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家系研究協議会掲示板

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2415.姫路藩根岸家について 返信  引用 
名前:群馬より    日付:2012年1月15日(日) 23時11分
群馬県の根岸と申します。
根岸家の先祖は豊臣秀吉の小田原征伐で取り潰された那波家の一門と言われております。地元の図書館に1590年頃から4代の家系図が見つかっております。

家系図によると、小田原征伐後に百姓になった様ですが、酒井家の家臣といくつかの縁組をしております。また、酒井家の家臣の中に根岸家はいくつかある事から、根岸一族の中でひよっとしたら、酒井家に仕官したものもいるのではと考えております。

根岸家は、上野の国那波群田中村(現群馬県伊勢崎市)に本家があり、家紋は左三つ巴です。また、代々根岸家では又右衛門の名前を世襲していた様です。

ひよっとしたら、姫路酒井家中のの根岸家の由緒がわかる方がおられれば、と思い本掲示板を利用させて戴きました。宜しくお願いいたします。


尚、家系図によると、姫路酒井家家臣の松崎郷右衛門、廣田専益、六谷田喜左衛門と縁組をしております(娘達を嫁がせております)。



2423.Re: 姫路藩根岸家について
名前:TW    日付:2012年1月29日(日) 10時57分
天正十一年金山籠城節城代佐位郡伊勢崎毛呂城根岸三河守頼行三十番頭根岸長門守頼真武者奉行法名浄真譜代之臣根岸肥後三郎根岸三九郎根岸三弥 (金山太田誌)

源 為義・・・・・小田大炊頭顕家(常陸国筑波郡小田住、武蔵国騎西城移住)――家時――根岸備前守家道(武蔵国深谷根岸城住)――根岸肥後守繁道(桐生氏仕、後由良氏仕、三ツ木城移住)・・・・・根岸家(本家、金山落城後、群馬県高崎市岩鼻町移住)、 根岸家(分家、伊勢崎市境上武士、境下武士付近移住、帰農) 家紋=蛇の目紋、丸に横木瓜紋

根岸三河守頼行、根岸長門守頼真などの「頼」の通字を見ると、本姓=源朝臣姓の可能性も肯定出来そうな気もしますが・・・?  
平姓熊谷氏流根岸氏も有り。

沼田藩真田氏家臣
那波市郎   金五両 二人扶持
根岸七右衛門   金四両 三人扶持

那波氏の出自は諸説が有りますが、通説では藤原姓那波氏に大江氏が婿入りし、大江氏流那波氏が発生したとされます。


2428.Re: 姫路藩根岸家について
名前:群馬より    日付:2012年2月1日(水) 15時20分
TW様、
ご返信、誠にありがとうございました。

群馬県伊勢崎市の根岸家はいくつかの系統があり、群馬での資料(上州の苗字と家紋等)をいろいろと調べてみましたが、蛇の目紋、丸に横木瓜紋の根岸家は由良家に仕えており、那波家一門の根岸家とは別の系統の様です。

今後とも、ご助力、ご指導の程を宜しくお願いいたします。


2592.Re: 姫路藩根岸家について
名前:姫路より    日付:2013年8月30日(金) 20時38分
私の祖母が根岸家の末裔ですが、先祖は姫路藩主酒井氏といっしょに来たようです。現在も姫路に分家と合わせて2件あります。


2593.Re: 姫路藩根岸家について
名前:姫路より    日付:2013年8月30日(金) 20時40分
私の祖母が根岸家の末裔ですが、先祖は姫路藩主酒井氏といっしょに来たようです。現在も姫路に分家と合わせて2件あります。家紋も同じです。


2636.Re: 姫路藩根岸家について
名前:群馬より    日付:2013年11月10日(日) 0時15分
もしご先祖様の事がわかる方がおりましたら、お話を聞くことはできないでしょうか?宜しくお願いいたします。


3053.Re: 姫路藩根岸家について
名前:神奈川より    日付:2015年6月14日(日) 17時32分
前に別の掲示板でお会いした方ですか?
そうであれば重複してしまって失礼します。

私の曽祖父は姫路藩士でした。
群馬辺りから国替えにより姫路に移ったと聞かされております。
家紋は丸に三ツ星、宗派は臨済宗妙心寺派。
今は姫路にはお墓があるだけで、住んだこともないので、家系図はあれども解読できず。
姫路の親戚も殆ど物故されて付き合いもありません。
先祖伝来の日本刀が下級であれ士族であった往時を偲ばせております。


