[ ホームページ ] [ 携帯用URL ]
家系研究協議会掲示板

[ EZBBS.NET | 新規作成 | ランキング | サポート ]
名前
 E-mail 
題名
内容
   タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL
添付




2925.小次郎さんお願いし 返信  引用 
名前:ドリトル    日付:2014年6月20日(金) 8時31分
以前石丸で掲示板にで問い合わせしていました。
今回は,私の祖父の養父の家についてです。
養父の関係は全く口伝がありません。
最近商工人名録という文献で,祖父の書き置き通りのことを見つけることが出来ました。
墓は佐世保の早岐にあります。
今までは気づかなかったのですが,先祖をたどることをしたためか
墓石に目が行くようになり、我が家の墓のとなりに無縁になっている古い立派な
傘のかぶったお墓が3基並んでいるのに気づきました。
字を読んでいると,私と同じ名字、没年は天保、安政です。もう2基少し新しいのがあるんですが
それに彫っている家紋が我が家と同じ。
墓地はお寺の所有でなく市の管理らしいです。従って同じお寺ではないかもしれません。

こういう場合やはり親族の可能性高いと思うんですがどうでしょうか?
周りを見ても同じ名字の墓はほとんどありません。



2928.Re: 小次郎さんお願いし
名前:小次郎    日付:2014年6月30日(月) 20時11分
今晩は ドリトルさん 御無沙汰しております。
しばらく此処を覗いておりませんでしたのでお返事が遅れてしまいました。ご容赦下さい。
過日は少し厳しいことを書きましたので、少々気にしておりました。

さて、ご同族と思われる江戸期の墓石が菩提寺に隣り合ってあるとのこと。
まず、当時の御兄弟でしょうね。
何方が分家かは不明でしょうが、同族として強い連携を持ち続けてこられたことは間
違いないでしょう

また、少し手がかりが見つかりましたね。地道にコツコツとやって下さい。


2931.Re: 小次郎さんお願いし
名前:ドリトル    日付:2014年7月1日(火) 12時29分
ありがとうございます


2967.Re: 小次郎さんお願いし
名前:どりとる    日付:2015年1月20日(火) 6時36分
寺の過去帳を見てもらいました。

現在は同じ姓の檀家さんが,1軒のみだと。
明治の30年ぐらいまでは,何人も同じ姓の者が
いたようで、過去帳に載ってました。

陶器の輸送は,鉄道が開通するまでは伊万里が中心でした。
長崎へは大村湾経由ですから、川棚や早岐がその役目を
負っていたのかもしれません。

したがって輸送手段がかわったために廃業して,
どこかへ行ってしまったようです。

2915.渡辺氏族について 返信  引用 
名前:三橋氏    日付:2014年6月6日(金) 6時26分
我が家は代々旗本の家系で、先祖は渡辺の綱だと聞いております。
同じく、渡辺の綱を祖とする尾張藩付家老 嵯峨源氏渡辺氏族渡辺氏と、幕臣の嵯峨源氏渡辺氏族三橋氏は、同族なのでしょうか?



2916.Re: 渡辺氏族について
名前:三橋氏    日付:2014年6月6日(金) 7時18分
例えば、三河時代の渡辺半蔵家の分家ではないですよね。


2921.Re: 渡辺氏族について
名前:小次郎    日付:2014年6月12日(木) 2時22分
今晩は 小次郎と申します。

少しコメントしますね。

まず、「代々旗本で」ということは、家系図は折紙など、近世の文書を伝承されているのですよね。で、菩提寺はどうなっていますか。代々の位牌は何処になりますか。

ご分家になるのでしたら、御本家と交流を持たれていますか。

その上で、戸籍謄本・除籍謄本を遡れる処まで取得し、明治以降の住所移転や職業の事など、ちゃんと伝わっていますか。

ご自宅で伝承されてきたことが正しいかどうかは、ご自分で調査しなければ、誰も助けてくれませんよ。何を調べたら良いかは、ネットで検索すればすぐ判るでしょう。

旗本辞典・寛政重修家譜・、姓氏家系大辞典など、ご自分でまず調査を為さってください。その上で史料の調査をし尽したら、また何かアドバイスできることもあるかと思います。
渡辺半蔵との関係などここでお尋ねになっても答えは出てこないでしょう。

個人のプライバシーに関することですので、いくら江戸期で戸籍が出来る前だといっても、判っていたとしても、貴方が本当に旗本三橋氏の後裔であると確信出来ないことには、掲示板上で安易に答えを書くことは難しいと思います。

