[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
家系研究協議会掲示板

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | サポート ]
名前
 E-mail 
題名
内容
   タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL
添付




2964.飯井氏に関して 返信  引用 
名前:齋藤 克己    日付:2015年1月6日(火) 9時57分
前略
母方の先祖を調べています。
母の旧姓は「飯井」です。実家は群馬県で敷地には井戸があり泉質の良い水が今でもコンコンと溢れ出ています。家紋は丸に橘です。
井伊直弼で有名な彦根の井伊家は先祖が井戸から出生したという伝承が
あり、家紋も丸に橘です。共通するものは井戸と家紋 異姓同族?
幕末の信州(長野県)の飯田藩で下級武士ですが飯井という苗字の家が
2家あります。又、山口県山口市、萩市と岡山県姫路市長船町に飯井という地名があります。さらに岡山の姫路城の池田文庫には城の絵図面で
信州飯井城というものが資料として収蔵されています。
そこで、何でも結構ですが何か貴協議会で参考になるような情報等ありましたらご教示いただけないでしょうか。
勝手お願いですがよろしくお願いします。           早々

神奈川県横浜市  
齋藤 克己
  



2968.Re: 飯井氏に関して
名前:小次郎    日付:2015年1月23日(金) 22時16分
今晩は 斎藤さん 小次郎と申します。

何方からもレスが付いていないようですので、少しアドバイスさせて頂きます。

最初に、私はこの協議会の会員でもありませんし、学会のメンバーでもありません。ただ、開設者の方とはパソコン通信の時代から知遇を得ているだけの者です。

さて、飯井氏ですが、由緒のある家であれば何らかの言い伝えも残っいると思いますが、御本家に伝承は御座いませんでしょうか。

家系を調査する場合、戸籍を順に辿ってゆき、明治初期の住所を確認することと、菩提寺で過去帳の調査をすること、墓石の調査をすること、これを飛ばしてはいけません。

菩提寺のご住職に過去帳を見せて下さいとお願いしても、簡単に開示して下さるものではありませんので、飯井氏のご当主とご一緒に、戸籍を全部揃えてから訪問されるのが良いと思います。

井戸はどの家にも御座いますので、それで井伊氏に繋げるのはチト乱暴かと思います。
また、飯田藩の下士につなぐもの、明治の廃藩置県から今日まで、貴方が取得できる飯井氏の戸籍で住所移転を確認できるのでなければ、これもチト乱暴かと思います。

著名な家系に繋がれば良いでしょうが、そうでない場合も御座います。家系の調査は地道に史料を揃えて行って下さい。

私は群馬県史の史料編(中世)を調べたことがございます。当家に関係する史料を探すのが目的でしたので、関係ない処は読み飛ばしてきましたからいい加減な記憶しかございませんが、飯井氏の名は記憶に残っておりません。近世は読んでいませんので存じません。
先ほど滋賀県のホームページで彦根藩の侍帳(所謂分限帳)を調べましたが、飯井氏はございませんでした。

上野国の中世末期(室町時代末)に由緒のある家でしたら、世良田の長楽寺文書、正木文書に出てくるだろうと思います。これは活字化されていますので、当たってみて下さい。(これも読んだことがございますが、飯井氏の記憶はございません)

群馬県史には結構多くの史料が載っています。お近くの大学や県立クラスの図書館でしたら蔵書している筈です。これらを当たって、何も出て来なかったら残念ながら「判らない」というのか結論かと思います。

長年歴史を研究してきましたので、何度か今回のようなご質問にコメントを入れてきました。「小次郎日録」に散文的に幾つか書いていますので、ご一読下さい。

耳障りが良くないかもしれませんが、御容赦下さい。

御研究が進みますよう、願っています。 


3062.Re: 飯井氏に関して
名前:いもこ    日付:2015年8月21日(金) 17時24分
この書き込みは、今年(2015年)のものでしょうか?

