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古代史掲示板2(荊のキシ)
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346.無題 返信  引用 
名前:幽谷の名無し    日付:2007/6/15(金) 15:28
皆様こんにちは。実は本県(新潟県)にも、所謂渡来人が太古移住した所が有ります。其れは今の県央地区と呼ばれる地区です。(燕市、三条市、「旧下田村も含む」)昔から金物の生産地として有名です。恐らく太古の昔、多くの鍛冶屋職人が住み着いたものと推測されます。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

345.日本の製鉄技術の伝播 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/5/25(金) 23:17
阿太加夜さん

最近縄文土器と弥生土器について、北九州と東北地方との関連が取り沙汰されていますが、縄文人が東北から九州に来たとか、弥生人が九州から東北に行ったとかという不毛な議論には賛成できません。
大陸から日本列島への移住は、1)朝鮮半島経由の「天孫」系の人たち、2)高句麗の版図から海路で半島伝いに南下して日本列島に移住した人たち、3)北のルート、サハリンと北海道経由で南下して移住した人たち、との三つのグループが主流だったはずです。
この中で第二のグループには、半島の東岸を南下して対馬暖流に乗る場合に、南に進んで出雲から若狭湾への道と、南東に進んで能登半島以北から牡鹿半島への道があったというのが私の仮説です。
そして、この二つの方向に向かって移住した渡来人たちの間では渡来以前も、以後も交流のあったろうことは容易に想像されます。
このような渡来のメトリックスの中で製鉄技術が何処からきてどのように日本海沿岸沿いに伝播したのかというのが私の知りたいことなのです。
どなたか教えてくれませんか。

岡本 豊

343.三内丸山遺跡の謎 返信  引用 
名前:石橋みどり    日付:2007/5/9(水) 15:34
ついに明かされた三内丸山遺跡の謎!
縄文土器・縄文人のルーツが知りたい人は必見!!
日本人のDNAをもっている人なら必ず納得いきます。
知りたい人は、み・て・ネ!
      ↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137

341.渡来人について 返信  引用 
名前:山田 由香    日付:2007/5/2(水) 20:6
渡来人は、日本語が話せたんですか

337.幕末と明治維新 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/4/3(火) 23:12
uzuさん

「武力倒幕を推進しようとする薩摩と長州にとって、大政奉還を行った龍馬が非常に邪魔な存在であった。闇の商人は世界平和を唱える者達を暗殺し戦火の火種に風を送る・・・・・徳川は火種を抑えていたと思います]
というお考えには賛同します。

しかし、薩摩藩や長州藩が象徴する西日本の先進諸藩では、当時すでに初期的な資本主義的経済発展の段階にあったことが次第に明確になっており、日本に特有の中央管理型の藩経済の発展は、幕末には藩の壁を越える広域経済関係への指向を顕著にしており、徳川幕藩体制の秩序を根底から揺るがす日が遠くないのはもう目に見えていました。日本進出を目指す西欧帝国主義諸国家もこの状況を前にして、これらの雄藩との連携を梃子とするか、直接に幕府との連携を重視するか、という選択を迫られるという状況にあったわけです。

従って、例え薩長連合が武力で徳川幕府を倒して「薩長幕府」を打ち立てたとしても、このような客観条件の下では再び倒幕の動きが何処かから起こり戦争が繰り返されるだけであり、外国の軍事介入の危険を増大することが目に見えていました。このような環境の下では、薩長連合にとっては大政奉還を主体的に、そして独占的に取り込み、新政府の絶対的統治権の確立を担保することが結局は最善の選択であったのでしょう。

結果として出来た明治日本では、天皇は「人にして神、神にして人(現人神)」という騎馬民族的な支配者シンボルとアマテラス位階神話の採用を前提とした国家神道が制度化され、武家文化を継承した中央政治権力と京都の公家文化の中核である天皇家の宗教的権威は決定的な制度的融合を遂げたのでした。坂本竜馬などは、この間に新時代の産婆役としてロマンチックな歴史的役割を果たした人物として前向きの評価を受けることとなったのでしょう。グラバー商会やフリーメーソンを前に出したのでは、現人神の天皇親政という明治日本の国家観に基づくユニークな日本型立憲君主国を創造する作業とは馴染みませんからね。

