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古代史掲示板2(荊のキシ)
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90.講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介 返信  引用 
名前:雲伯郷土史研究家    日付:2005/10/8(土) 23:7
 門脇禎二氏の「古代出雲」(講談社学術文庫2002)はなかなか、興味深いものであった。加茂岩倉遺跡の銅鐸、神庭荒神谷遺跡の青銅器群と出雲王国を単純に関連付けようとする説が多く流布されているが、王国が出来る程度の生産性の高い集団が組織化され古墳が生み出されるためには、青銅器ではなく鉄器の農具が必要だからだ。そうすると昔から鉄の産地である出雲東部に目が行く。製鉄で有名な安来には荒島古墳群がありここの王が出雲国造へ連なるという考えがすっきりする。
 なんとなく気になって、この安来の歴史に関して調べてみると、(1)出雲国造の祖、天穂日命をまつる能義神社がある。(2)古事記に記されている伊邪那美神の神陵がある。(3)出雲風土記を調べると、ここには「語臣猪麻呂」という男の娘が、和爾(サメ)に食われ男が復讐したことを他の地域よりも長々しく書いていること。語臣とは語り部のことで、王権の正統性を伝える官職と考えることが出来る。などが新たに理解された。



202.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:安田守男    日付:2006/9/20(水) 21:47
そういえば、ここで奇跡的に損朽をまぬがれた金色の鉄製大刀が発掘されたってのは本当ですか?

>  門脇禎二氏の「古代出雲」(講談社学術文庫2002)はなかなか、興味深いものであった。加茂岩倉遺跡の銅鐸、神庭荒神谷遺跡の青銅器群と出雲王国を単純に関連付けようとする説が多く流布されているが、王国が出来る程度の生産性の高い集団が組織化され古墳が生み出されるためには、青銅器ではなく鉄器の農具が必要だからだ。そうすると昔から鉄の産地である出雲東部に目が行く。製鉄で有名な安来には荒島古墳群がありここの王が出雲国造へ連なるという考えがすっきりする。
>  なんとなく気になって、この安来の歴史に関して調べてみると、(1)出雲国造の祖、天穂日命をまつる能義神社がある。(2)古事記に記されている伊邪那美神の神陵がある。(3)出雲風土記を調べると、ここには「語臣猪麻呂」という男の娘が、和爾(サメ)に食われ男が復讐したことを他の地域よりも長々しく書いていること。語臣とは語り部のことで、王権の正統性を伝える官職と考えることが出来る。などが新たに理解された。


303.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:武虎    日付:2007/2/11(日) 9:12
日本海沿岸の鉄器は九州と比べ、武器よりも農具・工具が多いのが特徴らしいです。それにしても、安来は今も最先端の鉄の開発拠点であるのが面白いところです。現在安来市には日立金属を中心とした鉄鋼産業が集積する地ですが、昨年は鉄系アモルファス工場建設の記事が日本海新聞に出ていたし、最近は日刊工業新聞で画期的な特殊鋼が表彰されていました。1000年以上鉄を作り続けてきた地は全世界で他にどこかあるのでしょうか?ヒッタイトはそれほど長くなかったし。


304.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:岡本豊    日付:2007/2/12(月) 5:26
武虎さん

北九州との比較で「日本海沿岸の鉄器は九州と比べ、武器よりも農具・工具が多いのが特徴らしいです」というお話は大変興味があります。何時頃何処で始まって日本海沿岸を何処まで北上したのかに関するなんらかのまとまった情報がありますでしょうか。

岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/


305.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:岡本豊    日付:2007/2/14(水) 15:6
安田さん、武虎さん

「加茂岩倉遺跡の銅鐸、神庭荒神谷遺跡の青銅器群と出雲王国を単純に関連付けようとする説が多く流布されているが、王国が出来る程度の生産性の高い集団が組織化され古墳が生み出されるためには、青銅器ではなく鉄器の農具が必要だからだ。」という安田さんのお説に賛同します。これはまた、武虎さんの「日本海沿岸で発掘される鉄器は農具や工具が多い」というお話にも符号します。

では出雲王国の製鉄技術の起源は何時頃なのでしょう?

私は以前から牡丹江あたりから豆満江下流域や沿海州南部から朝鮮半島北部に紀元前後ひはすでに広く分布していたアワ、豆、キビなどの雑穀栽培文化の担い手がすでに農業用鉄器を使用していて、この人たちが半島の沿岸伝いに島根以北の日本海沿岸に渡来したのだという作業仮設を暖めてきています。
この渡来農耕文化の最大の特徴は、遼寧青銅器文化圏により近い遼河沿岸地域で黄河文明の影響をより多く受け半島経由で細身の銅剣と細紋鏡に象徴される支配文化を伝えた天孫族とは異なり、穢貊系の北方民族の文化伝統を直接列島に伝え、東国に独自の牧馬畑作文化を生み出したという事実だと考えています。

ぜひ、出雲王国の製鉄技術の起源をお教えください。


岡本
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/


306.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:安来節屋    日付:2007/2/20(火) 23:21
 それが鹿屋でしょう。


339.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:クナト    日付:2007/4/22(日) 13:1
 わたしは嘉羅のほうではないかと思っております。


340.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:安綱    日付:2007/4/28(土) 22:10
 それにしても出雲の鉄は歴史上、謎めいてはいるが
圧倒的な存在感がありますよね。


