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家系研究協議会掲示板

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2890.安俵小原氏について 返信  引用 
名前:北海道在住 安俵小原平家    日付:2014年3月6日(木) 4時43分
安俵小原氏総本家である平家のお墓が見つかり、古い過去帳から当家の方々が見つかりました。当家は平家=館の小原と呼ばれていたそうです。妙見信仰(釜糠妙見=北海本宮相馬神社なのか?)があり、現在でも私の家が祀っています。家紋は丸に上がり藤(昔は蔦ということですが、藤原姓を名乗るようになってから、丸に上がり藤になったということです。

まず、戸籍謄本?から
●明治時代の東和の『戸籍謄本』の写しですが、
 居住地 陸中国安俵村76番地屋敷居住(屋号は平)
  文政4年6月14日出生 小原 市之助 52歳
  妻 天保2年正月8日出生 当国稗貫郡高木村 菊池 利吉次女 とめ(と免) 42歳
  長男 嘉永6年7月15日出生 小原 市太郎 20歳 (※のちに名 元吉)
   妻 安政3年3月2日出生 小原 辰五郎長女 志の 17歳
   長男 明治8年10月30日 小原 弥惣治 1歳
 氏神 愛宕神社
 菩提寺 成沢寺

後に76番地屋敷は、77番地屋敷居住 小原左五兵衛 (平ノ弥兵衛之次男)という方が所有することになります。

高祖父である小原弥惣治(家督を継ぐ長男)は系図は小原弥兵衛の腹違いの兄弟、当時豪農であった次男である小原左五兵衛に預けたとのこと。別の聞き込みであると、弥惣治=實清、左五兵衛=實次ということで、古い資料では同人物でも異なる名前を使っていたことになります。藤原姓に合わせてなのかも知れません。

2003年と2013年岩手の東和町に出向いた所、系図を集めまわっている人がいて、お会いできそうもないとのこと。接触をしないようにと言われました。
系図が見つからなかったのには訳があるそうです。高祖父の小原弥惣治(2世)が北海道の農地を買い小作人を雇って一旗あげて、安俵に帰るつもりでしたが、中々成功まで届かず、系図を預けた左五兵衛に会えず、遺言で系図を取りに戻るようと曾祖父に託しました。曾祖父が取りに戻るという話だったのです。、時期悪く亡くなってしまいました。
安俵では本家がなかなか帰って来ないとのことで、左五兵衛の子孫が直系の子孫と言い出したそうなのです。それは本家が見つからないから直系と勘違いしたのかもしれません。私の家の墓は無縁仏となり、古い過去帳と墓石だけが確認できました。しかし、なぜ無縁仏になったかというと、当時の岩手新聞に区画整理のため、申し出るようにと掲載されていたそうですが、当家は北海道に移住していたため、連絡が来なかったようなのです。左五兵衛の子孫の方とお話したかったのですが、その子孫とは会わないほうが良いと言われ、系図が書き換えられた可能性、もしくは左五兵衛の子孫が歴史的資料を集めてしまって見ることができないとのことでした。

このようなことから、私の家の家系が分からなくなったようです。
しかし、私はせめて初代からの先祖供養のために、ご先祖様を含め私が亡くなる前にはお墓に名前を記してあげたいと思うのです。
系図が見つかれば良いのですが、せめて写しだけでもと思っています。
家系図研究協議会の皆様で私が調べた以上古い資料がお分かりになるかた、どうぞお力添えを心からお願い致します。

●小原左五兵衛家の系譜に記載されている小原平家の記載箇所
(仲介人の調べによる)

 文政 6年37歳出而
 (その下に書き込み有り)
 平 小原弥兵衛(藤原實清)
    天明4年12月19日死去
    合阿掌中信士 (※成沢寺の過去帳にて確認済)
    妻 實次ノ次女
    文化4年11月15日86歳而死去
    建室妙好信女(後妻)

    一女 養子継 平ノ家督

●成沢寺 過去帳調査(2003年)私が調査したもの


園阿浄心信士 安俵平ノ弥蔵
          延享2年6月22日


是阿如法信士 安俵平ノ●●(達筆で解読できず)
          宝暦10年10月19日

合阿掌中信士 安俵平ノ弥兵衛
          天明4年12月19日(※左五兵衛の系図に記載箇所ありとのこと)
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

    妻 建室妙好信女 安俵平ノ弥兵衛次男母 佐波 (さわ)
          文化4年11月15日(享年86歳)
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)


禅阿定證信士 安俵平ノ弥蔵
          文化15年8月10日

    妻 正弌妙眞信女 安俵平ノ弥惣治ノ母
          文政4年8月16日
   
    長女 無心童女    安俵平ノ弥蔵ノ娘
          文化10年6月19日


堅阿正道信士 安俵平ノ弥惣治
          文政4年3月11日※北海道に位牌あり
         ※館の小原弥惣治、藤原實清の可能性があるとのこと(浮田に実家のある方から)