しかも、徳川一族は明治以後も支配貴族階層の一員としての地位を確保されています。日本史家の間では、「明治維新と市民革命」という命題が繰り返して議論の俎上に上ってきましたが、私は明治維新は日本の歴史で最も大規模で複雑な「国家的談合」の事例だと考えています。以来、談合は日本特有の文化となりました....というお話です。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/



454.Re: 幕末と明治維新
名前:ホッシュジエンの国内ニュース解説    日付:2008/9/26(金) 12:45
自民党の小泉純一郎元総理大臣は、25日に開かれた
後援会の会合で、次の衆議院選挙に立候補せず、今期
限りで引退する意向を関係者に伝えました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    日米和親条約から続く列強の代理人として近代化国家への
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /    支援を受け、代理戦争を次々こなして来た日本だが、また対米
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~  協力の軍国化シナリオを進める中での小泉引退と位置付けられる。
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l * 近代国家樹立のモデルとして財界の形成と天皇が起用されたと。(・д・ )

08.9.26 NHK「小泉元首相が引退の意向」
http://www.nhk.or.jp/news/k10014341191000.html#
08.9.26 Yahoo「小泉元首相が引退表明=衆院選に出馬せず、後継は次男」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080925-00000151-jij-pol

*  列強が幕末の鎖国した一島国家に過ぎなかった日本を戦争代理国へ
 変貌させるため、倒幕を初め近代国家への急速な工業力=軍事力と強力
 かつ新たな君主国家体制を支援した結果、今日の特権階級と財界の台
 頭があったとすれば、日本は最後まで対米追従を止める事はないと考
 えられます。
  その後の歴史もまた米が影響力を行使すると考えられる一方、温暖
 化による気象変動で、ハリケーンが米の石油産業と最先端軍事技術と
 軍事利権である宇宙計画の拠点NASAのあるテキサス州、および軍事中
 心主義者らのリゾート地であるカリブ海に大打撃を与えた事、米金融
 崩壊の兆しなどは、米の対外政策と影響力の凋落を象徴的に印象付ける
 出来事でした。そのためその間、日本が代わって米対外政策の受け持ち
 部分を押し進めようと、福田首相の電撃辞任から経団連会長を公務員
 改革顧問会議の座長に据え、財界代表を起用した次期政権の組閣および
 総選挙までの流れを一気に押し進めたのが最近の主な政局動向でした。
  そして昨日、小泉元首相の電撃引退という展開になったようです。
 つまりよく知られた総選挙後の自民・民主大連立と小泉第二次政権誕生
 というシナリオには、やや変更が加えられたようで、そのためやや混沌
 とした流れになって来ましたが、現時点では恐らくシナリオに大きな変
 更はないだろうと私は見ています。


457.Re: 幕末と明治維新
名前:匿名    日付:2008/11/15(土) 15:47
 坂本龍馬って、もしかしたら、本当に日本を民主主義にしたかったのかも、と思います。
米国に密航して行った時、時の大統領のワシントンが、靴屋の息子だったという事を知って、いたく感動したという記述を、書物で見た事があります。

335.宗教と商人・・・・裏に破壊と創造の利益が、 返信  引用 
名前:uzu    日付:2007/4/3(火) 4:52

「大政奉還などしても徳川を徹底的に潰したい存在は、龍馬の徳川慶喜を入れた. 議会制度など論外。 ・大政奉還という龍馬の起死回生の案を自分の手柄にしたかった存在。」
一介の脱藩浪人である龍馬が、薩長にグラバー商会
を通じたにせよ、あんなに迅速に武器の調達ができ
るはずがない。背後にフリーメーソンがあり、龍馬
は傀儡に過ぎなかった・・・
http://blog.livedoor.jp/jyukutyou1/archives/50828837.html

「武力倒幕を推進しようとする薩摩と長州にとって、大政奉還を行った龍馬が非常に邪魔な存在であった。
闇の商人は世界平和を唱える者達を暗殺し戦火の火種に風を送る・・・・・徳川は火種を抑えていたと思います。
1867年10月将軍徳川慶喜は大政奉還案を受諾する。

