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家系研究協議会掲示板

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3058.四国の三島で先祖は何をしていたのでしょうか 返信  引用 
名前:井原    日付:2015年7月30日(木) 2時34分
父の実家は、愛媛県四国中央市の三島で、陣屋遺跡という石碑が
あると聞きました。今は銀行の敷地だそうです。
親戚には、文化財に指定されている家が何軒かあるそうです。
都会に住んでおり、田舎には墓参りにたまに帰ります。
いったい、先祖は何をしていたのでしょうか。
我家は昔、士族だといっていましたが、、、、、。

3057.錦織神社 大阪府富田林市 返信  引用 
名前:谷 文雄    日付:2015年7月4日(土) 21時20分
江戸末期まで存在した寺 の宗派など

3056.紀氏 返信  引用 
名前:谷 文雄    日付:2015年7月4日(土) 21時18分
先祖を調べていて紀氏に出会いました。どんなことで教えてください。

3055.武士だった先祖 のことを調べています! 返信  引用 
名前:a.k.a    日付:2015年6月27日(土) 15時2分
福山藩 水野家中に清水姓の武士は、確認出来ますか?

ご存知の方は御一報を

3052.川舩・川船について調査中です。 返信  引用 
名前:川舩俊市    日付:2015年4月26日(日) 19時22分
祖は大江廣元の長子大江親廣の二世の孫となっておりますが、山形寒河江を出て以降の流れ
また、長野県内の動き、小笠原家臣集団以後、戸田松平家士官の祖についてご存じの方、ご一報を

3050.(untitled) 返信  引用 
名前:なのるなもない    日付:2015年4月2日(木) 2時42分
初めまして通りすがりのものですが、当HPに「大友、少弐氏の裏切り…」と説明されています。解っているとは思いますが今一度、内容を見直されてはいかがでしょうか?

3049.はじめまして 返信  引用 
名前:綾足    日付:2015年3月27日(金) 15時23分
私も自分のルーツを知りたくてここに辿り着きました

私の家の家系図に
遠祖清和天皇末流刑部少輔従五位源義光四男平賀盛義の子孫竹内善治、伏見天皇の御代正応五年民間に下り改めて内山貢、藤原義治と称すその後次男内山圖書、藤原義信を以て内山家初代神職任す これ当家の始祖なり 
と書いてありますが
この竹内とは大内惟信の系統なのでしょうか

また私の祖母は静岡県周智郡森町 天宮神社 
神職中村家の出で
始祖が藤原綾足慶雲二年より天宮神社神職になったようなのですが
藤原綾足についてなにか分かることは
ありますか?

3044.自分のルーツについて 返信  引用 
名前:武重大介    日付:2015年2月28日(土) 10時36分
お世話になっております。
武重大介と申します。

私の母の実家が佐賀県伊万里市二里町大里の武重家の本家と
聞かされています。
元々は父方の姓を名乗ってましたが、私が二十歳の時に、父が婿に入り姓が
武重になりました。
自分のルーツは熊本の菊池武重で、戦に負けて伊万里に
落ち延びてきたと聞いてます。

実際にはどうなのかは分かりませんが、興味があり投稿
してみました。

因みに余談ですが、母も私もB型です。



3047.Re: 自分のルーツについて
名前:菊地武英    日付:2015年3月4日(水) 9時52分
菊池武重のことならば、家系研究協議会の「菊池一族」の掲示板に投稿されたほうが情報が集まると思います。


3048.Re: 自分のルーツについて
名前:どりとる    日付:2015年3月16日(月) 20時38分
伊万里二里大里ですか。私の曾祖母が転居して住んでました。

3033.御手数をお掛けしました 返信  引用 
名前:小次郎    日付:2015年2月22日(日) 16時14分
馬原さん 今日は 御無沙汰しております。

この度はご面倒をお掛けしますがご容赦下さい。

九州の御家人については、私の書き方が十分ではなかったようです。実は翌日になってから気づいていたのですが、訂正が効きませんので、また新たにコメントを入れるほどのことでもないかと、放置しておりました。

京都若宮八幡を修復する時の勧進帳が頭にありましたので、800年前という時期には九州には島津氏以外の御家人はいなかったと記憶していました。この史料に載っているのが当時の御家人・又はそれに準じる人々(例えば西條人々)と思っています。所謂本補地頭の時代です。(史料を探し出すのが大変ですので、うろ覚えです)

その後鎮西探題を設置してからは、幕府に帰順した人が多くおられたことは理解しています。鎮西奉行時代については良く判っていないようですが、上記勧進帳から推測するに、まだ九州は完全に掌握していなかったと思います。承久以降に九州へ新補された地頭が何人かいたでしょうが、勉強不足でそこまで理解していません。

