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古代史掲示板2(荊のキシ)
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285.歴史問題を新しい年のテーマとしましょう 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2006/12/31(日) 18:2
渡来人研究会の皆様

旧年中は大変お世話になりました。

私は「歴史問題掲示板」の岡本です。
2007年度には、東アジアの歴史問題が再燃することは必至だと思いますが、日本の側ではこの問題への主体的な対応の準備が未だに出来ていないような気がしてなりません。
そこで、私は、過去四半世紀近く外国で生活しながら自分の祖国を見つめてきた経験に基づいた私なりの考えを小さなエッセイにして、何回かに分けて下記の私のHPに新設した「歴史問題掲示板」に発表することとしましたのでご高覧をいただけると幸いです。
忌憚ないご意見、ご批判をぜひいただきたく存じます。

それでは、よい新年をお迎えください。

岡本 拝
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/



287.Re: 歴史問題を新しい年のテーマとしましょう
名前:管理人    日付:2007/1/3(水) 1:50
岡本さん昨年は大変お世話になりました。
岡本さんの四半世紀を越える経験からの、日本文化についての投稿楽しみにお待ちしています。今後とも宜しくお願いします。

283.ユダヤ話は下らない 返信  引用 
名前:安達謙一    日付:2006/12/29(金) 1:13
 私は最近、ユダヤに被害を受けているアラブに
同調するようになりました。アラブはとにかく口下手で
言い訳をしないが、ユダヤはアメリカの名を借りて、色々
と強引な正義を言う始末。
 なんで古代日本とユダヤが関係するような言説が満ち溢
れるのか?頭おかしい。ヨーロッパ人はキリスト教が主体
ということで半分ユダヤに洗脳されている。でも非西洋人
なら、ユダヤの作り話は噴出してしまうほどおかしい。
 敬虔な気持ちは自然や、先祖に、あるいはその霊に向け
るべきで、絶対神なるものにどうしてお熱をあげないとい
けないか意味不明。1980年代の日本の知識人がユダヤにい
い顔しなかった理由がこの年になってわかった。



284.Re: ユダヤ話は下らない
名前:岡本豊    日付:2006/12/29(金) 10:53
安達さん

コメントを拝見しました。この歴史問題掲示板は渡来人研究会の他の掲示板と少々異なり、特にここ数年中国と韓国と日本との間で政治問題化したいわゆる「歴史問題」を取り上げます。現在進行中の三国間の努力はしかし、単に明治以後の近・現代の歴史について、問題となる事件毎に新しい正誤表を三カ国の「専門家」が共同作業で作るというようなやり方が主流のようです。

これは、結局豊かな果実を実らせるとは私には思えません。

この三カ国で過去現在に使われている歴史教科書を見るだけで、それは歴然としています。国民国家の時代である今日でも、国ごとの自国の歴史の記述は、日本の皇国史観は言うに及ばず、どの国でも「偏見と無知と手前勝手な解釈」に事欠きません。アメリカで30年近くも子育てをやってアメリカの義務教育システムの中でさへ、私と妻はアジア、特に日本に関する記述が如何に事実とかけ離れているかを痛いほど体験しました。これは、例の「進化論論争=猿は人間の先祖にあらず」にとどまらず、文化、社会、政治の各面で大変な問題があるのを知らされれきました。
この掲示板では、私は大原則として、外の世界の認識と理解に関しては、人間はすべて大変に限られた能力しか持っていないこと、そして、その意味では、一神教であろうが多神教であろうが、一人ひとりの個人が持つ努力の限界は「知識の摂取に対しては、常にクールでオープンであり、謙虚で真摯であること」だと思います。
私がこのフォーラムで提案したいテーマの一つは、私たちの生活の中の「日本の宗教」です。安達さんの言われるように「敬虔な気持ちは自然や、先祖に、あるいはその霊にむけるべき」だと仰るのはまさに格好の出発点となるのではないでしょうか。
キリスト教教会で結婚式をあげた後、テレビ番組よろしくの派手で俗な披露宴を楽しみ、土用にはお墓参りにゆき、不幸があればお寺で葬儀をやり、年末には夜半の長蛇の列を作って神社にお参りして拍手を打つ、という国は、世界有数のGNPと高度の近代文化を誇る「先進諸国」の中でも突出した日本という国の宗教って言ってみれば西欧歴史学では原始宗教のカテゴリーを出ないと言われても仕方がないのではないのでは?いや、逆説的に言えば、「世界遺産」として登録される資格があるのでは....

