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家系研究協議会掲示板

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2930.家紋、装束について  
名前:理右衛門    日付:2014年6月30日(月) 22時1分
渡辺と申しまして、家紋は丸に渡辺星を使用しております。最近、蔵の長持ちより下部が切れた旗指物を発見しました。丸に渡辺星と石持ち地抜き左三つ巴が並んでおりました。また、家印を丸に筆字の十文字を使っております。いわゆる島津十文字です。家印は近隣に同紋を用いる家があると混合してしまうため発生したそうですが、生活圏にそのような家はございません。というわけで私はこれも家紋だと思っております。大叔母も島津十文字ではないかと指摘しておりました。
一方、装束ですが、昭和初頭に抵当流れになってしまったものの、直垂・打掛・白無垢の熨斗目があったそうです。
片一方だけでは心もとなく思いますが、互いが互いの裏づけになっているとみています。一時期、大いに隆盛した時代もあったのだと思います。
個人的には三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族が当家のルーツではないかと絞り込んでおりますが、なにかコメントいただけないでしょうか?



2938.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月14日(月) 21時30分
今晩は 理右衛門さん

過日私がコメントさせて頂いた、渡辺系三橋さんとは別人なのですよね?

ご質問の「旗印」や「装束」については、それだけで家系を証明できるもの
ではありません。そのことはご理解頂けるかと思います。

過去に私が他のご質問にコメントした記事をお読み下されば、家系の遡及に
ついて欠くことが出来ない調査がお判りになるだろうと思います。

その上で、どのような史料・資料があるのか、菩提寺にて幾世代まで家系を
遡ることが出来るのか。墓石は現存しているのか。等々、最低限の材料を提
供して頂けないことには、何ともコメントのしようが無いと思います。

「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族」でないとは誰も言い切れませんが、
根拠となる史料(資料ではありませんよ)が無いのであれば、憶測で書物にし
て残す事はお控えになって下さい。

何代か経た後の子孫が、それを証拠として本物の家系である方のご子孫に、
「同族である」と尋ねて行かれるかもしれません。

訪ねて来られた方が困惑されると思いますよ。

私は鎌倉御家人で、六波羅探題の官僚、室町期に於いては幕府の武家奉行人
にも一族を派した某庄の地頭(江戸期で云えば数万石程度の大名)の後裔です。

天正に落城して以来今日まで、主な一族の動向は殆どわかっております。
その一族に繋がらない同姓の方も在地には多くおられますが、同族とは思っ
ておりません。(勿論訪ねて来られませんがね)

一代ずつコツコツと史料を集めて、江戸末期にお住まいになっていた土地の
歴史を研究すれば、著名な家でれば何らかの史料が残っているかもしれません。

まず、ご自分で出来るだけのことは全てやって下さい。
「小次郎日録」というものを書いていますので、参考にして下さい。


2939.Re: 家紋、装束について
名前:理右衛門    日付:2014年7月16日(水) 18時57分
私、今回初めて投稿させていただきました。三橋様ではございません。

さっそくではございますが三橋様と貴殿のやりとりを拝見し、大変遺憾なことに三橋様と同様の意見を持たざるを得ません。

旗と装束を組み合わせて考えたとき、これらがキーになると思ってないのであれば、このような質問はいたしません。過去の社会において衣服には事細かに統制が敷かれており、一目で身分序列が分かるようになっていたようです。ただ、直垂のみならば論を展開するにはいささか早いと思いましたが、家紋が二つ並ぶ旗を見つけて、直垂を着する位にあった仮定で世人に問うてみてもよいと思ったまでです。

また文書として残すようなことを寸分も示唆してないというのに随分な言い様だと思いますし、前もって他の情報を提示することを当然のような論調でおっしゃるのであれば、掲示板の冒頭にあらかじめ示しておくべきだと思います。私はその必要はないと判断したため、書かなかったのであって気軽にお越し下さいとの呼び込み文句とは、およそ遠く感じます。

それでは失礼致します。


2940.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月17日(木) 11時2分
今日は 理右衛門さん

ご返信拝読致しました。

代々に亘り旗印を受け継いで来られたのであろうと思いますが、それ
に関する何らかの言い伝えが残っていないのも不思議に思います。

家紋が2つあるのは武家でしたらごく普通のことです。島津の十字紋
が何を意味するのか、私には断定するものがありませんが、明治の動
乱時(幕末から西南の役まで)まで、島津に組された可能性も否定で
きませんね。

官軍側におられたのなら、この旗印は戦利品であったことも考えられ
る訳です。

で、これらの検証をする為には、貴方の江戸末期のご住所が何処であ
ったのか、それを確認しないことには、何も前に進みません。

戸籍謄本・除籍謄本を遡れるだけ全部取り揃えたら、今日までの住所
移転の経緯が判るでしょう。

ご自宅にある過去帳と菩提寺の過去帳を突き合せて、どこまで遡れますか?

装束に関しては、経済的に余裕を持っておられた家だとは思われますが、
百姓・町人身分であっても富裕な方はおられましたので、所持されていた
方は多いと思います。

直垂・熨斗目については、神社の氏子さんがお祭りの時に着用されます
ので、世間一般に普及していました。

是非調査を継続されて、忘れられた遠祖の供養をされるよう切望致します。

誤解があるようですので、再度掲載さいますが、私はこの掲示板の開設者
ではございません。開設者とはパソコン通信の頃から交流を頂いておりま
すので、最近はよくコメントを入れるようになりました。

私はブログの中にも書いていますが、家系は遠祖の祭祀を受け継いでゆく
上で重要なのであり、それを以って現在の人の価値を云々するものではな
いと考えています。

ご理解賜りますようお願い致します。


2941.Re: 家紋、装束について
名前:小次郎    日付:2014年7月17日(木) 23時13分
追加です。

家系という極めてデリケートな事をネットという上に公開された場所に
書くことは、極めて慎重な姿勢が求められると思います。

理右衛門さんの旗印と装束だけで、「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族」
ではないかとお尋ね頂いても、推定する根拠も開示されていませんし、どうに
もコメントのしようがありません。それは無理です。

せめて、ご自分で戸籍謄本・除籍謄本を取得して、一番古い謄本の住所が何処
であったのか、菩提寺の過去帳と墓石が附合するか等々、最低限の事はご自分
で調査して下さい。

その上で「三河の渡辺氏族か一色氏家臣の渡辺氏族ではないか」と推定される
根拠をご説明下さいましたら、何らかの思考も出来るかと思います。
ご理解下さいますようお願い申し上げます。


「2930.家紋、装束について」への返信


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