2961.傍観者さんへ 返信  引用 
名前:小次郎    日付:2014年12月1日(月) 11時49分
傍観者さんへ

ネットの上で家系の研究をすることは、個人情報を開示することになります。
今日の戸籍謄本・除籍謄本と同じような記事を、誰もが常時閲覧できる場所に書くことになります。

例えその家の後裔が書かれたとしても、過去に枝分かれした一族にとっては、全く知らないうちに、自分の遠祖のことがネットに公開されてしまうことになります。

歴史学を研究してゆく上で、その人の家系を公開する研究上必要があるならば止むを得なでしょうが、興味本位で書かれたりしますと、後裔に当たる者は堪ったものではありません。

一度書かれてしまいますと、知らぬうちに第三者が別にウェブに転載することも多々ございます。

私自身は20年以上前に、遠祖のことをネットに書いていたことがございます。それが、いつの間にか当時(室町期です)同僚であった、若しくは婚族であった方のご子孫が解説されているサイトにそのままコピーされています。(現在もです)

家紋研究のサイトにも、引用先を明示してありますが、当時の私のサイトから多くの記事が転載されています。

当時私が研究不足であったため誤っていたいたところがそのまま転載されています。訂正を求める訳にもゆきません。

このようなことも御座ますので、今日の情勢では家系の研究を個人名を挙げてネットに書くことは如何なものかと思っています。

ここでご質問されている方は、ご自身がこれといった伝承や歴史史料(手紙や任命状など)をお持ちでない方が殆どでしょう。また、明治初期の御本家との縁が切れてしまっている方が多いと思います。

家系を調査する上で、明治初期の住所、菩提寺、位牌の確認が出来なければ、どのような伝承があろうと、それを第三者が確認することは不可能でしょう。

太田亮博士の家系大辞典や都道府県で発行されている県史・市町村史で確認できない家を、現在の姓や家紋からそこに繋げようとしても、それは出来ない相談です。

何度かコメントを入れていましたが、同じようなことを書くことになりますので、ブログを立ち上げて家系研究に関する記事を書いておきました。

学校の勉強と同じことで、答えを教えて下さいという質問には答えられませんが、問題の解き方については、基礎から丁寧に書いておきました。

人により感じ方は色々でしょうし、どう思って頂いてもかまいませんが、私の記事を読めば家系を調べようと思われる方が最低限やらねばならぬことは全て書いておいた積りです。

私のサイトには広告が一切出ていないでしょう。記事にしたってほんの僅かです。サイトの宣伝をするつもりなど、これっぽっちも思っていませんよ。



2962.Re: 傍観者さんへ
名前:傍観者    日付:2014年12月2日(火) 0時1分
 だったらこういう掲示板の趣旨そのものにあなたは賛成じゃないわけでしょう。
そもそも、先祖に関する情報が「個人情報」で、「知られてはいけない」
ような人は、それこそ被差別階級に先祖がいた人くらいなものではありませんか?

「名もない農夫だった」という以上のはっきりした情報を求めてこうしたところで情報開示
しあっているわけではないですか。誰かが「過去に枝分かれした子孫」かどうかなど、
普通に暮らしていたら分かりようがないとお思いますが?間違った情報がネットに多いのも
事実ですが、だからといってネットで情報を得ること、情報を発信することを否定すること
はまったく建設的ではないです。


 戸籍謄本がどうしたこうしたも、そんなことはちょっと検索すればそうしたことから
調べなければならないくらいのことは出てきます。何もあなたに一々講釈される
必要はないと思いますが。

 皆さん紳士的でよく我慢されていると思います。


2963.Re: 傍観者さんへ
名前:小次郎    日付:2014年12月2日(火) 11時10分
いえいえ この掲示板が果たしている意義は大きいものがあると思います。

「名もない農夫だった」ではいけませんか。? 