3069.Re: 姫路藩根岸家について
名前:姫路    日付:2015年9月23日(水) 11時4分
No.2592の方とは別です。

姫路在住の根岸と申します。

自分の家系図を作っている最中で、私の玄祖父(ひいひいじいさん)に当たる人が、根岸家に長男として養子に入ったところまでは紐解けています。
おそらく明治の初期の頃でしょう。

ただ、この人を受け入れた根岸家が誰なのか、分かりません。
もしかすると、潰えた根岸家の名前だけを持って行ったのかもしれません。

身近の年寄りから話を聞く限り、うちの先祖の根岸家は、大老酒井家の会計役として、共に群馬(上野:こうずけ)の方から播磨へ移った、という説が有力です。
詳細は不明ですが、「ごろうざえもん?」や、「慎十郎長興?」という名前が挙がってきました。

また、甲子の獄に関係するお寺にも縁があるようです。

どこまでが正しく、どこは間違っているのかも分かりませんが、もし情報交換(というレベルでなく雑談でも)をしていただける方がおられましたら、よろしくお願いいたします。

専用のメアドも取りましたので、この掲示板上でも、メールでも結構です。


3082.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2015年11月11日(水) 19時29分
私も伊勢崎市に住んでいる根岸ですが、父親の実家は国定です。
近所は親戚が多い様です。
父の実家にご先祖様が作成した、大正6年時点の家系図がありまして
そちらを見ると、私のご先祖様は、万寿元年(1024年)より代々重兵衛を世襲していた様です。
延宝2年(1674年)頃そこから分家した治平ー治左衛門- - - -とご先祖様がいる御蔭で私が生きています。
ご先祖様には感謝していますが、同時にもっと知りたいと言う思いますので
色々とご存知でしたら、御教授をお願い致します。


3086.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2015年11月29日(日) 11時41分
姫路の根岸家は良くわかりませんが、伊勢崎市(旧東村)の根岸家の家紋は
「九枚笹」が多い?と思います。

>近所は親戚が多い様です。
国定町1丁目あたりが一番多いと思います。

>代々重兵衛を世襲していた
そうなんですか。
忠治地蔵尊(忠治刑場)の脇に有る廃売店に額縁が掲示してあって、
その中に「忠治賭博之系図 根岸重兵衛 東国定元祖」と
いう文字が有ります。
根岸重兵衛は複数いたのですね。

>大正6年時点の家系図がありまして
一度見てみたいです。
天台宗養寿寺(忠治の墓)に情報が残してあれば、確実かも知れませんが、
寺院敷地以外にも墓地が有るので、アテにはできないでしょうか。


3087.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2015年11月30日(月) 20時9分
ぐんまちゃんさん、新たな情報を提供して頂き、有り難うございます。
忠治地蔵尊に、ご先祖様の名前があるとは知りませんでした。
今迄行った事が無いので、近々足を運んでみたいと思います。
<伊勢崎市(旧東村)の根岸家の家紋は「九枚笹」が多い?
良く御存知ですね。
私の家紋も九枚笹で、父の実家は国定1丁目です。
ぐんまちゃんさんは、もしかして同じ根岸家の方ですか?
また、養寿寺が菩提寺で、敷地外に墓があります。
寺や市役所で、家系を自分で調べるのは、大変な労力が必要だと思い
家系図のコピーが自宅にあったので、私が解読出来る範囲で
清書しましたが、やはり読めない文字もありました。
今後も根岸家に関しまして、御存知の事等ありましたら
御教授をお願い致します。
本当に、ありがとうございました。


3088.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2015年12月1日(火) 0時26分
>忠治地蔵尊に、ご先祖様の名前があるとは知りませんでした。
>今迄行った事が無いので、近々足を運んでみたいと思います。

他人様の作成した忠治地蔵尊のホームページですが、
下記のURLになります。
3枚目の写真に「根岸重兵衛」の名前が登場します。
(一番最後の写真の右端の木造が廃売店です)

なぜここに重兵衛が登場するのか未だに疑問です。
もしわかりましたら、逆に教えてくださいませ。

代々、根岸重兵衛を名乗っていたとしたら
忠治は「1810−1851年没」なので、
忠治が子分を引き連れて元気だった全盛期頃を想定すると、
今から約170〜180年前の根岸重兵衛になりそうですね。

>ぐんまちゃんさんは、もしかして同じ根岸家の方ですか?