江戸城総攻撃が回避された、大政奉還成立しなかったら江戸は総攻撃を食らって、火の海になり 多くの民がまた犠牲に・・・・

階層社会 格差社会 悲惨な民の減少を「一握りの富裕層」に願います。
               (^.^)(-.-)(_ _)<(_ _)>

334.平和への宗教観とは? 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/4/2(月) 11:31
uzuさん

「母系氏族の原始宗教の伝統や巫史文化を奪った道教(巫女 巫覡[祈祷師]から奪った神道と同じか?)」というのは興味深いテーマですね。
大和朝廷によって組み立てられたアマテラスを主神とする「位階」神話とそれに基づく神道は、古代日本の歴史でまさにそのような役割を果たしたようです。

これtじょの関連でちょっと面白いのは、東日本に興った武家社会の基層部分では、古代中国文化の影響が少なかったせいで、単純な「イエ」単位の先祖崇拝が重視されていました。「何々家」の先祖様が祀られた「イエ」単位の小さなほこらは今でも数多く残っています。中世後半に始まった日本の戦国時代は、この「家=イエ」を基礎とする武家社会の構成単位が御家人、地頭、守護から「守護大名家」に成長し、更には「領国大名家」にまでのし上り、あたかも独立国のような形でお互いに勢力拡大の闘争にのめり込んだ結果生まれたのだと思われます。それが織豊時代に入って全国統一の気配が出てくると、再び位階神話を背景とする京都朝廷の宗教的・文化的権威が必要とされ始めたのでした。

戦国時代の終焉はしかし、果たしてuzuさんの言われる「平和への宗教観」を生み出したのでしょうか?武家社会と京都朝廷との間の安定した宗教的・制度的融合と共生は徳川幕府の確立で達成されましたが、この時代の「太平の世」はあなたの言われる平和への宗教観に裏打ちされていたのでしょうか?

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

333.「道教が生まれた原因」 より 返信  引用 
名前:uzu    日付:2007/4/1(日) 9:26
母系氏族の原始宗教の伝統や巫史文化を奪った道教(巫女 巫覡[祈祷師]から奪った神道と同じか?)
「後漢の時代に、黄老学は神仙家・陰陽家・五行家・方技家・術数家と融合し、やがて黄帝や老子を祭祀する黄老道に変わった。I
「秦・漢の時代、中国は一つの封建帝国に統一されていた。」
「政治的な必要性からまず周代の伝統だった宗法礼教を復興することに力を注いだ。続いて神をでっちあげ、儒家を宗教化していった。」
「孔子を教主として奉じ廟を建てて祭った。「忠孝」を官吏を選抜する尺度とし、全国で家長制を推し進めた。秦の始皇帝や漢の武帝は封禅を行い仙道を求めて古い宗教の精神を復活させ、漢代の政治・学術は宗教という濃い霧に覆われた。東漢の時代には讖緯神学が儒家の正統派となり、儒家と伝統的な宗法礼教との結び付きはどんどん緊密になった。古代の宗教の亡霊は完全に儒教に取り付いたのである」
「道教は封建皇帝のための「第2の儒教」として機能したのである。 」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX1-3.htm
「人類は生活の中では理性による社会規範や倫理道徳で自分自信を抑制する必要があるが、同時に理性によらない情感を刺激して自分の苦悩を晴らす必要もある。中世の世界は宗教によって統治された時代であり、科学や哲学は宗教の下女にすぎなかった。宗教に対する免疫力のある国家は世界のどこにもない。」・・・・だからこそ、平和への宗教観を養いたい。

332.書き言葉なき民の歴史 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/3/28(水) 8:25
uzuさん

参考文献ありがとうございました。なかなか包括的な研究をなさっている方ですね。
近年私は、奈良から平安にかけてのエミシの実態の解明に一番個人的情熱を感じています。
書き言葉のないアルタイ系の人々が辿った運命と生活の実態は「征服者」の側の記録からしか辿れません。
東日本以北では、平安の末期になると北族系(ツングース系)エミシの形式的な「皇民化=公民化」は急速に進み、多くの場合かれらは東国の騎馬武者集団の事実上の中核的構成部分に転化する過程で日本人化し、平安末期には京都朝廷側の歴史の記録から「あずまエミシ」は忽然と姿を消します。
いまちょっと新しい国際NGOの立ち上げ準備に忙しいので、またの機会にぜひこの問題に触れたいです。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