どんなに立派な家系図を伝承されていたとしても、それを確認できる傍証となるべき、代々の墓石や、中世・近世に書かれた公的文書に出てこないことには、家系図なんて意味を持ちません。
それより、田舎の村にある共同墓地の株をもっておられる方が、遥かに家系はしっかりしています。私のブログにも書いていますが、江戸期の武士は主君の転封により何度も移住していますので、根幹となるべき出身地とも縁が切れている者が殆どです。江戸末期に属した藩にある菩提寺、墓石以外は確認出来ないことは多くあります。

家系図を編纂して子孫に残したいと思うのは理解出来ます。しかし、家系図だけというのは私は信用しません。家系図と共に中世・近世も文書や武具・調度品なども伝承されて、初めて信用性が増すものです。

戸籍に関しての知識をお持ちで、一族の方への調査も当然しておられることでしょうか。それで行き詰まったなら、そこ迄だと思います。

あとは公立の図書館(県レベル)で明治の公文書や近世の古文書が公開されている処もございますので、お調べになったら何か出てくるかもしれません。

これらの公文書・古文書にあなたのご先祖の名前があるのかどうは、広い砂漠の中に落ちているカモしれない小さなダイヤモンドを探すようなものです。
何年かかって調べても、全て空振りかもしれません。遠祖のことをもっと知りたければこの作業も欠かすことはできません。つまり、「判らない」ということを確認する作業です。

少しやり方を変えればネットでも情報交換は可能です。
つまり、「某県何村の○○氏」について情報交換を・・・ということで、応じて下さる方がおられましたら、閉鎖的なメーリングリストを使って個人名のやり取りをすることも可能です。それはやり方次第です。知恵を絞って下さい。


3022.Re: 傍観者さんへ
名前:どりとる    日付:2015年2月13日(金) 6時46分
上にも書きましたが,わが家には系図 お墓などありませんが
祖父が書き残していたもので、調べていきました。
人物名が書いていました。

ご本人が しっかり匿名で,ネットで聞いている限り 個人を探し出すことは
とても難しいと感じます。

実際私は無防備というか,知ってもらいたい驚きの出来事でしたから
ネットで聞きまくって,いまでもログが残っているので読むと
恥ずかしくなりますが 何も被害ありません。
戸籍だって本籍地と名前が分からなければ入手できません。江明治以前の
系図を出したからといっていまの人達に影響が出るとも思えません。

被害を被るのは自分が気づかないうちに,個人情報をさらしてしまう
からではないでしょうか?

被害というのもどんなことか?あなた系図は間違っていいる・・とか
そんな感じではないですかね?

実際調べる際に,意外と家系図が残っている家も多いことを知りました。
私の家は本家がつながっているわけではないので,先祖がそういうことに
興味のない人がいれば残っているはずもありません。墓だって転居していれば
残っているはずもありません。いまの私の家の本家ですら、遠くにある墓を
捨てて近くの墓所を買って移しているくらいですから。


3023.Re: 傍観者さんへ
名前:どりとる    日付:2015年2月13日(金) 7時3分
武家は,着到で系図がちゃんと残っています(私の藩は残っていました)から、図書館が資料をちゃんと整理
データーベース化していれば、戸籍に天保時代の人の名前が出ています
から 本家の戸籍を入手すれば分かります。
戸籍の入手は出来ると思います。

系図をもっている方でも,全く興味のない方も多いです。うちには残っている
っています・・・くらいです。まして他人の家系のことなど聞いてもおもしろくない、
それがどうした?過去を振り返ってどうするんだ?と思っている人が大半だと思います。

だから,しっかり匿名を守っていれば、ネットで歴史に詳しい方、などに
聞くことで,手がかりがつかめることも多いです。
私の 知り合った方は、墓石の家紋を見てまわっていた方がいて
寺にあるはずの 着到で本家の墓がなくて,分家の墓が大きくぞんざいしている
ことがありました。
家督だけ継いで,分家は血筋、本家は養子が家督を継いでいたわけですから。

明治の歴史的人物の一人でしたから研究者が,なぜその人物の家の墓がないのか住職も知らないのは
なぜかわかりませんでした。
ネットで知り合った、墓所を歩き回っていった人が,見た記憶があると教えてくれて
無縁になった墓石を見つけることが出来たと言うこともあります。