ご子孫のプライバシーを侵害してまで、公開の掲示板に書き込むことが史学研究として公益になるかどうか、その辺の割合でしょう。それは各人のご判断にお任せするしか御座ませんが、時には待ったをかけることも必要かと、最近は特に思って居ります。

最後に、聞いていますが・・・というのは、まず当にならないと思いますよ。


2923.Re: 渡辺氏族について
名前:三橋氏    日付:2014年6月16日(月) 16時58分
それでしたら、掲示板の意味がなくなるわけで、行政書士の方に、相談する前に
、調べてもらうよりも
気軽に聞いてみたいという趣旨で、掲示板を設置していたと思われます。
また、家系研究協議会も事前に、掲示板設置のあらゆる危険性を考慮承知したうえで、設置
しているはずですから、ここに書き込むことは別に問題はないと思っております。
(それと、一応、私は三橋本家の末孫です。)
掲示板で、そもそも本人を特定したりするのは無理というのは、掲示板設置
時点で、考慮ずみのはずです。研究協議会という、大切な家系情報を扱う団体が、
落ち度がないように考えた上での、掲示板設置だと思います。

ここの掲示板は、今後はご訪問、利用しないことにいたします。
さようなら。ご返答ありがとうございました。


2924.Re: 渡辺氏族について
名前:小次郎    日付:2014年6月18日(水) 10時51分
今日は 三橋さん 

先日のコメントはどうも素っ気ないかなと、少し気にしておりました。

旗本三橋氏の本家であるとのこと、それならば江戸期に幕府へ由緒を提出した
(寛政時代)記録が残っている筈ですよね。無ければ何故無くなったのかその
理由が説明出来ねばなりません。
系図もあるでしょうし、其処に渡辺半蔵との関係が記載されているのでしたら、
それ以上のことは貴方以外に判る人はおられませんでしょう。

御本家に当たるのであれば代々の菩提寺があるでしょうし、位牌も伝承されて
いなければなりませんね。また、幕府から役職に任じられた折紙などの任命状
や旗本として領地を与えられた所領安堵状(江戸期でこう言ったかどうかは存
じませんが)が現存していなければなりません。

先日のご質問を拝見させて頂いた処では、そのような状況が全く感じられませ
んでした。ご自分で読み返されて如何ですか。?

>行政書士の方に、相談する前に、調べてもらうよりも気軽に聞いてみたいと
>いう趣旨で

旗本三橋家の末裔ならば、なぜ行政書士に相談しなければならないのですか?
ここも理解不能な処です。代々の除籍謄本は貴方自身で出来るものです。
ご本家の末裔(現在も本家という意味ですしょうか)ならば、伝承文書がある
筈ですよね。家系図はどうなっているんですか?何故、行政書士に相談しなけ
ればならないのでしょうか。大きな疑問です。

誤解があるようですので、改めて書いておきますが、私はこの掲示板の管理者
ではありません。また、家系研究協議会の会員でもありません。学会の会員で
もありません。全くの第三者になりますが、管理者の馬原さんとはパソコン通
信のころから交流を頂いております。

個人情報保護の大切さは40年前とは随分変わりました。以前は他人の戸籍謄
本を第三者が取得することができましたが、種々悪用されることから今日では
極めて厳しく管理されていることはご存知の通りです。

では、40年前に取得した他人の戸籍を、当時は許されていたからと言って、
現在公開の掲示板に投稿することが許されるかというと、決して許されないで
しょう。刑事罰の対象となることは明らかです。

江戸期の家系も同じことで、当時は戸籍法というものがございませんでしたの
で、家系を伝承するという一般常識が庶民の中には御座いませんでした。
また、武士と雖も家系図を伝承してきたものは極々僅かなものであり、旗本で
あったとしても、そのような知識をお持ちの方は殆どおられませんでした。
それは寛政重修家譜を少し研究すれは何方でもお解りになると思います。
(これは活字化されています)

明治の動乱・第二次世界大戦時に米軍の空爆により文書を消失された方、(当
家の同族にも空襲により文書を消失された方がおられます)等、色んなケース
がございます。
もし三橋さんがこのような状態ならば、まず戸籍の遡及・菩提寺と墓所の確認、
ご分家に何か伝承されているものがないか、系図に記載されている婚族に何か
三橋家に関する記録が伝承されていかいか、等々、まずそういう処から調査を
されることが肝要かと思います。