岡本 豊
http://www.sbpark.com/

278.インターネットTV放送事始 返信  引用 
名前:岡本豊    日付:2006/12/15(金) 18:1
渡来人研究会がミカエルブロードキャスト放送局を新しく開設されたので、日本の歴史にこだわって生きてきた私の過去の人生と現在の活動について数回にわたってお話する機会が出てきました。

下記のURLがその第一回の放送ですのでぜひご覧ください。

http://www.michaelbroadcast.net/syakaichannel.htm

旧友の松本さんから以下のような感想が寄せられています。引用された三島由紀夫の言葉は、今日の日本の抱える問題を恐ろしい程の洞察力で予告されているのに今更ながら胸を打たれましたので、ご紹介させていただきました。

[引用]

 岡本 豊 さま
こんにちは“松本文雄”です。

 大変ご無沙汰しております。御報せいただいたURL
を開き、懐かしい、お元気な姿と、ご高説を伺いました。

 断片的にお伺いしていた、岡本兄のヒストリーとお考えが
まとまってわかりました。また”渡来人”とのかかわりの引き金
などを新しく知ることができました。
 次のアラスカの体験からの話も楽しみにしております。

 小生も風の伝道者として、自然エネンルギー公園のジオラマ
作りや、あちこちでの話を通して、今年も楽しく過ごしました。

 過日、忘年会があり、話題として
 三島由紀夫が30数年前、自決の前に残した言の
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
  「やがて、日本はなくなって、その代わりに、
  無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の
  富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に
  残るであろう。」
  (もはやそれを”日本”ニッポンと呼ぶのだろうか?)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 を基に、今日のアイデンティの見えない、日本(日本人)の現状を
肴にしましたが、もう一度、岡本さんのおっしゃる「日本人のルーツ」
から、総国民が学ばなければ、日本,nipponも世界の中から
存在の危ぶまれる、民族になるのでしょうか?

[引用おわり]
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/



279.Re: インターネットTV放送事始
名前:管理人    日付:2006/12/16(土) 2:54
岡本さん先日はMichaelBroadcastインターネットTVの社会番組にご出演ありがとうございました。
また、番組へのご感想もご紹介いただき、お知り合いの方たちにも、岡本さんの貴重な視点を、お伝えするお手伝いができましたことを知り、大変励みになります。
映像とホームページの組み合わせは、インパクトや理解しやすさを促進するとともに、掲示板などで相互交流が可能である点でも、社会問題をこれから全国規模で考えていくにあたって、ぜひご活用いただきたいところです。今後の番組楽しみにしています。また後日DVDもお送りいたします。


280.岡本 豊さんの「心の旅路」のオンエアー/小堀コメント
名前:小堀寛    日付:2006/12/18(月) 6:51
Sent: Saturday, December 16, 2006 3:31 PM

岡本さんの「心の旅路」
スタートから、興味津々の展開です。

岡本さんは1929年生まれだったでしょうか。すると、日本が太平洋戦争で敗戦した1945年に、16,7歳だったことになります。つまり人生でもっとも多感なときですから、国全体の悲劇と、青春時代の意識の目覚めが同時にオーバーラップして、強烈な時代体験をされたに違いありません。

岡本さんの、思考のしかた、行動様式が非常に独創的なのですが、それがこの、Michael Broadcast Internet-TV の開局を飾るこのインタービュー・トークを聴いているうちにすぐわかりました。


1945年夏の、太平洋戦争で決定的敗北をよぎなくされた大日本帝国。その敗戦が日本人にとってなんであったのか。これは、21世紀はじめの、いま暮らしている、60歳以下の日本人が直接経験したことのない、しかし、切れば血の噴きでる、ピカピカの現代史の問題です。そこで、わかりきったことのようでも、数行でその敗北の相を描いておきます。