2959.五嶋氏の出目 返信  引用 
名前:BANDANA    日付:2014年11月16日(日) 8時42分
九州肥前、五嶋氏を調べてます。
古代氏族系譜集成によると矢田稲置命を祖。矢田稲置命から物部多伊古
までの系譜を御教示頂ければ幸いです。

2950.名字の由来について 返信  引用 
名前:鬼防理子    日付:2014年10月25日(土) 15時20分
はじめまして、こんにちは。私は高校2年生の鬼防理子(きぼう りこ)と申します。私は今部活動で「名字の由来」をテーマにラジオ番組を制作しているのですが、その中で私の名字である鬼防について調べたいと思っています。ですが、誰に聞いても分からず、本を調べても載っていないため全く分からない状況です。他の名字(佐藤や山本など)の由来も知りたいのですがどこに聞けばいいかすらわかりません。インターネットでこちらの家系研究議会様を知り、連絡させていただきました。何か分かることや知っていることがあれば、直接もしくはお電話などで教えていただけないでしょうか。私は関西の者なので、第4日曜日に行われる例会の場所まで行くことは可能なので、今週の日曜日(10月26日)に行われる例会の場所まで行って出来るだけ直接お話を伺いたいのですが可能でしょうか。よろしくお願いします。



2951.Re: 名字の由来について
名前:馬原浩一@管理人    日付:2014年10月25日(土) 15時18分
鬼防 様

はじめまして、家系研究協議会の馬原と申します。
同様のメールをご同僚の方よりいただきまして、返信はそちらの方にさせていただいております。
10月26日の例会参加は問題ございませんので、よろしくお願いいたします。
尚、開催場所ですが、ホームページの更新が滞っていまして、先ほど更新しましたので、
そちらをご参照ください。

2946.市川家系情報 返信  引用 
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年10月11日(土) 21時14分
去る8月、アポイントメントをとり、表門神社宮司家を訪ねさせていただきました。

覚義―頼圓系市川氏の系図があるというのは、私の記憶違いで、残念ながら、覚義―頼圓系市川氏の系図・史料は宮司家には現存しておりませんでした。

家伝の系図も拝見させていただきましたが、初期段階は源義清―行房とし、行房から歴代の系譜のみを記しておりました。やはり行房の真系は、八代家系譜等の史料が伝える如く源義清―方原師光―市川高光―市川行房であると愚考しますが、曽我物語には、当時、鎌倉幕府に従わず、悪党化していた市川一族の存在を記しており、やはり、それらの一族を隠すため、政治的判断で、行房を源義清の子供に位置付けた系図を作成したものと愚考します。

また、この当時の鎌倉幕府に従わない甲斐市川氏一族の中には、系譜所伝から見て、覚義を家祖と伝承する比企郡の市川氏も含まれるものと愚考します。

あと、新田家臣祖裔記の市川五郎の次男・市川藤次郎(真重か?)の子孫の中に、永享の結城合戦の後、武州秩父半沢郡の民家に下り、鉢形城主北条安房守氏邦に属した系流の存在を記しますが、鉢形城の分限帳には市川姓の人物が見えないこと、むしろ松山城の城士に明覚以外の市川家の存在が見られることから、明覚以外の比企郡の市川家は、市川五郎の次男・藤次郎の系流の可能性があると思います。勿論、秩父と半沢の境界である鉢形城下町の寄居にも市川姓は多いので、新田家臣祖裔記の武州秩父半沢郡の記述は、具体的には寄居である可能性が高く、鉢形の分限帳に見える武士に家臣として仕えた一族がいたということとも思いますが、この一族の中に、明覚の一族とともに、松山城の上田氏に属した市川一族がいたと思っております。

