽しそうな大学生活を目の前にして規律にうるさいエホバは邪魔な存在でしかなかったからです。入学後、やはり私の予想した通り、その女子生徒とすれ違うたび私は後ろめたい気分になっていました。 大学生活は高校とは全然違う華やかなものでした。私の選考は中国語でしたので、全く新しい言語の勉強は新鮮でした。友人もすぐに出来ましたが、高校の友人と違い海外での留学経験もある友人も多く、彼らの人生経験は高校までの友人とはまるで違い、国際的で視野の広いものでした。ましてや会衆の同年代の人たちとは比べるまでもないものです。サークルなどで知り合いもたくさん出来て、いろいろな女の子たちとディズニーランドなどに遊びに行くようになりました。やがてすぐに特定の女の子と付き合うようになりいよいよ私の生活はエホバの戒律とかけ離れた生活になっていきました。私は焦りました。これはすぐにでもエホバの組織からでなければいけない、

それがせめてものエホバに対する礼儀だと。 


192.道程 4
名前:哲也    日付:2011/12/31(土) 16:33
そうはいってもきっかけがないままやめることはいきませんでした。自然消滅に持ち込むにも両親と住んでいますのでいつのまにか集会に行かなくなるというのは現実的にかなり難しいし、私の性格的に無理でした。私には会衆内で簡単ながら仕事があり、そもそも神権学校の割り当てもありましたので、自然消滅するにはそれらをすっぽさなければならず、すっぽかしたら当然まわりの人に迷惑をかけてしまう、という心配事があったからです。これは集会を休まざるを得ない状況を作るしかない、と思いました。そこで会衆の長老と話して自分が戒律を犯したことにしてしまえばそれがきっかけになる、と考え喫煙を下から集会に行けないと長老に話すことにしました。ある日の集会の前に両親に、自分は今日主権の長老に話さなければいけないことがある旨を伝えました。母親は心配そう

に、○○兄弟(主権長老)に話す内容には気をつけなさい。あの兄弟は厳しい人だから、と私に忠告しました。しかし一代決意を胸に秘めていた私には何も聞こえません。長老に話した後大騒ぎになりました。一番つらかったのは父親が私の予想を越えて憔悴してしまったことです。当時会衆内に3人の長老がいました。序列的には組織に一番新しい新参者は私の父で、他の2人の長老は父よりも10歳以上若い人でした。母曰く、2人の長老は学もなく、職業も転々としていて経済的にも余裕のない人たちで会社の社長で経済的にも余裕のある父をどこかでねたんでいて、自分たちの得意分野である会衆内で父をいじめているということでした。なんてことをしてくれたんだ、と両親は私を責め続けました。私のことを、匿名で会衆の成員がこういうことをしたと集会のプログラム(会衆の必要というプログラムで、今会衆内で起こっている問題などを取り上げる時間)で議題に上げると

言いだしているといいます。さすがにここまでの騒ぎになるとは思わなかった私は動揺しました。罪悪感でいっぱいでした。母親からはお父さんが会衆の皆の前で話す時ぶるぶる震えて話を聞いているみんなが不審がっていると言われ父親からは18年好きなことをやらせて大学まで行かせたお前に、後ろからナイフで刺されたようだ、と言われました。家は私にとって居心地の悪い所になり、いっそのこと家を出ようかとも思いましたが、そうするとあの楽しい大学生活をやめなければいけなくなると考え思いとどまりました。私は限界に達し、もう一度長老と話したいと連絡を取りました。長老と話して実は虚言だったことを話しました。長老はびっくりしていましたが、確かに私が以前告白をしに来た時何か違和感があったと言いました。それから父親を交えて長老団で話し合いがもたれたようです。結果は今後集会に出席することが条件で私に対する処罰等は不問にする、

というものでした。その時の私の心境はやめれなかったくやしさより、騒ぎが一応おさまった安ど感の方が強かったと思います。しばらく休んでいた集会にまた行き始めました。母親が言うには、事情は詳しく知らないが、両親のためを思ってまた来始めた私はりっぱだ、などと言っているとのことでした。私には何かいいようのない怒りを感じていました。私はある決意をしました。やはり神権家族である自分が組織から離れるのは不可能に近い。であるならば、集会さえ行っていれば親は文句はないのだから、集会だけはきちんと行って、あとは戒律を破っても大学生活を満喫しようと。もし神がいるなら、いずれ私のエホバとこの世の二重生活を改善してくれるはずだと。しかしそう決意したとき、ふとそんなことをして五年後十年後自分はどうなってしまうんだろう、大きなつけが回ってくるかもしれないという不安が頭をよぎりました。その不安は、15年の長い歳月を経て多くの人を巻き込む現実のものになったわけです。
                                                         つづく