在住ではございませんが、若干関係は有ります・・。
遠い?ご親戚??かも知れません・・。

1024年からの家系図が有ることがすごいと思います。
私自身は聞いたことはございません。

http://www.flickriver.com/photos/tags/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%BF%A0%E6%B2%BB%E5%87%A6%E5%88%91%E5%A0%B4%E8%B7%A1/interesting/

(姫路とは関係が無い話で、申し訳ございません。)


3090.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2015年12月1日(火) 20時8分
URLリンク先の写真の順番が変わっているので書き直します。
すみませんです。

@「3枚目の写真に「根岸重兵衛」の名前が登場します。」
⇒額縁が写っている写真がそれです。額縁の下側は廃売店の入り口です。

A「一番最後の写真の右端の木造が廃売店です」
⇒石柱「国定忠治処刑場跡」の右側に有る大きな2本の木の右側が
 廃売店です。木造古屋の一部がかすかに写っています。

”3枚目””一番最後”の文字部分は無視してください。

忠治関連で言えば、草津街道(国道406号)沿いには北から順に
「大戸の関所」「忠治地蔵尊」「とまどいの松」が有ります。
写真の場所は「忠治地蔵尊」です。

よろしくお願いします。


3093.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2015年12月2日(水) 0時59分
返信が遅くてすみません!
タブレットからPCへ変更して返信したのですが
上手く出来ず、単独掲示になってしまい、再度
タブレットにて返信しました。
再度のリンク先変更メール、有り難う御座います。

ぐんまちゃんさん、写真を拝見させて頂きました。
本当に御先祖様の名前があったので、感動しました。

この写真から私なりに推察しますと、御先祖様は
東国定元祖とあるので博徒の元祖??と言う事でしょうか??
もしかしたら、忠治の時代より昔かもです。

以前にインターネットで、1852年国定村の戸主が載っているサイトが
あったので、もう一度調べてみました。
URL http://www.suwiun.net/newpage600.html
「ヤクザの生活」よりの下佐波郡東村の寺社の所です。

根岸重兵衛、惣次郎、三代蔵と3人は家系図に載っていたので
忠治の時代の方かと、推測しています。
因みに、3人共私の直系の御先祖ではありませんが。
貴重な情報を有難う御座いました。


姫路藩根岸家とは、関係無い内容で使用させて頂き、申し訳御座いません。


3094.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2015年12月2日(水) 20時28分
>佐波郡東村の寺社

情報ありがとうございました。

実は1年くらい前に「国定忠治」で検索して、このホームページにたどり
着きました。
その時に「根岸重兵衛」も見つけていました。
1852年なので、忠治が亡くなった翌年の戸主一覧と言うことだと思います。

昔も今も国定村には「根岸、長岡、国定、諏訪、松原、久保田姓」が
多いことがわかります。
誤記と思いますのが、
《西》角田小右衛門、松原佐金次・・・長岡市太郎・・・同伊勢吉、◎同友蔵・・・の部分です。

”◎”付いているのは、友蔵が忠治(忠次郎)の弟で家を継いだ人物だからです。
なので《西》ではなく《東》の配下に記載されていないとおかしいです。
忠治の生家も長岡家が多いのも東国定だと思います。

「伊勢崎市の根岸」様には源平の時代まで遡れる貴重な家系図が
有るので、それ以上の情報はあまり無いような気がします。
群馬根岸の「本家の中の本家」(根岸の中心)ではないでしょうか。

余談ですが「スタップ細胞は有ります」と言っていた人は、
ご先祖様が東村界隈の方では無いかと勝手に想像しております。


3095.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2015年12月2日(水) 21時54分
此方こそ貴重な情報を頂き、有り難う御座います。
ぐんまちゃんさんは、国定忠治や東村関係に
研鑽を積んでおられる様で、大変お詳しい御様子ですね。
これからも、色々と教えて頂ければ有り難いです。

先程のホームページで誤記がある様なら、
私の直系御先祖様、らしい名前の方も2人程いました。
それと、この時代の重兵衛氏は代々世襲された(本家筋)の
方ではなく、分家で代々治郎右衛門を世襲した子孫だと思います。
世襲された直系子孫は、惣次郎氏です。
あれれ!今気付きましたが、ホームページでは惣治郎ですね?
家系図を見て、多分ですが。

それから、期待を裏切る様で悪いのですが
家系図ですが、初代重兵衛氏からすぐ下で3系統に
分かれていまして、初代から2代目の間が650年程端折ってあります。
この間同じ重兵衛氏かは、分かりませんが、2代目重兵衛氏が
分離後の祖と、なっています。
私もここの分家です。