というのも、新田家臣祖裔記に見える市川藤三の系流の市川右衛門(右門兵衛)・主馬之助は、桐生家・由良家の分限帳には見えず、足利長尾氏の分限帳にみえる(主馬之助は新田老談記には由良家の旗本とも記述がある)など、記述に少々不正確な嫌いがあることから、鉢形城主の分限帳に見えず、松山城主の家臣にみえる明覚市川氏以外の比企郡の市川氏は、秩父半沢郡の民家に下った藤次郎系の市川氏である可能性があると、現在愚考している次第です。



2952.Re: 市川家系情報
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年10月25日(土) 22時11分
宮司家の系図の初期部分について、少々触れますと、市川清房(行房)の子に、市川行重と定房を記し、行重の子に、行包〈駿河国住〉、光房〈背父逐電信州住〉、行政〈市川別当太夫〉、直行〈次郎、伊勢國村松ト云所に住居〉、女子。記します。個人的には行重の子で信州住の光房が、承久記に小笠原の郎党に見える市川新五郎と思え、この光房が、信州志久見郷の市川重房の父親かとも推測しております。


2958.Re: 市川家系情報
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年11月13日(木) 9時50分
甲斐の市川氏の出自ですが、市川三郷町の表門神社の社伝に伝承される創建年代の古さと、市川三郷町内の古代の遺跡の存在を考えますと、市川氏は、この地域に人が住み始めた時代からの、当地の古代豪族で、ヤマトタケル(大和王権)の東征の際に、大和王権に従った一族ではないかと愚考しています。なので、和邇部臣や物部、大伴には繋がらず、寧ろ、この土地の元からの古代豪族であろうと考え直しました。表門神社の御祭神にはウガノミタマ尊が祭られておりますが、ウガノミタマ尊は、古事記には、スサノオの系統ともされており、そうすると、出雲族の血も入っている可能性も視野に入れることは可能かとも愚考しております。


3099.Re: 市川家系情報
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2016年1月7日(木) 21時20分
家系研究協議会の皆様、平成28年の新年明けましておめでとう御座います。去年、山梨県市川三郷町の郷土史家の中倉茂先生がご逝去なされたとのことで、貴重な市川一族の研究者・恩師を失ってしまいました。まだ古代氏族研究会のホームページで、真野さんが公開した系図の原史料を見つけられないので、覚義系の市川氏については、見切り発車となりますが、今回の中倉先生の逝去を期に「市川姓出自考」と題して会誌に投稿する予定です。感じとしては、これまでこちらの掲示板に投稿したものを纏める感じになると思います。二月には間に合わないと思いますが、年内発行の会誌に間に合えばと思います。本年も宜しくお願い申し上げます。

2945.昭和天皇実録 返信  引用 
名前:99-9478+41    日付:2014年9月9日(火) 12時26分
昭和天皇 掲示板

宮内庁が24年余りかけて編さんした昭和天皇の活動記録「昭和天皇実録」が2014年(平成26年)9月9日公開されました。
新たに見つかった日記など膨大な資料に基づく初めての公式記録集で、戦前から戦後の激動の時代を歩んだ昭和天皇の生涯が詳細に描かれています。

昭和天皇実録
http://113.37.205.106/ame/rekisi/140909114804.html

2935.家系図作成についてのご返事 返信  引用 
名前:永岡徹也    日付:2014年7月7日(月) 10時6分
色々とお手数お掛けしました。無き母の残した話でよく定かでないので今いちど資料を探して見ます。いろいろとごめんどぅおかけしました。ありがとうございました。



2937.Re: 家系図作成についてのご返事
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年7月7日(月) 23時47分
永岡さん、はじめまして。
ご投稿を拝読いたしますと、永岡さんの仰る市川家は、御母堂様のご実家の様ですね。

一応、参考までに申し上げますと、市川和泉長義の市川氏は信州安田流の市川氏とされており、長野県の郷土史家市川武治先生が研究されて、地元の郷土史誌に発表されている様ですので、長野県立図書館等で調べられてはいかがでしょうか。