    妻 大安妙光信女 文化15年5月16日

弘阿誓般信士 安俵平ノ弥ノ治
          文政9年正月2日※北海道に位牌あり
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

    妻 乘弌法般信女 安俵平ノ弥ノ治妻 
          文政9年2月7日※北海道に位牌あり
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

見阿道清信士 安俵平ノ市之助
          嘉永2年2月5日(享年52歳)※北海道に位牌あり
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

    妻 昭弌妙恵信女 安俵平ノ市之助妻 エン
          嘉永5年6月4日(享年)50歳※北海道に位牌あり
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

    娘 艶室妙貞信女 安俵平ノ市之助 娘 ワキ
          弘化2年正月21日※北海道に位牌あり
    

頓阿成證居士 安俵平ノ市太郎 (改名 元吉)
          明治22年11月9日(享年 37歳) ※北海道に位牌あり

    妻 頓弌妙覚大姉 安俵平ノ市太郎(元吉)妻 (弥惣治ノ母)
                 (小原辰五郎長女) 志の(シノ)
          明治37年2月17日 (※位牌 北海道にあり)
          (成沢寺無縁仏の墓石群にあり)

安俵下(房)守藤原玄蕃小原秀房之霊
元和6年10月9日※北海道に位牌あり(初代と言われている)

ここまで調べることができたのですが、系図にはあと8代くらい遡ることが書いてあるハズなのです。その資料をご存知の方は宜しくお願い致します。



2892.Re: 安俵小原氏について
名前:TW    日付:2014年3月17日(月) 0時35分
お久しぶりです。 家系調査に、かなり御努力されているようですね。
再度、安俵小原氏について調べてみました。下記御参照下さい。

俵(田原)藤次藤原宗郷(俵藤太藤原秀郷の弟)―田原重光―田原重藤―田原重継―幾佐井直重(初名田原元次、母方の外祖父、私市(きさい)武蔵守丹治宗直に養育され、武蔵国大里郡私市城住、平姓幾佐井氏を継ぐ)―幾佐井直持―幾佐井直藤―幾佐井直遥―幾佐井遥重―幾佐井重望―幾佐井藤五郎重治(八重樫氏祖)。

幾佐井重望―小原藤五郎重継(幾佐井藤五郎重治の弟)―小原義法―小原義直―小原忠継―小原定継―小原重秀―小原義郷―小原政継(時義)―小原政忠―小原政直―小原義望―小原義忠(重義)―小原行秀―安俵玄蕃小原藤二郎義秀(義重)―安俵玄蕃小原藤五忠秀―藤次郎房継―常円―荘右衛門―上総守秀意(駒場祖)―秀應―実清杉三郎(館祖)。

私見ですが、下総守信家と安俵下総守義房は同一人物と思われ、安俵玄蕃小原藤五忠秀の実弟、義弟、子、養子、甥などでは・・・?
安俵玄蕃小原藤五忠秀の子は、藤二郎房継、藤三郎房正(房政)、藤四郎房光など、「房」の通字を使用しているので、貴家の祖とされる、安俵下総守藤原玄蕃小原秀房=安俵下総守義房かも・・・???
安俵玄蕃小原藤五忠秀の妻は摺沢城主岩淵筑前守信定の娘とされるので、「信」の通字から下総守信家にも関係が有るかもしれません・・・???
実清(實清)杉三郎(館祖)も関係しそうな気もしますが・・・?

平姓から藤原姓に変えたのは、俵藤太藤原秀郷の関係のようです・・・?

それから、弥惣治=實清、は別名では無く、昔風の正式な名乗りでは、小原弥惣治藤原朝臣實清、又は、小原弥惣治平朝臣實清ということだと思います。

尚、小原氏出自には諸説有るので精査を要すると思います。御参考まで。
貴家の家系調査の進展をお祈りしています。


2896.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道在住安俵小原平家    日付:2014年3月25日(火) 21時57分
調べて頂きありがとうございます。

安俵下総守義房=藤原玄蕃小原秀房の可能性が高いみたいです。

『猿ケ石叢第25号』によると、忠秀の長男は房継であり盲目であったため、房正があとを継ぐと書かれていました。そのような訳で、我が家は総本家と呼ばれていた可能性があります。

私の家は成沢寺に書いてある、下総守の子孫かも知れません。前住職さんとお会いしたとき、下総守の墓は昔あったとのことでした。丹内山神社の棟札にある、平姓の小原氏と同族だと思います。
系図は恐らく、分家である小原左五兵衛 (平ノ弥兵衛之次男)の子孫がもっている可能性があります。

とりあえず、明治3年くらいの「秣芟採鑑札」に恐らく我が一族の名が見えましたので、二子村の関係も調べてみようと思います。

お調べ頂き誠にありがとうございました。
また何か解りましたらご連絡させて頂きます。


2897.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道在住 安俵小原平家    日付:2014年3月30日(日) 7時7分
なんとなくですが、概要が見えてきました。
安俵小原氏に本家がいくつもあるのは、元々あった平家の系図を写したものであると考えることができます。