そう言えば、小保方氏は何人か知人がいます。


3097.Re: 姫路藩根岸家について
名前:姫路より(3069)    日付:2015年12月29日(火) 16時42分
3069の根岸です。

縁あって「姫路城史(松本政次・著)」の初版、上中下巻のセットを入手しました。
姫路藩酒井家初代の酒井忠恭(さかい ただずみ)の役人一覧のようなものが載っており、根岸の名前がありましたので紹介します。

中巻P499
【茗話燭談】○城受取方人別
家老 川合勘解由左衞門
 (38名中略)
平士 根岸傳五兵衞
 (21名後略)

また、明治二巳年の役員表(給与帖?)にも根岸が見つかったので紹介します。

下巻
P304 十人扶持 根岸源太左衞門
P305 百石 根岸丑四
P318 廣間番 三両六人扶持 根岸槌藏
P319 会計係 参政支配 十五俵三人扶持 根岸庄次郎
同           三両二人扶持 根岸文六
P327 会計係支配 (12人略)根岸林太夫(96人略)
P339 家中惣領 川合屏山組 (9人略)丑四子 根岸又一郎(15人略)

この役人一覧だけで38ページ、酒井家の時代全体で763ページもあるなかなかに重厚な書籍となっています。
読み解くには時間と根気が必要そうですが・・なにかの参考となれば。


3101.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2016年1月31日(日) 22時31分
伊勢崎市の根岸関連になりますが、下記のホームページにちょっとした
情報が有りました。

http://kinsyuu3.blog100.fc2.com/blog-entry-11.html

中略
”古文書「国定村浪士新古貴賤順席正記」によれば
「古百姓拾六軒皆由緒有ル浪人也」とあり、
国定家を根本大先祖に十六苗が受け継がれ”
かつての武士の気風が伝えられた。
と有ります。

その16苗(みょう)の中に根岸があります。
諏訪、根岸、松原、関口、卯佐未(宇佐見)、長岡、松原、角田、
細野、舟戸、向田、大山、松原、大木、田村
です。

ちなみに国定家は”遠く新田氏の家臣に連なる”と有ります。
(岩波新書:国定忠治/高橋敏著、P47)
(松原が2回出て来るのはミスプリと思われます)

「国定村浪士新古貴賤順席正記」
(くにさだむらろうししんこきせんじゅんせきせいき)に
もっとヒントになることが書かれているのではないかと思いますが
自分には見ることが出来ません・・・。

西暦1300年代に足利氏に敗れ、新田氏側の人たちは
皆浪人になったのか?


3103.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2016年2月3日(水) 21時52分
貴重な情報を頂きまして、ありがとうございました。
小生もネット上で、いろんなキーワードで検索してみましたが
16苗に関する詳細情報には、辿り着いていません。
週末にでも、何か記録がないか図書館へ
足を運んでみようかと思います。
また何か分かりましたら、ご教授お願い致します。


3104.Re: 姫路藩根岸家について
名前:伊勢崎市の根岸です。    日付:2016年2月21日(日) 10時38分
伊勢崎の根岸関連で申し訳ありませんが、分かった事がありますので
掲載させて頂きます。

国定村浪士新古貴賤順席正記は見れませんでしたが
国定村誌(くにさだそんし)P268に16苗に関して載っています。

>その16苗(みょう)の中に根岸があります。
 諏訪、根岸、松原、関口、卯佐未(宇佐見)、長岡、松原、角田、
 細野、舟戸、向田、大山、松原、大木、田村
 です。

 ちなみに国定家は”遠く新田氏の家臣に連なる”と有ります。
 (岩波新書:国定忠治/高橋敏著、P47)
 (松原が2回出て来るのはミスプリと思われます)

16苗は個人名なので、松原はミスプリではありませんでした。
大先祖 国定越中守将監(げん)、先祖 諏訪彦助
先祖 根岸助右ェ門、祖人 松原伊蔵、祖人 関口主計
同 卯佐未露久、同 長岡五郎右ェ門、同 松原惣左ェ門
同 角田孫右ェ門、祖人 細野市之丞、同 舟戸弥重郎
同 向田与八、国定越中守門番 同 大山源左ェ門
同 松原光斎、同 大木小太郎、祖人 田村六左ェ門です。

上記の苗字の下に西東の区別(多分国定の居住地域)と
名前が記載されています。

大先祖、先祖、祖人の意味は分かりませんが・・・
国定村浪士新古貴賤順席正記とは1579年(信長在世)から
1740年(八代将軍吉宗)迄の村方16苗や知行石高を
記載した物の様です。


3105.Re: 姫路藩根岸家について
名前:神奈川 根岸    日付:2016年3月6日(日) 1時10分
3053の投稿をした根岸です。
祖父・父の代まで姫路に住んでいました。江戸時代に国替えで群馬から姫路へ移ったというのは
父方の親戚筋から昔聞かされておりました。

以前の投稿時には過去帳が読めず諦めておりましたが、今年初めに焼損してしまい。
姫路にある菩提寺(慈恩寺)の住職に再作成を依頼したところ、

江戸時代の過去帳が見つかったが
根岸家が三つあり(内二つは武家)不明とのこと。(武家のみ下記参照)

根岸慶右衛門
根岸友右衛門−文六−悦司


そして明治の方は、槌蔵、●●(私の曽祖父)の記載あったので明治以降は
何とか分かりました。
唯一焼損を免れたページの記載が

嘉永元年五月廿日 槌造 父 

とあったので本日早速住職に再調査を依頼し、住職も槌造から追って調べるとのこと。
詳細が分かればまた連絡致します。
推測では失礼ですので。


3111.Re: 姫路藩根岸家について
名前:神奈川の根岸    日付:2016年3月27日(日) 22時48分
Original Size: 558 x 779, 73KB

3105を投稿したもので、以前同様の掲示板ではエド・スポックと名乗っていたものです。

菩提寺から連絡が来て、江戸時代のものは喪主しか書かれておらず、突合せが出来ないとのことでした。
因って私のご先祖は嘉永元年五月に没した槌蔵父までとなりました。

168年遡れば十分かなと思います。
一時友右衛門まで繋がれば群馬伊勢崎から姫路に移ったことが確実になったかも知れませんが、これ以上調べようがないので諦めることと致します。

今般の件では3104伊勢崎市の根岸さんをトピ主と勘違いしてメールを送信してしまい失礼いたしました。
改めてお詫びいたします。

参考までに根岸家系譜の一ページ目を添付いたします。
顛末お知らせまで。

お騒がせ致しました。



3117.Re: 姫路藩根岸家について
名前:ぐんまちゃん    日付:2016年5月3日(火) 22時55分
Original Size: 764 x 162, 52KB

書込みの中で家紋が幾つか出て来たので、拾い集めてみました。
(下記に添付。蛇の目の”目”の数など一部は想定です。)

ほとんどが伊勢崎市あたりと思いますが、
同じ苗字・同じ地域でも色々な家紋が有って、
名前だけで祖先をたどって行くのは大変だなと感じました。

家紋を追加しますが、
「丸に根笹」と「丸に違い鷹の羽」は
自分がたまたまではありますが、確認しています。



3128.Re: 姫路藩根岸家について
名前:神奈川の根岸    日付:2016年6月14日(火) 23時38分
ぐんまちゃんさん

我が家の家紋は丸に三ツ星です。
亡父がお墓作る際にデザインを少し変えて三ツ星を座りよく下に寄せて姫路の菩提寺に作りましたが。

私が横浜に改葬した際に元に戻しました。


3157.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松ア正俊    日付:2017年1月4日(水) 16時0分
申し越しの松ア郷右衛門の子孫です。
明治維新時の当主は松ア彦右衛門です。
姫路県の権大参事を勤めていました。


3158.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松ア正俊    日付:2017年1月4日(水) 16時29分
松ア家の家系図の第五代松ア郷右衛門正均の女は確かに根岸又右衛門さんに嫁いだように記されています。


3170.Re: 姫路藩根岸家について
名前:群馬より    日付:2017年4月17日(月) 23時56分
暫く、メールを見ていませんでした。
皆さん、ご返信ありがとうございます。

神奈川の根岸さんへ、
返信、ありがとうございました。
ご参考までですが、地元の図書館にある我が家の根岸家の系図には、以下の名前があります。

増右ェ門
善右ェ門
九右ェ門

酒井家の伊勢崎から姫路移封の際には田中村に土着するものと、姫路に付き従ったものとに別れ、
現在三王道にある寮跡と言われる場所は根岸一族の一部(友右衛門家)の墓であり、
姫路に付き従う根岸家のものが土地の人に先祖の墓の供養をくれぐれも頼んで行ったとの言い伝え
が残っています。


寛延元年(1748年)酒井雅楽頭御家中分限帳(姫路に移転の藩士)
その中に根岸権七さんの名前が見られます。

根岸弥市   30石
根岸伝五兵衛 100石
根岸善左衛門 50石
根岸権七   四両3人扶持、北代田村<−−−−
根岸友右衛門 五両3人扶持、三王道
根岸善右衛門 50石

尚、那波家に伝えた根岸家では、田中村の根岸家と宮郷村の根岸家の2系統があります。
宮郷村の根岸家は家紋が異なってます。


宝暦7年(1758)の姫路酒井家の家臣団(姫路市史10巻)には、

根岸市五郎 100石
根岸弥市 110石
根岸源衛門 50石
根岸七蔵
安永(1772)年中侍帳(姫路市史4巻)には、大奉行・作事元方として
根岸友右衛門の名前が見られる)。

亡くなった父の話ですが、伊勢崎市の真光寺(臨済宗)が我が家のお寺だそうですが、
それ以前が知りたければ、鎌倉の円覚寺だと祖父が言っていたそうです。
那波家(大江系)に仕えていたのは確認が取れてますが、それ以前の根岸家について知りたいと現在思ってます。
神奈川の根岸さんの情報では、藤姓藤原とありましたので、ひとつのヒントになると考えております。
おそらく、藤原系那波氏から発生したのか、藤原氏の一族があるタイミングで藤原系那波氏か大江系那波氏に仕えたのではと考えております。
また、難しいとは思いますが、藤原氏から根岸氏に変えた経由が知れればなあと思っております。
おそらく、鎌倉あたりの根岸という土地に移ったのがきっかけではないかと考えております。

松ア正俊へ、
返信、ありがとうございました。こちらの根岸家の系図の裏が取れました。
尚、酒井家の廣田専益、六谷田市兵衛勝繁の所へは、又右衛門の姉妹が嫁いでいるようです。


3171.Re: 姫路藩根岸家について
名前:群馬より    日付:2017年4月24日(月) 0時54分
松崎さんへ、
大変失礼致しました。
敬称を入れ忘れてしまいました。ご容赦下さい。
>松ア正俊へ、
>返信、ありがとうございました。こちらの
>根岸家の系図の裏が取れました。
>尚、酒井家の廣田専益、六谷田市兵衛勝繁
>の所へは、又右衛門の姉妹が嫁いでいるよ
>うです。


3173.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松崎将志    日付:2017年6月6日(火) 0時28分
松崎家の家紋がまったくわかりません❗


3175.Re: 姫路藩根岸家について
名前:群馬より    日付:2017年7月21日(金) 11時35分
松崎家の家紋の件、
姫路藩酒井家の家臣名簿か分限帳に載ってるかも知れませんよ。


3176.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松ア正俊    日付:2017年7月22日(土) 15時25分
松ア将志さん

我が松ア家の家紋は「五つ柏」(五枚柏)です。

この家紋でルーツが同じかどうかわかるかな?


3177.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松ア正俊    日付:2017年8月7日(月) 11時49分
こんにちは。
いま姫路では、姫路藩酒井家の旧家臣の子孫の会を立ち上げてくれています・
名称は「三星会」(姫路藩酒井家文化歴史研究会)とし、平成29年8月26日(土)午後1時30分より
姫路市本町68番地日本城郭研究センター2階で設立記念総会が開催されます。
入場ご希望の方はどうぞご参加ください。

三星会事務局 E-mail:sanseikai1@yahoo.co.jp


3179.Re: 姫路藩根岸家について
名前:塩澤    日付:2017年8月20日(日) 22時13分
こんにちは。
松崎さん。家の系図に、塩澤理右衛門正珍。寛暦元年(1751年生)
松崎左平正惟養子とあります。

松崎家に、そのような記録はありますか。


3182.Re: 姫路藩根岸家について
名前:松ア正俊    日付:2017年8月28日(月) 8時40分
塩澤さん

我が家の家系図には「塩澤理右衛門正珍」さんの名前残念ながら載っておりません


3183.Re: 姫路藩根岸家について
名前:塩澤    日付:2017年8月28日(月) 19時52分
松崎さん。ありがとうございます。別の松崎家かもしれませんね。