217.道程 5
名前:哲也    日付:2012/6/25(月) 11:46
エホバの組織に対する私のちいさな抵抗はこうして失敗に終わりました。変わったことといえば、父と母が私にものすごく気を遣うようになり、大学が家から遠かったので、しょっちゅう外泊をするといっても両親は黙認するようになり、あまり口うるさいことを言わなくなりました。それと同時に私をいわゆる「霊的にはげまそう」といろいろ画策するようになりました。例えば、私が住んでいる地域で有名な兄弟(東大卒の医者で、エホバ歴も長く霊的にも霊性の高い、と地域で尊敬されている兄弟・・今思えば目に見えない霊性とやらがなぜ高いとか低いとか周りの人が判断できるのか非常に不思議ですが。)の所に相談に行きなさいと母に言われ、仕方なく行きその兄弟に当たり障りのないところで自分の気持ちを伝えたら、その人曰く、エホバが君を組織から離さなかったんだ!と励まされました。その時私は内心(でも、今俺は彼女もいて普通に交渉持ったりしているしなあ
、この兄弟それ知ったらすぐ僕のこと排斥にするんだろうなあ・・)と矛盾を感じていました。
他にも兄がRBC(王国会館などを建設する建築部隊のこと)で知り合って今は必要の大きい地域に移動し開拓奉仕をしている兄弟
※必要の大きい地域とは、田舎すぎてまだあまり奉仕活動が行われていない地域のこと
が、北海道に住んでいて、その人のところに遊びに行きなさいと、親が兄と私の分の旅費を出してくれました。私は両親のなんとかして私を励まそう、という重いプレッシャーを感じて多少不快感はあったものの、北海道にいけるのはそれなりに楽しみで、兄と二人で行くことになりました。北海道に移動したその兄弟は2人組のパートナーで、ぼろくて便所のにおいが充満しているアパートに住んでいました。彼らは北海道の会衆のために東京からわざわざ北海道の奥地に移り住んで、その地域に住む地元の、聖書なんて見たこともないような人たちにエホバの教えを教えるわけです。
彼らの生き方は高潔かつ貧乏で、とても私にはまねはできないなと思いましたが、それなりに充実していて魅力的な生き方ではなかろうかと思いました。しかし、あれから十五年、日本の景気は回復するどころか衰退の一途をたどり、大学を卒業してもまともに正社員として就職できない世の中で、20代前半の、生きるためのキャリアを脇目も振らず積まなければいけない時期に、アルバイトをしながら北海道の僻地で奉仕活動に青春を費やした彼らは今どうしているのだろうとふと思う時があります。組織がそういう人たちを経済的にも自立できるよう教えたりしてくれていればよいのですが、彼らになにか迷いがでて万が一組織から離れるか、組織に排斥されるかしていたとしたら、今頃どうやって生きていっているのだろうか、と余計なお世話とはわかっていてもふと考えてしまうことがあります。というのも、私の兄はまさにそうで、20代、30代前半を開拓奉仕と会衆の仕事に費やしてきました。これが、ベテル奉仕者くらいになれば、組織が生活を面倒みてくれますのでそんなに問題ないのですが、そこまで上り詰める前にメンタルのバランスを崩して、薬を飲むようになり集会にも行けず入院をするまでになってしまいました。それでも兄はまだましなほうで、なぜなら一度も正社員として就職したことはないのですが、生活費や家賃は親が面倒みてくれていますので、(家は親が買ったマンションに住んでいる)金銭的に生活に困ることはないからです。しかし、既婚者であるにも関わらず、しかも40歳にもなって一度も自立して生活したことがなく、これから一生自立することなく親の援助をうけながら人生を終えていくであろう兄が、普通に考えたらメンタルのバランスを崩さないわけはありません。
私が今兄と会話をすると、まるで昔の貴族はこんな感じだったのではないか、というくらい浮世離れしていてそれでいてびっくりするくらい繊細で自分に自信がない様子です。それを見るたび、確かに兄は普通の人より感受性が強く中性的ですが、それでも彼にも普通に自立して自分の才能を生かして家族を自分の力で養っていくといった輝かしい未来があったはずなのに・・・と暗い気持ちになります。もっとも、今の兄はそんな人生があること自体を知りませんから、そんな人生を送りたかったなどという願望はあるはずもないのですが。