331.参考?HPかな? 返信  引用 
名前:uzu    日付:2007/3/27(火) 15:39
岡本さんこんにちは、この様なHPがございました。

「従って、一国の古代史であっても、その国の史料だけで古代社会の様々な事象を解明できるほど単純ではない。 ... 古代中国にトルコ語? ... 同様に北魏武将の賀伐(がばつ)も「雄猪」のことである。 異民族として中国の史籍に登場する ...
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus-tsusi/tungus-tsusi-1-gaiyou.htm

330.騎馬民族と農耕民族 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/3/26(月) 22:1
uzuさん

騎馬民族と農耕民族とは一体どのように定義されていて、ある時代の「ある民族」が騎馬民族だったか農耕民族だったか、という判定にはどんな基準が使われるのが妥当なのか、といった問題はまだまだ未解決と言わざるを得ないでしょう。
例えば、江上波夫さんは、「騎馬民族国家」-日本古代史へのアプローチで、「東方」では匈奴や突厥を典型的な遊牧騎馬民族国家だが、鮮卑や烏垣は「主要な生業はもちろん牧畜であったが、それに副業として、狩猟と農耕が加わっていたのが、匈奴や突厥などとはやや異なるところであった」とされ、更に、「東北アジアには、農主牧副民系、あるいは半農半狩猟民系の騎馬民族が少なくなく、扶余、高句麗、靺鞨、渤海、女真、満州などが主要なもの」であったと述べられております。

私の場合はしかし、これと少々違う定義の区分を使っていて、「牧主農副」の鮮卑や烏垣までが「騎馬民族」の限界と考えており、独自の「農主牧副」の文化へ限りなく傾斜してゆく扶余、高句麗、靺鞨、渤海、女真、満州の歴史的系列を「牧馬畑作農耕文化」と呼んでいます。前者は華北の農耕文化への憧れと収奪に分裂症的傾斜を持っておりましたが、後者の場合は万里の長城以北の地域で自ら独自の牧馬畑作農耕文化を創造し、持続可能な独自の非中国的定着農耕文化への指向が次第に見られるようになります。そして、この非中国的な独自の北族系文化の伝統は、日本列島に開花した飛鳥・奈良時代に引き継がれ、鎌倉時代以降の武家社会文化の全国規模での成立とともに高い安定度と持続性を持った混合北族系文化を生み出したのだと考えています。従って、この系列の文化は「騎馬民族」と「農耕民族」という二分法には馴染まないと考えています。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

328.RE「日本には、この意味での騎馬民族文化の伝統は殆どありません。」? 返信  引用 
名前:uzu    日付:2007/3/24(土) 15:24
RE「日本には、この意味での騎馬民族文化の伝統は殆どありません。系列から言うと、扶余、高句麗、百済、新羅、大和といった流れであり、生活文化の共通要素は定着性の「牧馬天水畑作農耕文化」であり、日本の場合はこれが南から来た水田稲作と深く、広く融合したという点で大いに異なります。」

雄略天皇 - Wikipedia
対外関係では、雄略天皇8年2月(464年)に日本府軍が高句麗を破り、 ... この他、呉国(宋)から手工業者・漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)らを招き、また、分散していた秦民(秦氏の民)の統率を強化して、養蚕業を奨励したことも知られる。 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87