家系は気軽に尋ねるようなものでは無いことは、旗本のご当主ならば当然お判
りのことと存じますが・・・・。

第三者が出過ぎた事を申上げたようですが、家系と云う今日では極めてデリケ
ートなことを話題にする以上、慎重を期したいと思います。ご理解下さい。

2913.高桑城 武山氏 返信  引用 
名前:おっきゃらまあ    日付:2014年5月30日(金) 6時6分
岐阜県岐阜市柳津町高桑の高桑城主武山氏について

高桑城址にある墓地には、武山姓の墓石が多数あります。
お隣の岐南町徳田にも武山姓が数軒あります。
これらの武山さんは、高桑城主の武山氏と繋がりがあるのでしょうか。
また、それを調べる方法はありますか。

2911.市川家系情報 返信  引用 
名前:市川@武州荒木(横浜市港北区在住)    日付:2014年5月16日(金) 21時37分
昨日、山梨県の市川三郷町に行ってまいりました。

同町の郷土史家中倉先生をお伺いし、市川三郷町の歴史や市川氏について貴重なお話をお聞きすることが出来ました。

中倉先生お手持ちの史料から西尾市岩瀬文庫所蔵の甲斐源氏系譜を借用し、コピーさせて頂きました。

甲斐源氏系譜には「方原次郎師光裔 方原 市川」とあり、市川の項には

源師光〈方原二郎 三州方原下司〉―行光〈市川別当大夫 住甲州八代郡市川〉―行房〈市川太郎別当〉―義胤〈市川別当四郎〉行重〈市川別当五郎〉

とあり、八代氏系譜と同様ですが、行房の弟として、市川別当次郎貞光・市川三郎行平・某・市川別当六郎行氏を挙げて、実名や名乗りが不明ながら、某なる人物があるのが、八代氏系譜と異なる点です。この某がもしかしたら坂東の市川氏、もう少し狭めれば、武州比企郡の市川氏の祖になった人物ではと推定可能ではと思いました。まだ頼圓を祖とする覚義系の市川氏の系図史料に当たれてないので、この源姓甲斐市川氏の初期段階の系図の混乱は整理出来て居りませんが、雑誌考える人の高橋氏の書かれた記事を読む限り、恐らく表門神社の市川氏の家伝史料には覚義系市川氏の史料もあると思うので、年内にご連絡をして、許可をいただければ、お伺いしようと思っております。



2912.Re: 市川家系情報
名前:市川@武州荒木(横浜市港北区在住)    日付:2014年5月27日(火) 21時48分
西尾市岩瀬文庫所蔵の甲斐源氏系譜所収の市川氏の系図

源師光〈方原二郎、三州方原下司〉
行光〈市川別当大夫、住甲州八代郡市川〉
成光〈方原刑部三郎、住三州〉
行房〈市川太郎別当〉―義胤〈市川別当四郎〉・行重〈市川別当五郎、建仁三年八月於鎌倉比企能員誅伐ノ時在軍功〉
貞光〈市川別当次郎、建久四年五月廿八日頼朝公富士狩場□□□□□□曽我祐成時宗等乱入貞光□□為時宗□□□高脛〉―祐光〈市川次郎左衛門尉、建保七年正月□□□実朝公鶴岡八幡宮□□参随兵〉
行平〈市川三郎〉

行氏〈市川別当六郎〉

○行盛〈市川掃部允〉―行径〈戸栗甚十郎、住河内南部郷戸栗〉―以下略

草書で書かれているため、所々判読出来なかったところがあり、不勉強の故とはいえ恐縮です。

この系図中、中倉先生は、市川掃部允行盛を市川掃部助高光(入道見西)と比定されておられますが、この市川行盛は市川高光ではなく、戦国時代の武田一族の穴山梅雪の家臣の市川掃部助と同人と思います。


この西尾市岩瀬文庫蔵の甲斐源氏系譜からも、曽我物語に見える甲斐国市川党の別当大夫は、行房ではなく行光(青木家譜系図や八代家系譜では、後に高光と改名とある)であることが分かります。

行光の子供に見える某は、曽根厳尊の子と伝わる市川別当大夫頼尊でなければ、先日の投稿に書いた通り、坂東の市川氏、つまり武州比企郡の市川氏の祖になった人物の可能性があると思われます。方原二郎師光の子の市川別当大夫行光は上記の通り、高光に改名してますが、以前書いたように、高光の高は、秩父次郎大夫重隆の偏諱の“隆”を受けたものとも思われ、帯刀先生源義賢に味方した可能性もあると思います。市川大門町史における甲斐源氏の系図では、源義清―市川別当内膳清房(行房)として、表門神社の市川氏の所伝では、方原師光―市川高光が欠落してる様ですので、この欠落の原因は高光とその子供の某が帯刀先生義賢に味方したが故に、その存在が、鎌倉時代に隠蔽されたのではないかと推測は可能だとおもいました。