1945年というのは、20世紀の日本現代史にとっての分水嶺であった、とみます。


それまで日本国民が信奉してきた国家中心主義の価値観が、ものの見事に崩れ去って、その代わりに、わずか2,3年の間に、それまで、日本の指導者も、一般民衆もほとんど口にしたこともなかった”民主主義”が、戦後7000万国民の新しいスローガンとして(何が民主主義なのか本当は理解していなくても)高々と掲げられたのです。

この時、にわかに、政治、経済、社会、文化、つまり生活のあらゆる場面で、”平和”と”民主主義”が叫ばれました。それまでは20世紀の世界の強国を相手に戦争を仕掛けて、”勝ち抜くために”、国民は、生活必需品であっても、我慢を重ね、また強制され、国家の要請するところ黙々と従ってきたのです。

---------次のページに続く
kobor@kcn.jp


281.岡本 豊さんの「心の旅路」のオンエアー/小堀コメント
名前:小堀寛    日付:2006/12/18(月) 6:53
しかし本当の食糧難は、実は敗戦後に襲ってきました。1947年には食料よこせデモが起こり、ゼネストが指令されました。電車が動かず、学校や職場(会社とよべるようなものはあまりなし)へはぞろぞろと枕木をふみ、線路を歩いて通いました。今の北朝鮮以下の国民生活が続きました。


日本に上陸したアメリカ軍(英国軍、オーストラリア軍も来ましたが)を、敗戦した日本人は進駐軍と呼んでいました。occupation army なのですから占領軍というべきなのですが、日本人は無意識にそれを避けたのでしょう。

岡本さんが経験したものも、これとほぼ同じ状況であったでしょう。
ただし、岡本さんが大学をでるころには、日本は、”もはや戦後ではない”とはいえないにしても、朝鮮戦争に助けられて、復興へのステップを踏み始めていました。そのとき岡本さんは、状況を受身にだけ受け止めはしなかった。むしろ、自国の敗戦を逆手にとって、日本とはなにか、アメリカとは何か、日本の社会、文化、価値観を、いわゆる欧米先進国のそれと、根本から照らしなおしてみようと、考えた。これがほかの日本人と異なっていた、と私は見るわけです。


岡本さんは、戦勝国であるアメリカ兵が街を歩いていると、恥ずかしがらずに、英語で話しかけ、授業料ただで、英語をマスターし、大学を出ると、アメリカにわたり、国務省の公式通訳官になったと語っています。日本からアメリカ詣でにやってくる(当時は船便)財界人、文化諸団体、労働組合幹部を、米国各界に紹介し、繁栄に沸く米国のリーダーたちと、交流させる、橋渡し役を4年間続けたと語っていますが、これこそ異文化相互のギャップを知るもっとも効果的な知識獲得の方法であり、その実践を通じて、戦後日本の再生、復興に、岡本さんは大きな貢献をされたといえるのではないでしょうか。これも授業料を払うのではなく、大いに稼ぎつつ。


岡本さんは、大学の教授が得意としている、知識オンリーの、客観主義に傾斜するのではなくて、自分自身が強い興味をもった、異文化のさまざまな相を、そこに暮らしている人たちとの生活面での接触や協力活動を通じて、それを、知識として、歴史として、思想として、ゆっくり組み立てて行く知識人だというのが私の印象です。行動的知識人というか、いや、創造的知識人と言ったほうがいいかもしれません。それが、やがて、アメリカに後からやってきた白人たちに追い立てられ、reservation なる自然動物園に押し込められる、先住民族インディアンたちへの強い関心へとシフトしていきます。

このような、Internet−TVを立ち上げられた方々のご努力に拍手を送ります。Web 2.0 の時代に入ったといわれていますが、この polemic で、愛知的な場を開放されたことは、プラトンのアカデミア開園にも匹敵する快挙であると思うからです!