その後元寇がありましたので、関東から多くの御家人が一族を派し、また九州の豪族も帰順していたことは、菊池氏の一族である竹崎季長の蒙古襲来の様子が絵図で判りますね。
もう少し丁寧に書けばよかったと反省しております。

家系の調査に関しては馬原さんと全く同じだと思います。ただ、私の家系で偽系図が江戸期に流行っていたことがあり、それを元にして現在も地方の郷土史に論文やネットに色々書く方がおられますので、公開の場所にう於ける家系の記述はは出来るだけ慎重であって欲しいと思っています。ご理解下さいますようお願い致します。



3034.Re: 御手数をお掛けしました
名前:小次郎    日付:2015年2月23日(月) 14時5分
少し気になりますので、史料を探し出しました。やはり少し勘違いがあったようです。

「資料紹介」 田中穣氏旧蔵典籍古文書
【六条八幡宮造営注文」について

国立歴史民俗博物館 研究報告 第45集 平成4年12月
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun2/index.html

源平合戦で焼失した京都六条八幡宮(若宮八幡)の造営について、勧進した名簿が残っています。史料の研究内容については記事をご覧ください。

建治元年5月日(1275) 鎌倉中 123人 在京 28人 諸国 318人 計469人が勧進しています。

昨日九州の島津氏と書きましたが、何か私が勘違いしていたようで、九州は一人もありませんでした。

一番西は周防国で4人 吉敷十郎入道跡 大内介 鷲頭筑前々司跡 石見二郎入道跡


3035.Re: 御手数をお掛けしました
名前:小次郎    日付:2015年2月23日(月) 16時21分
建長年間に御家人役を負担していた九州の御家人と思われる方がおられました。
これを見落としていましたね。いや お恥ずかしい限りです。

上記建治元年の勧進交名に記載されていないのは、恐らく元寇に対する為、九州の御家人は寄進の義務(御家人役)を免除されていたと思われます。

お詫びついでに、建長年間の交名にあって、建治の交名に無い方を挙げておきます。

大友豊前々司跡 草野大夫跡 菊池入道跡 土持入道 土岐左衛門尉 相良人々 河尻太郎 須江太郎 佐嘉源二 佐伯入道 志賀七郎 臼間野太郎 日田四郎跡 伊美太郎兵衛尉 上嶋次郎 高知尾太郎 多久平太跡 以上17名 なお、長門の厚東左衛門等も異国警固の為、この造営料を免除されていたと思われます。

「跡」というのは以前の御家人役を負担していた者の後継者という意味だと思います。「跡」がついていないのは、今回初めて役を負担する人のことでしょう。

先ほど書きました石見二郎入道跡は石国二郎入道跡です。石国は恐らく岩国のことと思われます。

私の勉強不足で家系研究から少し逸れてしまいましたが、訂正とお詫びです。


3036.Re: 御手数をお掛けしました
名前:葉隠    日付:2015年2月24日(火) 15時57分
小次郎さま 馬原さま

こんにちは。宗家が北部九州を統治してきたというのは幕府方御家人(探題方)ではなく、むしろ敵対していた宮方の武家になります。
また、島津家あまり関連はありませんが、南九州を拠点とした九州御三家のひとつです。

先日佐賀県の歴史の本を読んだのですが、乱世の世であったものの、基本的には北部九州の豪族や氏族は長く宗家の下で出現してきたとの事だったので、あながち間違ってはいない認識と考えます。

ここまで言うと、どの家柄かは判ってくるかもしれませんが、対蒙古の責任者の家で、竹崎季長は当時の部下だったそうです。馬原さまには系図資料をお送りしたいと思います。


3037.Re: 御手数をお掛けしました
名前:どりとる    日付:2015年2月27日(金) 6時34分
すみません、龍造寺家ですか?
私のご先祖の一人を、沖田縄手の戦士
名簿に見つけたのですが
もう一歩知りたいことがありどうしても分かりません
何かご教示いただけないかなと。


3042.Re: 御手数をお掛けしました
名前:葉隠    日付:2015年2月27日(金) 8時54分
どりとるさん

武藤少弐氏末流です。結果的に龍造寺家に滅ぼされたそうですが、、。
少弐一族の戦国領主として、天正期まで生き残った最後の家のようです。
伝説の名族、少弐氏に生き残りがいて、まさか自分にその血が流れていると思うと、ただただ驚く限りです。