218.道程 6
名前:哲也    日付:2012/6/25(月) 11:52

私のその後の大学4年間はまさに、二重生活の集大成のような4年間で、集会にも友達がいて、集会の帰りは毎晩お酒を飲んで楽しい時間を過ごしていました。一方大学生活も充実していて、エホバの戒律を破り続けていてもすでになにも感じなくなっており、たまに集会のプログラムで私のような生活をしている人は神から喜ばれない、最終的にはハルマゲドンで神の裁きを受けるというような話があると、罪悪感を覚え落ち込んだりもしましたが、まあ人それぞれ事情はあるさ、と深く考えないことにしてやりすごしていました。
それから月日が経って、大学4年生になり進路を決めなければならない時期がきました。
私としては、楽しい時間もこれで終わりかなと思うようになっていました。さすがにこれからずっと二重生活はしていられない、と思っていたわけです。しかし、その時すでに組織から離れるという選択肢はありませんでした。完璧な二重生活をこなすことで、もはやエホバの証人でいることが苦にならなくなっていたのです。それと同時に、この世の中でなんの後ろ盾もなく一人でやっていくことに自信がどうしても持てなくなってしまったのかも知れません。エホバの教えは確かに戒律が厳しいので特に若い人にはきついものですが、逆に言えば、私のように戒律の問題さえある意味クリアしてしまえば、友達に困ることはありませんので孤独感を感じることはありません。しかし、そんな私にも近い将来人生において、2つの大きな問題が逃げることのできない壁として立ちはだかるであろうことが明確に見えてしまいました。一つは、今まさに直面しようとしている就職の問題です。そして、もう一つは結婚をどうするかという問題です。

前述したように、私の家は会社を経営していましたから、父は当然一緒に仕事をしないかと勧めてきました。しかし当時その選択肢は私の中ではありませんでした。大学の友達はみな一般企業に就職するために準備しているし、就職しない友達の中には大学院に進んだり海外に留学するという人も少数ながらいました。私も悩みましたが、ゼミの先生に社会勉強だと思って、進路に迷っているならとりあえず就職活動はしたほうがいいと勧められたこともあり、みんなと同じように就職活動をすることにしました。就職活動を進めていく中である企業から内定をもらうことができました。その会社は中国にも拠点のある会社で、どうも私が外語大の学生だということで、就職後すぐに中国に赴任してもらうことも視野に入れているという話でした。私はそこでまた悩んでしまいました。率直に言って私にはそこまでの語学力はありません。さらに中国は共産圏、つまり国で認められた宗派以外は宗教が法律で禁じられている国家です。当然エホバが国から認められているはずもなく、中国に赴任するとなると集会にいけなくなってしまうわけです。
その頃の私はすでに、4年前と違いただ自由になりたいというだけで組織を離れることはできなくなっていました。二重生活をする術も身に着けていたし、なんといってもやめると宣言するのは親や周りの人を巻き込む大事件になってしまうことは目に見えていたし、その大変さも経験済みでした。私は性格的に自然消滅という形で組織から離れることは不可能でした。自然消滅的に組織から離れてしまうということは集会での仕事、割り当て(集会で皆の前に出て用意してきた聖書的な話を発表すること)に無断で穴をあけてしまうことになるわけですから、それはどうしても無責任な感じがしていたのです。ですから就職をして忙しくなって集会にいける環境がなくなって自然と組織から離れていくというようなことはできませんでした。4年前は明確に離れようという意思がありましたから、ああいう行動に出れましたが、自然消滅する可能性が高いとわかっていながら新卒で就職して厳しい世の中に飛び込むことができませんでした。
エホバの組織から周りに迷惑をかけず離れる一番スマートなやり方は、いかにしてより自然な形で自然消滅にもっていけるか、ということなのですが、それは周りの信者の家族や信者も折り込み済みで、なんとか自然消滅をさせないように防御線を張ってくるわけです
。今はどうか知りませんが、組織が就職をあまり勧めないのはまさにそれで、信者に自然消滅をされたくないから就職の危険性をことさら、集会や大会で警告するわけです。