では、この辺で。
2006.12.16
奈良にて Kobori H.
kobor@kcn.jp
kobor@kcn.jp


282.Re: インターネットTV放送事始
名前:管理人    日付:2006/12/18(月) 6:59
こんにちは。さっそく岡本さんの社会番組をご視聴くださり、またご感想いただきありがとうございます。ときどき掲示板でお伺いしていながら、小堀様の鋭い視点に興味を惹かれます。

岡本さんの今回の番組については、よい反応がかえってきています。やはり相当貴重な視点を提供されているようで、ぜひ今後もこの企画を進めて参れるように努力したいと思っておりますので、ぜひ今後ともアドバイスご意見宜しくお願いします。

戦後の日本について知っている世代も、そろそろ少なくなってきている今、ぜひ番組として記録を残しておきたいところでもありますね。私はいつもお世話になっているカトリックの神父さんがいるのですが、こちらは米兵として日本の横田基地にいたという方で、岡本さんのお話を先日してきたところでした。いろいろな視点があり、きっと貴重ななにかが生まれてくるような気がしています。

それでは、いつもお世話になります。今後とも宜しくお願いします。

273.戦後 返信  引用 
名前:管理人    日付:2006/12/5(火) 14:2

古代史掲示板http://8628.teacup.com/toraijin/bbsからの引用です。岡本さんの下記の貴重なご意見とも、どこか共通する話題が多く含まれているような気がしますのでご紹介いたしますね。


かわかつさん、いろいろ新論説を書かれているのですね。
下記民俗学の現在と問題点http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/minnzokugaku.html、柳田氏の被差別部落を取り上げた民俗学への現代古代史界の接近は、私もそのように感じますね。現代の民俗学が、その被差別部落研究から戻って、オードソックスな農耕民の研究に傾いているということなのですね。

50〜60くらいの方には相当影響力が強かったのでしょう。かわかつさんご紹介の九州方面における渡来系の移動も大変興味深いですね。http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/kyusyukouzousen.html

ご存知歴史問題掲示板でお世話になっている岡本さんは、同じく戦後の歴史・・研究のあり方についてや、かわかつさんの南方渡来論対照的に、北方アラスカ、ロシア方面からの日本文化論を、農耕・・・の視点から捉えておられます。

ぜひ、一度掲示板かどこかで和やかに意見交換などなされてみてはいかがでしょうか。きっと新たな日本史視点が見えてくるような気がしますね。歴史問題掲示板
こちらです。
http://www2.ezbbs.net/36/underbranch/

ようやくこちらも放送サイトの開設が整い、それと同時に渡来人掲示板もいろいろ活性化してきたようで、今後がメディア面も含めて楽しみですね。



275.Re: ベーリング陸橋のない日本海渡海を果たしたのはだれ?
名前:岡本 豊    日付:2006/12/6(水) 19:25
私は、以前にも言いましたように、四半世紀にわたる北米大陸での生活の中で、文字を持たないアルタイの古族「アメリカン・インディアン」や「エスキモー」の北米大陸への渡来と生活の歴史と文化への関心を深めました。文字による記録のまったく無い遠い過去をたどる作業の難しさと問題点へのこだわりから、私は「日本列島」へ渡来して大陸の漢字文化の接触と恩恵なしにこの列島で生きた日本人の先祖の生き様に光を当てて見たいと思ったのです。北米大陸の文字を持たない先住民の「歴史」はメイフラワー号以来の東海岸からの渡来人達の一方的で不正確な記録でしか語られていないのが残念でたまらなかったのですが、振り返って見ると、それは日本古代史に残る征夷大将軍のエミシ征伐の記録にあまりにも似ているのを発見して、笑えぬ思いをしました。それは、文字文化を前提に構築された「歴史学」の残酷さです。

さて、今日はこのテーマに触れる第一回にしたいと思ってキーを打ち始めました。先ずは、事の起こりからはじめます。それはまず、文字もなく、「東夷」や「北狄」と呼ばれていた、インディアンの親戚のような人たちが「ベーリング海陸橋」もない日本海をどうして自分で渡ることができたのか、という問題です。

紀元前の1−2世紀にわたって、わい貊系の部族が朝鮮半島の北部から南満州と沿海州にかけての、漢の時代に設置された玄菟郡に重なる海岸地帯に住みつき、狩猟と漁労に加えて初期段階の雑穀農耕という生活を展開していました。そして彼らは、次第にその勢力を南満州から東に伸ばし始めたツングース系の高句麗系の朝鮮族と混交しながら数世紀にわたってこの沿岸地帯に住み続けますが、漁労と航海術にたけた彼らは日本海岸沿いに東遷を続ける高句麗にとっては便利なパートナーであったに違いありません。