丹内山神社にある5つの平姓が総本家であり、江戸時代に入る前まで存在し、男子が生まれなかった、もしくは娘と結婚したのかも知れないのです。私の家では病弱なものは家督を継ぐことができません。ですから女子が家督を継ぐこともありました。また、目の悪い嫁、身体の弱い嫁ももらうことはできません。現に祖父の母は産後のひだちが悪いことから、離縁されています。そうして、小原家を繋いできました。
駒場家の系図に残る秀意の三男、藤原實清小原杉三郎が平家養子入りしたことが考えられます。そこで、私の家の屋号が平である訳です。また、館の小原呼ばれていたことも、当家とその分家の砂田小原家(家紋・・・丸に下がり藤)に伝わっており、10年前に砂田の小原さんにお会いしたとき、「館の弥惣治さん」のことをお爺様から聞いていたそうです。家紋も昔は蔦だったらしいですが、詳細はわかりません。北海道に移住したせいで、ご先祖様のお墓が無縁仏になっていましたが、ピラミッド状の墓の表面には我が家の墓石が多数見えます。その中に丸に蔦の紋が多く見られました。成澤寺の過去帳にも当家の先祖の名前がありますので、間違いはないと思います。平ノ小原家(当家)の分家である砂田ノ小原さんの子孫は駒場家の法要に出ていることから、その可能性は高いのではないでしょうか。

駒場小原家の系譜が信憑性がある系図だと思われます。
「初代安俵下総守藤原玄蕃小原秀房之霊 元和6年10月9日」とあるのは、おそらく館の祖である、小原杉三郎だと思うのです。それが館の初代であり、平家の小原を継いだのだと思われます。

六本木家の系譜は30代以上続いていますが、それは後に書き加えたものだと思われます。
備中忠政六本木が祖であり、その血族が当家が北海道に渡ったので、直系の家系と称したのだと思われます。
駒場の系図もそうですが、小原秀意が初代です。私の家も杉三郎が初代であれば、私が総本家館の小原二十代目と呼ばれていたことにも納得します。昔、当家に古い掛け軸が2本ありました。それは代々受け継いだもので、「参りの仏」だったのかもしれません。妙見信仰があることも、他家の子孫の方は知らなかったそうです。有名な研究家が東和町にて公演をしたとき、講師の方が妙見信仰があったと言うと老婆の方が妙見信仰を代々小原氏が祀っていたとを知っていたそうです。それは釜糠妙見だったのかも知れませんが、今は個人所有になっているらしく、拝むことはできませんでしたが中身は入っていないそうです。


それはさておき、私は20代目でしたが、8代目までは遡ることができました。ご先祖様が7人、不明です。菩提寺であった時宗成澤寺で確認しましたが、寺が焼ける前の過去帳はないとのこと。どのように調べたらよろいいでしょうか。またネットで検索すると伊藤氏蔵『安俵小原氏系図写し』と出るのですが、ご存知でしょうか。

どうしても私が生きている間に、系図を作りお仏壇に備えたいのです。
ご教授願います。


2899.Re: 安俵小原氏について
名前:TW    日付:2014年4月2日(水) 21時30分
私見ですが、貴家の初代安俵下総守藤原玄蕃小原秀房=実清杉三郎の可能性は、低いと思います・・・?
実清杉三郎は、安俵玄蕃小原藤五忠秀から、150〜250年ぐらい後の時代の人だと思います。
年代的に合わないと思います。
弥兵衛?弥惣治?=実清杉三郎の可能性は多少あると思います・・・?
代数が合わなくなりますが・・・ 誤伝などは多々あります。
安俵玄蕃小原藤五忠秀から数代前に分かれた支流(下総守?)の子孫が館家を継いだ可能性も有るかもしれません・・・?

貴家に伝わる初代安俵下総守藤原玄蕃小原秀房の位牌は、後世(江戸時代後期以降)に作られた可能性が高く、誤記が有ると思います・・・?
玄蕃と下総守の二つの官職名が一つの名に入っているのは、おかしいと思います・・・
当時の慣例などを知らない人が書いた名乗りだと思います・・・?
安俵玄蕃の一族の小原下総守秀房の子孫と考えるほうが妥当な気がしますが・・・?


花巻市 伊藤祐平家所蔵 小原氏系図 (岩手県史 第3巻)
岩手県史 第3巻 には、小原六郎右衛門入道常円までの記載です。
原本には、もっと詳細な記述があるかもしれませんが・・・?

岩手県史は昭和36年に、岩手県が刊行したので、調査、編集、出版に関わった、学者、研究者、教諭、地元の郷土史家、県教育委員会、古文書館、郷土資料館などに資料が残っているかもしれませんが・・・?

小原左五兵衛の子孫の方や地元の旧家(和賀氏などの家臣の子孫)に聞くのが一番だと思いますが・・・

二子村周辺の宗門人別帳、土地台帳などを調べてみては如何でしょうか?
手がかりが見つかるかも・・・?

江釣子村 菊池家所蔵 小原系図 永禄6年まで記す
源姓和賀系図・和賀氏系図・模沢小原氏蔵、和賀氏之託文

御参考まで。


2901.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道在住 安俵小原平家    日付:2014年4月4日(金) 20時16分
ご教授ありがとうございます。

こうなってくると、歴史認識に乏しい私には何をしたら良いかわからなくなってしまいました。

もし、館の祖が弥惣治であれば、すべての先祖が揃う訳なので、私にとっては良いことなのですが、なぜ代が合わないのか、またなぜ館の祖となっているのかが気になります。また、成澤寺の過去帳の屋号が平なのかも知りたいです。そして、どうしてここまで系譜を継げなければいけないのか、それも不思議です。

また、系図とはあまり公表されないものですよね?
どのように他の系図を見ることができるんでしょうか?


2903.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道在住 安俵小原平家    日付:2014年4月19日(土) 1時23分
改めて調べてみました。

 1.安俵玄蕃小原藤五忠秀
 2.房継
 3.実模(五郎左エ門)
 4.六郎左エ門
 5.元甫
 6.元甫
 7.草玄
 8.弥蔵   園阿浄心信士
 9.○○   是阿如法信士
10.弥兵衛 合阿掌中信士
11.正弌妙眞信女 ---(婚姻)---弥蔵 禅阿定證信士(実清〈駒場系 館ノ祖〉)
12.弥惣治 堅阿正道信士---(妻 佐波 建室妙好信女〈六本木 実次 次女〉)
13.弥ノ治 弘阿誓般信士
14.市之助 見阿道清信士
15.市太郎(改 元吉)頓阿成證居士
16.弥惣治 朴堂了春居士 (ここから北海道の寺)
17.某(高祖父)
18.某(曾祖父)
19.某(父)
20.某(私)

どうでしょうか?


2905.Re: 安俵小原氏について
名前:TW    日付:2014年4月21日(月) 12時10分
鎮守府将軍、陸奥守と称する場合など有りますが、ちょっとおかしいと思います・・・?
北海道で一旗揚げて帰るつもりで、系図を持って行かなかったのであれば、先祖の位牌も持って行かなかったのでは?
あいまいな記憶や伝承から、誤記、誤伝が生まれる可能性は有ると思いますが・・・?

私事では有りますが、当家も以前に親族から伝え聞いていた代数と家系図、過去帳等から確認した代数が一代ずれていました。
大正時代頃に作り直した先祖の位牌の中の一つに明らかに俗名と戒名が食い違っている誤記と思われる位牌も一つあります。
系図、過去帳、位牌、墓石、伝承などは、再調査、照合などが必要だと思います。
誤記、誤字、脱字、誤伝などは多々あります。
昔は近所に図書館、書店なども無く、語学、歴史等に精通した者も少ないので・・・
古い位牌の修理をしている仏具屋や住職などに位牌を見せれば製作年代は分かると思います・・・

東和町などの周辺には、私市氏流平姓小原氏、稗貫氏流藤原姓小原氏、和賀氏族源姓小原氏、小原氏族安俵氏、稗貫氏族安俵氏などが混在して、出自が複雑になってしまったのかも・・・?
当時の地元の人たちは、「平姓の小原さんの家」ということは知っていたと思います・・・?

平姓千葉氏の妙見信仰も有名です。宮城県、岩手県などにも多い千葉氏も同じ平姓千葉氏です。
千葉氏の祖である平良文(村岡五郎)の法名は夕顔観音大士で夕顔(かんぴょう)を食べないという風習が残っています。
平姓千葉氏との婚姻など? 関係が有るのか・・・?

明治初期以降の系図は公開されているケースは少ないと思います。
小田原北條氏の家臣なども主家滅亡後に各地に土着した者が多いですが、各氏の系図は現存しない。又は残っていても公開されている例は少ないと思います。

住職や小原一族の方などに仲介していただき、小原左五兵衛の子孫の方に系図の写しをもらい、照合するのが良いと思いますが・・・

私見ですが、
1、安俵玄蕃小原藤五忠秀は、慶長6年(1601)に自害なので、貴家の初代安俵下総守藤原玄蕃小原秀房、元和6年(1620)卒とは別人と思われる。 
2、房継は、元和8年(1622)卒なので、同じく秀房とは別人と思われる。
3、実模(寛永12年卒)の子孫は、その後も存続しているし、駒場家、館家は実模の弟(六郎右衛門入道常円)の系統とされるので、別家と考える方が妥当と思われます・・・
一族の者が養子、婿入りなどをして、継ぐ場合も有りますが、根拠が無いので。
下総守を称している館家と上総守を称している駒場家は、近い関係なのか・・・
4、実模(五郎左衛門)の子は、太郎左衛門、弟が六郎右衛門。
5、6.、7、も同様で、元甫、元甫、草玄、は実模(五郎左衛門)の子孫で、実模の弟(六郎右衛門入道常円)の系統とは別家と思われます・・・