219.道程 7
名前:哲也    日付:2012/6/25(月) 11:56

私は悩んだ末、結局頭の片隅にあった別の選択肢、つまり海外留学をすることに決めました。その選択はつまりは問題を先延ばしにする、逃げの選択ともいえるものでした。大学4年間でも足りず、もう少し時間を作って今後どう生きていくかを決めたかったのです。環境を変えればもしかしたらなにか見えてくるのではないか、という淡い期待を内に秘めてもいました。
留学先は台湾でした。台湾は中国本土と異なり共産圏ではないので、ものみの塔は禁令ではなく、王国会館も首都台北にはいくつもありました。私が出席した会衆は台北のはずれの会衆でまだ日本人留学生がいない会衆でした。私が来た後なぜかどんどん日本人留学生が増えて私が台湾を去るころには日本人だらけで、現地の人たちは「自分たちの会衆が日本の会衆みたいになっちゃったな」とけむたがられる始末でした。しかし、私が行った当初、日本人は私しかおらず、もともと親日的な台湾ですから、物珍しさもあって本当にいろいろ良くしてくれました。台湾でのエホバ生活は本当に楽しいものでした。しかし、私のなかで問題は解決したわけでもなく、一歩王国会館から出れば、同じ学校の外人の友達と夜な夜な遊びまくっていました。海外に来ても完璧にエホバの自分と世の自分を使い分けていました。

それと実は私には台湾に来る前から日本の大学時代に知り合って付き合っている彼女がいました。当然のごとく彼女はエホバとは縁もゆかりもない世の人でした。しかし、海外で遊ぶために留学したかった私にとって彼女は都合の悪い存在でしたので、日本を離れるまえに私のほうから別れを切り出していました。
しかし、彼女の答えはNOでした。帰国するまで待っているという答えでした。まあ、勝手に待っている分にはいいかな、と思ってそのままにしておきました。

台湾での生活を経て私のエホバの証人に対する見方は少し変わってきていました。台湾の証人たちは、全体的に見て日本人よりも純粋で、本当に聖書が好きで集会に来ているという感じでした。台湾は政治的な理由で若い男子は兵役に行かなくていけないので、それが理由であまり信者の数は多くはありませんでしたが、海外での生活は確かに私の視野を広げるものとなりました。しかし、今思えばそのような楽しい充実した経験は根本的な問題から目を背ける要因になったのではないかとも思います。
私は日本に帰りたくありませんでした。自由だし充実感もあったので、いっそのこと台湾で仕事を探そうかと考えていました。しかしその頃、台湾の中心部に近いところで大地震が起きました。学生の間でも自国に帰ろうという雰囲気になってきました。私はそれでも台湾に残りたかったのですが、当時台湾で付き合っていた韓国人の女の子に振られたことや、父親が日本で自分の仕事を手伝ってほしいと強く言ってきていたこともあり、とりあえず帰国することにしました。こうして、今思えばですが、せっかく自らの手で海外で生活をするという道を切り開いたにも関わらず最終的に私が出した結論は元のさやにもどるどころか、父親と一緒に仕事をするという、がんじがらめの状況を自ら選んでしまったわけです。その時の私はただ、日本にとりあえず帰国をして父親の仕事を手伝ってお金を貯めてその後はまた改めて考えようという軽い気持ちだったのです。
しかし、帰国した後の状況は私の想像と異なるものでした。母親は、私が台湾の会衆で1年間ひとりで過ごしたことで、励まされて霊的に強くなったと喜びました。私がこの世の人と同じような生活をしていたこととは知らずか、うすうす気付いていたのならそこは目をつむってとにかく喜んでいました。たぶん母親にとって私の帰国は自分の描くプラン通り、思惑通りだったのでしょう。こうして、日本で、社会人とエホバを両立する私の生活がスタートしました。

                つづく

215.二世の救出 返信  引用 
名前:さゆり    日付:2012/5/16(水) 19:45

私は二世の主人を救出したつもりは無く、ただ愛しただけなんです。


例えば、嫁が入信してしまった旦那さんに伝えることは突き詰めれば一つだけで、それは、ただ奥さんを深く深く愛する、そしてそれを奥さんにわかるように伝える、という事が何より必要だと思うんです。

しかし、1世の奥さんを持つ旦那さんにそれを話してもどうしでも伝わらない。人によってはこの非常事態に何をくだらないことをいってるんだ、みたいな反応をされてしまうので、正直彼らにどう対応したら良いかわからないのです。
本当は、それが一番の近道だと思うんですが、

皆さん誰もがそんな話をしても首をかしげられてしまうので本当にこまってます。

救出とは相手を愛すること、

ほかに方法はないとおもう。


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