と言うのも、いよいよ7世紀の後半に半島の大国高句麗が滅亡すると、その遺民は同じくツングース系の靺鞨族(後の女真)と組み、沿海州側に大きく勢力を伸ばして渤海国を建設したのでしたが、この時期には、わい貊族の優れた航海術が大きな役割を果たすこととなりました。渤海は、平安初期には、百済や新羅から習った日本の遣唐使の「島伝い」の渡海技術より高度な技術を持っていたのは、対日渤海使のために常用されたリマン海流ルートで明らかです。

リマン海流は、沿海州寒流と北鮮寒流となって極東ロシアの日本海岸から北朝鮮沿岸を下って対馬海峡で対馬暖流に接してその下に入り日本海を反時計回りに流れる海流です。これを利用すれば比較的小さい船でも,沿海州や朝鮮半島の北東部から海路南下し、ウルルン島から竹島と、島伝いに若狭湾以北の日本列島、いわゆる越の国の沿岸各地に漂着するという渡海は決して困難ではありませんでした。

主として靺鞨と高句麗系のツングース系諸族の日本の列島各地へのこの種の平和的渡来に関しては、おそらく中国後漢滅亡後の三国時代(230−280)の動乱に始まり五胡十六国の乱(304-439北魏華北統一)と呼ばれる地域政治勢力間の暴乱が打ち続いた7−8世紀頃にかけてが最も重要で注目すべき期間だと考えられます。これは、すでに6世紀半ば以降には、東日本特有の牧馬畑作農耕文化の各地での定着が進んで、関西経由の伝播ではないことが明らかな大麦を含む北方系作物が広範囲に東国で栽培されていたという事実がこの種の渡来人による文化伝播を示唆しています。渤海国の使節団が日本に農業指導に来たわけではありませんから。

この種の渡海渡来民がもたらした文化の日本との接触と融合については、またの機会に東国エミシの文化との関連でお話をしたいと考えています。

それでは、今日はこの位で.....ちょっと長談義になったかな。

岡本 豊
http://www.sbpark.com


276.Re: 戦後
名前:管理人    日付:2006/12/10(日) 0:45
沿海州および渤海からの渡来について、大変参考になります。
ローマ文化がステップロードでウラジオストクにいたり、そこから新羅への文化的な流れがありますが、どうしても高句麗領を経由しなければならず、その岡本さんのおっしゃるとおり高句麗にとっても、それらわい貊系の朝鮮東部沿岸沿いの航海技術が、そこに一役買ったかどうか、立証できるかどうかというのが課題です。陸路で行くと、新羅に着く前に、高句麗に多くの金銀財宝が横取りされてしまう可能性もあったわけで、どう新羅までそれらを伝播させたのか、そこが課題ですね。ぜひ航海民の航海のあり方について、渤海にいたるまで研究の進展が楽しみです。


277.Re: 戦後
名前:岡本豊    日付:2006/12/10(日) 7:35
面白いお話です。私はローマ文化のステップロード経由での新羅への東漸の歴史については全く無知ですので、基本的な資料をお教え願えませんか。それから、お説の通り、陸路の文化伝播は「無人の地」を経由して進むわけではなく、当然土着勢力との間に大変な摩擦と衝突があったはずで、わい貊の場合も、自分の力が弱いという理由で航海術を身に着け、危険な陸路の半島経由の移動を避けたい人たちを助けたのだと思います。天孫族の半島南下を巡る謎さへ未だに解けないことを見ても、自分の文字を持たない人々の歴史を研究することの難しさが痛感されます。西欧や中国の場合は、書き綴られた「資料」が前提となって歴史学という概念が形成されたのでしたが、文字のなかった人々の過去を掘り起こし、再構成する作業は「歴史」ではなく、エスノロジーだのカルチャルアソロポロジーと言った「未開人と未開文化」の研究分野として分類し、人類の過去の営に関する知識を階層化してしまったのだと感じます。中国の北族系王朝や高句麗、百済、新羅などを英語で「バーバリアン・エンパイアー」などと言う表現はその意味では矛盾に満ちていますよね。今日の学会では差別語として使わなくなってはいますが。
http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

274.切支丹迫害とTVメディアのかかわり方 返信  引用 
名前:管理人    日付:2006/12/6(水) 17:16
キシさん掲示板の天守閣とキリスト教関連の話題についての返信引用です。

というと、織田信長がキリスト教など他宗教にも大変興味をもっていたというTV番組があったのを思い出しますね。
でもその後の徳川時代の切支丹の迫害の歴史というのは、ほとんど放送されることがないですね。数十万人?と迫害で全国各地で虐殺・処刑され続けた歴史は封印されたままです。この辺を明らかにしていくと、関東大震災のときの虐殺の原因などもわかってくるかもしれません。なぜ日本のTVメディアはその切支丹虐殺に触れたくないのか、よく考えてみてくださいね。徳川封建体制を引きづる放送局、一宗教への番組規定制限・・・。
そこを大胆にTV放送で触れるのかミカエルブロードキャストですのでよろしくお願いします。

271.国民国家論 返信  引用 
名前:岡本 豊    日付:2006/12/5(火) 11:51

管理人さん、キシさん

一昨日書いたメッセージを書き直して再度アップいたしますのでよろしく。

「朝鮮南部のソトと犯罪者隠蔽の文化などは、今もって再度国際社会に提出されるべき課題であり、そのように臨むのが、渡来人研究会の望み」であるとのご意見には賛成です。
万里の長城以北の出自を持つ多様な北族の文化伝統を今でも正統に受け継いでいる国は、東アジアで日本だけだと私は考えております。それは、日本の歴史が他に優越しているとか、周辺諸国とは異質な文化を持っているといった意味ではなく、日本文化とは、いわゆる日本列島と呼ばれるユーラシア東辺の列島に加えて、北はカムチャッカ半島から南はフィリピン列島まで広がる広域島嶼地域が持つ自然条件の下で亜熱帯と亜寒帯の文化という遠く離れた地域文化が融合してできたユニークな複合文化なのです。日本の場合には、ソトのような制度は見られなかったようですが、ヨーロッパ史との比較で顕著な事実は農民の土地への強制的緊縛がヨーロッパほどでは無かったという点でしょうね。辺境の東国への逃亡が比較的容易に行われ、追捕行為も少なかったようです。東日本の新開地では労働力、特に農民の流入を前向きに受け入れる可能性が比較的長期存在し続けたせいもあった課も知れません。

更に言えば、日本文化とは、は長江以南の亜熱帯地域を原郷とする水田稲作文化と亜寒帯出自の北族が南満州で生み出した独自の複合文化とが、黒潮がもたらした温暖多雨な気候条件に媒介されて日本列島の東部で発生した東日本文化が、西日本の先進王朝文化と融合してできたた列島特有の複合文化なのでした。この認識に立って日本の歴史を見直す必要があると言うのが私の主張です。

島嶼国の日本は、大陸部で起こった非漢中国王朝の興亡や、扶余、高句麗、百済、新羅と言った周辺北族王朝の興隆とも異なる安定した発展を遂げました。そして、その成功を下支えしたのは、列島で形成された世界でも最も労働集約的で生産性の高い水田稲作文化が、優れて尚武的な北方(南満州)系の騎馬民族文化と融合することを可能とした日本列島の特殊な自然環境が存在していた事実が、大陸側の例との比較において注目されねばなりません。この文化融合の過程から生まれたのがいわゆる東国の「開発領主」と呼ばれる地場豪族たちであり、京都に対する鎌倉幕府という形での独自の北族的対抗政治勢力の担い手となったのだと私は考えています。

彼らの出自は、女真系を中心とするツングース諸族であり、日本海経由で海路東日本に渡来して東日本に独自の牧馬畑作農耕文化を生み出し、この基盤から発生した「しゅう馬の党」が坂東武者の前身であり、関東武家文化のルーツとなり、元寇を契機に日本全土にその影響力を伸張しました。

日本の歴史に関しては、奈良・京都中心主義的な「大和歴史観」が過去には主流でしたが、私は、鎌倉幕府の成立と、北条泰時の時代以降の日本史の形成に東国武家社会文化が果たした重要な役割を再評価したいのです。中世以降は、中華文明の影響の少ない北族系武家社会の文化が政治的・軍事的ヘゲモニーを確保しましたが、彼らが同じく北族系であった天孫族の王朝文化を祖とする京都朝廷との安定的共存のシステムを選択することで歴史にもまれな長期安定レジームを構築した、という「列島型北族史観」を主張したい考えです。