2910.すき 返信  引用 
名前:島津    日付:2014年5月16日(金) 13時21分
すみません、はじめまして、実は私ルーツ探しをしています。先祖は埼玉の所沢の金物商と資本家をしていた坪川と山梨のコマ郡の桜林と埼玉県の高麗郡大河原村の中里です。幕末までは戸籍で遡りましたかが その先が不明です。以下は判明した先祖の名前です。何かわかりましたらお願いいたします。家系図とかわかれば大変嬉しい!!

坪川新兵衛 坪川敬之助 中里重作 中里武之助 櫻林清一 櫻林文五郎



2966.Re: すき
名前:TW    日付:2015年1月8日(木) 17時9分
埼玉苗字辞典
坪川
所沢町 本郷村東福寺明治九年水鉢に所沢宿五番組坪川新兵衛(金物商)あり。二戸現存す。
中里
大河原村(飯能市) 当村に此氏多く存す。八耳堂文化八年宝篋印塔に中里善左衛門。中山村智観寺明治十八年馬鳴菩薩信徒録に大河原村中里治。明治四十四年織物製造業中里八蔵あり。
桜林
戸田、草加、鳩山、江南等に存す。山梨県中巨摩郡甲西町十八戸、甲府市八十戸あり。



桜林氏
山梨県甲府市宮原町の宇波刀神社の神主が屋敷に桜の林があったことから創姓したと伝える。武田家臣に桜林氏有り。

御参考まで。 2015.1.8 

2909.先祖探し、苦労しています 返信  引用 
名前:人生なめたらあかん    日付:2014年5月16日(金) 13時10分
僕の先祖は愛媛の大洲の士族で5代前の先祖の名前が矢野佐平いいます。大洲の分限帳なるもんを見ましたがありませんでした。家紋は丸に十字または轡紋です!薩摩の島津の家臣いうこともあったらしいです。何かわかりしまへんやろか?



3107.Re: 先祖探し、苦労しています
名前:黒い翼    日付:2016年3月12日(土) 23時46分
> 僕の先祖は愛媛の大洲の士族で5代前の先祖の名前が矢野佐平いいます。大洲の分限帳なるもんを見ましたがありませんでした。家紋は丸に十字または轡紋です!薩摩の島津の家臣いうこともあったらしいです。何かわかりしまへんやろか?

旧大洲藩士の家です。
矢野家は大洲藩主の加藤泰興公(当家では円明院様とお呼びしておりますが)の御代に召抱えられた家(矢野清左衛門家)があります。
その家に江戸時代中ごろですが、矢野佐右衛門長時(百石五人扶持)という当主がおりました。

その家の出である可能性はあります。ただ、家紋等は存じておりません。
また、大洲藩に召抱えられる前は、香川県高松藩主、生駒家に仕えていたといわれております。
ただ、その前に島津家に仕えていた可能性はあるかもしれません。

ご先祖様の供養の足しになればとご連絡まで

2906.お礼 返信  引用 
名前:古川 正記    日付:2014年4月22日(火) 15時42分
TW様 お調べいただきありがとうございます。

戒名の件につきましては、定か門か不明なのですが、墓碑がありますので確認が取れると思います。
田村郡三春町 臨済宗 福寿寺は何度か火災があり過去帳が焼失されているようです。
また、狐田の影山家も家が三回ほど火災にあい過去帳や家系図なども焼失したといわれています。
本家と分家の、古い墓碑が敷地内に40程あり詳しく調べられるのではと考えております。
福寿寺の分寺が狐田村に万治元年 1658年に建立の時の鐘に一族の名前が記載されているようです。
北海道から福島になかなか行くことができなく調べるのにも苦労しておりますが、先にも記載しま
したが気長に調べていくつもりで頑張っております。
色々とお調べいただき本当にありがとうございます。
これからも宜しくご教授のほどよろしくお願いいたします。
追伸
教えていただいた、東京大学編纂所の芳賀系図ですが、現在依頼中です。
ありがとうございました。

2902.名字・彦山について 返信  引用 
名前:e-sinji    日付:2014年4月11日(金) 17時13分
静岡県河津町、下田市あたりに「彦山」さんという苗字があります。
名字ランキングで見ますと20,000代です。ルーツ等わかりましたらお聞きしたいです。 


ページ: << 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 >> >| 


   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb