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家系研究協議会掲示板

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2339.高祖父伊藤善太履歴 返信  引用 
名前:姫路藩士兵庫県士族伊藤穂一郎来孫、伊藤善太玄孫    日付:2011年9月4日(日) 22時10分
嘉永六年、姫路藩押目付伊藤穂助、ふさの長男として、姫路城下五軒邸において出生。幼名善之助。

慶應二年四月十一日、父穂助、鳥見被仰付候。(姫路市立城郭研究室所蔵、姫路藩酒井家文政家臣録、伊藤穂助より出典)。

慶應二年八月二十日、実弟卯左二卒去。享年七歳。墓所姫路城西の丸傍山野井町柿場山慈恩寺。

慶應三年四月二十四日、善之助、当分之内、軍事局使令被仰付候。(文政家臣録伊藤穂助より出典)。

明治二年七月調の姫路藩酒井家家士帖「巳年増減惣替〆帖」にも、寄合鳥見役として、伊藤穂助の名前が見受けられる。(橋本政次著姫路城史下巻所載)。

明治二年八月二十日、善之助、藩校好古堂督学執筆被仰付候。(文政家臣録伊藤穂助より出典)。

明治二年十月二十二日、父穂助、願出通り穂一郎与改名被仰付候。(文政家臣録伊藤穂助より出典)。

この頃、善太に改名す。

明治三年正月二十八日、善太、督額執筆被仰付、寮使令兼勤被仰付、勤二付、為御手当壱人扶持(金三両か)被下置候。(文政家臣録伊藤穂助より出典)。

明治九年八月、兵庫県士族。

明治十二年十一月二十一日、祖母茂世卒去。享年八十一歳。慈恩寺。

明治十五年五月三日、神戸始審裁判所に雇(警視局巡査、監獄看守相当等外官)を以って奉職。

明治十五年九月二十五日、司法省十七等出仕に任ぜられる。月俸十二圓、年額百四十四圓。

明治十六年二月十三日、神戸始審裁判所書記(現裁判所書記官)の官職を拝命。

明治十六年二月、神戸治安裁判所に転属。同年五月、始審裁判所勤務に復す。

明治十六年十一月二十七日、岡山県岡山区古京町(現岡山県岡山市古京町)、石村つた、と婚姻届出。

明治十八年十月、司法省十六等出仕(警部補、看守副長相当官)月俸十五圓、年額百八十圓。

明治二十年十一月、司法省判任官八等(旧十五等出仕、権少警部、看守長相当官)。月俸二十圓、年額二百四十圓。

明治二十二年、嫡男三多誕生。

明治二十三年十一月一日、裁判所構成法施行により、神戸地方裁判所書記となる。(現神戸地方裁判所本庁書記官)。

明治二十七年一月、司法省判任官四等七級俸。(旧十四等出仕、判任官七等、少警部、看守長相当官)。月俸二十五圓、年額三百圓。

明治二十八年八月十一日、父穂一郎卒去。享年六十八歳。慈恩寺。

明治三十年十一月、司法省判任官三等六級俸(旧十三等出仕、権中警部、看守長相当官)。月俸三十圓、年額三百六十圓。

明治三十一年九月二十六日、母ふさ卒去。享年六十九歳。慈恩寺。

明治三十三年四月、月俸三十五圓、年額四百二十圓。

明治三十七年十二月廿七日、叙正八位勲八等(宮中席次第十階六十六)。

明治三十九年一月、勤続二十三年八ヶ月、その間、事務勉励の賞を受ける事十三回、神戸地方裁判所本庁刑事第一部書記(現書記官)の官職を以って退官。

大正元年十二月三十日、嫡孫冨美子誕生。

大正九年一月六日、嫡男三多卒去。享年三十一歳。(旧日本商業銀行勤務)。慈恩寺。

昭和五年一月八日卒去。享年七十七歳。慈恩寺。



2353.明治四十年当時の兵庫県下における、当家高祖父伊藤善太と同等級の官吏
名前:姫路藩士兵庫県士族伊藤穂一郎来孫、伊藤善太玄孫    日付:2011年10月7日(金) 17時23分
兵庫県庁知事官房属判任官七級従八位、兵庫県庁第一部属判任官六級正八位勲八等、三田警察署署長警部判任官六級正八位、柏原警察署署長警部判任官六級勲八等、豊岡警察署署長警部判任官六級正八位勲八等。