失礼ながら、御参考まで。


3138.Re: 安俵小原氏について
名前:安俵小原氏に興味がある    日付:2016年11月19日(土) 12時28分
初めまして、安俵小原氏について興味があるものです。
私の母の旧姓が小原と申します。
母の出身地が虻田郡でありまして、何らかの関係があるのかと思いメールをさせて頂きました。
先日の11月15日に母と先祖の話をして、先祖が岩手にいるとの話から検索をかけたらこの記事に出会いました。
ここにどこまで記載してよいのものか判りませんが、もし、宜しければ、小原氏についてお聞きしたくメールさせて頂きました。
突然のメールで大変迷惑をお掛けし申し訳ございません。

では、失礼させて頂きます。


3139.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道安俵小原 平家    日付:2016年11月21日(月) 2時37分
Original Size: 960 x 1280, 396KB

どなたか、安俵小原 平家についてご存知の方はおりませんでしょうか?
東和の歴史博物館の方に問い合わせた所、予算がなく調べることが不可能とのことでした。歴史資料は安俵小原氏六本木家出身の元町長の方が集めていたそうですが、故人となられたとのこと。
どんどん風化して行くと思います。

妙見信仰があり、明治に養蚕業を廃業して北海道に移った家系で、屯田兵ではありません。墓は成沢寺の無縁仏の大きなピラミッド状になっており、表面にある墓石にも先祖の墓石があります。

現在、花巻市になりますが、どなたか郷土資料に詳しい方はおられませんでしょうか?宜しくお願い致します。
成沢寺の過去帳の画像もありますが、達筆のため読めない部分もあります。
ご連絡お待ちしております。



3140.Re: 安俵小原氏について
名前:北海道安俵小原 平家    日付:2016年11月21日(月) 2時57分
また、秣芟採鑑札に私の玄祖父の名前が出てきます。
小原市太郎
http://machiwotekuteku.blog.shinobi.jp/北上で、ぶつぶつ…/馬草の刈取り許可書
http://machiwotekuteku.blog.shinobi.jp/北上で、ぶつぶつ…/秣芟採鑑札にあった名前
http://machiwotekuteku.blog.shinobi.jp/北上で、ぶつぶつ…/秣芟採鑑札にあった名前


3152.Re: 安俵小原氏について
名前:安俵小原氏に興味がある    日付:2016年11月25日(金) 17時24分
初めまして、安俵小原氏について興味があるものです。
私の母の旧姓が小原と申します。
母の出身地が虻田郡でありまして、何らかの関係があるのかと思いメールをさせて頂きました。
先日の11月15日に母と先祖の話をして、先祖が岩手にいるとの話から検索をかけたらこの記事に出会いました。
ここにどこまで記載してよいのものか判りませんが、もし、宜しければ、小原氏についてお聞きしたくメールさせて頂きました。
突然のメールで大変迷惑をお掛けし申し訳ございません。

では、失礼させて頂きます。


3172.Re: 安俵小原氏について
名前:虻田の小原さん    日付:2017年5月5日(金) 0時57分
メールを返信しましたが届きましたでしょうか?

2889.影山 左馬について 返信  引用 
名前:古川 正記    日付:2014年3月5日(水) 15時48分
太田 亮先生の姓氏家系大辞典 第一巻 角川書店発行の中に、
奥州ノ影山氏 岩代の田村郡に此の氏あり。
同郡中森館(巌江村舞木)は田村家家臣影山左馬の居城なり。 芳賀系図と
ありますが、三春の田村家臣に、影山左馬という人物が実在していたの
でしょうか。また、芳賀系図とありますが芳賀氏の支族なのでしょうか。
ご教授宜しくお願いします。



2898.Re: 影山 左馬について
名前:TW    日付:2014年4月2日(水) 21時26分
田村氏に属した二階堂氏の臣に影山与惣六郎、影山長三郎、影山又一郎などの名が見えます。 
後に田村氏は伊達氏に取り込まれます。