3043.Re: 御手数をお掛けしました
名前:どりとる    日付:2015年2月27日(金) 9時52分
少弐ですか。確かに滅んだと読んだことありますね。龍造寺隆信ですか?ね
相手は。少弐政資が大内に攻められた際
龍造寺胤家が、恩顧に報いる為
大軍に対し 少人数の精鋭で
対峙したという 無謀な戦をいどんだと。
いま胤家の孫かひ孫になる龍造寺鎭家について調べるすべがないかなと

戦国時代のことは,敵になったりみかたになったり 領地がかわったり
で自分の中で纏まりつかなくて苦手です。

鍋島直正の父が,遊興で浪費し藩財政を圧迫していた時代
私の5代の祖が江戸藩邸向かい側用人納富 有田をとらえる為に
武藤と名乗り 武雄領主鍋島茂義が山邊となのって二人をとらえたという
話があり,何かと少弐のことがっで手来るので
気にはなっていましたが

3028.喜連川の上野氏 返信  引用 
名前:喜一    日付:2015年2月17日(火) 17時30分
はじめまして、東京に住む喜一と申します。
先日、母が亡くなりまして、そのことがきっかけで母の家系について一度調べてみることとなりました。

私の母の旧姓が上野という姓で、栃木県の喜連川の出身であり、戸籍と『喜連川町史』を調べた結果、江戸後期に喜連川宿にて、
本陣と問屋を兼ねていた上野太郎平という人までさかのぼることができたのですが、
これより前に遡って調べることは可能でしょうか?

また、喜連川宿の近くの宇都宮宿の本陣・問屋も上野氏であったらしく、
http://www.k-ueno.co.jp/annai/uenoke-no-rekishi.htm
こちらの方の家と関係があったりはするのでしょうか?
歴史に詳しい方々のお力添えを願えましたら幸いです。



3029.Re: 喜連川の上野氏
名前:小次郎    日付:2015年2月21日(土) 18時47分
私ばかりがレスしていますので大変気にしていますが、何方からもコメントが付きませんので少しアドバイスをさせて頂きます。

戸籍・除籍の謄本は取得済みのようですが、御母堂様の御実家との関係は如何ですか。

御実家のご当主が遠祖の「祭祀継承者」ですので、丁寧に挨拶をして御仏壇の中にあるご位牌・過去帳を調べて頂き、その後一緒に菩提寺にお参りして墓石を確認し、ご住職にお願いしてお寺の過去帳を見せて頂くことができれば、ある程度は判るでしょう。

それ以上になれば、上野さんが伝承していないものを第三者が判ることはまずありません。

喜連川町史もお読みになっていますので、歴史史料というものがお判りと思います。ご先祖は公的役職をお持ちでしたので、町役場(現在はさくら市)へゆき、明治初期の公文書を調べることが出来るたら、何か出てくるかもしれません。江戸期の宿泊簿が残っていたら良いのですがね。保存されているかもしれません。県の図書館や歴史史料館などをお尋ねになり、学芸員に相談されるのも良いと思います。
もし何か出てきても、読み下すのは貴方自身ですので、古文書学の勉強をしなければなりませんよ。(笑)

現在警察署跡として保存されいる上野さんおご自宅跡が、いつ所有者の変更になったのか、法務局で旧土地台帳の写しを交付してもらえば、判ります。

宇都宮の上野さんとの関係は全く想像もつきません。ここまでお判りになられていたら、良く判っている方だと思いますよ。

私のブログ「小次郎日録」に少し散文を書いていますので、御実家をお尋ねし、ご位牌・過去帳の調査をさせていただく時の参考にしてください。


3030.Re: 喜連川の上野氏
名前:馬原 浩一@管理人    日付:2015年2月22日(日) 11時6分
喜一さん、はじめまして。
小次郎さん、いつもコメントありがとうございます。

私も色々な方の家系調査の際にアドバイスするのは、まずは戸籍調査、次は
墓石調査と位牌、過去帳の確認、それから都道府県史、市町村史の調査という
ことで、だいたい小次郎さんの内容と同じですね。
まずは本家探しというところでしょうか。

ところで、ネットで「百街道一歩の道中記」というホームページに、
喜連川宿の本陣の話が出ていました。
http://hyakkaido.travel.coocan.jp/ousyudoutyu3kituregawasakuyama.htm

この中に、まさに上野太郎平という幕末の当主の名前が出ていましたが、
現在は「街の駅本陣」という栃木県さくら市の管理する建物にたっているようで、
1Fが食房「蔵ヶ崎」というお店になっていて、2Fがコミュニティールームとの
ことどすので、一度さくら市喜連川庁舎の商工観光課に子孫の方が近隣に
お住まいかどうかダメ元で聞いてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、現在の建物は大正15年に建てられた喜連川警察署ということですので、
その頃までには上野太郎平のご子孫はこの地を離れていると思われます。

2969.系譜が現代に伝える意味、役割について 返信  引用 
名前:葉隠    日付:2015年1月27日(火) 8時51分
はじめまして。私の母方の系譜が藤原北家という事が分かり、色々と調査している内に、約800年に渡り九州北部を統治してきた名門の武家だと分かりました。是非会員の皆様にも見て頂きたいと思った次第ですが、その話はここでは割愛し、質問があります。

昔の家系図は履歴書のようなもので、その人物の出自が分かる大切な資料としての意味を持っていたと聞きます。就職も血筋により決まったそうです。そこで、現代の我々が系譜から如何なる価値を見いだせば良いのか?
また、その壮大な歴史を目の前にした我々末裔はどうそれぞれの人生に向き合えば良いのか?そうした疑問がよぎるようになりました。皆様のご意見をお聞きしたく書き込ませて頂きました。

また、蛇足ですが母方が全員女性の場合、その子である私は嫡流となりますでしょうか?



2970.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:葉隠    日付:2015年1月27日(火) 9時41分
失礼、長女の娘では無いので嫡流では無いですが、まだ直系の血筋と言えるのでしょうか?それとも父親と婚姻した時点で通常父系の家督しか考慮されないものでしょうか?


3019.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:小次郎    日付:2015年2月9日(月) 20時34分
文面から推測しますと、ご尊母様の家に系譜が伝わっていたというのではなく、ご親族(嫡子)の家にあったということなのでしょうか。?

800年と言いますと鎌倉の頃ということになります。幕府の御家人だとすれば、拙家の遠祖も知遇を得ていたかもしれませんが、九州に御家人がいたとは思えませんし、違うんでしょうね。足利尊氏が一時九州へ逃れた時には、一族の者が同行していたと推測できる史料がありますので、その時に御目に掛かっていたかもしれませんね。或は戦ったかも。(笑)

系譜については筆跡から編纂された年代を推測できるでしょうし、歴史的な傍証が得られるかどうか、ぜひご自身で研究なさって下さい。また、遠祖よりの伝承品にどのようなものがあるのか、それらも併せて考察される必要があるかと思います。

申上げる迄もないと思いますが、「系図だけ」伝承しているというのは、かなり疑問符がつきます。故買屋(けいずや)によって作られた拙家の偽系譜写しが入手出来ていますので、偽系図の特徴は掴めています。葉隠れさんのものを見れば、真贋は判ると思いますよ。
菩提寺、墓石、過去帳、中世・近世の史料など、傍証が揃うことを祈っています。

嫡流云々については、文字の通りです。貴方が御祖母さんの家に養子に入り、家系を継承しない限りは、その家は絶家になります。

母方に御親戚もおられるでしょうし、今後のことは御一族にお任せすることです。

>我々末裔はどうそれぞれの人生に向き合えば良いのか?

「奢らず、威張らず、自慢せず」これに尽きると思います。
貴方がご自身の家系(父方)を継承することを第一にされるべきでしょう。

答えになりましたでしょうか。耳障りが良くないかもしれませんが、御容赦下さい。


3021.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:どりとる    日付:2015年2月13日(金) 5時47分
直系とかではなく 遺伝子は確実に伝わっているわけですから、
いまある自分ご先祖に感謝していますし,子供にもそのことを
話しています。
親が教育に関して経済的にも,子供に与えることが出来なければ人生もかわってしまうかも
しれないわけですし

記録に残るようなご先祖がいるってことは、それぞれが努力してきて私たちに
つながっていると言うことなので、系図という品物などは関係ないし,直系かどうかも
関係なくないですか?

わが家には系図はなかったですが,祖父が自分の高祖父、祖父母、両親兄弟のことを
書き留めていたので 私が戸籍と,図書館の郷土史資料で調べて間違いないことが分かりました。
1584年の人物名までたどることも出来ました。


3026.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:葉隠    日付:2015年2月16日(月) 15時57分
ご意見お聞かせ頂きありがとうございます。

小次郎様のご意見も、どりとる様のご意見も自分が思っていた回答と近いものでした。やはり残念ですが養子にならない限りは家督は引き継げなそうですね。

そして、名族であればあるほど、日本各地に祖先に関連する遺構が点在しているため、歴史の史実を無視する事は出来なくなると思いますが、子に語り聞かせる知識は持っていたい思いです。