明治四十年五月一日調、職員録乙、印刷局より出典。

2337.下田・「進士」のこと 返信  引用 
名前:進士英治    日付:2011年9月2日(金) 11時58分
メールありがとうございます。
下田の進士の旧家の家紋は「マルにササリンドウ」とのことでした。
我が家は「カタバミ」といっています。<あまりよくわかりません>
美作村は「箕作」だと思います。下田市箕作です。ここには、深根城跡
ガあります。



2338.Re: 下田・「進士」のこと
名前:進士 毅    日付:2011年9月2日(金) 21時53分
早速の回答ありがとうございます。

笹竜胆紋は、清和源氏の代表紋ですね。

片喰紋は、藤原南家真作流に藤原清兼(進士大夫)と号すという人物の家系に中川氏があります。片喰紋は中川氏の定紋です。ここの家系にも進士氏を名乗る家系があるようです。

2334.下田市の「進士」姓について 返信  引用 
名前:進士英治    日付:2011年8月22日(月) 22時38分
初めて送信します。
私は下田市に住んでいる進士英治と申します。
以前、静岡県掛川市の進士毅の質問等見ました。
私のルーツは源義光(新羅三郎)の曾孫義高が下田市吉佐美の豪族進士しに養子に来たなどとの話があります。<吉佐美古記録>
現在下田市吉佐美地区には100世帯以上の「進士」姓が住んでいます。
下田市関係を中心とする「進士」姓に関しての情報等何でも教えていただけたら幸いです。
ちなみに、下田市の他に掛川市、菊川市、島田市、三重県菰野町、福井県越前町、石川県、千葉県にも「進士」姓はあるようですね。



2336.Re: 下田市の「進士」姓について
名前:進士 毅    日付:2011年9月1日(木) 23時58分
はじめまして、掛川市大渕(旧藤塚村・旧野中村)出身の進士です。
藤塚も野中も家紋は同じで元々は同族です。

正紋は「丸に下り藤」です。
藤塚村の庄屋を進士氏が代々していたそうです。野中も元々は藤塚村がルーツです。なので下り藤を家紋にしたと考えています。

替紋は「丸に日の丸扇」です。
清和源氏源義光の子の源義業が進士判官と称しています。孫の行義は進士次郎と称しています。源義業の長男は佐竹昌義で佐竹氏の始祖です。佐竹氏の家紋は「日の丸扇」で替紋が同じなのでなにかしら関係あるのかなと考えています。

下田市関係では、見作村(下田市)の提坂城主に足利氏に属した進士美濃守がいるそうです。見聞緒家紋を観ると家紋は丸に頭合わせ五三桐です。

家紋繋がりで質問ですが、下田市系進士氏の家紋は何ですか?
宜しければ教えて下さい。


2518.静岡県掛川市大渕の進士氏について
名前:進士毅    日付:2012年12月20日(木) 12時35分
久しぶりの投稿です。
掛川市大渕の進士氏の家紋には正紋=丸に下り藤と替紋=丸に日の丸扇だけだと思っていました。
更に、替紋=丸に桔梗を発見しました。場所は現在の進士氏の菩提寺である江岳寺(掛川市大渕)敷地内にある進士氏の墓です。掛川市大渕の進士氏の墓は私有墓地にほとんどあり寺院敷地にあるのはたぶんこの墓だけです。調べると太平洋戦争の戦死者のお墓でした。

歴史的に考察すると桔梗紋は土岐氏の代表家紋で支族の明智氏も桔梗紋を使用していました。明智光秀の配下に進士作左衛門が実在します。
先祖が明智氏との関わりで丸に桔梗紋を使用いしたのか?太平洋戦争で戦士したので進士作左衛門にあやかり使用したのかは定かでありませんが新発見でした。


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