秦氏
日本古代に朝鮮半島から渡来した氏族。秦始皇帝の裔を称し,後帝の子孫という漢氏(あやうじ)と勢力を二分した。《日本書紀》には応神天皇のとき弓月君(ゆづきのきみ)が〈百二十県〉の〈人夫〉をひきいて〈帰化〉し,雄略天皇のとき全国の〈秦民〉を集めて秦酒公に賜り,酒公は〈百八十種勝)ももあまりやそのすぐり)〉をひきい朝廷に絹を貢進したとある。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/hata.htm
「秦氏一族」はユダヤ人か?
騎馬民族説によれば、紀元前2世紀から5世紀にかけて、東北アジアで活躍した騎馬民族「夫余(ふよ)族」である。
秦氏がユダヤ人というなら、そのカギは古代のユダヤにあるはずだ。ピラミッド説の酒井勝軍も、古代イスラエルから始まっている。はたして、何が飛び出してくるのか。時空を越えて、草創期の日本にさかのぼる。実は・・・・、いる。古代イスラエルに、疑わしい集団がいるのだ。しかも二つ、である。古代イスラエル史モーゼ出現前722年・北朝滅亡前605年・南朝滅亡紀元前6世紀・十支族が消えた前2世紀・ハスモン朝ユダヤ建国キリスト出現復活原始キリスト教・エルサレム教団イエスを殺したのはユダヤ人紀元一世紀・エルサレム教団失踪世界宗教へ伸びたキリスト教俑(よう)
中国の遺跡から発見される等身
大の人形。馬や馬車もある。第5章 その4・亡国のイスラエル日本人のルーツ
江上波夫氏の騎馬民族説によれば、紀元前2世紀から5世紀にかけて、東北アジアで活躍した騎馬民族「夫余(ふよ)族」である。 三国志・魏志韓伝によれば、 1〜2世紀頃の朝鮮半島に、馬韓(ばかん)があった。 
そこへ、秦の役を避けて多くの秦人(しんじん)が来た(秦人とは漢民族以外の北方・西域の異民族のこと)。 彼らに西の土地を分け与え、 秦韓(辰韓ーしんかん)と弁韓(べんかん)が出来て、三韓になった。 
辰韓と弁韓は、弁辰と称して、一人の王を推戴、辰王(しんおう)と称した。これが前述の夫余(ふよ)族の一派である。3世紀後半、朝鮮半島の情勢に異変が起こり、馬韓が百済(くだら)、辰韓が新羅(しらぎ)、弁韓が伽那(かやー日本では任那ーみまなと云う)になる。

天皇家のルーツは大陸の夫余系騎馬民 族で、百済の王家と同族だったことになる。
http://www.kitombo.com/mikami/0709.html

秦韓新羅. 弁韓伽耶. 伽耶にいた、騎馬民族の大王「辰王」(=応神天皇)の集団が、九州に上陸し、大和へ侵攻、「大和朝廷」を打ち立てる。 ... 流浪の民「秦人」は、中国から朝鮮半島へやってきて、秦韓、弁韓を建国します。
http://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/diary/200607310000/



329.UZUさんの2つの記事の移動
名前:管理人    日付:2007/3/25(日) 23:53
UZUさんの2つの最新記事は、歴史問題と関係の薄い内容でしたのぜ、情報掲示板へ移動いたしました。ご了承ください。

327.生活文化と環境破壊の歴史 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2007/3/23(金) 18:49
uzuさんこんにちわ

「神」という日本語の言葉は「上」に通じますよね。おっしゃるように、中東の砂漠の遊牧民や商人の神とはユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った一神教を指していられるのでしょう。あなたのメッセージの中に:

「遊牧民は適地を求め移動するので環境の悪化などは、さほど気にならないのでしょう。農耕・漁民は定住するので、環境を大切にし自然界のバランスを大切にします。古代、狩猟民族は獲物を求め移動を繰り返しましたが家畜(育成)に辿り着き遊牧民と成りました」とあります。


確かに人間は環境を破壊して生きてきましたが、自然環境の破壊は宗教や生活文化とはあまり関係がなく、道具を作ることを覚えた人類という種の生き物にとっては、自然破壊という行為は不可避で普遍的な習性(原罪?)であると私は考えます。

(1)遊牧民について

遊牧民、例えば現存する蒙古に人たちがそうですが、広大な平原や丘陵の広がりの中で生きる彼らには、季節ごとの明確な移動パターンが存在していて、毎年繰り返して同じ場所に帰ってくるのですから、自然環境の維持と保護には細かい注意を払っています。

あなたが言われているのは遊牧民ではなくサルマチア、スキタイ、匈奴といった「騎馬民族」やジンギスハーン時代の蒙古族のことです。彼らの生活文化には定住農耕はありませんから他の農耕民族からの収奪と交易以外には生きる術がないのです。

日本には、この意味での騎馬民族文化の伝統は殆どありません。系列から言うと、扶余、高句麗、百済、新羅、大和といった流れであり、生活文化の共通要素は定着性の「牧馬天水畑作農耕文化」であり、日本の場合はこれが南から来た水田稲作と深く、広く融合したという点で大いに異なります。朝鮮半島の大部分はその昔モンゴリナラ林で覆われていたのですが、今日ではナラ林はすっかり姿を消し一部が赤松の二次林に変わり(日本に輸出する松茸の産地)、日本人の目から見ると恐ろしいほど岩肌が露出した禿山が各地に連なっています。


(2)農耕・漁労民につして

日本列島の植物相の歴史を見ても、森や水の恵みに依存して森や林で住んだ縄文時代には人は、自分たちの住居周辺以外は自然(森林や河川)を大事にしましたが、農耕文化の展開が始まると世界各地で森林破壊は急速に進みました。日本では、水田稲作文化が普及した弥生時代以降は、沖積平野周辺の平地林の伐採と破壊が続きましたが、家畜を伴はない日本の稲作農耕文化の場合は、いわゆる「里山」が農村の大事な構成要素となって維持されてきました。しかし、関西以西に多い松茸の生える赤松林はやはり繰り返して破壊された照葉樹林跡に生成した二次林なのです。

しかし中国は大きく違います。華北の落葉樹林地帯では巨大な黄河文明を支える畑作農耕の拡大の結果早くから森林破壊が進み、すでに春秋戦国時代(BC770−BC221)には、孟子が死者への丁重な葬礼に必要な木棺を作る木材を確保するために森林の保護を説いたとの記録がある位です。万里の長城以南の黄河文明を支えた中国の農耕文化は華北一帯から北東に広がる広大な落葉樹林(遼東ナラやモンゴリナラ林)を殆ど破壊しつくして、現在では東北地方(旧満州)の北東部からロシアの沿海州やハバロフスク州に残っているだけなのです。


といったわけで、日本などは、東アジア全体の中では「瑞穂の国」と自称しただけのことはあって、規模は少々ミニでも、美しい箱庭のような山河と豊かな地域社会毎の生活文化を持つユニークな国だというのが、各地を回った経験のある私の実感です。

以上、私の見た実感から整理してみましたが、狭い日本がなぜこのような美しい自然を維持できた上に、世界第二の規模のGNPを持つようになれたのかは私にとっては「歴史の不思議」です。

岡本 豊
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

326.ある神の・・・ 返信  引用 
名前:uzu    日付:2007/3/21(水) 0:37

神は人類の繁栄を約束されましたが、それが自然界のバランスを崩し地球環境の破壊を促進することを予見出来ませんでした。
それは、神が中東の砂漠の遊牧民や商人の神だったからです。
遊牧民は適地を求め移動するので環境の悪化などは、さほど気にならないのでしょう。
農耕・漁民は定住するので、環境を大切にし自然界のバランスを大切にします。
古代、狩猟民族は獲物を求め移動を繰り返しましたが家畜(育成)に辿り着き遊牧民と成りました。
放牧の適地 平原を広げる為に森林を焼き払いました、森を失った環境には「雨」降水量が激減し砂漠化し牧草を求め 定住農耕民のテリトリィーを侵いました。
人間の営みには、二つのタイプが有ると思います。
定住型と移住型です、定住型は環境を大切にしき共生コミニティーの構築に努力します。
移住型は、移動・侵略 戦いを好みます。
資本主義経済は逆肉強食、強いもの勝ち 資本を奪い蓄積し攻めの策略 マネーゲーム に固執します。
お金は経済の血液と思います、停滞(溜める)させてはいけませんし偏ってもいけません。
お金が溜まると、マネーゲームに走ります、マネーゲームは資本力を有する者が勝ちます(金に物を言わせルールを自分の都合良く出来るからです。)
お金が有る人は、格差社会を好みます 優越感を味わいたい 格差がなければ 金持ちが崇拝されねば 意味が無いからです。
安住の地を持たない者はど、お金を大切にします、愛されない人ほど物欲・権威・地位に執着します。
人類の繁栄を約束された「神」?は、寂しい方だったのでしょう その神の教えには温かさに欠けています。
その神は、見返りとして忠誠(見返り)を求めました ・・・愛とは見返りを求めない只与える呑みなのです。

323.学会員もそろそろわかってくれよな 返信  引用 
名前:あき    日付:2007/3/14(水) 22:15
私は創価学会員でした  (mocoさんのブログです)
http://blog.livedoor.jp/how_to_go/archives/cat_1055390.html

創価学会を宿毛の中心から消しちゃいましょう (ブログです)
http://blog.livedoor.jp/sukumodayo/

創価学会員の心を救うために、、、 -正道心のすすめ-
http://ameblo.jp/seidoushin/

創価学会がマトモな反論も反証も出来ない件
http://mildsevenxx.fc2web.com/page008.html

創価学会ウォッチ -新聞・テレビが触れない創価学会の姿-
http://wave2005.hp.infoseek.co.jp/

しられざるデタラメな「創価学会の教義」
http://www.kempon.net/newpage3.htm

創価学会の概要と破折
http://www.k2.dion.ne.jp/~kunimax/gakkai.html

創価学会のニセ本尊について
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_4.html
http://ameblo.jp/seidoushin/



324.Re: 学会員もそろそろわかってくれよな
名前:uzu    日付:2007/3/19(月) 14:9
新興宗教の欠陥は、上下戒律が置かれた支配的なピラミッド体制を構成することで、最終的には形骸化した人間崇拝の虚偽の体制と変化してしまう事です。

最初の動機は良くても、手段と方法を間違えれば新しいカルマの歴史を作る事にもなり兼ねないという事ですね。多くの啓示では、この様な動きがこの春から竹の子の如くに全国各地に出現するという事であり、その意味では精神世界に生きる者が岐路に立つ正念場の時を迎えるという事ですね。経過は良くても最終結果が異なると云うことであり、この様な潮流を見極める目を持っておりませんと、社会問題を孕む団体が生まれてくる可能性があると言うことですね。その様な意味合いから今年は、新しい時代の創造に向けてその方向性と方針をしっかりと固めて行く必要があるでしょう。


461.大折伏大行進の再来か?
名前:sawas    日付:2009/1/6(火) 14:33
<次期衆院選で31議席死守、さらに上積みも…公明・太田代表>
 公明党の太田代表は5日午前、党本部で行われた幹部会であいさつし、次期衆院選について「現有の31議席を必ず死守し、1〜4議席を上積みする戦いをしていきたい」と述べ、現有31議席維持とそれを上回る議席確保を目標に掲げた。
 民主党が2008年度第2次補正予算案から定額給付金に関連する部分を分離するよう求めていることについては、「今の国民生活や消費の低迷を見ると、定額給付金の実現は国民の希望だ」と述べ、認めない考えを強調した。
(2009年1月5日11時11分 読売新聞より、参考のため転用しました)

追批、1951〜1957年に起きた在日宗教団創価学会による集団事件である。個別強要訪問での盗聴、泥棒、恫喝、脅迫暴行、器物損壊、逮捕監禁等の何でもありの布教及び選挙活動の「大折伏行進の再来」か。そんな、日本国民の安全、生命、財産を喰い散らかし在日朝鮮人侵略者が狙うのは「外国人地方参政権付与法案」「人権擁護法案」「在日特権法」である。全ての日本国民は「断固・反対」しています。「未来に輝く日本の子供たちのために」断固、反対します。「永久廃案」と「在日朝鮮人へ祖国帰還事業の再開」を願う。

それに、在日朝鮮人主導による反日宗教団体「創価学会池田教」の政治部「公明党」は、池田センセイのため国立戒壇(国教化=創価学会池田教を日本国の統一した宗教にすること。夢の滴)し在日外国人による政治国家を目指し、日本国侵略を策謀するテロリスト集団である。また、それを指導し扇動し利用しているのが、拉致問題と深く関わっている共産主義思想組織「在日本人朝鮮総連合会」である。
 
間違っても反日選挙候補者には投票しないように注意しましょう。創価学会員票に手を合わせ有難や節を唱える落選候補政党・候補者は反日議員たちであり侵略者の手先ヤカラである。注反日創価学会員による「個別強要訪問」に対しては所轄警察へ即通報しましょう。
(練馬創価学会の真実)


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