ただ、信濃の市川氏は、安田流(個人的には、新田義興の家臣という市川源吾義国→市川五郎忠国?という人物が系図中に出てくるので、市川頼尊系市川氏が真系と推測しています)の市川氏のみならず、様々な系統の市川氏が存在する様ですので、安田流市川氏と早計に判断せず、地道に調べて、史料で裏付けをとりながら、調査・研究を進められればと存じます。

取り急ぎですが、ご参考まで。


2942.Re: 家系図作成についてのご返事
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年7月18日(金) 23時46分
具体的な家系図作成の方法についてですが、良質な指導書としては、当会の理事であった故長谷川順音氏が市川香舟のペンネームで、「ニッポン人の姓名(なまえ)」という書籍を執筆され、ルーツリサーチのノウハウから家系図作成のノウハウまでを公開されています。この本は、絶版書籍ですが、Googleで検索すれば、古本で入手可能だと思いますし、公立の図書館でも所蔵されていれば借りれると思います。また実名の長谷川順音の御名前でも「自分のルーツが解る本」という書籍も書かれています。

上記の故長谷川順音(市川香舟)さんの書かれた本を参考にして調査をすれば、自ずと、自家系の家系調査のコツは掴めるので、自分の御先祖様を調べることを志した方は、是非とも、長谷川順音さんの書かれた本を読んで、ノウハウを理解されてから、調査を始めてみて下さい。


2943.Re: 家系図作成についてのご返事
名前:市川 (滑川町)    日付:2014年7月20日(日) 10時53分
市川@武州荒木 様

御無沙汰致しております。滑川町の市川でございます。
着実にご調査を続けられていること、お喜び申し上げます。
今年の前半は若干の時間的余裕があり、滑川の自家系について足元を固めるため、文献・墓石の再調査、菩提寺住職訪問、本家訪問等集中的な調査を行いました。その過程で、確固たる裏付けは無いものの新たな情報をいくつか入手することもできました。
それらの内容について、可能ならば市川@武州荒木様の感触をご教示頂きたいところでございますが、長文、かつ400年以上前の事とは言え個人から聞き取った情報等も含まれるため、当掲示板への投稿は若干憚られるものでございます。
もし宜しければ、本投稿の名前部分にメールのリンクを貼っておきましたので、そちらに御連絡頂ければ個別のやり取りも可能かと存じます。長年御研究されてきた方のお役に立つ情報ではないかもしれませんが、ご興味がおありでしたら御連絡をお待ち致しております。


2944.Re: 家系図作成についてのご返事
名前:市川@武州荒木(横浜在住)    日付:2014年7月21日(月) 16時34分
市川(滑川町)様

大変御無沙汰しております。

市川(滑川町)様のご研究も、進んでおられる様で、幸いに存じます。

比企郡の市川家の歴史研究については、故長谷川順音氏の影響もあって、今まで明覚の市川家の家伝系図にのみに脚光が浴びせられて来たきらいがあり、独自に滑川町の市川家の歴史について、伝承や金石文・考古史料を丹念に調査されている市川(滑川町)様のご研究は、大変貴重であると存じております。

私がお役に立てるか分かりませんが、市川(滑川町)様より、これまでのご研究について御教示頂ければ、なにか、私の感想が、市川(滑川町)様のご研究のさらなるご進展への礎石の一つになるかもしれません。
後で、メールを送らせて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。

2930.家紋、装束について 返信  引用 
名前:理右衛門    日付:2014年6月30日(月) 22時1分
渡辺と申しまして、家紋は丸に渡辺星を使用しております。最近、蔵の長持ちより下部が切れた旗指物を発見しました。丸に渡辺星と石持ち地抜き左三つ巴が並んでおりました。また、家印を丸に筆字の十文字を使っております。いわゆる島津十文字です。家印は近隣に同紋を用いる家があると混合してしまうため発生したそうですが、生活圏にそのような家はございません。というわけで私はこれも家紋だと思っております。大叔母も島津十文字ではないかと指摘しておりました。
一方、装束ですが、昭和初頭に抵当流れになってしまったものの、直垂・打掛・白無垢の熨斗目があったそうです。
片一方だけでは心もとなく思いますが、互いが互いの裏づけになっているとみています。一時期、大いに隆盛した時代もあったのだと思います。
個人的には三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族が当家のルーツではないかと絞り込んでおりますが、なにかコメントいただけないでしょうか?