3188.Re: 姫路藩根岸家について
名前:神奈川の根岸    日付:2017年12月3日(日) 23時6分
群馬の根岸さま

私も暫く掲示板を見ておりませんでした。
根岸権七さんの情報見て驚くとともに調べてくださりお礼申し上げます。

今度改めて一部だけ載せた系譜の全頁の画像を投稿したいと思います。

2411.安俵小原氏について 返信  引用 
名前:小原    日付:2012年1月7日(土) 13時9分
私は幼い頃から、総本家の長男と言われて居ましたが、疑問に思う所もあり、実際岩手県に行ってみました。17代が岩手県の住所を言わずに亡くなったため、先祖の位牌から調べ、岩手県和賀郡安俵だと分かりました。成澤寺で過去帳を見せてもらい、昔の屋号まで分かり、先祖の名前も沢山確認できたのですが・・・
私の実家のお仏壇に「安俵下房守藤原玄蕃小原秀房之霊」と書かれた位牌がありました。安俵小原氏にそのようなご先祖様がいたのでしょうか?下房は誤字なのでしょうか?命日は元和です。初代と聞かされています。
昔の屋号は「平」。家紋は「丸に上がり藤」分家さんは「丸に下がり藤」。妙見信仰もありました。明治に北海道に移住しています。
私は20代目と聞かされていますが、16代と17代は岩手に家系図などを預けているので、取りに行くと遺言を残し亡くなりました。
今となっては系図を大切に保管してくれている方もいるかもしれないので、系図自体は探してはいませんが、安俵小原氏屋号「平」の系譜が気になってなりません。岩手の成澤寺のお墓は区画整理があり、無縁仏となってしまったそうです。私どもは北海道にいたため知りませんでした。安俵小原氏の六本木系譜に「屋号平」について記載がありましたが、系譜がわかりません。もし宜しければ、助言お願い致します。



2418.Re: 安俵小原氏について
名前:TW    日付:2012年1月22日(日) 11時59分
下房守=下総守の誤りだと思います・・・
和賀氏の家臣として、
安俵玄蕃小原藤五(藤二)忠秀(稗貫)、小原玄蕃峯行などの名が見えますが・・・

下記のように、平姓を称している場合も有ります(小原氏ではなく和賀氏の庶流とする説も有り)
平 義光(和賀義光?)――平 時義(小原信濃守、安俵城三代城主)――平 義清(信濃守)――平 重義(安俵刑部少輔)――平 信義(安俵又三郎)――平 義重(安俵玄蕃)

源姓の小原氏(物部氏に関係する可能性もあるかも・・・?)
源 義実(小原四郎右衛門尉、和賀義光属)――源 清実――源 兼実――源 義実――源 親実

和賀氏没落後に伊達氏、南部氏、葛西氏などに属していたようです・・・

中条家長が藤原姓八田知家の養子になっており、中条家長の弟の刈田義季が平姓三浦一族和田義盛の養子となり、平姓に改姓しています。 刈田義季の子に和賀義行、小田島義春などがおり、平姓を称していたと思われます。
南部氏の祖の南部光行の母は和田義盛の娘(実際には姉妹又は養女の可能性が有り)とされています。

和賀氏の出自も源頼朝の落胤説?、源姓多田氏説?なども有り、源姓を称したりもしています・・・
藤原姓稗貫氏の一流に安俵殿と称している者も有り・・・
小原氏も中条氏、和賀氏、和田氏、葛西氏、稗貫氏などとの、婿入り、養子、婚姻、主従関係、改姓などにより複雑になってしまったのかもしれません・・・? 
源姓、又は、平姓の小原氏(安俵氏)に藤原姓の稗貫氏から養子、又は婿が入り藤原姓小原氏を称したのかもしれません・・・?

成沢寺の開基は安俵玄蕃の弟の式部(応永27年に開く)とされ、天正8年の銘文にある、下総守信家が式部の子孫又は本人の可能性が考えられます・・・?  
尚、安俵玄蕃、小原玄蕃を称していた者は複数いたかもしれません・・・?
もしかすると、応永27年の年記が誤りで有れば、安俵玄蕃忠秀の弟の式部が下総守信家で、忠秀=秀房、又は、忠秀の一族=秀房、かもしれません・・・?  忠秀の子に房継、房政の名が見えます。
岩手の本家などで家系図を確認出来れば、詳しい事が判明するのでは・・・?
御参考まで。