足利尊氏は九州に落ち延びてきた際、一族が向い入れ、その後従ったそうなので、確かに祖先同士でお会いしていたかもしれませんね。

歴史的な傍証は、研究機関とも協力し鋭意調査しておりまして、未発見内容を含む本物であろうとの回答でした。また、系図に記載された内容と歴史の一部一致までは取れました。追加し、近い祖先が藩に使えていた伝聞で聞いています。

しかし、本家の現在の姓と家紋が系図とは異なっており、その理由を探っている次第です。しかしながら、法名、位牌などでの完全一致は取れていません。そこが今回の調査の終着点なのかと考えています。

会員の方でご興味ありましたらデジタルデータの写しまたは原本コピーにて系図の方送らせて頂きます。


3027.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:小次郎    日付:2015年2月16日(月) 21時11分
葉隠れさんへ

お返事拝読致しました。敵対していなかったようで何よりです。(笑)

研究機関とご相談になってるとのことですので、いづれ解明できるでしょうが、姓の変更、家紋の変更は気になるところですね。

入江文書に拙家遠祖の書状が残っています。戦乱の中、密書として届けられたものでしょう。緊張感が伝わってきます。

この田原氏の文書も今は入江さんが所持なさっています。なにかその辺にヒントがあるのかもしれませんね。

【室町幕府奉行人○○信綱書状】(切紙)
委細承り候、
抑御注進己以下御返事両通申沙汰候、令進候、大将既治定之上者、不可有幾候、
其間可有御堪忍候哉、付諸事、貴方様御事、不可等閑候、恐々謹言
   (応安元年)(1368)
   閏六月十二日          沙弥○阿 (花押) 「○○信綱」
 謹上 田原殿 御事 (返脱カ)


【室町幕府奉行人○○信綱書状】(切紙)
去廿三日御状、委細承候了
誠父祖代々御忠節異他候之条、達上聞候訖、其旨趣被載下御返事事候也、
今度之儀亦御籌策之大綱候之間、不能左右候、大将事既落居之上者、不
可有幾候、其間御計策肝要候欤、小田原殿下向候間、京都時宣委可被申
候哉、於身面々御事、存分不存閑候、凡公私御前途時候、相構々々、被下
著時分、御方便尤可然候哉、事々期後信候、恐々謹言、
 (応安元年カ)(1368)
  十一月廿八日       沙弥○阿 (花押) 「○○信綱」

○ 本文書宛名を欠く
◎ 出典は入江文書

ネットの上ですので私の姓は○○にさせていただきました。本文の一部を検索すれば入江文書がネットで読めますので判ってしまいますが、一応伏せておきます。
大学や県立レベルの図書館だと蔵書していますので、ぜひ本でお読みになることをお勧めします。

「系図は他聞を憚るもの」と思っていますので、研究機関と極少数の研究者に限られたほうが良いと思います。子孫の意思に反して史料だけが勝手歩きしますので、研究者と十分な御打合わせをなさって下さい。


3031.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:馬原 浩一@管理人    日付:2015年2月22日(日) 11時55分
葉隠さん、はじめまして。
ハンドル名からしますと佐賀藩士の関係の方でしょうか?
もしそうであれば、当会会員にも佐賀藩士の子孫の方がおられ、
会誌にも佐賀藩士のその方の家系について連載されております。

もしよろしければ、コピーなり画像データでも構いませんので、
資料を送ってもらえませんか?
あて先は私宛メールをいただければ、ご連絡いたしますので、
よろしくお願いいたします。

ところで、小次郎さんが鎌倉時代に九州に御家人はいなかった
というのはちょっと間違っていますよ。
鎌倉幕府の元で将軍と主従関係を持った人たちのことを御家人と
言っていますので、九州各地の地頭も当然御家人のわけですから、
九州にも鎌倉時代初期より地元九州出身の武士だけでなく、関東
移ってきた武士もいましたので、御家人はいっぱいいました。


3040.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:どりとる    日付:2015年2月27日(金) 8時31分
私が、ちょっと関連で関わった深堀氏も
三浦姓で御家人ではないですか?
神崎の荘園を管理していたとか。

葉隠れさんと私 もしかしたらつながっていそうですけど。


もしよろしければメールいただけませんか?
最近ちょっとおもしろい写真がこの深堀家にありまして
宮内庁に聞いてみました。
おすべらかしに十二単をきている写真や、鹿鳴館時代のようなドレス姿
の写真が,一般家庭のアルバムにあったのです。
しかもかなり古い写真。明治大正だと思います。


3041.Re: 系譜が現代に伝える意味、役割について
名前:どりとる    日付:2015年2月27日(金) 8時36分
私がいま知りたいのは龍造寺鎭家についてです。
須古当主の方とも話しましたが分かりませんでした。


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