今日の日本で大衆文化の中核的位置を占めている「演歌」のテーマが不思議にもしばしば「北に帰る」という発想と情緒をその中に秘めているのは決して偶然ではありません。南からの「米の道」に加えて北からの「騎馬民族の道」を再び見直す過程でこそ日本史を再考するための新しい視角が生まれるのではないでしょうか。日本以南の水田米作文化地帯では、近代日本のような安定性を持った国家がが生まれる可能性は無かったという事実に注目する必要があります。

国民国家という概念は、21世紀初頭ではまったく不毛なものだと思います。情報のグローバル化の是非については、住民基本台帳の問題が象徴的にその潜在的危険を露呈している問題です。自分の国の成り立ちと、その現在でのあり方についてさへ国民的なコンセンサスが無い今日、私たち日本人は、まず「歴史問題」とは一体何なの、という基本的な設問から議論を始める必要があるのではないでしょうか。


岡本 豊

http://www2.ezbbs.net/10/oiarijapan/

265.国民国家論 返信  引用 
名前:管理人    日付:2006/12/3(日) 0:45
メイン掲示板からの引用です。

キシさんこんばんは!
中国からエジプトの杖?の発見、おもしろいですね。モーセの杖の時代と重なりますね。モーセもエジプトで杖を手にいれているはずですから・・・。
中国開封でのユダヤ人、有名ですね。金の時代ですか。
先日読んだモンゴル帝国におけるネストリウス派が、モンゴルの王族、大臣などに浸透していたことと、その影響もあってか、十字軍とモンゴル軍が完全衝突するケースとは別に、欧州からエジプト方面へ共同軍ができていたことなども興味深い事実でしょう。
中国は実に多くの民族を含有してきたということですね。
少数民族をはじき出した国民国家論という幻想は、今でも中国に影響を及ぼしているのでしょうか。この理論はほんとにこの国に導入されるべき性質のものだったのでしょうか。よくわかりませんが今でも気になりますね。



266.Re: 国民国家論
名前:岡本 豊    日付:2006/12/3(日) 21:34
管理人さん

古代史掲示板でのキシさんの大活躍には驚いています。私は新参者なので、キシさんとは「私的アジア世界」というHPを2001年度にウエブサイトに集中的に発表された「子欲居」さんと同じ方なのですか?
 
彼の言う「黄河長江文明」と、その「周辺への波及」という東アジア史の枠組みの組み立て方は結構意味があると考えますので、これをたたき台として東アジア史、そしてその枠組みの中での中国史、韓国史、日本史といった、いわゆる国民国家史の位置づけについて新しい議論を展開してみたいと思うのですが、キシさんが子欲居」さんと同一人物なのはどうかお知らせ頂けますでしょうか?

「モンゴル帝国におけるネストリウス派が、モンゴルの王族、大臣などに浸透していたことと、その影響もあってか、十字軍とモンゴル軍が完全衝突するケースとは別に、欧州からエジプト方面へ共同軍ができていたことなども興味深い事実」です。余談ですが私はネパールで占領軍として派遣された元軍の残留者を祖先とする人たちが居ることを発見しました。彼らはその事を心の誇りとして今日も生き続けているようです。中国が多くの民族を含有した多民族、多文化文明であり、「少数民族をはじき出した国民国家」だとする幻想は、単に今でも中国に影響を及ぼしているだけではなく、日本の皇国史観にも共通するエスノ・セントリシズムへの偏向の結果ではないでしょうか。

この種のエスノ・セントリシズムの克服は、まさに21世紀の歴史問題解決への鍵だと私は確信しておりますので、ぜひ上記の国民国家史の位置づけについて新しいスレッドを開きたいのです。

岡本
http://www.sbpark.com


267.Re: 国民国家論
名前:棘の紀氏    日付:2006/12/3(日) 22:21
RE「キシさんが子欲居」さんと同一人物なのはどうかお知らせ頂けますでしょうか?」
 岡本 さん今晩は、口下手な紀氏は岡本さんを尊敬申し上げます。
「子欲居」さんは存じ上げませんが、世界平和には正しい歴史・宗教・政治・・・などの認識が重要と考えて居り日々検索しております。
岡本さんの書き込みを多くの人々に知らせたいです、今後とも宜しく御願いいたします。
「子欲居」さんの当掲示板への到来を夢見る 素人の紀氏でした。