屯田兵
稗貫良太郎  山鼻(札幌市)  岩手県出身  明治9年5月入植
小原鉄三郎  山鼻(札幌市)  宮城県出身  明治9年5月入植


2427.Re: 安俵小原氏について
名前:小原    日付:2012年1月31日(火) 8時6分
とても詳しいご説明、誠に有難うございます。
私の家は総本家と言われていたので、今になっては分からないことばかりです。
岩手の東和町も訪ねましたが、本家が2つほどありどのような流れであったか詳しい資料は見つけることができません。
高祖父が北海道に渡り今に至りますが、屯田兵ではなく開拓した土地を購入したみたいです。
高祖父は岩手に帰ることができず、曽祖父が系図を預けているから岩手に行くといい、岩手に行くことなく亡くなりました。
曽祖父が詳しいことを知っていたらしいのですが、今になっては分かる者も居ず、私が位牌から安俵の地を探し訪ねたのです。
分家の方とお会いしましたが、その方も本家が北海道に渡ったとは知っていたのですが、今は2つの本家の一方の法事などに参加しているようです。
やはり、色々な文献を探さないと分からないものなんですね。
系図が無事で誰かが保管してくれていれば良いと思っています。
ただ、曖昧なままのご先祖さまを思うと調べたくなりますね。

レスポンス有難うございました。
いろんな可能性が発見でき、大変役立ちました。
今後もまた調べてみようと思います。

2408.先祖について 返信  引用 
名前:浅野    日付:2012年1月4日(水) 20時6分
2年程前にこちらで仙台藩士とされる先祖についての情報提供をお願いした浅野と申します。
菊池藤兵衛様と馬原様、情報提供ありがとうございました。

その後、私の知り得た情報から何かご存知であればご教授頂ければと思います。
此度、祖父より先祖は馬廻りをしていた事が分かりました。
そして北海道の移住先が祖父の知り得る限りでは現在の札幌市白石区だったそうです。
(本家もやはりその近辺にあります)
時代背景が確かではありませんが、恐らく明治初期の頃と思われます。高祖父母は現在の宮城県石巻市にも住んでいたそうです。

私の知り得る限りでは(現)石巻市は仙台藩の領地で間違いは無いと思うのですが。
仙台藩士(石巻、白石)馬廻りをしていた浅野姓について何か分かる事が御座いましたら、どんな些細な事でも構いませんのでご教授頂けたらと思います。



2410.Re: 先祖について
名前:TW    日付:2012年1月6日(金) 14時5分
屯田兵
浅野忠五郎  東永山(旭川市永山) 宮城県出身 明治24年7月入植
浅野善弥  南太田(厚岸町太田) 宮城県出身 明治23年7月入植


大きな図書館等に仙台藩に関係する資料は多数あります。

仙台藩士族籍
旧仙台藩士の北海道移住
海を渡った武士団 旧仙台藩士の北海道開拓
仙台藩士資料(家わけ)
私本仙台藩士事典

御参考まで


2413.Re: 先祖について
名前:浅野    日付:2012年1月11日(水) 20時11分
ご教授有難う御座いました!

今度最寄の図書館で調べます。


2417.Re: 先祖について
名前:keifu.org    日付:2012年1月21日(土) 19時24分
浅野様

旧上白石村子孫のkeifu.orgです。

史料により
明治10年白石村戸主(1番地〜102番地)
明治9年上白石村戸主に浅野姓は見当たりませんでした。
 ただし番外地の住人は10数名しか情報を得ていませんので
 どの場所に入力したかによります。
 少なくとも明治4〜10年ころに白石村中心部には入植した可能性は
 低いような気がします。間違っていたらすみません
また、明治4年〜明治19年に白石村で誕生した子の姓にも浅野は
ありませんでした。
しかし、仙台藩には浅野姓が数名見受けられます。
 私が知る範囲でも15名
 ただし馬廻役なる職は見受けられませんでした。
 (勉強不足かもしれません)


私の祖先も明治19年に上白石村番外地に入植をしています。
 農民としての開拓ですが、、、
 何年か白石村上白石村を調査しておりますので、情報を持っています。
 入植地の詳細もしくは、名前や入植時期が分かれば
 もしかするとご協力できるかもしれません。
  市販本以外の史料情報もあります。

 掲示板への書き込みが抵抗があるのであればメールをいただければと思います。
 私のHP(http://www.keifu.org/)にメールアドレスはあります。




札幌の白石と 手稲は、仙台からの入植が多いので、話はあいます。
藩士の動向は第1班は明治4年10月6日夜五ッ頃小樽郡着港で
その前後の足取りもある程度分かっていますよ。
http://www.keifu.org/


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