344.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:阿太加夜    日付:2007/5/18(金) 20:52
 海若は「わだつみ」でこのことは出雲国風土記の安来郷の条で書かれおり、海神の名にふさわしくここは、古代より重要な港だったのでしょう。
 日本書紀にスサノオが安芸に上陸したとありますが安芸(あき)→安来(やすぎ)だと考えると、出雲国風土記にあるスサノオが安来という地名を命名したということと合致します。
 いずれにしても、スサノオの総本社である熊野大社は安来市の隣、松江市八雲町にありますし、安来市にはイザナミ大神の神陵もあり、更には安来市に隣接する、東出雲町の揖屋神社は古事記に記された、黄泉津平坂(黄泉(夜見)と現実界の境界)とされています。
 このようなことから、出雲古族はこの地に上陸して製鉄を開始した可能性があります。


420.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:ものづくり委員    日付:2008/4/3(木) 0:18
 どうやら「ものづくり」という言葉に関連しているようですね。
真弓常忠氏の「古代の鉄と神々」に載っている話だと「もののふ(武士)」「もののぐ(武器)」「もののけ(精霊)」などの日本の古話から、「もの=鉄」という結論を導き出している。鉄に宿るスピリチュアルなものを含めた「もの」というのが古語なのだと。
 そのため古代より鉄の名産地であった出雲(いづも)は出鉄(いずもの)からきたという説もある。いずれにしても出雲はものづくりと関係が深かった場所なのだろうとおもう。


456.Re: 講談社学術文庫「古代出雲」のご紹介
名前:さわかみ    日付:2008/10/12(日) 13:39
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な出雲の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

451.与野党が今とはあべこべ、安曇海人族はしぶとい 返信  引用 
名前:月光仮面    日付:2008/9/19(金) 16:16
葦原中国平定
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A
↑これなんか見ると天孫は敗退に敗退、↓譲歩を重ねて政権に就いたような感じ。
汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋(一書第二によれば天の安河にかける)、浮橋および天鳥舟またつくらむ。『日本書紀』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E9%81%BA%E8%B7%A1
やはり、銅鐸王国は一筋縄ではいかなかったようですね。銅鐸王国の陰には徐福の百工であるとか、方士崩れのようなのもいたはず。バンカラの天孫はこうした手合いに弱かったのではないかな。



455.Re: 与野党が今とはあべこべ、安曇海人族はしぶとい
名前:月光仮面    日付:2008/9/27(土) 9:3
> 葦原中国平定
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A
> ↑これなんか見ると天孫は敗退に敗退、↓譲歩を重ねて政権に就いたような感じ。
> 汝(あ)は天日隅宮に住むべし、今まさにつくりまつらむ、すなわち千尋の拷縄(たくなわ)を以て結いて百八十紐にせむ。其の宮を作る制は、柱は高く太く、板はすなわち広く厚くせん。またみ田つくらむ、また汝がかよいて海に遊ぶ具のために、高橋(一書第二によれば天の安河にかける)、浮橋および天鳥舟またつくらむ。『日本書紀』
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E9%81%BA%E8%B7%A1
> やはり、銅鐸王国は一筋縄ではいかなかったようですね。銅鐸王国の陰には徐福の百工であるとか、方士崩れのようなのもいたはず。バンカラの天孫はこうした手合いに弱かったのではないかな。
↑海幸、山幸神話はこうした天孫・地祇対立の序曲であるが、神武の出身地であるとか、同族ヤイミミであるとかを考えると、薩長土肥とよく似た方面が戦闘の先陣を切った感がある。

453.卑弥呼のウラ技、特殊器台 返信  引用 
名前:月光仮面    日付:2008/9/20(土) 14:33
これまで村落共同体の青銅祭器であった銅鐸を特殊壺の器台にし、天なる神、首長霊に三段ロケットのように貢物を届けるというのが卑弥呼の裏技でなかったのではないかと思う。こんなことが出来るのは鬼道の頂点にいたからであり、出雲の土師であるとか、豊前方面の秦王国の母体(まだ弁辰方面にあったかも)とかと深いつながりがあったのでしょう。

452.天孫と地祇の位置関係 返信  引用 
名前:月光仮面    日付:2008/9/19(金) 16:59
天孫は河内湖北方淀川水系安威川の溝咋周辺に集結
http://www.osaka-udce.or.jp/bridge/chap1/11/opmap.htm
河内湖南岸の集落群を狙っていた。神武とよく似た感じであったのではなかろうか。ついには北陸の援軍を得て南岸を征圧し、布留式土器をもって、大和川上流へと進軍する。

450.天孫と地祇 返信  引用 
名前:月光仮面    日付:2008/9/19(金) 11:50
始めまして。天孫/地祇、国譲りは古代の一大サガであり、「倭国乱」というのも時期的に見て古墳時代の直前をさすものでしょう。地理的に言って八百万の神々が集まり、天孫地祇の間に邪馬台国/大和朝廷を奈良盆地に建国する合意を見たのは天の安河、これは近江の野洲川、のほとりの伊勢遺跡であったのではないでしょうか。

444.平安時代 返信  引用 
名前:ムーミン    日付:2008/7/29(火) 20:23
なぜ奈良時代から平安時代になったのですか?
教えてもらえたら嬉しいです。


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