268.Re: 国民国家論
名前:管理人    日付:2006/12/4(月) 0:21
岡本さん、キシさんこんばんは。岡本さん、キシさんは、ご存知のとおり、とても社会問題や歴史問題にご興味があり、深い洞察意見もさりげなく語りかけておられる方です。ぜひ今後とも、いろいろキシさんを交えてお話を進めて行きたいところですね。キシさんよろしくお願いします。

岡本さん、お返事ありがとうございます。
いまだに元軍の子孫が、元軍の時代の先祖の歴史を誇りにおもっていらっしゃるというのは興味深い事実です。
実は、先日、関東有名神社の神主の姓で、うちの研究会でもいろいろ話題にさせていただいた某朝鮮系王族の姓を持つご家族の方と、メールする機会があったのですが、やはりその伝統ある姓について、いまでも王族であるということを誇りに思うと同時に、逆に明らかに朝鮮系である(千年以上前なのに)ということで、社会問題の一部に遭遇するということもあるとのことをお聞かせいただきました。

実に先祖およびその民族にかかわる歴史というのは、今にまで世界でも日本でも影響を及ぼしているものですね。
そこに、近代的な国民国家論が持ち込まれ、統一的な一民族、一国家の理念が形成されていったこと、そして戦後崩壊しながらも、ご指摘のとおり再度今の時代に、ネオ・・ということと関係しながら、徐々に再度国民国家的な民族統一理念が形勢されつつあることは、岡本さんも憂慮されているところですね。

さて話は飛ぶのですが、今日のニュースに住民基本台帳ネットの初の高裁れべるでの違憲判決をだした判事が、その3日後に自殺したとのことが明らかになりました。
この住民基本台帳というのは、国民総背番号制ともいわれるように、国民一人一人の人権を侵害する恐れがあるといわれています。高裁の判事ともあろう人が、どうして自殺するほどに追い込まれるのか、その原因の解明は、ある意味日本社会や世論と、彼の信条との兼ね合いを理解していくうえで重要な視点を提供するのではないかと感じます。

国民のコンピューターシステムに地域を越える完全な支配、これは日本の古代国家の支配者も戸籍と計帳をもって、税金を確保し、逃亡者をも完全に管理していくことを目指した理由と、相容れるものがあるでしょう。

一方で朝鮮ではソトという形で、犯罪者が隠れ、法的にも侵害できない村落システムがあったことも知られています。つまりある程度の犯罪者等の人間にも、最低限の基本的なプライバシーなり、税制なりの自由が確保されるべきことが、古代人の一部には理解されていたということではないでしょうか。

そこで再度住民基本台帳による国民の諸情報の完全支配を考えるとき、犯罪歴他、プライバシー面で国家等に侵害されたくない部分、さらには信教・思想の自由まで、統一国会に侵害される可能性は、違憲判決を早い時期に出した高裁判事の視点の正しさを明らかにするものではないかと感じます。

税制の自由、犯罪歴隠蔽の自由・・・信教、民族理念の自由・・・。この自由がコンピューター化した一元管理によって阻害され、その代わりに特定の法律・思想が強制され、違反者への罰則規定が入りこむようになると、完璧な国民国家が出来上がるといえます。幻想がコンピューターという同じく幻想機器によって、現実化してしまう。

この世界的に行われつつある国境を越えたデジタル機器による統一的な国民・国家統一理念を完成する前に、パソコン、ネット、携帯まどのデジタル機器使用に関する人権法律規定を作っておくことは、日本レベルではなく国連レベルでなされるべきことだと、明らかに予測することができます。しかも、1、2年以内に人権関連の決議がされなければ、手遅れになるでしょう。時にデジタル機器の普及に制限をもうけるくらいの、法的な拘束力が必要です。

そういう意味でも、朝鮮南部のソトと犯罪者隠蔽の文化などは、今もって再度国際社会に提出されるべき課題であり、そのように臨むのが、渡来人研究会の望みでありますね。

いろいろその具体化についてなど、歴史問題掲示板でお話しましよう。


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