鎌倉公方足利持氏七男廣氏が外戚紀姓蔭山氏を継ぎ子孫は源姓蔭山氏を称しています。
紀姓芳賀氏流影山氏もあるようです・・・

続群書類従にある芳賀氏系図は紀姓。
芳賀氏系図(東京大学史料編纂所蔵)も有り。

影山姓=福島県田村郡三春町に150戸ほど。郡山市に400戸ほど。
景山姓=福島県郡山市に50戸ほど。

御参考まで。


2900.Re: 影山 左馬について
名前:古川 正記    日付:2014年4月3日(木) 1時12分
お調べ頂きありがとうございます。

私の父方が影山姓で明治45年に北海道へ移住してきた一族ですが、
出自は福島県田村郡三春町狐田です。

言い伝えに聞いた話ですと、田村家の家臣で菩提寺も田村家と同じ福寿寺になります。
奥州仕置きがあった時に帰農したといわれ、旧狐田村には2件の影山の家よりなかったそうです。
時代的にはいつ頃の年代かわかりませんが、古い墓碑が1600年後期のがあり家紋は山文字丸と12菊の紋が刻まれています。

その墓碑ですが、實相寿量禅定門と掃元梅林樹香禅定と戒名はわかるのですが俗名が書いていませんがそのようなこともあるのでしょうか。

調べ頂いた芳賀氏の支流ですが、明治期に源姓との事で現在は笹竜胆の紋を使用しています。

時代を遡るのは、すごく難しいですが気長に調べていくつもりでいますのでこれからも宜しくご教授の程お願いします。


2904.Re: 影山 左馬について
名前:TW    日付:2014年4月21日(月) 12時5分
俗名が無い場合は有ります。
通常、前面に2つ戒名が彫ってあれば、夫婦の戒名のはずですが・・・?
「掃元梅林樹香禅定」の「定」の下に「尼」の字は有りませんか?
女性の戒名のように見えますが・・・?
禅定門=男、禅定尼=女、です。
墓石の裏側や前面の根元の脇(土に埋まっている場合もあるかも?)などに、小さく施主名(建立者名)が彫ってある場合があります・・・?

三春町は影山姓が沢山のようなので、本家?や菩提寺で過去帳などを調べれば判明しそうですが・・・?
最近は個人情報保護法の影響で、姓が違うと除籍謄本などの取得がきびしいようですが・・・

貴家と直接は関係なさそうですが、水戸藩士に、
蔭山又十郎廣則
蔭山又十郎廣信
蔭山四郎兵衞廣道
蔭山四郎兵衞廣隆
蔭山三郎介廣胖
の名が見えます。

北条氏政が、下総臼井城合戦の時に蔭山新四郎に感状を書いています。
「今度於臼井之城、褐粉骨走廻、殊蒙傷、敵一人討捕候、高名之至、感悦候」

諸家所蔵文書7 蔭山彦五郎家蔵文書 附:蔭山系図(東京大学史料編纂所)

大名の池田氏、堀田氏、真田氏(滋野氏)なども紀氏流とされます。

天皇家と関わりの有る神社の神主の家系や拝領紋を使用している家系に菊紋は多いと思われます。
菊紋(菊水紋)は橘氏などにも多いです。
夏目氏=十二葉菊紋
堀内氏=五三桐紋、菊桐紋、十二葉菊紋、十六葉菊紋

御参考まで。


3073.Re: 先祖について
名前:源之丞    日付:2015年10月9日(金) 21時31分
父の家の家系について多少ともアドバイスいただける方がいらしたら
お願い致したく。父の祖父の代に親戚の連帯保証人になったことで夜
逃げされ、破産して家・家財・土地を売り没落したようですが父は生前農家だと言っていましたが江戸時代の墓石にはすべて立派な天台宗の院号居士大姉号での内容の良い戒名(例えば、正門院、慈光院、樹城院、寶蓮院、春珠院など)が付けられており、古い墓(寛政・文政年間没)の親子の墓石は屋根付き笠付きで父親の墓は1m92cmの高さぐらいで梅鉢の紋が彫ってあり、その子の墓は1m62cmの高さぐらいで同じく梅鉢の紋が彫ってあり、なお且つその上に菊の花が彫られています。もちろん戒名だけでなく苗字と俗名が横面に彫られています。当家は苗字からも藤原氏で表紋は下がり藤で裏紋が梅鉢です。近くに加賀の前田の分家がありますがこのような墓石を建立していたのは前田氏が当家の苗字の家の庶流ということからなのかと思っています。
父が子供の頃家系図があり、第十代崇神天皇から分かれた家だと言っていました。刀や火縄銃まだあったりでどう考えても農民とは思えませんが郷士のような存在だったのでしょうか?あるいは武士が事情があって帰農したということなのかこの程度の情報ですがどなたか参考になるご意見ありましたらご教示願いたく。
よろしくお願いします。


3076.父方の家系
名前:源之丞    日付:2015年10月23日(金) 21時1分
亡き父の実家は群馬県です。町史によると戦国の落人が多いという話ですが父からの聞き書きや江戸時代の墓石・戒名等からどうみても農民とは思えないのですが農家kということしかわかりません。
どなたか家格についてご教示できる方がいればお願い致したく。
江戸時代の墓石はすべて戒名に院号居士大姉がついていて内容が良い。
例えば、院号では男性は慈光院、春珠院、正門院で女性は城樹院、寶蓮
院、圓成院など。大きな墓石は親子のもので父親は源之丞で戒名は慈光院霊翁寿悦居士で高さ1m92cmぐらいで屋根付き笠付きで正面に梅鉢の紋が彫られています。その子供の常右衛門は春珠院智月道攀居士で高さ1m63cmがぐらい屋根付き笠付きで正面に梅鉢の紋が彫られその上に菊の花が彫られています。しかも親子で同じ梅鉢なのに微妙に異なっています。父親は丸に梅鉢で子供は大聖寺梅鉢のようです。父の見解では石屋が間違えたのではないかということでした。当家は表紋が下がり藤で裏紋が梅鉢です。近くに加賀の前田の分家の藩がありましたがどうも前田は当家の先祖の庶流(分家の分家)ということでこのような
墓を平気で建てていたのかと推測しています。父が子供の頃には家系図ー第十代崇神天皇からの分かれーや刀や火縄銃等々があったそうです。父の家は父の祖父の代に親戚の連帯保証人になったことで夜逃げされ破産して家・家財等がなくなってしまったということでした。
この程度のことですが何かアドバイスできる方がいればお願いします。

2888.菊池家系図について 2 返信  引用 
名前:うっちゃん    日付:2014年3月5日(水) 11時2分
 この系図の作成は約400年前の物と推測できます。鎌足に始まり途中、道隆、則隆、武房、武時、武光、正隆、頼次など約90人の直系?の武将の名前が記してあり最後は武虎で筆が終わっています。申し訳ありませんが昔字でもあり私の文章での菊池家コーナーへの全貌の紹介までには至りません。ご返信ありがとうございました。



2893.Re: 菊池家系図について 2
名前:菊池吉三郎@上総    日付:2014年3月17日(月) 21時39分
本館は時々拝見していたのですが、驚きました。
興味あります!
特に武光以降の正隆、頼次、武虎などの周辺も拝見したいです。

熊本の方でしょうか?残っている物ですね。


2894.Re: 菊池家系図について 2
名前:菊池吉三郎@上総    日付:2014年3月18日(火) 7時1分
ちなみに、紙と紙を繋いでいると思いますが一辺の長さはどの位でしょうか。

2886.系図について 返信  引用 
名前:うっちゃん    日付:2014年3月4日(火) 18時6分
Original Size: 480 x 640, 50KB Original Size: 480 x 640, 50KB

近所に菊池家縁の方が居ますので私が菊池家系図を保存しています。
武重の名前も出て来ます。長さが5mほどで最後の筆が1600年ころで終えています。博多蒙古との討死の筆もあります。参考まで写真を添付しました。ご参考になれば幸いです。



2887.Re: 系図について
名前:菊地英雄    日付:2014年3月5日(水) 9時21分
家系研究協議会「菊池一族」の掲示板にも投稿されたほうがよいのではないでしょうか。
プライバシーのことがあるでしょうが、出来れば系図の全貌を公開いただけると参考になります。

2883.集団ストーカー隣人、モンスター隣人は断固許さない。 返信  引用 
名前:藩士 士族    日付:2014年1月2日(木) 18時29分
年頭にあたり、誇り高い士族や聖職者であった、我が先祖の御霊安かれと祈念し、偉大な祖父(教職員勤続四十年、会社役員勤続二十三年)を始めとした先祖を誇りに思い、そのような立派な先祖に恥じぬ子孫になることを誓う。

2882.先日の回答ありがとうございました 返信  引用 
名前:久野益子    日付:2013年12月31日(火) 6時6分
何度もすみません揚羽蝶にこだわる理由は祖父が熱心な浄土真宗者で益子町に安善寺というお寺で平貞能の移住だったとお聞きしました.この方は宇都宮氏をたよってこのお寺に住んだと聞きました。平の落人です無理に考えてるでしょうか教えてください、



2884.Re: 先日の回答ありがとうございました
名前:小次郎    日付:2014年1月7日(火) 17時17分
久野さんこんにちは 良いお年をお迎えになられたことと思います。

この掲示板で何度かご質問され、管理人さんからお返事頂いておられたと思います。

そこで、少し整理してみたいと思います。

1)家紋が揚羽蝶であるから平家の流れではないか
2)ご出身が益子町であることが確認できた
3)益子町には安善寺という平貞能ゆかりのお寺がある
4)尊祖父様が熱心な浄土真宗信者であった

管理人さんからのアドバイスにありました、「益子町」の歴史史料はご確認になり
ましたでしょうか。

益子町の図書館だけでなく、県立レベルの図書館・文学部がある大学の図書館ですと
「栃木県史」が揃っていると思います。
まずそれらを虱潰しに当たり、益子町になにか伝承されている記録がないかどうか、
その確認をすることが調査の始めです。そこを飛ばしては何も前に進みません。

それと、益子町にお住いになっていたころの菩提寺は何処だったのか判っていますか。
除籍謄本を全部揃えてお寺へ趣き、事情をお話ししてご先祖の墓所にご挨拶をするこ
とをされないと、何も解決出来ませんよ。

貴方が御本家筋なのでしたら、「何も判らない」というのが結論でしょう。
御分家筋でしたらまず御本家のご当主に御目にかかり、長年を無沙汰を詫び、その上で
一族としての交流を復活させて頂けたら、その先に何か見えて来るものがあるのでが無
いかと思います。

揚羽蝶=平家の落人という短絡な考え方はされないほうが良いと思います。

平貞能の御子孫かもしれませんが、今日までの流れを証明出するのは貴方自身です。

まず自分で調査し尽くして、その上で何か歴史史料が出てきましたら、古文書の解読
など、お手伝いできることがあるかと思います。

最後に、宇都宮氏は法然上人と極めて深い関係があり、上人の死後京都大谷に葬られた
遺骸を、比叡山の僧兵が祇園犬神人(ぎおん いぬじにん)を使って破却させようとし
たとき、丁度京都六波羅探題にいた宇都宮氏は兵を催し、戦って遺骨を嵯峨小倉山の麓
化野(あだしの)に近い現在の二尊院へ移し、後には京都西山の熊谷次郎直実が隠棲し
た庵に後に移し、丁重に葬りました。この場所が現在の光明寺です。

御尊祖父様が熱心な浄土真宗の信者であったから宇都宮氏や平貞能に近いとお考えでし
ょうが、親鸞は法然の弟子ですが、師弟関係を絶って飛び出していますので、共に浄土
信仰から派生していますが、益子町におられて浄土真宗というのは逆に平貞能との関係
を否定する材料になるかと思います。

お正月早々に良いお返事ではございませんが、悪しからずご容赦下さい。

なお、以前にも他の方へのレスに書いておきましたが、少々思う事がありましたので、
「小次郎日録」というブログを立ち上げて少し記事を書いています。
参考にしてください。

家系の遡及は簡単に出来るものではありません。

私自身、家系図もあり伝承を裏付ける歴史史料も豊富にありますが、それでももう40
年以上研究して、未だに調査が完了したとは思っていません。

長いスパンでやってください。今は何もなかっても、20年、30年たてば何処か
で古い史料が発見され、歴史学者が論文を書いてくれるかもしれません。

それを見つけることが出来るよう、日々研究を怠らないよう、ご自分の知識を蓄えて
下さい。

では今年が良い年になりますよう、祈っております。

2879.(untitled) 返信  引用 
名前:ましも    日付:2013年12月19日(木) 19時13分
眞下姓の起源を知りたい。

2877.家系図 返信  引用 
名前:馬原克知    日付:2013年12月11日(水) 6時14分
家系図に先祖たち

2639.比企郡の市川氏 返信  引用 
名前:市川(滑川町)    日付:2013年11月13日(水) 20時4分
埼玉県西比企地域の市川氏について小川町中爪の市川氏集落にある居館跡が非常に気になり、先日、小川町教育委員会発行の遺跡発掘資料にあたりました。
同地は古代から街道として開けていた鎌倉街道上道沿いにあり、鉢形、越畑、大蔵など主要な城館へは一本で行ける交通の要地です。ここにある1200年代の遺構からは井戸、土壙墓、刀子柄などが発掘されていますが、特筆すべきは紙漉用具とみられる鉄器が発見されたことです。中世以前の小川和紙の歴史は不明な点が多いとされており、細川紙の製造中心地から外れた中爪地区から最古級の紙漉きの痕跡が見つかったことは興味深く思います。また、似たような遺構は小川町で例がなく、1100年代後半のものとみられる同安窯系青磁皿(当時としては奢侈品)が出たことからしても、平安末期から鎌倉初期にかけて、街道上で活動していた有力な一族が居住していたと考えてよさそうです。なお、市川氏の菩提寺である普光寺は江戸初期の創建を伝えますが、付近に多数の南北朝〜室町期板碑が存在し、門前に中世の遺構が存在しており、前身となる古寺院の存在可能性は高いでしょう。館が最も栄えていた時期は1500年代です。柱など建物遺構はこの時期が中心であり、地元の伝承にある「屋敷跡」とは中世末期のものを指すと思われます。ただし、この館跡は1600年頃なんらかの理由で廃絶してしまい、1700年頃には完全に埋没してしまいました。当時この集落では大規模な村落変動があったと指摘されており、その背景に松山城落城などの影響があったかもしれません。発掘された館が市川氏のものと断定できるわけではありませんが、現在の市川氏集落や墓地と一致しているほか、馬場氏を名乗る家も混在しており、大蔵合戦頃まで遡る一族存在の感触を覚えます。これまでの調査から滑川町や嵐山町の市川氏は1600年代初頭にどこかの市川家から分家したと思われますが、小川町の村落変動と関わりがあるように思います。ときがわと小川の市川氏の関係を含め、今後の課題です。


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