2938.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月14日(月) 21時30分
今晩は 理右衛門さん

過日私がコメントさせて頂いた、渡辺系三橋さんとは別人なのですよね?

ご質問の「旗印」や「装束」については、それだけで家系を証明できるもの
ではありません。そのことはご理解頂けるかと思います。

過去に私が他のご質問にコメントした記事をお読み下されば、家系の遡及に
ついて欠くことが出来ない調査がお判りになるだろうと思います。

その上で、どのような史料・資料があるのか、菩提寺にて幾世代まで家系を
遡ることが出来るのか。墓石は現存しているのか。等々、最低限の材料を提
供して頂けないことには、何ともコメントのしようが無いと思います。

「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族」でないとは誰も言い切れませんが、
根拠となる史料(資料ではありませんよ)が無いのであれば、憶測で書物にし
て残す事はお控えになって下さい。

何代か経た後の子孫が、それを証拠として本物の家系である方のご子孫に、
「同族である」と尋ねて行かれるかもしれません。

訪ねて来られた方が困惑されると思いますよ。

私は鎌倉御家人で、六波羅探題の官僚、室町期に於いては幕府の武家奉行人
にも一族を派した某庄の地頭(江戸期で云えば数万石程度の大名)の後裔です。

天正に落城して以来今日まで、主な一族の動向は殆どわかっております。
その一族に繋がらない同姓の方も在地には多くおられますが、同族とは思っ
ておりません。(勿論訪ねて来られませんがね)

一代ずつコツコツと史料を集めて、江戸末期にお住まいになっていた土地の
歴史を研究すれば、著名な家でれば何らかの史料が残っているかもしれません。

まず、ご自分で出来るだけのことは全てやって下さい。
「小次郎日録」というものを書いていますので、参考にして下さい。


2939.Re: 家紋、装束について
名前:理右衛門    日付:2014年7月16日(水) 18時57分
私、今回初めて投稿させていただきました。三橋様ではございません。

さっそくではございますが三橋様と貴殿のやりとりを拝見し、大変遺憾なことに三橋様と同様の意見を持たざるを得ません。

旗と装束を組み合わせて考えたとき、これらがキーになると思ってないのであれば、このような質問はいたしません。過去の社会において衣服には事細かに統制が敷かれており、一目で身分序列が分かるようになっていたようです。ただ、直垂のみならば論を展開するにはいささか早いと思いましたが、家紋が二つ並ぶ旗を見つけて、直垂を着する位にあった仮定で世人に問うてみてもよいと思ったまでです。

また文書として残すようなことを寸分も示唆してないというのに随分な言い様だと思いますし、前もって他の情報を提示することを当然のような論調でおっしゃるのであれば、掲示板の冒頭にあらかじめ示しておくべきだと思います。私はその必要はないと判断したため、書かなかったのであって気軽にお越し下さいとの呼び込み文句とは、およそ遠く感じます。

それでは失礼致します。


2940.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月17日(木) 11時2分
今日は 理右衛門さん

ご返信拝読致しました。

代々に亘り旗印を受け継いで来られたのであろうと思いますが、それ
に関する何らかの言い伝えが残っていないのも不思議に思います。

家紋が2つあるのは武家でしたらごく普通のことです。島津の十字紋
が何を意味するのか、私には断定するものがありませんが、明治の動
乱時(幕末から西南の役まで)まで、島津に組された可能性も否定で
きませんね。

官軍側におられたのなら、この旗印は戦利品であったことも考えられ
る訳です。

で、これらの検証をする為には、貴方の江戸末期のご住所が何処であ
ったのか、それを確認しないことには、何も前に進みません。

戸籍謄本・除籍謄本を遡れるだけ全部取り揃えたら、今日までの住所
移転の経緯が判るでしょう。

ご自宅にある過去帳と菩提寺の過去帳を突き合せて、どこまで遡れますか?

装束に関しては、経済的に余裕を持っておられた家だとは思われますが、
百姓・町人身分であっても富裕な方はおられましたので、所持されていた
方は多いと思います。

直垂・熨斗目については、神社の氏子さんがお祭りの時に着用されます
ので、世間一般に普及していました。

是非調査を継続されて、忘れられた遠祖の供養をされるよう切望致します。

誤解があるようですので、再度掲載さいますが、私はこの掲示板の開設者
ではございません。開設者とはパソコン通信の頃から交流を頂いておりま
すので、最近はよくコメントを入れるようになりました。

私はブログの中にも書いていますが、家系は遠祖の祭祀を受け継いでゆく
上で重要なのであり、それを以って現在の人の価値を云々するものではな
いと考えています。

ご理解賜りますようお願い致します。


2941.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月17日(木) 23時13分
追加です。

家系という極めてデリケートな事をネットという上に公開された場所に
書くことは、極めて慎重な姿勢が求められると思います。

理右衛門さんの旗印と装束だけで、「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族」
ではないかとお尋ね頂いても、推定する根拠も開示されていませんし、どうに
もコメントのしようがありません。それは無理です。

せめて、ご自分で戸籍謄本・除籍謄本を取得して、一番古い謄本の住所が何処
であったのか、菩提寺の過去帳と墓石が附合するか等々、最低限の事はご自分
で調査して下さい。

その上で「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族ではないか」と推定される
根拠をご説明下さいましたら、何らかの思考も出来るかと思います。
ご理解下さいますようお願い申し上げます。

2927.永岡家系図作成に付 返信  引用 
名前:永岡徹也    日付:2014年6月29日(日) 11時20分
信州佐久の荒山城が天正期には先祖と思われる市川和泉守長義の居城でした
ここに父子と母堂がおりましたが落城の時母妙高は自刃今は妙高稲荷として
祀られているそぅです。それからの父子の消息はわかりませんが岩村田にある龍雲寺に関係がある事を母からよく聞かされていました先祖の市川宇八の戒名は信龍院雲陽萬照居士となっておりますのでお寺さんの過去帳で何かわかるかもとおもいつっ長い年月が過ぎましたが何とかして系図だけは作成して後世に
残しかいと思っております故宜しくおとり計らいをお願い致します。
 
 

                
                                                           
                         

   

                      
  







 



2929.Re: 永岡家系図作成に付
名前:小次郎    日付:2014年6月30日(月) 21時13分
今晩は 永岡さん 小次郎と申します。

天正の落城から今日までの流れが判りませんので、少し質問させて下さい。

1)佐久の何処かに永岡さんのご出身地がある筈ですよね。それはわかりますか。
2)岩村田の龍雲寺とは今日まで交流が続いていますか。
3)岩村田若しくはその周辺(半径2〜30キロ以内)に永岡さんと同姓の方が現存されていますか。
4)その同姓の方と交流が続いていますか。
5)現在から順に遡って戸籍を入手されましたか。
6)現代の菩提寺に何時からの記録がありますか。これは墓地ともにです。
7)江戸期に移住されたのなら、その原因がわかりますか。例えば岩村田を領した殿様
に召し出されたが、殿様の転封によって移住したとかです。
8)現在伝承されてきた御仏壇の過去帳に何時から記録がありますか。
9)その過去帳に俗名が書かれていますか。

まだ幾つか教えて頂きたいことがありますが、一度に多くのことは出来ませんので、
取りあえずこれだけ教えて頂けますか。

天正から今日まで400年余のことをさぐるのは容易なことではありませんが、幾つかのパーツが見つかれば、他の文献を調査すれば、不完全ではあっても大体の流れは説明出来るかもしれません。
信州には結構史料が残っていますよ。


ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >> >| 


   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb